Sanshirō - Chapter 9

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与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が勧める勧すすめる advise; encourageので、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はとうとう精養軒精養軒せいようけん Seiyōken (name of high-end Western-style restaurant)の会会かい gathering; partyへ出た出でた appeared (at)。その時時とき time; occasion三四郎は黒い黒くろい black紬紬つむぎ pongee (soft thin cloth woven from raw silk)の羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)を着た着きた wore。この羽織は、三輪田三輪田みわた Miwata (family name)のお光お光みつ Omitsu (name)さんのおっかさんが織って織おって weaveくれたのを、紋付紋付もんつき with one's family crestに染めて染そめて dyed、お光さんが縫い上げた縫ぬい上あげた sewed; tailoredものだと、母母はは motherの手紙手紙てがみ letter; correspondenceに長い長ながい long; lengthy説明説明せつめい explanationがある。小包み小包こづつみ packageが届いた届とどいた arrived; was delivered時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚戸棚とだな closet; wardrobeへ入れて入いれて put intoおいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う言いう said。三四郎が着なければ、自分自分じぶん oneselfが持っていって持もっていって take away; take with着そうな勢い勢いきおい energy; vigorであったから、つい着る気気き inclinationになった。着てみると悪くはない悪わるくはない not badようだ。

三四郎はこのいでたちいでたち dress; outfitで、与次郎と二人二人ふたり two (people)で精養軒の玄関玄関げんかん entry hallに立って立たって standいた。与次郎の説説せつ view; opinionによると、お客お客きゃく guestsはこうして迎えべき迎むかえべき should greet; should welcomeものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった知しらなかった didn't know (about); hadn't been aware (of)。第一第一だいいち for one thing; first off自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい安やすっぽい garish; tacky受け付け受うけ付つけ receiver; greeterの気がする。制服制服せいふく (school) uniformを着てくればよかったと思った思おもった thought; considered。そのうち会員会員かいいん party members; participantsがだんだん来る。与次郎は来る来くる come; arrive人人ひと personsをつらまえてきっとなんとか話話はなし conversation; exchange (of words)をする。ことごとく旧知旧知きゅうち old friendのようにあしらってあしらって treat; deal withいる。お客が帽子帽子ぼうし hatと外套外套がいとう overcoatを給仕給仕きゅうじ attendantに渡して渡わたして hand to、広い広ひろい wide梯子段梯子段はしごだん staircaseの横横よこ side (of)を、暗い暗くらい dark廊下廊下ろうか hallway; corridorの方方ほう directionへ折れる折おれる turnと、三四郎に向かって向むかって face; turn to、今今いま (just) nowのは誰某誰某だれそれがし so-and-so; a certain someoneだと教えて教おしえて tell; informくれる。三四郎はおかげで知名な知名ちめいな well-known; renowned人の顔顔かお facesをだいぶ覚えた覚おぼえた learned。

そのうちお客はほぼ集まった集あつまった gathered; assembled。約約やく about三十人三十人さんじゅうにん thirty people足らず足たらず just under; just short ofである。広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaもいる。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんもいる。――これは理学者理学者りがくしゃ physicistだけれども、絵絵え paintingや文学文学ぶんがく literatureが好きだ好すきだ have a liking forからというので、原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんが、むりに引っ張り出した引ひっ張ぱり出だした dragged along; coerced (to come with)のだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て来きて come; arrive、世話を焼いたり世話せわを焼やいたり flit about、愛嬌を振りまいたり愛嬌あいきょうを振ふりまいたり turn on the charm; be all smiles、フランス式フランス式しき French styleの髯髯ひげ whiskersをつまんでみたり、万事万事ばんじ all things忙しそう忙いそがしそう looking busyである。

やがて着席着席ちゃくせき sitting down; taking one's seatとなった。めいめいかってな所所ところ placeへすわる。譲る譲ゆずる yield; defer (to another)者者もの personsもなければ、争う争あらそう contend; vie者もない。そのうちでも広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaはのろいにも似合わず似合にあわず out of character (with)いちばんに腰をおろして腰こしをおろして sit downしまった。ただ与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)と三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)だけがいっしょになって、入口入口いりぐち entranceに近くに近ちかく near; close to座を占めた座ざを占しめた took seats。その他その他ほか the othersはことごとく偶然偶然ぐうぜん chance; fortuityの向かい合わせ向むかい合あわせ pairing (across a table)、隣同志隣となり同志どうし neighbor; adjacent pairingであった。

