Sanshirō - Chapter 11

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このごろ与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が学校学校がっこう schoolで文芸協会文芸ぶんげい協会きょうかい Literary Societyの切符切符きっぷ ticketsを売って売うって sell回って回まわって circulate; make the roundsいる。二、三日二に、三日さんにち several daysかかって、知った知しった know; be acquainted with者者もの personsへはほぼ売りつけた様子様子ようす situation; state of affairsである。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下廊下ろうか hallwayでつかまえる。するとなかなか放さない放はなさない not let go of; not let escape。どうかこうか、買わせて買かわせて force a sale; push (someone) to buyしまう。時には時ときには at times; on occasion談判中に談判中だんぱんちゅうに in the middle of (his) pitchベルベル bellが鳴って鳴なって ring; sound取り逃す取とり逃にがす fail to catch; let get awayこともある。与次郎はこれを時利あらず時とき利りあらず thwarted by time (refers to writing of the Chinese philosopher Mencius)と号して号ごうして announce; declare (as)いる。時には相手相手あいて the other partyが笑って笑わらって smile; grinいて、いつまでも要領を得ない要領ようりょうを得えない prove elusive; be noncommittalことがある。与次郎はこれを人利あらず人ひと利りあらず thwarted by character (refers to writing of the Chinese philosopher Mencius)と号している。ある時便所便所べんじょ toilet; washroomから出て来た出でて来きた came out; emerged (from)教授教授きょうじゅ professorをつかまえた。その教授はハンケチハンケチ handkerchiefで手手て handsをふきながら、今ちょっと今いまちょっと just a momentと言ったまま言いったまま having said急いで急いそいで in haste図書館図書館としょかん libraryへはいってしまった。それぎりけっして出て来ない出でて来こない did not come out。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影後影うしろかげ retreating form; receding figureを見送って見送みおくって see off; watch walk away、あれは腸カタル腸ちょうカタル enteritis (inflammation of the intestine - often accompanied by diarrhea)に違いないに違ちがいない without doubt ...と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)に教えて教おしえて informくれた。

与次郎に切符の販売方販売方はんばいかた method of selling; manner of sellingを何枚何枚なんまい how many (tickets)頼まれた頼たのまれた be asked; be requestedのかと聞く聞きく ask; inquireと、何枚でも売れるだけ売うれるだけ as many as (one) can sell頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場演芸場えんげいじょう performance venueにはいりきれないはいりきれない can't fit into恐れ恐おそれ fear; concernはないかと聞くと、少し少すこし a little; a bitはあると言う。それでは売ったあとで困る困こまる be in trouble; be in a bindだろうと念をおす念ねんをおす follow up with; call attention toと、なに大丈夫大丈夫だいじょうぶ okay; alrightだ、なかには義理義理ぎり obligationで買う者もあるし、事故事故じこ accident; mishapで来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましているすましている be unconcerned。

与次郎が切符を売るところを見て見みて look at; watchいると、引きかえに引ひきかえに in exchange for; at the point of transaction金金かね moneyを渡す渡わたす hand over者からはむろん即座に即座そくざに immediately; on the spot受け取る受うけ取とる take; receiveが、そうでない学生学生がくせい studentsにはただ切符だけ渡している。気の小さい気きの小ちいさい timid; faint-hearted三四郎が見ると、心配心配しんぱい worry; concernになるくらい渡して歩く歩あるく walk (away); move on。あとから思うとおり思おもうとおり as imagined; as expectedお金が寄る寄よる come togetherかと聞いてみると、むろん寄らないという答答こたえ answer; responseだ。几帳面に几帳面きちょうめんに meticulously; rigorouslyわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて大体だいたいのうえにおいて for the most part; in general利益利益りえき to one's benefit; advantageousだからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社タイムス社しゃ London Times (company)が日本日本にほん Japanで百科全書百科全書ひゃっかぜんしょ encyclopedia (Encyclopedia Britannica)を売った方法方法ほうほう methodに比較して比較ひかくして compare (to)いる。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく心こころもとなく untrustworthy; unreliable思った。そこで一応一応いちおう once; for what it's worth与次郎に注意した注意ちゅういした cautioned時に、与次郎の返事返事へんじ responseはおもしろかった。

「相手相手あいて the other partyは東京東京とうきょう Tōkyō帝国大学帝国ていこく大学だいがく Imperial University学生学生がくせい studentsだよ」

「いくら学生だって、君君きみ youのように金にかけると金かねにかけると when it comes to moneyのん気のん気き careless; loose (with something)なのが多い多おおい numerous; the large part (of)だろう」

「なに善意に善意ぜんいに in good faith払わない払はらわない don't payのは、文芸協会文芸ぶんげい協会きょうかい Literary Societyのほうでもやかましくは言わないやかましくは言いわない won't raise a fussはずだ。どうせいくら切符切符きっぷ ticketsが売れた売うれた sell; be soldって、とどのつまりとどのつまり in the end; after all is said and doneは協会の借金借金しゃっきん deficit; financial shortfallになることは明らか明あきらか plain; clear; evidentだから」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は念のため念ねんのため for good measure、それは君の意見意見いけん opinion; position; point of viewか、協会の意見かとただしてみた。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた答こたえた answered; responded (with)。

与次郎の説説せつ opinion; viewを聞く聞きく listen to; hear outと、今度今度こんど this timeは演芸会演芸会えんげいかい performance; showを見ない見みない not see; not attend者者もの personsは、まるでばかのような気気き feelingがする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈講釈こうしゃく lecture; expositionをする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰して信仰しんこうして believe inいるためだか、あるいはただ自分の自分じぶんの one's own景気景気けいき spirit; verve; passionをつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは次ついでは subsequently; while at it演芸会の景気をつけて、世上世上せじょう the world一般一般いっぱん in generalの空気空気くうき atmosphere; moodをできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に明晰めいせきに clearly; distinctly区別が立たない区別くべつが立たたない cannot be determinedものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化感化かんか influenceをこうむらないこうむらない not receive; not fall subject to。

与次郎は第一に第一だいいちに first off; first of all会員会員かいいん memberの練習練習れんしゅう practice; rehearsalに骨を折って骨ほねを折おって make an effort; exert oneselfいる話話はなし discussion; descriptionをする。話どおりに聞いていると、会員の多数多数たすう great number; majorityは、練習の結果結果けっか resultとして、当日前に当日前とうじつぜんに before the day in question; before the big day役に立たなくなりそうだ役やくに立たたなくなりそうだ are likely already spent; are unlikely to be of any more use。それから背景背景はいけい background; backdropの話をする。その背景が大したもの大たいしたもの something special; quite the thingで、東京にいる有為の有為ゆういの capable; talented青年画家青年せいねん画家がっか young artistsをことごとく引き上げて引ひき上あげて pull together; round up、ことごとく応分の応分おうぶんの respective技倆技倆ぎりょう abilities; skillsを振るわした振ふるわした let exercise; gave free reign to wieldようなことになる。次次つぎ nextに服装服装ふくそう wardrobe; costumesの話をする。その服装が頭頭あたま headから足足あし feetの先先さき tip ofまで故実故実こじつ ancient mannerずくめずくめ all in ...; fully ...にでき上がってでき上あがって be done (in)いる。次に脚本脚本きゃくほん script; storyの話をする。それが、みんな新作新作しんさく new workで、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaと原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんに招待券招待券しょうたいけん complimentary ticketを送った送おくった sentと言って言いって say; reportいる。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)兄妹兄妹きょうだい brother and sisterと里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)兄妹には上等上等じょうとう first class; premiumの切符切符きっぷ ticketsを買わせた買かわせた forced a sale; pushed (someone) to buyと言っている。万事万事ばんじ all; everythingが好都合好都合こうつごう favorable; in good shapeだと言っている。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は与次郎のために演芸会演芸会えんげいかい performance; show万歳万歳ばんざい good luck with; success toを唱えた唱となえた voiced; expressed。