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんと広田先生のあいだに縞縞しま stripeの羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)を着た着きた wore批評家批評家ひひょうか criticがすわった。向こう向むこう oppositeには庄司庄司しょうじ Shōji (name)という博士博士はかせ scholar (PhD)が座に着いた座ざに着ついた was seated。これは与次郎のいわゆる文科文科ぶんか department of literatureで有力な有力ゆうりょくな influential; prominent教授教授きょうじゅ professorである。フロックフロック frock coatを着た品格品格ひんかく dignity; refinementのある男男おとこ man; gentlemanであった。髪髪かみ hairを普通普通ふつう ordinary; usualの倍倍ばい twice; double以上以上いじょう more than長く長ながく longしている。それが電燈電燈でんとう electric lightingの光光ひかり lightで、黒く黒くろく darkly渦をまいて渦うずをまいて swirl; coil見える見みえる appear (to)。広田先生の坊主頭坊主ぼうず頭あたま close-cropped hairと比べる比くらべる compareとだいぶ相違相違そうい difference; contrastがある。原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんはだいぶ離れて離はなれて apart; separated席を取った席せきを取とった took a seat。あちらの角角かど cornerだから、遠く遠とおく far; at a distance三四郎と真向かい真向まむかい directly oppositeになる。折襟折襟おりえり folded collarに、幅幅はば widthの広い広ひろい wide黒黒くろ black襦子襦子じゅす satinを結んだ結むすんだ tiedさきがぱっと開いて開ひらいて open; spread apart胸いっぱい胸むねいっぱい covering one's chest; across one's chestになっている。与次郎が、フランスの画工画工アーチスト artistsは、みんなああいう襟飾り襟飾えりかざり necktieを着ける着つける affix; put onものだと教えて教おしえて tell; informくれた。三四郎は肉汁肉汁ソップ bouillon (ソップ from Dutch vs the usual スープ from English)を吸いながら吸すいながら sipping; drinking、まるで兵児帯兵児帯へこおび waist bandの結び目結むすび目め knotのようだと考えた考かんがえた thought; mused。そのうち談話談話だんわ talk; conversationがだんだん始まった始はじまった started; began。与次郎はビールを飲む飲のむ drink。いつものように口をきかない口くちをきかない not be talkative; not be verbose。さすがの男もきょうは少々少々しょうしょう somewhat謹んで謹つつしんで be discreet; show respectいるとみえる。三四郎が、小さな小ちいさな small; quiet (voice)声声こえ voiceで、

「ちと、ダーターファブラダーターファブラ Latin phrase 'de te fabula' from Horace's Satires. Meaning: don't laugh - change the names and the story applies to you.をやらないか」と言う言いう askと、「きょうはいけない」と答えた答こたえた answeredが、すぐ横横よこ side; sidewaysを向いて向むいて turn toward、隣の男と話話はなし conversationを始めた。あなたの、あの論文論文ろんぶん essay; paperを拝見して拝見はいけんして see; look at、大いに大おおいに greatly利益を得ました利益りえきを得えました profited; benefitedとかなんとか礼を述べて礼れいを述のべて express gratitude; express appreciationいる。ところがその論文は、彼彼かれ heが自分自分じぶん oneselfの前前まえ front ofで、さかんに罵倒した罵倒ばとうした disparagedものだから、三四郎にはすこぶる不思議の不思議ふしぎの odd; curious思い思おもい feelingがある。与次郎はまたこっちを向いた。

「その羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)はなかなかりっぱだ。よく似合う似合にあう suit; become」と白い白しろい white紋紋もん (family) crestをことさら注意して注意ちゅういして take notice of; focus onながめている。その時時とき time; moment向こう向むこう opposite; far (side)の端端はじ endから、原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんが、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)に話しかけた話はなしかけた spoke to; addressed。元来元来がんらい by natureが大きな大おおきな big; loud (voice)声声こえ voiceの人人ひと personだから、遠く遠とおく (from a) distanceで応対する応対おうたいする deal; engage (with)にはつごうがいい。今今いま now; the presentまで向かい合わせに向むかい合あわせに face-to-face; across (the table)言葉言葉ことば words; conversationをかわしていた広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaと庄司庄司しょうじ Shōjiという教授教授きょうじゅ professorは、二人二人ふたり two (people)の応答応答おうとう dialog; exchangeを途中で途中とちゅうで in the middle; from the middleさえぎることを恐れて恐おそれて fear; be concerned over、談話談話だんわ talk; conversationをやめた。その他他ほか otherの人人ひと personsもみんな黙った黙だまった became silent; stopped talking。会会かい gathering; partyの中心点中心点ちゅうしんてん focal pointがはじめてできあがった。

「野々宮さん光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureの試験試験しけん test; experimentはもう済みました済すみました finish; be concludedか」

「いや、まだなかなかだ」

「ずいぶん手数手数てすう trouble; effortがかかるもんだね。我々我々われわれ we; usの職業職業しょくぎょう professionも根気根気こんき patience; perseverance仕事仕事しごと work; endeavorだが、君君きみ youのほうはもっと激しい激はげしい extreme; intenseようだ」

「絵絵え paintingはインスピレーションインスピレーション inspirationですぐかけるからいいが、物理物理ぶつり physicsの実験実験じっけん experimentationはそううまくはいかない」

「インスピレーションには辟易する辟易へきえきする flinch (from); wince (under)。この夏夏なつ summerある所所ところ place; areaを通ったら通とおったら pass by; pass throughばあさんが二人で問答問答もんどう dialogをしていた。聞いて聞きいて listenみると梅雨梅雨つゆ rainy seasonはもう明けた明あけた cleared; ended (rainy season)んだろうか、どうだろうかという研究研究けんきゅう inquiry; investigationなんだが、一人一人ひとり one (person)のばあさんが、昔昔むかし former times; old daysは雷雷かみなり thunderさえ鳴れば鳴なれば sound; rumble梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろ近ちかごろ recentlyじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨して憤慨ふんがいして be indignant; chafe atいた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村田村たむら Tamura (name)さん、小説小説しょうせつ story; novelだって、そうだろう」

隣隣となり adjacent; neighboring (position)に田村という小説家小説家しょうせつか writer; novelistがすわっていた。この男男おとこ manは自分の自分じぶんの one's ownインスピレーションは原稿原稿げんこう draft; manuscriptの催促催促さいそく urgency; demand (for)以外以外いがい outside of; with exception ofになんにもないと答えた答こたえた answeredので、大笑い大笑おおわらい burst of laughterになった。田村は、それから改まって改あらたまって anew; afresh、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――

雲母雲母マイカ micaか何か何なにか somethingで、十六武蔵十六じゅうろく武蔵むさし sixteen soldiers (game played with disk-shaped markers)ぐらいの大きさ大おおきさ sizeの薄い薄うすい thin円盤円盤えんばん diskを作って作つくって make; fabricate、水晶水晶すいしょう crystalの糸糸いと threadで釣るして釣つるして hang; suspend、真空真空しんくう vacuumのうちに置いて置おいて set; place、この円盤の面面めん surfaceへ弧光燈弧光燈アークとう arc lampの光光ひかり lightを直角に直角ちょっかくに perpendicularlyあてると、この円盤が光に圧されて圧おされて be pushed動く動うごく move。と言うのである。

一座一座いちざ the party; those presentは耳を傾けて聞いて耳みみを傾かたむけて聞きいて listen with interestいた。なかにも三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は腹のなかで腹はらのなかで to oneself、あの福神漬福神漬ふくじんづけ sliced vegetables preserved in soy sauceの缶缶かん canのなかに、そんな装置装置そうち device; apparatusがしてあるのだろうと、上京上京じょうきょう arrival in Tōkyōのさい、望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう telescopeで驚かされた驚おどろかされた was impressed昔昔むかし former timeを思い出した思おもい出だした remembered; recalled。

「君君きみ you (used here as form of address)、水晶の糸があるのか」と小さい小ちいさい small; quiet (voice)声声こえ voiceで与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)に聞いてみた。与次郎は頭を振って頭あたまを振ふって shake one's headいる。

「野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さん、水晶の糸がありますか」

「ええ、水晶の粉粉こ powderをね。酸水素酸水素さんすいそ oxyhydrogen (mixture of oxygen and hydrogen gases)吹管吹管すいかん blowpipeの炎炎ほのう flameで溶かして溶とかして meltおいて、両方の手両方りょうほうの手て both handsで、左右左右さゆう left and rightへ引っ張る引ひっ張ぱる pull; stretchと細い細ほそい slender; fine糸ができるのです」

三四郎は「そうですか」と言った言いった remarked; repliedぎり、引っ込んだ引ひっ込こんだ withdrew; pursued no further。今度今度こんど nextは野々宮さんの隣隣となり adjacent; neighboring (position)にいる縞縞しま stripeの羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)の批評家批評家ひひょうか criticが口を出した口くちを出だした spoke up。

「我々我々われわれ we; usはそういう方面方面ほうめん area; field (of study)へかけると、全然無学全然ぜんぜん無学むがく fully ignorant; completely uninitiatedなんですが、はじめはどうして気がついた気きがついた noticed; became aware (of)ものでしょうな」