万歳を唱える晩晩ばん evening; night、与次郎が三四郎の下宿下宿げしゅく lodgingsへ来た来きた came (to); appeared (at)。昼間昼間ひるま daytimeとはうって変っている変かわっている be changed; be different。堅くなって堅かたくなって (become) stiff; rigid火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierのそばへすわって寒い寒さむい cold; freezing寒いと言う。その顔顔かお face; facial expressionがただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかる乗のりかかる lean over; press in onように手をかざして手てをかざして hold one's hands outいたが、やがて懐手懐手ふところで hands pressed into pocketsになった。三四郎は与次郎の顔を陽気陽気ようき vivacity; brightnessにするために、机机つくえ deskの上上うえ top ofのランプランプ (oil) lampを端端はじ edgeから端へ移した移うつした moved; shifted。ところが与次郎は顎顎あご jawをがっくりがっくり dejectedly落して落おとして dropped; let fall、大きな大おおきな large坊主頭坊主ぼうず頭あたま closely-cropped headだけを黒く黒くろく darkly灯に照らして灯ひに照てらして turn toward the lightいる。いっこうさえないさえない not perk up; not come around。どうかしたかと聞いた聞きいた asked時時とき time; momentに、首をあげて首くびをあげて raise one's headランプを見た見みた looked at; gazed at。

「この家家うち house; residenceではまだ電気電気でんき electricityを引かない引ひかない not (yet) lay or draw (electric cables)のか」と顔つきにはまったく縁のない縁えんのない having no connection; unrelatedことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くて暗くらくて dark; dimいかんね」と答えていると、急に急きゅうに suddenly、ランプのことは忘れた忘わすれた forgot aboutとみえて、

「おい、小川小川おがわ Ogawa (Sanshirō's family name)、たいへんな事事こと matter; affair; incidentができてしまった」と言いだした。

一応一応いちおう once; for what it's worth理由理由わけ situation; circumstancesを聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけ皺しわだらけ wrinkled; full of wrinklesの新聞新聞しんぶん newspaperを出した出だした took out; produced。二枚二枚にまい two (layers)重なって重かさなって stack; pileいる。その一枚一枚いちまい one (layer)をはがして、新しく新あたらしく newly; freshly畳み直して畳たたみ直なおして refold、ここを読んで読よんで readみろと差しつけた差さしつけた pointed at; indicated。読むところを指の頭指ゆびの頭あたま fingertipで押えて押おさえて press down; hold downいる。三四郎は目目め eyeをランプのそばへ寄せた寄よせた drew nearer (to)。見出し見出みだし headlineに大学大学だいがく universityの純文科純文科じゅんぶんか department of literatureとある。

大学の外国文学科外国がいこく文学科ぶんがくか foreign literature departmentは従来従来じゅうらい traditionally; up to now西洋人西洋人せいようじん Westernerの担当での担当たんとうで under the charge of ...、当事者当事者とうじしゃ the parties concernedはいっさいの授業授業じゅぎょう lessons; instructionを外国教師外国がいこく教師きょうし foreign instructorsに依頼して依頼いらいして entrust toいたが、時勢時勢じせい spirit of the timesの進歩進歩しんぽ progression; developmentと多数多数たすう great number of学生学生がくせい studentsの希望希望きぼう wishes; desireに促されて促うながされて prompted; pressed (by)、今度今度こんど now; at this timeいよいよ本邦人本邦人ほんぽうじん native son (of Japan)の講義講義こうぎ lecturesも必須課目必須ひっす課目かもく compulsory (part of the) curriculumとして認める認みとめる recognize; acknowledge (as)に至ったに至いたった arrived at; progressed to。そこでこのあいだじゅうから適当の適当てきとうの appropriate; suitable人物人物じんぶつ personage; capable personを人選人選じんせん personnel selection; hiring中中ちゅう in the process ofであったが、ようやく某氏某氏ぼうし a certain personに決定して決定けっていして decide (on)、近々近々きんきん soon; shortly発表発表はっぴょう announcementになるそうだ。某氏は近き過去近ちかき過去かこ one's recent pastにおいて、海外留学海外かいがい留学りゅうがく study abroadの命命めい mandate; directiveを受けた受うけた receivedことのある秀才秀才しゅうさい brilliant person; prodigyだから至極至極しごく quite; most; exceedingly適任適任てきにん competent; qualifiedだろうという内容内容ないよう content; substanceである。

「広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaじゃなかったんだな」と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)が与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)を顧みた顧かえりみた turned around toward; turned to look at。与次郎はやっぱり新聞新聞しんぶん newspaperの上上うえ surface ofを見て見みて look at; study; examineいる。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた聞きいた asked。

「どうも」と首を曲げた首くびを曲まげた tilted one's head; inclined one's headが、「たいてい大丈夫大丈夫だいじょうぶ alright; under controlだろうと思って思おもって thoughtいたんだがな。やりそくなった。もっともこの男男おとこ man; fellowがだいぶ運動運動うんどう campaign; lobbyingをしているという話話はなし talk; rumorは聞いたこともあるが」と言う言いう said; added。

「しかしこれだけじゃ、まだ風説風説ふうせつ gossip; hearsayじゃないか。いよいよ発表発表はっぴょう announcementになってみなければわからないのだから」

「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係した関係かんけいした affected; impactedことじゃないから、しかし」と言って、また残りの残のこりの remaining新聞を畳み直して畳たたみ直なおして refold、標題標題みだし headlineを指の頭指ゆびの頭あたま fingertipで押えて押おさえて press down; hold down、三四郎の目目め eyesの下下した beneath; belowへ出した出だした put forth; presented。

今度今度こんど this timeの新聞にもほぼ同様の同様どうようの similar; equivalent事事こと matters; affairsが載って載のって appear (in print); be reportedいる。そこだけはべつだんに新しい新あたらしい new; novel印象印象いんしょう impressionを起こしようもない起おこしようもない did not bring about; was not apt to arouseが、そのあとへ来て来きて came (to)、三四郎は驚かされた驚おどろかされた was shocked; was taken aback。広田先生がたいへんな不徳義不徳義ふときぎ immorality; dishonesty漢漢かん man; fellowのように書いて書かいて write; reportある。十年間十じゅう年間ねんかん (a period of) ten years語学語学ごがく languageの教師教師きょうし instructorをして、世間世間せけん society; the worldには杳として杳ようとして obscure; unknown聞こえない凡材凡材ぼんざい mediocrityのくせに、大学大学だいがく universityで本邦人本邦人ほんぽうじん native son (of Japan)の外国文学外国がいこく文学ぶんがく foreign literature講師を入れる入いれる bring in; hireと聞くやいなや、急に急きゅうに immediatelyこそこそ運動を始めて始はじめて start; begin、自分自分じぶん oneselfの評判記評判記ひょうばんき write-up on a personを学生間学生間がくせいかん among the studentsに流布した流布るふした circulated; disseminated。のみならずその門下生門下生もんかせい disciple; followerをして「偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」などという論文論文ろんぶん essay; compositionを小雑誌小雑誌こざっし minor publicationに草せしめた草そうせしめた cajoled into writing; coaxed to write。この論文は零余子零余子れいよし Reiyoshi (propagule; one of Yojirō's pen names)なる匿名匿名とくめい assumed nameのもとにあらわれたが、じつは広田の家家いえ houseに出入する出入しゅつにゅうする come and go; frequent文科大学生文科ぶんか大学生だいがくせい college of liberal arts student小川小川おがわ Ogawa (Sanshirō's family name)三四郎なるものの筆筆ふで (writing) brushであることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前名前なまえ nameが出て来た出でて来きた appeared。

三四郎は妙な妙みょうな strange; odd; curious顔顔かお face; facial expressionをして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人とも二人ふたりとも both of themしばらく黙って黙だまって remain silentいた。やがて、三四郎が、

「困る困こまる be troubled; be in a bindなあ」と言った。少し少すこし somewhat; to some degree与次郎を恨んで恨うらんで resent; blameいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君君きみ you (used here as form of address)、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

投書投書とうしょ letter to the editor; letter from a readerをそのまま出した出だした put out; publishedに違いないに違ちがいない no doubt ...。けっして社社しゃ (newspaper) companyのほうで調べた調しらべた investigated; checked; verifiedものじゃない。文芸時評文芸時評ぶんげいじひょう Literary Reviewの六号活字六号ろくごう活字かつじ size six type; small print; filler materialの投書にこんなのが、いくらでも来る来くる come; arrive。六号活字はほとんど罪悪罪悪ざいあく evil; villainyのかたまりだ。よくよく探って探さぐって investigate; look intoみると嘘嘘うそ concoction; fabricationが多い多おおい many; numerous。目に見えた目めに見みえた blatant; obvious嘘をついているのもある。なぜそんな愚な愚おろかな silly; foolish事事こと act; actionをやるかというとね、君君きみ you (used here as form of address)。みんな利害利害りがい advantages and disadvantages; interests問題問題もんだい problem; question (of)が動機動機どうき motivationになっているらしい。それでぼくが六号活字を受持って受持うけもって have charge of; administerいる時時とき times; occasionsには、性質性質たち quality; natureのよくないのは、たいてい屑籠屑籠くずかご wastebasketへ放り込んだ放ほうり込こんだ tossed into。この記事記事きじ articleもまったくそれだね。反対運動反対はんたい運動うんどう opposing movement; opposition campの結果結果けっか result; output (of)だ」

「なぜ、君の名名な nameが出ない出でない not appearで、ぼくの名が出たものだろうな」

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は「そうさ」と言って言いって say; remarkいる。しばらくしてから、

「やっぱり、なんだろう。君は本科生本科生ほんかせい regular studentでぼくは選科生選科生せんかせい elective studies studentだからだろう」と説明した説明せつめいした explained; proposed an explanation。けれども三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として依然いぜんとして still; as before迷惑迷惑めいわく bothered; annoyedである。

「ぜんたいぼくが零余子零余子れいよし Reiyoshi (propagule; one of Yojirō's pen names)なんてけちなけちな petty号号ごう pen nameを使わずに使つかわずに without using; without resorting to、堂々と堂々どうどうと grandly; boldly佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)与次郎と署名して署名しょめいして signおけばよかった。じっさいあの論文論文ろんぶん essay; compositionは佐々木与次郎以外以外いがい apart from; other thanに書ける書かける can write者者もの personは一人一人ひとり one (single) personもないんだからなあ」

与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」の著作権著作権ちょさくけん authorshipを奪われて奪うばわれて have taken away (by someone)、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生先生せんせい professorに話した話はなした confessed; explainedか」と聞いた聞きいた asked。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者作者さくしゃ writer; authorなんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格人格じんかく characterに関係してくる関係かんけいしてくる come to affect; make an impact (on)以上は以上いじょうは once ...; given that ...、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません知しりません don't know、何か何なにか some sort of間違い間違まちがい mistakeでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌雑誌ざっし magazine; periodicalに出ましたが、匿名匿名とくめい assumed nameです、先生の崇拝者崇拝者すうはいしゃ admirerが書いたものですから御安心なさい御安心ごあんしんなさい don't worry about itくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまう済すんでしまう be settled; be at its endわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任責任せきにん responsibilityを明らかにしなくっちゃ明あきらかにしなくっちゃ have to make clear; have to come clean about。事がうまくいって、知らん顔顔かお face; facial expressionをしているのは、心持ち心持こころもち feelingがいいが、やりそくなって黙って黙だまって remain silentいるのは不愉快不愉快ふゆかい unpleasant; disagreeableでたまらない。第一第一だいいち for one thing; first of all自分自分じぶん oneselfが事を起こして起おこして set in motion; instigateおいて、ああいう善良な善良ぜんりょうな good; virtuous人人ひと personを迷惑な状態状態じょうたい situationに陥らして陥おちいらして cause to fall into、それで平気に平気へいきに calmly; cooly見物がしておられる見物けんぶつがしておられる can view from a distance; can watch from the wingsものじゃない。正邪曲直正邪せいじゃ曲直きょくちょく right and wrongなんてむずかしい問題は別として別べつとして putting aside、ただ気の毒気きの毒どく pitiable; unfortunateで、いたわしくっていたわしくって heartrendingいけない」

三四郎ははじめて与次郎を感心な感心かんしんな admirable; praiseworthy男男おとこ man; fellowだと思った思おもった thought (of as); regarded (as)。

「先生先生せんせい professorは新聞新聞しんぶん newspaperを読んだ読よんだ readんだろうか」

「家家うち houseへ来る来くる come; be delivered (to)新聞にゃない。だからぼくも知らなかった知しらなかった didn't know。しかし先生は学校学校がっこう schoolへ行って行いって go (to)いろいろな新聞を見る見みる see; look atからね。よし先生が見なくってもだれか話す話はなす tell (about); mentionだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君君きみ youにはなんとも言わない言いわない not say (anything)か」

「言わない。もっともろくに話話はなし talk; conversationをする暇暇ひま free time; leisureもないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会演芸会えんげいかい performance; showの事事こと matters; affairsでしじゅう奔走して奔走ほんそうして running aboutいるものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいおしろい (face) powderをつけて、芝居芝居しばい play; dramaなんかやったって、何何なに whatがおもしろいものか」

「先生に話したら、君、しかられるだろう」

「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒気きの毒どく pitiable; unfortunateでね。よけいな事をして迷惑をかけて迷惑めいわくをかけて cause trouble (for someone)るんだから。――先生は道楽道楽どうらく hobby; pastime; indulgenceのない人人ひと personでね。酒酒さけ sakéは飲まず飲のまず doesn't drink、煙草煙草タバコ tobaccoは」と言いかけたが途中途中とちゅう in the middle; midwayでやめてしまった。先生の哲学哲学てつがく philosophyを鼻鼻はな nose; nostrilsから煙煙けむ smokeにして吹き出す吹ふき出だす exhale; expel量量りょう quantity; volumeは月月つき a monthに積もる積つもる accumulate; aggregateと、莫大な莫大ばくだいな enormous; vastものである。

「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣り釣つり fishingをするじゃなし、碁を打つ碁ごを打うつ play go (strategic board game)じゃなし、家庭家庭かてい family; householdの楽しみ楽たのしみ enjoyment; pleasureがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供子供こども childrenでもあるといいんだけれども。じつに枯淡枯淡こたん austere; asceticだからなあ」

与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)はそれで腕組をした腕組うでぐみをした folded (his) arms。

「たまに、慰めよう慰なぐさめよう console; bring comfort toと思って思おもって thought (to do)、少し少すこし a little; a bit奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所所ところ place; residenceへ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少多少たしょう somewhat; in some part責任責任せきにん responsibilityがあるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要必要ひつよう need; necessityはない」