「理論上理論りろん上じょう in theory; based on theoryはマクスウェルマクスウェル James Clerk Maxwell (Scottish scientist; 1831-1879)以来以来いらい since ...予想されて予想よそうされて be expected; be predictedいたのですが、それをレベデフレベデフ Pyotr Nikolaevich Lebedev (Russian physicist; 1866-1912)という人人ひと person; manがはじめて実験実験じっけん experimentで証明した証明しょうめいした confirmedのです。近ごろ近ちかごろ recentlyあの彗星彗星すいせい cometの尾尾お tailが、太陽太陽たいよう the sunの方方ほう directionへ引きつけられべきはずであるのに、出る出でる come out; appearたびにいつでも反対反対はんたい oppositeの方角方角ほうがく directionになびくなびく flutter; wave; bendのは光の圧力圧力あつりょく pressureで吹き飛ばされる吹ふき飛とばされる be blown out; be blown awayんじゃなかろうかと思いついた思おもいついた think of; be struck with (an idea)人もあるくらいです」

批評家はだいぶ感心した感心かんしんした was impressedらしい。

「思いつき思おもいつき ideaもおもしろいが、第一第一だいいち first of all大きくて大おおきくて big; grandいいですね」と言った。

「大きいばかりじゃない、罪がなくって罪つみがなくって harmless; innocuous愉快愉快ゆかい pleasant; exhilaratingだ」と広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaが言った。

「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんが笑って笑わらって grin; laughいる。

「いや、どうもあたっているらしい。光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureは半径半径はんけい radiusの二乗二乗にじょう squareに比例する比例ひれいする be proportional toが、引力引力いんりょく attraction; gravitational pullのほうは半径の三乗三乗さんじょう cubeに比例するんだから、物物もの things; objectsが小さくなればなるほど小ちいさくなればなるほど the smaller (something) becomes引力のほうが負けて負まけて lose out; succumb to、光線の圧力が強くなる強つよくなる become strong; dominate。もし彗星彗星すいせい cometの尾尾お tailが非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly細かい細こまかい fine; minute小片小片パーチクル particlesからできているとすれば、どうしても太陽太陽たいよう the sunとは反対反対はんたい oppositeの方方ほう directionへ吹き飛ばされる吹ふき飛とばされる be blown out; be blown awayわけだ」

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)は、ついまじめになった。すると原口原口はらぐち Haraguchi (name)が例の例れいの signature; characteristic調子調子ちょうし style; mannerで、

「罪がない罪つみがない harmless; innocuous代りに代かわりに in exchange for; while ...、たいへん計算計算けいさん calculationがめんどうになってきた。やっぱり一利一害一利一害いちりいちがい something gained and something lost; give and takeだ」と言った。この一言一言いちごん few words; brief commentで、人々人々ひとびと everybodyはもとのとおりビールの気分気分きぶん feeling; moodに復した復ふくした returned; reverted (to)。広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaが、こんな事事こと fact; matterを言う。

「どうも物理学者物理ぶつり学者がくしゃ physicistは自然派自然派しぜんは naturalistじゃだめのようだね」

物理学者と自然派の二字二字にじ two wordsは少なからず少すくなからず not a little; in no small manner満場満場まんじょう the whole party; all presentの興味興味きょうみ interestを刺激した刺激しげきした aroused; piqued (interest)。

「それはどういう意味意味いみ meaning; senseですか」と本人本人ほんにん the person in questionの野々宮さんが聞き出した聞きき出だした inquired; questioned。広田先生は説明しなければならなくなった説明せつめいしなければならなくなった was compelled to explain。

「だって、光線の圧力を試験する試験しけんする test; measureために、目目め eyesだけあけて、自然を観察して観察かんさつして observeいたって、だめだからさ。自然の献立献立こんだて menu; bill of fareのうちに、光線の圧力という事実事実じじつ truth; realityは印刷されて印刷いんさつされて be printedいないようじゃないか。だから人工的に人工的じんこうてきに artificially; through man-made means、水晶水晶すいしょう crystalの糸糸いと threadだの、真空真空しんくう vacuumだの、雲母雲母マイカ micaだのという装置装置そうち device; apparatusをして、その圧力が物理学者の目に見える見みえる appear; be visibleように仕掛ける仕掛しかける set about (to do something)のだろう。だから自然派じゃないよ」