「じゃ弁解して弁解べんかいして explain oneselfくる」

与次郎はそれで帰った帰かえった returned; went home。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は床床とこ bedにはいってからたびたび寝返りを打った寝返ねがえりを打うった tossed and turned。国国くに country; one's native regionにいるほうが寝やすい寝ねやすい easy to sleep心持ち心持こころもち feelingがする。偽りの偽いつわりの fabricated記事記事きじ (newspaper) article; story――広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirota――美禰子美禰子みねこ Mineko (name)――美禰子を迎えに来て迎むかえに来きて come to meet連れていった連つれていった led away; escortedりっぱな男男おとこ man; fellow――いろいろの刺激刺激しげき stimuli; provocationsがある。

夜中夜中よなか late at night; dead of nightからぐっすり寝た寝ねた slept。いつものように起きる起おきる wake up; riseのが、ひどくつらかった。顔顔かお faceを洗う洗あらう wash所所ところ placeで、同じ同おなじ the same文科文科ぶんか college of liberal artsの学生学生がくせい studentに会った会あった met; encountered。顔だけは互いに互たがいに mutually見知り合い見知みしり合あい known by sight; familiarである。失敬という挨拶失敬しっけいという挨拶あいさつ the usual formalities; the standard greetingsのうちに、この男男おとこ man; fellowは例の例れいの the aforementioned; said; in question記事記事きじ (newspaper) article; storyを読んで読よんで readいるらしく推した推すいした inferred; gathered; surmised。しかし先方先方せんぽう the other partyではむろん話頭話頭わとう subject; topicを避けた避さけた avoided。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)も弁解弁解べんかい defense; explanationを試みなかった試こころみなかった did not attempt。

暖かい暖あたたかい warm汁汁しる soupの香香か aromaをかいでいる時時とき timeに、また故里故里ふるさと home town; native placeの母母はは motherからの書信書信しょしん letterに接した接せっした took receipt of。また例のごとく例れいのごとく as usual; as always、長かりそう長ながかりそう appear lengthyだ。洋服洋服ようふく Western clothesを着換える着換きかえる change (out of)のがめんどうだから、着たまま着きたまま still wearingの上上うえ top ofへ袴袴はかま hakama (men's formal pleated skirt)をはいて、懐懐ふところ pocketへ手紙手紙てがみ letterを入れて入いれて put into、出る出でる left; departed。戸外戸外そと outsideは薄い薄うすい thin; light霜霜しも frostで光った光ひかった shone; glistened。

通り通とおり boulevard; thoroughfareへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いて歩あるいて walkいる。それが、みな同じ方向方向ほうこう directionへ行く行ゆく go; proceed。ことごとく急いで行く急いそいで行ゆく hurry along; rush。寒い寒さむい cold往来往来おうらい road; streetは若い若わかい young男の活気活気かっき energy; vigorでいっぱいになる。そのなかに霜降りの霜降しもふりの grayish (mixture of dark and light)外套外套がいとう overcoat; cloakを着た広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaの長い長ながい long; tall影影かげ figure; formが見えた見みえた was visible。この青年青年せいねん youth; young menの隊伍隊伍たいご formation; ranksに紛れ込んだ紛まぎれ込こんだ slipped in with; lost in先生は、歩調歩調ほちょう gait; paceにおいてすでに時代錯誤時代錯誤アナクロニズム anachronism (Japanese reading = 時代じだい錯誤さくご)である。左右前後左右さゆう前後ぜんご all around (left, right, front, and back)に比較する比較ひかくする compareとすこぶる緩漫緩漫かんまん leisurely; relaxedに見える。先生の影は校門校門こうもん school gateのうちに隠れた隠かくれた hid itself (within); disappeared (into)。門内門内もんない inside the gate; within the groundsに大きな大おおきな large松松まつ pine treeがある。巨大の巨大きょだいの giant傘傘からかさ umbrella; parasolのように枝枝えだ branches; limbsを広げて広ひろげて spread out玄関玄関げんかん entry hallをふさいでいる。三四郎の足足あし feetが門前門前もんぜん front of the gateまで来た来きた came (to); arrived (at)時は、先生の影がすでに消えて消きえて disappear; be out of sight、正面正面しょうめん aheadに見えるものは、松と、松の上にある時計台時計台とけいだい clock towerばかりであった。この時計台の時計は常に常つねに always狂っている狂くるっている be off kilter; be awry; be faulty。もしくは留まっている留とまっている stopped。

門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で口くちの中なかで to oneself「ハイドリオタフヒアハイドリオタフヒア Hydriotaphia (Sir Thomas Browne, published in 1658)」という字字じ wordを二度二度にど two times; twice繰り返した繰くり返かえした repeated。この字は三四郎の覚えた覚おぼえた learned外国語外国語がいこくご foreign vocabularyのうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉言葉ことば wordの一つの一ひとつ one of ...であった。意味意味いみ meaningはまだわからない。広田先生に聞いて聞きいて askみるつもりでいる。かつて与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)に尋ねたら尋たずねたら ask; inquire、おそらくダーターファブラダーターファブラ Latin 'de te fabula' from Horace's Satires. Broader meaning: don't laugh - change the names and the story applies to you.のたぐいだろうと言って言いって say; replyいた。けれども三四郎からみると二つ二ふたつ two (things)のあいだにはたいへんな違い違ちがい difference; disparityがある。ダーターファブラはおどるべき性質性質せいしつ quality; natureのものと思える思おもえる could be thought of as; could be regarded as。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇暇ひま timeがいる。二へん二にへん two times; twice繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使う使つかう use; wieldために古人古人こじん men of oldが作って作つくって make; createおいたような音音おん sound; ringがする。

学校学校がっこう schoolへ行ったら行いったら went (to)、「偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; void」の作者作者さくしゃ author; writerとして、衆人衆人しゅうじん people; everyoneの注意注意ちゅうい attentionを一身一身いっしん oneselfに集めて集あつめて be gatheredいる気色気色きしょく feeling; moodがした。戸外戸外そと outside; outdoorsへ出よう出でよう go out; leaveとしたが、戸外は存外存外ぞんがい unexpectedly寒い寒さむい coldから廊下廊下ろうか hallwayにいた。そうして講義講義こうぎ lectureのあいだに懐懐ふところ pocketから母母はは motherの手紙手紙てがみ letterを出して出だして take out読んだ読よんだ read。

この冬休み冬休ふゆやすみ winter vacation; winter breakには帰って来い帰かえって来こい come homeと、まるで熊本熊本くまもと Kumamoto (place name)にいた当時当時とうじ that time; those daysと同様な同様どうような similar命令命令めいれい order; command; directionがある。じつは熊本にいた時分時分じぶん period of timeにこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報電報でんぽう telegramが掛かった掛かかった arrived。母の病気病気びょうき sickness; illnessに違いないに違ちがいない no doubt ...と思い込んで思おもい込こんで assumed; was under the impression that ...、驚いて驚おどろいて alarmed; flustered飛んで帰る飛とんで帰かえる hurry homeと、母のほうではこっちに変変へん changeがなくって、まあ結構結構けっこう fine; wellだったといわぬばかりに喜んで喜よろこんで be delighted; be pleasedいる。訳訳わけ circumstances; situationを聞く聞きく ask aboutと、いつまで待って待まって waitいても帰らないから、お稲荷様お稲荷様いなりさま Oinari-sama (Inari; god of harvests, wealth, fertility, etc.)へ伺いを立てたら伺うかがいを立たてたら consult an oracle or a god、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣御託宣ごたくせん (divine) revelationであったので、途中で途中とちゅうで on the way; en routeどうかしはせぬだろうかと非常に非常ひじょうに very much; exceedingly心配して心配しんぱいして worry; be concernedいたのだと言う言いう say; respond。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はその当時を思いだして、今度今度こんど this timeもまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いて書かいて writeない。ただ三輪田三輪田みわた Miwata (family name)のお光お光みつ Omitsu (name)さんも待っていると割注割注わりちゅう inserted note; margin noteみたようなものがついている。お光さんは豊津豊津とよつ Toyotsu (place name)の女学校女学校じょがっこう girls' schoolをやめて、家家うち homeへ帰ったそうだ。またお光さんに縫って縫ぬって sewもらった綿入れ綿入めんいれ padded garment; quilted shirtが小包小包こづつみ small packageで来る来くる arriveそうだ。大工大工だいく carpenterの角三角三かくぞう Kakuzō (name)が山山やま mountain; hillsで賭博を打って賭博ばくちを打うって gamble九十八円九十八きゅうじゅうはち円えん 98 yen取られた取とられた was taken for; lostそうだ。――そのてんまつてんまつ circumstancesが詳しく詳くわしく in detail書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたい買かいたい wish to purchaseという男男おとこ menが三人連三人さんにん連づれ group of three (people)で入り込んで来た入いり込こんで来きた came; visited; calledのを、角三が案内をして案内あんないをして guide; show (around)、山を回って歩いて回まわって歩あるいて walk around; survey (on foot)いるあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房女房にょうぼう wifeにいつのまに取られたかわからないと弁解した弁解べんかいした explained; excused (oneself)。すると、女房がそれじゃお前さんお前まえさん you眠り薬眠ねむり薬ぐすり sleep-inducing agent; anestheticでもかがされたかがされた caused to sniff; caused to inhaleんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えた答こたえた answered; repliedそうだ。けれども村村むら village; townの者者もの peopleはみんな賭博をして巻き上げられた巻まき上あげられた was swindled; was cheatedと評判して評判ひょうばんして assess (as); believe (to be)いる。いなかでもこうだから、東京東京とうきょう Tōkyōにいるお前なぞは、本当に本当ほんとうに really; trulyよく気をつけなくてはいけない気きをつけなくてはいけない must be careful; need to exercise cautionという訓誡訓誡くんかい admonitionがついている。

長い長ながい long; lengthy手紙手紙てがみ letterを巻き収めて巻まき収おさめて roll back upいると、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)がそばへ来て来きて come (to); appear (at)、「やあ女女おんな woman; young ladyの手紙だな」と言った言いった remarked; commented。ゆうべよりは冗談冗談じょうだん humor; jestをいうだけ元気がいい元気げんきがいい revitalized; energetic。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は、

「なに母母はは motherからだ」と、少し少すこし a little; a bitつまらなそうに答えて答こたえて answered; responded、封筒ごと封筒ふうとうごと envelope and all懐懐ふところ pocketへ入れた入いれた put into。

「里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)のお嬢さんお嬢じょうさん young ladyからじゃないのか」

「いいや」

「君君きみ you (used here as form of address)、里見のお嬢さんのことを聞いた聞きいた heardか」

「何何なに whatを」と問い返して問とい返かえして ask in returnいるところへ、一人一人ひとり one (person)の学生学生がくせい studentが、与次郎に、演芸会演芸会えんげいかい performance; showの切符切符きっぷ ticketをほしいという人人ひと personが階下階下した downstairs; belowに待って待まって waitいると教えに来てくれた教おしえに来きてくれた came to tell; came to inform。与次郎はすぐ降りて行った降おりて行いった went down。

与次郎はそれなり消えて消きえて disappearなくなった。いくらつらまえようと思って思おもって think (to do)も出て来ない出でて来こない didn't appear。三四郎はやむをえず精出して精出せいだして exert oneself講義講義こうぎ lectureを筆記して筆記ひっきして take notesいた。講義が済んで済すんで conclude; be finishedから、ゆうべの約束約束やくそく promise; pledgeどおり広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaの家家うち houseへ寄る寄よる drop by; pay a visit。相変らず相変あいかわらず as always静か静しずか quiet; stillである。先生は茶の間茶ちゃの間ま tea room; hearth roomに長くなって寝て寝ねて rest; sleepいた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠い眠ねむい sleepy; drowsyと言って、さっきお帰りになるお帰かえりになる return homeと、すぐに横におなりなすった横よこにおなりなすった lay downのだと言う。長いからだの上上うえ top ofに小夜着小夜着こよぎ small quiltが掛けてある掛かけてある spread over; laid over。三四郎は小さな声小ちいさな声こえ small voice; quiet voiceで、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強勉強べんきょう studies; workじゃなくって、佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)さんと久しく久ひさしく for the first time in a whileお話お話はなし talk; discussionをしておいでだったという答答こたえ answer; responseである。勉強が佐々木に代った代かわった changed (to); was replaced (by)から、昼寝昼寝ひるね napをする説明説明せつめい explanationにはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の例れいの the aforementioned; that certain ...話をした事事こと act; factだけはこれで明瞭明瞭めいりょう clear; evidentになった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろう知しろう know; have knowledge ofはずがないし、肝心の肝心かんじんの vital; all-important与次郎は学校学校がっこう schoolで取り逃して取とり逃にがして let get awayしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した大たいした significant; eventful事件事件じけん affair; happeningにはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象心理しんり現象げんしょう workings of one's mindはとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない想像そうぞうはできない can't imagine; have no idea。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は長火鉢長火鉢ながひばち long hibachi (brazier); rectangular hibachiの前前まえ front ofへすわった。鉄瓶鉄瓶てつびん iron kettleがちんちん鳴って鳴なって ring; soundいる。ばあさんは遠慮をして遠慮えんりょをして out of deference下女部屋下女げじょ部屋べや maidservant's roomへ引き取った引ひき取とった retired to; withdrew to。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして手てをかざして hold one's hand up (toward)、先生先生せんせい professorの起きる起おきる wake upのを待って待まって wait forいる。先生は熟睡して熟睡じゅくすいして sleep soundlyいる。三四郎は静か静しずか quiet; stillでいい心持ち心持こころもち feeling; moodになった。爪爪つめ fingernailsで鉄瓶をたたいてみた。熱い熱あつい hot湯湯ゆ heated waterを茶碗茶碗ちゃわん tea cupについでふうふう吹いて吹ふいて blow (on)飲んだ飲のんだ drank; sipped。先生は向こう向むこう away; the other directionをむいて寝ている。二、三日二に、三日さんにち several daysまえに頭を刈った頭あたまを刈かった had a haircutとみえて、髪髪かみ hairがはなはだ短かい短みじかい short; close-cropped (hair)。髭髭ひげ mustacheのはじが濃く濃こく thickly出て出でて appear; be visibleいる。鼻鼻はな noseも向こうを向いて向むいて turn toward; face towardいる。鼻の穴鼻はなの穴あな nostrilsがすうすう言うすうすう言いう wheeze gently。安眠安眠あんみん restful slumber; peaceful sleepだ。

三四郎は返そう返かえそう return (something)と思って思おもって think (to do)、持って来た持もって来きた brought withハイドリオタフヒアハイドリオタフヒア Hydriotaphia (Sir Thomas Browne, published in 1658)を出して出だして take out読みはじめた読よみはじめた began to read。ぽつぽつ拾い読み拾ひろい読よみ browsing; skimmingをする。なかなかわからない。墓墓はか grave; tombの中中なか insideに花花はな flowersを投げる投なげる throw; tossことが書いてある書かいてある was written。ローマ人ローマ人じん Romansは薔薇薔薇ばら rosesを affect する affect アッフェクトする ("affect")と書いてある。なんの意味意味いみ meaningだかよく知らない知しらない don't know; can't tellが、おおかた好む好このむ like; have preference forとでも訳する訳やくする translateんだろうと思った。ギリシア人ギリシア人じん Greeksは Amaranth Amaranth アマランス (amaranth)を用いる用もちいる use; employと書いてある。これも明瞭でない明瞭めいりょうでない unclear; hard to follow。しかし花の名名な nameには違いないには違ちがいない no doubt ...。それから少し少すこし a little; a bitさきへ行く行ゆく proceedと、まるでわからなくなった。ページページ pageから目目め eyesを離して離はなして remove from先生を見た見みた looked at。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物書物しょもつ bookを自分自分じぶん oneselfに貸した貸かした lentものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味興味きょうみ interestをひくのだろうと思った。最後に最後さいごに finally広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaは必竟必竟ひっきょう after all; in the endハイドリオタフヒアだと思った。