「しかし浪漫派浪漫ローマン派は romanticistでもないだろう」と原口さんがまぜ返したまぜ返かえした interjected。

「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしくもったいらしく emphatically弁解した弁解べんかいした asserted; defended (oneself)。「光線と、光線を受ける受うける receiveものとを、普通の普通ふつうの usual; ordinary自然界自然界しぜんかい natural worldにおいては見出せない見出みいだせない can't find; can't discoverような位置関係位置いち関係かんけい positional relationshipに置く置おく set; placeところがまったく浪漫派じゃないか」

「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は以上いじょうは given that ...、光線固有の固有こゆうの characteristic; natural; inherent圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。

「すると、物理学者物理ぶつり学者がくしゃ physicistは浪漫的浪漫ローマン的てき romantic自然派自然しぜん派は naturalistですね。文学文学ぶんがく literatureのほうでいうと、イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)のようなものじゃないか」と筋向こう筋すじ向むこう diagonally oppositeの博士博士はかせ scholarが比較比較ひかく comparisonを持ち出した持もち出だした put forth; proposed。

「さよう、イブセンの劇劇げき dramaは野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)と同じ同おなじ the same; equivalentくらいな装置装置そうち deviceがあるが、その装置の下下もと below; beneathに働く働はたらく function; operate人物人物じんぶつ charactersは、光線光線こうせん light beamのように自然の法則法則ほうそく rules; lawsに従って従したがって follow; adhere toいるか疑わしい疑うたがわしい doubtful; questionable」これは縞縞しま stripeの羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)の批評家批評家ひひょうか criticの言葉言葉ことば wordsであった。

「そうかもしれないが、こういうことは人間人間にんげん human beingsの研究研究けんきゅう study; research上上じょう with respect to; concerning ...記憶して記憶きおくして rememberおくべき事だと思う思おもう think; believe。――すなわち、ある状況状況じょうきょう situation; circumstancesのもとに置かれた置おかれた be put; be placed人間は、反対反対はんたい oppositeの方向方向ほうこう direction; course (of action)に働きうる能力能力のうりょく ability; facultyと権力権力けんりょく power; authorityとを有して有ゆうして have; possessいる。ということなんだが、――ところが妙な妙みょうな odd; curious習慣習慣しゅうかん custom; practiceで、人間も光線も同じように器械的器械的きかいてき mechanisticの法則に従って活動する活動かつどうする act; behaveと思うものだから、時々時々ときどき sometimesとんだ間違い間違まちがい mishap; troubleができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり笑わらったり smile; laugh、笑わせようともくろんでもくろんで plan; schemeかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いないに違ちがいない without a doubt; assuredly」と広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaがまた問題問題もんだい subject; topic (of conversation)を大きくして大おおきくして expanded; broadenedしまった。

「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作所作しょさ conduct; behaviorをしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家小説家しょうせつか novelistが質問した質問しつもんした asked; questioned。広田先生は、すぐ、

「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いて描かいて depict; describeも世界世界せかい the worldに一人一人ひとり one (person)くらいはいるようじゃないですか」と答えた答こたえた replied; answered。「じっさい人間たる我々我々われわれ we; usは、人間らしからざるらしからざる unbecoming of (= らしくない)行為行為こうい actions; deeds動作動作どうさ behavior; mannerを、どうしたって想像できる想像そうぞうできる imagine; conceive ofものじゃない。ただへたに書く書かく write; compose; penから人間と思われないと思おもわれない doesn't seem to be ...のじゃないですか」

小説家はそれで黙った黙だまった was silent; offered no response。今度今度こんど now; nextは博士がまた口をきいた口くちをきいた spoke。

「物理学者でも、ガリレオガリレオ Galileoが寺院寺院じいん temple; church; cathedralの釣りランプ釣つりランプ pendant lampの一一いち one振動振動しんどう period; oscillationの時間時間じかん timeが、振動の大小大小だいしょう large or small; magnitudeにかかわらず同じ同おなじ the sameであることに気がついたり気きがついたり noticed; realized、ニュートンニュートン Newtonが林檎林檎りんご appleが引力引力いんりょく gravitational pullで落ちる落おちる fallのを発見したり発見はっけんしたり discoverするのは、はじめから自然派ですね」

「そういう自然派なら、文学のほうでも結構結構けっこう acceptable; well enoughでしょう。原口原口はらぐち Haraguchi (name)さん、絵絵え paintingのほうでも自然派がありますか」と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんが聞いた聞きいた asked。

「あるとも。恐るべき恐おそるべき dreadful; fearsomeクールベエクールベエ Jean Désiré Gustave Courbet (French realist painter; 1819-1877)というやつがいる。[vérité vraievérité vraie (genuine truth; honest truth).]なんでも事実事実じじつ realityでなければ承知しない承知しょうちしない not accept; not acknowledge。しかしそう猖獗を極めて猖獗しょうけつを極きわめて run rampant; be rifeいるものじゃない。ただ一派一派いっぱ one faction; one schoolとして存在存在そんざい existence; presenceを認められる認みとめられる be recognized; be acknowledgedだけさ。またそうでなくっちゃ困る困こまる be troubled; be botheredからね。小説だって同じことだろう、ねえ君君きみ you (used here as form of address)。やっぱりモローモロー Gustave Moreau (French Symbolist painter; 1826–1898)や、シャバンヌシャバンヌ Pierre Puvis de Chavannes (French Symbolist painter; 1824-1898)のようなのもいるはずだろうじゃないか」

「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。

食後食後しょくご after dinnerには卓上演説卓上たくじょう演説えんぜつ table speech; dinner speechも何もなかった何なにもなかった there was no ...。ただ原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんが、しきりに九段九段くだん Kudan (place name)の上上うえ top ofの銅像銅像どうぞう bronze statue; bronze bustの悪口を言って悪口わるくちを言いって speak ill of; rail againstいた。あんな銅像をむやみに立てられて立たてられて have erectedは、東京東京とうきょう Tōkyō市民市民しみん citizenryが迷惑する迷惑めいわくする be put out; be affronted。それより、美しい美うつくしい beautiful芸者芸者げいしゃ geishaの銅像でもこしらえるほうが気が利いている気きが利きいている be smart; be sensibleという説説せつ view; opinionであった。与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)に九段の銅像は原口さんと仲の悪い仲なかの悪わるい on bad terms人人ひと personが作った作つくった createdんだと教えた教おしえた told; informed。

会会かい party; gatheringが済んで済すんで end; conclude、外外そと outsideへ出る出でる come out; emerge (into)といい月月つき moonであった。今夜今夜こんや this eveningの広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaは庄司博士庄司しょうじ博士はかせ Dr. Shōjiによい印象印象いんしょう impressionを与えたろう与あたえたろう impart onかと与次郎が聞いた聞きいた asked。三四郎は与えたろうと答えた答こたえた replied。与次郎は共同共同きょうどう public-use水道栓水道栓すいどうせん faucet; tapのそばに立って、この夏夏なつ summer、夜夜よる evening散歩散歩さんぽ walk; strollに来て来きて came (to)、あまり暑い暑あつい hot; sultryからここで水を浴びて水みずを浴あびて douse oneself with waterいたら、巡査巡査じゅんさ policemanに見つかって見みつかって was seen; was discovered (by)、擂鉢山擂鉢山すりばちやま Suribachiyama (place name)へ駆け上がった駆かけ上あがった ran upと話した話はなした told; related。二人二人ふたり two (people)は擂鉢山の上で月を見て見みて look at; gaze on帰った帰かえった returned (home)。

帰り道帰かえり道みち the way back; the way homeに与次郎が三四郎に向かって向むかって turn to; turn toward、突然突然とつぜん suddenly借金借金しゃっきん borrowed money; loanの言い訳言いい訳わけ excuse; explanationをしだした。月のさえた比較的比較的ひかくてき relatively; comparatively寒い寒さむい cold晩晩ばん evening; nightである。三四郎はほとんど金金かね moneyの事の事こと concerning ...などは考えていなかった考かんがえていなかった removed from consideration; put out of mind。言い訳を聞くのでさえ本気本気ほんき serious; earnestではない。どうせ返す返かえす return; repayことはあるまいと思って思おもって think; believeいる。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情事情じじょう circumstances; reasonsをいろいろに話す。その話し方話はなし方かた manner of speakingのほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分自分じぶん oneselfの知ってる知しってる know; be acquainted withさるさる certain; particular男男おとこ man; fellowが、失恋失恋しつれん unrequited love; heartbreakの結果結果けっか result; outcome (of)、世の中世よの中なか the worldがいやになって、とうとう自殺自殺じさつ suicideをしようと決心した決心けっしんした resolvedが、海海うみ seaもいや川川かわ riverもいや、噴火口噴火口ふんかこう mouth of a volcanoはなおいや、首をくくる首くびをくくる hang oneself; strangle oneselfのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃短銃ピストル pistolを買って買かって buy; purchaseきた。買ってきて、まだ目的目的もくてき objective; intentionを遂行遂行すいこう accomplishment; executionしないうちに、友だち友ともだち friendが金を借りにきた借かりにきた came to borrow。金はないと断った断ことわった refused; declinedが、ぜひどうかしてくれと訴える訴うったえる appeal toので、しかたなしに、大事の大事だいじの valuable; important短銃を貸して貸かして lendやった。友だちはそれを質に入れて質しちに入いれて pawn一時一時いちじ the present; the time beingをしのいだ。つごうがついて、質を受け出して質しちを受うけ出だして redeem; recover (a pawned item)返しにきた時時とき time; occasionは、肝心の肝心かんじんの essential; crucial短銃の主主ぬし ownerはもう死ぬ死しぬ die気気き inclinationがなくなっていた。だからこの男の命命いのち lifeは金を借りにこられたために助かった助たすかった was savedと同じ同おなじ same; equivalent事である。