そうすると、広田先生がむくりと起きた起おきた woke up。首首くび headだけ持ち上げて持もち上あげて lift up、三四郎を見た。

「いつ来た来きた came; arrivedの」と聞いた聞きいた asked。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はもっと寝て寝ねて sleep; restおいでなさいと勧めた勧すすめた suggested; offered。じっさい退屈退屈たいくつ tedium; boredomではなかったのである。先生先生せんせい professorは、

「いや起きる起おきる wake up」と言って言いって say; answer起きた。それから例のごとく例れいのごとく as always; per habit哲学哲学てつがく philosophyの煙煙けむり smokeを吹きはじめた吹ふきはじめた began to expel。煙が沈黙沈黙ちんもく silence; quietのあいだに、棒棒ぼう staff; columnになって出る出でる appear。

「ありがとう。書物書物しょもつ bookを返します返かえします return」

「ああ。――読んだ読よんだ readの」

「読んだけれどもよくわからんです。第一第一だいいち first off; for starters標題標題ひょうだい titleがわからんです」

「ハイドリオタフヒアハイドリオタフヒア Hydriotaphia (Sir Thomas Browne, published in 1658)」

「なんのことですか」

「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語ギリシア語ご Greek (language)らしいね」

三四郎はあとを尋ねる尋たずねる ask; inquire勇気勇気ゆうき nerveが抜けて抜ぬけて fade; dissipateしまった。先生はあくびを一つ一ひとつ one (thing)した。

「ああ眠かった眠ねむかった was sleepy。いい心持ち心持こころもち mood; feelingに寝た。おもしろい夢を見て夢ゆめを見みて have a dreamね」

先生は女女おんな woman; girlの夢だと言っている。それを話す話はなす tell of; relateのかと思ったら思おもったら thought、湯湯ゆ (public) bathに行かないか行いかないか shall we go (to)と言いだした。二人二人ふたり two (people)は手ぬぐい手てぬぐい towel; washclothをさげて出かけた出でかけた departed; set out。

湯から上がって上あがって come (up) out of、二人が板の間板いたの間ま wooden-floored areaにすえてある器械器械きかい apparatusの上上うえ top ofに乗って乗のって stand on、身長身長たけ height; statureを測って測はかって measureみた。広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaは五尺六寸五尺ごしゃく六寸ろくすん 5 shaku and 6 sun (about 170 cm; about 5' 7")ある。三四郎は四寸五分四寸よんすん五分ごぶ (5 shaku and) 4.5 sun (about 165 cm; about 5' 5")しかない。

「まだのびるかもしれない」と広田先生が三四郎に言った。

「もうだめです。三年来三年来さんねんらい three years runningこのとおりです」と三四郎が答えた答こたえた answered。

「そうかな」と先生が言った。自分自分じぶん oneselfをよっぽど子供子供こども childのように考えて考かんがえて consider; regard (as)いるのだと三四郎は思った。家家いえ houseへ帰った帰かえった returned時時とき time、先生が、用用よう business; other things to doがなければ話していってもかまわないと、書斎書斎しょさい studyの戸戸と doorをあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の例れいの the aforementioned; that certain用事用事ようじ matter; affairを片づける片かたづける take care of; settle義務義務ぎむ duty; obligationがあるから、続いて続つづいて followはいった。

「佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)は、まだ帰らないようですな」

「きょうはおそくなるとか言って断わって断ことわって give notice; excuse oneselfいた。このあいだから演芸会演芸会えんげいかい performance; showのことでだいぶん奔走して奔走ほんそうして running aboutいるようだが、世話好き世話好せわずき officious; meddlesomeなんだか、駆け回る駆かけ回まわる run around; hurry aboutことが好き好すき to one's likingなんだか、いっこう要領を得ない要領ようりょうを得えない unfocused男男おとこ man; fellowだ」

「親切親切しんせつ kind-hearted; of a good natureなんですよ」

「目的目的もくてき aim; objective; intentionsだけは親切親切しんせつ kind-hearted; of a good natureなところも少し少すこし a little; a bitあるんだが、なにしろ、頭頭あたま mind; brainのできでき construction; qualityがはなはだ不親切な不親切ふしんせつな unkind; unhelpfulものだから、ろくなことはしでかさないしでかさない not do; not accomplish。ちょっと見る見みる watch; observeと、要領を得ている要領ようりょうを得えている is on task; is getting somewhere。むしろ得すぎている。けれども終局終局しゅうきょく final outcomeへゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言って言いって tell; adviseも直さない直なおさない can't fix; can't set straightからほうっておく。あれは悪戯悪戯いたずら mischiefをしに世の中世よの中なか the world; this worldへ生まれて来た生うまれて来きた was born into男男おとこ man; fellowだね」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はなんとか弁護弁護べんご defenseの道道みち way; meansがありそうなものだと思った思おもった thought; consideredが、現に現げんに in actuality結果結果けっか result; outcomeの悪い悪わるい no good; unfavorable実例実例じつれい example; case; precedentがあるんだから、しようがない。話を転じた話はなしを転てんじた changed the subject。

「あの新聞新聞しんぶん newspaperの記事記事きじ article; storyを御覧でした御覧ごらんでした saw; looked atか」

「ええ、見た」

「新聞に出る出でる appearまではちっとも御存じなかった御存ごぞんじなかった didn't know; weren't awareのですか」

「いいえ」

「お驚きなすったお驚おどろきなすった were surprisedでしょう」

「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事事こと matters; affairsはみんな、あんなものだと思ってるから、若い若わかい young人人ひと person; manほど正直に正直しょうじきに honestly; squarely驚きはしない」

「御迷惑御迷惑ごめいわく trouble; aggravationでしょう」

「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した住すみ古ふるした lived a while; had the benefit of experience年配年配ねんぱい older; on in yearsの人間人間にんげん personなら、あの記事を見て、すぐ事実事実じじつ fact; truthだと思い込む思おもい込こむ assume; be convinced人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない感かんじない not feel; not perceive (as)。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は社員社員しゃいん (company) employeeに知った知しった know; be acquainted with者者もの personがあるから、その男に頼んで頼たのんで request; ask; rely on真相真相しんそう truth; actual factsを書いて書かいて writeもらうの、あの投書投書とうしょ letter to the editor; letter from a readerの出所出所でどころ origin; sourceを捜して捜さがして search out制裁を加える制裁せいさいを加くわえる take actions againstの、自分の自分じぶんの one's own雑誌雑誌ざっし magazine; periodicalで十分十分じゅうぶん adequate; sufficient反駁反駁はんばく refutation; rebuttalをいたしますのと、善後策善後策ぜんごさく countermeasure; remedial actionの了見了見りょうけん intention; inclinationでくだらないくだらない worthless; petty事をいろいろ言うが、そんな手数をする手数てかずをする go to the trouble of ...ならば、はじめからよけいな事を起こさない起おこさない not instigateほうが、いくらいいかわかりゃしない」

「まったく先生先生せんせい professorのためを思った思おもった was thinking ofからです。悪気悪気わるぎ ill intent; maliceじゃないです」