「そういう事事こと situation; happeningもあるからなあ」と与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が言った言いった added; concluded。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味意味いみ meaning; significanceもない。高い高たかい high; lofty月月つき moonを仰いで仰あおいで look up at大きな声大おおきな声こえ loud voiceを出して出だして put forth笑った笑わらった laughed。金金かね moneyを返されない返かえされない not be paid backでも愉快愉快ゆかい pleasant; agreeableである。与次郎は、

「笑っちゃいかん」と注意した注意ちゅういした cautioned; advised。三四郎はなおおかしくなった。

「笑わないで、よく考えて考かんがえて consider; think aboutみろ。おれが金を返さなければこそ、君君きみ youが美禰子美禰子みねこ Mineko (name)さんから金を借りる借かりる borrowことができたんだろう」

三四郎は笑うのをやめた。

「それで?」

「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女女おんな woman; young ladyを愛している愛あいしている be in love withんだろう」

与次郎はよく知っている知しっている know; be aware of。三四郎はふんと言って、また高い月を見た見みた looked at。月のそばに白い白しろい white雲雲くも cloudが出た出でた appeared。

「君、あの女には、もう返したのか」

「いいや」

「いつまでも借りておいてやれ」

のん気なのん気きな carefree; easygoing事を言う。三四郎はなんとも答えなかった答こたえなかった didn't answer。しかしいつまでも借りておく気気き intentionはむろんなかった。じつは必要な必要ひつような necessary; needed二十円二十円にじゅうえん twenty yenを下宿下宿げしゅく lodgingsへ払って払はらって pay、残りの残のこりの remaining十円十円じゅうえん ten yenをそのあくる日あくる日ひ next day; following dayすぐ里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)の家家いえ houseへ届けよう届とどけよう deliverと思った思おもった thought (to do)が、今今いま now返してはかえって、好意好意こうい good will; favorにそむいて、よくないと考え直して考かんがえ直なおして reconsider、せっかく門内門内もんない within the gates; onto the premisesに、はいられる機会機会きかい chance; opportunityを犠牲にして犠牲ぎせいにして give up; foregoまでも引き返した引ひき返かえした withdrew。その時時とき time; occasion何かの拍子で何なんかの拍子ひょうしで for some reason; on some impulse、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜今夜こんや this eveningの会費会費かいひ participants' feeもそのうちから出ている。自分自分じぶん oneselfばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円二に、三円さんえん two or three yen残っている。三四郎はそれで冬冬ふゆ winterシャツを買おう買かおう buy; purchaseと思った。

じつは与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)がとうてい返しそう返かえしそう return; repayもないから、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は思いきって思おもいきって resolutely、このあいだ国元国元くにもと hometown; native placeへ三十円三十さんじゅう円えん thirty yenの不足不足ふそく deficit; shortageを請求した請求せいきゅうした requested。十分な十分じゅうぶんな ample; sufficient学資学資がくし school expenses; education fundingを月々月々つきづき month by month; each monthもらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘嘘うそ lie; falsehoodをついたことのない男男おとこ man; fellowだから、請求の理由理由りゆ reasonにいたって困却した困却こんきゃくした was at a loss; was hard pressed。しかたがないからただ友だち友ともだち friendが金金かね moneyをなくして弱っていた弱よわっていた was in trouble; was in a bindから、つい気の毒になって気きの毒どくになって feeling pity for貸してやった貸かしてやった lent (to someone)。その結果結果けっか resultとして、今度今度こんど this timeはこっちが弱るようになった。どうか送ってくれ送おくってくれ please sendと書いた書かいた wrote。