「悪気でやられてたまるものか。第一第一だいいち first of all; for one thingぼくのために運動運動うんどう activity; movement; campaignをするものがさ、ぼくの意向意向いこう ideas; intentionsも聞かないで聞きかないで without asking、かってな方法方法ほうほう method; meansを講じたり講こうじたり come up with; work outかってな方針方針ほうしん plan; course of actionを立てた立たてた formulated; establishedひにはひには in the case that ...; in the event of ...、最初から最初さいしょから from the startぼくの存在存在そんざい existenceを愚弄して愚弄ぐろうして trifle with; toy withいると同じ同おなじ the sameことじゃないか。存在を無視されて無視むしされて be ignored; be disregardedいるほうが、どのくらい体面体面たいめん dignity; reputationを保つ保たもつ preserve; retainにつごうがいいかしれやしない」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はしかたなしに黙って黙だまって remain silentいた。

「そうして、偉大なる偉大いだいなる great; mighty暗闇暗闇くらやみ darkness; voidなんて愚にもつかない愚ぐにもつかない ridiculous; nonsensicalものを書いて書かいて write; compose。――新聞新聞しんぶん newspaperには君君きみ youが書いたとしてあるが実際実際じっさい realityは佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)が書いたんだってね」

「そうです」

「ゆうべ佐々木が自白した自白じはくした confessed; came clean。君こそ迷惑迷惑めいわく trouble; annoyanceだろう。あんなばかな文章文章ぶんしょう writing; compositionは佐々木よりほかに書く者者もの personはありゃしない。ぼくも読んでみた読よんでみた gave (it) a read。実質実質じっしつ substanceもなければ、品位品位ひんい grace; styleもない、まるで救世軍救世軍きゅうせいぐん Salvation Armyの太鼓太鼓たいこ drumのようなものだ。読者読者どくしゃ readerの悪感情悪感情あくかんじょう animosity; resentmentを引き起こす引ひき起おこす stir up; arouseために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾徹頭徹尾てっとうてつび from beginning to end; throughout故意故意こい calculation; (ill) purposeだけで成り立っている成なり立たっている consist of; be comprised of。常識常識じょうしき good senseのある者が見れば見みれば look at; read、どうしてもためにするためにする have an ulterior motive; have an axe to grindところがあって起稿した起稿きこうした drafted; composedものだと判定判定はんてい judgment; determinationがつく。あれじゃぼくが門下生門下生もんかせい disciple; followerに書かしたと言われると言いわれる have it said that ...はずだ。あれを読んだ時時とき time; occasionには、なるほど新聞の記事記事きじ article; storyはもっともだと思った」

広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaはそれで話を切った話はなしを切きった stopped talking; concluded。鼻鼻はな nose; nostrilsから例によって例れいによって as usual煙煙けむり smokeをはく。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)はこの煙の出方出方でかた manner (of emerging); form; shapeで、先生の気分気分きぶん feeling; moodをうかがうことができると言っている。濃く濃こく thicklyまっすぐにほとばしるほとばしる surge forth; well up時は、哲学哲学てつがく philosophyの絶好頂絶好頂ぜっこうちょう pinnacle; peak (of)に達した達たっした reached; attainedさいで、ゆるくくずれる時は、心気心気しんき mood; sentiment平穏平穏へいおん tranquil; calm、ことによるとひやかされるひやかされる be teased; be ribbed恐れ恐おそれ fear; concernがある。煙が、鼻の下下した belowに彽徊して彽徊ていかいして linger、髭髭ひげ mustacheに未練未練みれん attachment; affectionがあるように見える時は、瞑想瞑想めいそう contemplationに入る入いる enter (into)。もしくは詩的詩的してき poetic感興感興かんきょう inspirationがある。もっとも恐るべきは穴の先穴あなの先さき outlet; exit pointの渦渦うず swirls; eddiesである。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから、三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて気きをつけて pay attention; be attentive煙の形状形状かたち shape; formをながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる判然はんぜんたる clear; definite煙はちっとも出て来ない出でて来こない didn't emerge; didn't appear。その代りその代かわり on the other hand; at the same time出るものは、たいていなたいていな most; almost all資格資格しかく characteristicsをみんなそなえてそなえて possess; be endowed withいる。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)がいつまでたっても、恐れ入った恐おそれ入いった be overwhelmed; feel sheepish; feel smallように控えて控ひかえて refrainいるので、先生先生せんせい professorはまた話しはじめた話はなしはじめた began to speak。

「済んだ済すんだ finished; concluded; bygone事事こと matters; affairsは、もうやめよう。佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)も昨夜昨夜さくや last nightことごとくあやまってしまったから、きょうあたりはまた晴々して晴々せいせいして freshly; brightly例のごとく例れいのごとく in the usual manner飛んで歩いて飛とんで歩あるいて fly about; flit aboutいるだろう。いくら陰で陰かげで in the shadows; behind someone's back不心得不心得ふこころえ indiscretion; imprudenceを責めた責せめた criticizeって、当人当人とうにん the person in question; heが平気で平気へいきで paying no heed; without concern切符切符きっぷ ticketsなんぞ売って売うって sell; peddle歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話話はなし talkをしよう」

「ええ」

「ぼくがさっき昼寝昼寝ひるね napをしている時時とき time、おもしろい夢夢ゆめ dreamを見た見みた saw; had (a dream)。それはね、ぼくが生涯生涯しょうがい lifetimeにたった一ぺん一いっぺん one time; once会った会あった met; saw; encountered女女おんな girlに、突然突然とつぜん suddenly夢の中中なか middle; midstで再会した再会さいかいした met againという小説小説しょうせつ novel; storybookじみたお話だが、そのほうが、新聞新聞しんぶん newspaperの記事記事きじ article; storyより聞いて聞きいて hearいても愉快愉快ゆかい pleasant; enjoyableだよ」

「ええ。どんな女ですか」

「十二、三十二じゅうに、三さん twelve or thirteenのきれいな女だ。顔顔かお faceに黒子黒子ほくろ mole; beauty spotがある」

三四郎は十二、三と聞いて少し少すこし a little; a bit失望した失望しつぼうした was disappointed。

「いつごろお会いになったのですか」

「二十年二十年にじゅうねん twenty yearsばかりまえ」

三四郎はまた驚いた驚おどろいた was surprised。

「よくその女ということがわかりましたね」

「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議不思議ふしぎ wonder; mysteryでいい。ぼくがなんでも大きな大おおきな large森森もり forest; woodsの中を歩いている。あの色のさめた色いろのさめた of faded color夏夏なつ summerの洋服洋服ようふく Western clothesを着て着きて wearね、あの古い古ふるい old; worn帽子帽子ぼうし hatをかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えて考かんがえて consider; think about; contemplateいた。すべて宇宙宇宙うちゅう universeの法則法則ほうそく rules; lawsは変らない変かわらない not change; be immutableが、法則に支配される支配しはいされる be ruled by; fall underすべて宇宙のものは必ず必かならず invariably; without fail変る。するとその法則は、物物もの objects; matterのほかに存在していなくてはならない存在そんざいしていなくてはならない must exist。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下下した below; beneathを通って行く通とおって行いく pass through; traverseと、突然その女に会った。行き会った行ゆき会あった met in passingのではない。向こう向むこう the other partyはじっと立って立たって standいた。見ると、昔昔むかし long agoのとおりの顔をしている。昔のとおりの服装服装なり dress; attireをしている。髪髪かみ hairも昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすった年としをお取とりなすった gotten on in years; agedという。次次つぎ nextにぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月月つき month、この髪の日日ひ dayがいちばん好き好すき to one's likingだから、こうしていると言う言いう said; answered。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかったお目めにかかった saw; encountered時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分自分じぶん oneselfで不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しい美うつくしい beautifulほうへほうへとお移りなさりたがるお移うつりなさりたがる want to move on (to)からだと教えて教おしえて tell; informくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵絵え painting; work of artだと言うと、女がぼくに、あなたは詩詩し poem; poetryだと言った」

「それからどうしました」と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)が聞いた聞きいた asked。

「それから君君きみ youが来た来きた arrived; were hereのさ」と言う言いう said; replied。

「二十年二十年にじゅうねん twenty yearsまえに会った会あった met; sawというのは夢夢ゆめ dreamじゃない、本当の本当ほんとうの actual; real; genuine事実事実じじつ fact; truthなんですか」

「本当の事実なんだからおもしろい」

「どこでお会いになったんですか」

先生先生せんせい professorの鼻鼻はな nose; nostrilsはまた煙煙けむり smokeを吹き出した吹ふき出だした poured forth; expelled。その煙をながめて、当分当分とうぶん for a time; for a while黙って黙だまって remain silentいる。やがてこう言った。

「憲法憲法けんぽう (Meiji) Constitution発布発布はっぷ proclamation; promulgationは明治二十二年明治めいじ二十二にじゅうに年ねん 22nd year of the Meiji era (1889)だったね。その時時とき time; occasion森森もり Mori (Arinori Mori; 1847-1889)文部大臣文部もんぶ大臣だいじん Minister of Educationが殺された殺ころされた was killed; was murdered。君は覚えていまい覚おぼえていまい likely don't remember。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊赤あかん坊ぼう baby; small childの時分時分じぶん time; periodだ。ぼくは高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)の生徒生徒せいと studentであった。大臣大臣だいじん (government) ministerの葬式葬式そうしき funeralに参列する参列さんれつする attend; participate (in)のだと言って、おおぜい鉄砲鉄砲てっぽう rifles; gunsをかついでかついで shoulder出た出でた set out; departed。墓地墓地ぼち cemeteryへ行く行いく go; proceed (to)のだと思ったら思おもったら thought; assumed、そうではない。体操体操たいそう physical educationの教師教師きょうし instructorが竹橋内竹橋内たけばしうち Takebashiuchi (place name)へ引っ張って行って引ひっ張ぱって行いって lead (to)、道ばた道みちばた roadsideへ整列さした整列せいれつさした aligned; put into formation。我々我々われわれ we; usはそこへ立った立たった stood; were in placeなり、大臣の柩柩ひつぎ coffin; casketを送る送おくる send offことになった。名名な (in) nameは送るのだけれども、じつは見物した見物けんぶつした watched; looked on atのも同然同然どうぜん same as; no different thanだった。その日日ひ dayは寒い寒さむい cold日でね、今今いま now; the presentでも覚えて覚おぼえて rememberいる。動かずに動うごかずに without moving; motionless立っていると、靴靴くつ shoesの下下した bottomsで足足あし feetが痛む痛いたむ hurt; ache。隣の隣となりの neighboring; next to男男おとこ man; fellowがぼくの鼻を見て見みて look atは赤い赤あかい red赤いと言った。やがて行列行列ぎょうれつ processionが来た来きた arrived。なんでも長い長ながい long; drawn outものだった。寒い目の前目めの前まえ before one's eyesを静かな静しずかな quiet; silent馬車馬車ばしゃ horse cart; carriageや俥俥くるま carts; rickshawsが何台となく何台なんだいとなく a great number of (carts)通る通とおる pass by。そのうちに今話した話はなした talked of; described小さな小ちいさな young娘娘むすめ girlがいた。今、その時の模様模様もよう spectacle; sceneを思い出そう思おもい出だそう recall; recollectとしても、ぼうとしてとても明瞭に明瞭めいりょうに clearly; vividly浮かんで来ない浮うかんで来こない doesn't appear; won't come into view。ただこの女女おんな girlだけは覚えている。それも年年とし yearsをたつにしたがってだんだん薄らいで来た薄うすらいで来きた has faded; has grown dim、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れて忘わすれて forget; put out of one's mindいた、けれどもその当時当時とうじ time in questionは頭の中頭あたまの中なか (in) one's mindへ焼きつけられた焼やきつけられた was burned into; was imprintedように熱い熱あつい ardent; intense印象印象いんしょう impressionを持って持もって have; possessいた。――妙な妙みょうな strange; curiousものだ」

「それからその女にはまるで会わないんですか」

「まるで会わない」

「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」

「むろんわからない」

「尋ねて尋たずねて inquire; investigateみなかったですか」

「いいや」

「先生はそれで……」と言ったが急に急きゅうに suddenlyつかえたつかえた halted (one's speech)。

「それで?」

「それで結婚結婚けっこん marriageをなさらないんですか」

先生先生せんせい professorは笑いだした笑わらいだした laughed out loud。

「それほど浪漫的な浪漫的ロマンチックな romantic人間人間にんげん person; manじゃない。ぼくは君君きみ youよりもはるかに散文的散文的さんぶんてき prosaic; conventional; pragmaticにできている」

「しかし、もしその女女おんな girlが来たら来きたら appearedおもらいになったでしょう」

「そうさね」と一度一度いちど once; for a moment考えた考かんがえた considered; thought overうえで、「もらったろうね」と言った言いった said; answered。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は気の毒な気きの毒どくな pitying; sympatheticような顔顔かお facial expressionをしている。すると先生がまた話し出した話はなし出だした spoke。

「そのために独身独身どくしん bachelorhoodを余儀なくされた余儀よぎなくされた was forced intoというと、ぼくがその女のために不具にされた不具ふぐにされた was maimed; was handicappedと同じ事同おなじ事こと the same thingになる。けれども人間には生まれついて生うまれついて by nature、結婚結婚けっこん marriageのできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情事情じじょう situation; circumstancesを持って持もって have; ownいる者者もの personがある」

「そんなに結婚を妨げる妨さまたげる preclude; hinder事情が世の中世よの中なか the world; societyにたくさんあるでしょうか」

先生は煙煙けむり smokeの間間あいだ midstから、じっと三四郎を見て見みて look atいた。

「ハムレットハムレット Hamletは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人一人ひとり one personしかいないかもしれないが、あれに似た似にた similar人人ひと peopleはたくさんいる」

「たとえばどんな人です」

「たとえば」と言って、先生は黙った黙だまった fell silent。煙がしきりに出る出でる emerge; appear。「たとえば、ここに一人の男男おとこ man; fellowがいる。父父ちち fatherは早く早はやく (too) soon; prematurely死んで死しんで die; pass away、母母はは mother一人を頼り頼たより reliance; dependenceに育った育そだった be raised; be brought upとする。その母がまた病気病気びょうき illnessにかかって、いよいよ息を引き取る息いきを引ひき取とる breath one's last; pass awayという、まぎわに、自分自分じぶん oneselfが死んだら誰某誰某だれそれがし a certain person; so-and-soの世話になれ世話せわになれ receive assistanceという。子供子供こども childが会った会あった metこともない、知りもしない知しりもしない not know人を指名する指名しめいする name; indicate (by name)。理由理由わけ reason; circumstancesを聞く聞きく askと、母がなんとも答えないなんとも答こたえない gives no answer。しいて聞くとじつは誰某がお前のお前まえの your本当の本当ほんとうの true; actualおとっさんだとかすかな声声こえ voiceで言った。――まあ話話はなし storyだが、そういう母を持った子子こ childがいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなる信仰しんこうを置おかなくなる lose faith inのはむろんだろう」

「そんな人はめったにないでしょう」

「めったには無いめったには無ない uncommon; rareだろうが、いることはいる」

「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」

先生はハハハハと笑った。

「君はたしかおっかさんがいたね」

「ええ」

「おとっさんは」

「死にました」

「ぼくの母は憲法憲法けんぽう (Meiji) Constitution発布発布はっぷ proclamation; promulgationの翌年翌年よくねん following yearに死んだ」