すぐ返事返事へんじ answer; replyを出して出だして put forthくれれば、もう届く届とどく be delivered; arrive時分時分じぶん timeであるのにまだ来ないまだ来こない hadn't come yet。今夜今夜こんや this eveningあたりはことによると来ている来きている be here; have arrivedかもしれぬくらいに考えて考かんがえて think about; have on one's mind、下宿下宿げしゅく lodgingsへ帰って帰かえって return (to)みると、はたして、母母はは motherの手蹟手蹟て hand (writing)で書いた封筒封筒ふうとう envelopeがちゃんと机机つくえ deskの上上うえ top ofに乗って乗のって rest onいる。不思議なことに不思議ふしぎなことに strangely; curiously、いつも必ず必かならず invariably; without fail書留書留かきどめ registered mailで来る来くる arriveのが、きょうは三銭三銭さんせん three sen (0.03 yen)切手切手きって (postage) stamp一枚一枚いちまい one (stamp)で済ましてある済すましてある be managed; be taken care of。開いて開ひらいて openみると、中中なか insideはいつになく短かい短みじかい short; terse。母としては不親切なくらい不親切ふしんせつなくらい impersonal; aloof; cold、用事用事ようじ business (matter)だけで申し納めて申もうし納おさめて limit to; confine toしまった。依頼依頼いらい requestの金は野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんの方方ほう care of ...へ送った送おくった sent (to)から、野々宮さんから受け取れ受うけ取とれ receive; getというさしずさしず instructionsにすぎない。三四郎は床を取って床とこを取とって lay out one's beddingねた。

翌日翌日よくじつ next day; following dayもその翌日も三四郎は野々宮さんの所所ところ place; residenceへ行かなかった行いかなかった didn't go (to)。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間一週間いっしゅうかん one weekほどたった。しまいに野々宮さんから、下宿下宿げしゅく lodgingsの下女下女げじょ maidservantを使い使つかい messengerに手紙手紙てがみ letter; noteをよこした。おっかさんから頼まれもの頼たのまれもの requested itemがあるから、ちょっと来てくれろとある。三四郎は講義講義こうぎ lecturesの隙隙すき break; intervalをみて、また理科大学理科りか大学だいがく college of scienceの穴倉穴倉あなぐら underground; cellarへ降りていった降おりていった went down (to)。そこで立談立談たちばなし hallway conversationのあいだに事を済ませよう事ことを済すませよう settle a matter; take care of somethingと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏夏なつ summerは野々宮さんだけで専領して専領せんりょうして occupyいた部屋部屋へや roomに髭髭ひげ mustacheのはえた人人ひと people; menが二、三人二に、三人さんにん several (people)いる。制服制服せいふく (school) uniformを着た着きた wore学生学生がくせい studentsも二、三人いる。それが、みんな熱心に熱心ねっしんに ardently; intently、静粛に静粛せいしゅくに silently、頭頭あたま headの上の日日ひ sun; sunlightのあたる世界世界せかい worldをよそにして、研究研究けんきゅう research; experimentationをやっている。そのうちで野々宮さんはもっとも多忙多忙たぼう busy; occupiedに見えた見みえた appeared (to be)。部屋の入口入口いりぐち entranceに顔を出した顔かおを出だした looked in (from)三四郎をちょっと見て、無言のまま無言むごんのまま without words近寄ってきた近寄ちかよってきた approached。

「国国くに country; one's native placeから、金金かね moneyが届いた届とどいた was delivered; arrivedから、取りに来てくれたまえ取とりに来きてくれたまえ come over to get (it)。今今いま now; at presentここに持って持もって haveいないから。それからまだほかに話す話はなす talk over; discuss事事こと matterもある」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)ははあと答えた答こたえた replied; responded。今夜今夜こんや tonightでもいいかと尋ねた尋たずねた asked; inquired。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)はすこしく考えて考かんがえて consider; think overいたが、しまいに思いきって思おもいきって resolutelyよろしいと言った言いった replied; answered。三四郎はそれで穴倉穴倉あなぐら underground; cellarを出た出でた left; departed (from)。出ながら、さすがに理学者理学者りがくしゃ scientistsは根気のいい根気こんきのいい patient; perseveringものだと感心した感心かんしんした was impressed (by)。この夏夏なつ summer見た見みた saw; looked at福神漬福神漬ふくじんづけ sliced vegetables preserved in soy sauceの缶缶かん canと、望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう telescopeが依然として依然いぜんとして still; as yetもとのとおりの位置位置いち positionに備えつけて備そなえつけて install; outfit withあった。

次次つぎ nextの講義講義こうぎ lectureの時間時間じかん timeに与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)に会って会あって see; meetこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、

「だからいつまでも借りて借かりて borrowおいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄り年寄としより elders; old folksには心配をかける心配しんぱいをかける cause to worry。宗八宗八そうはち Sōhachi (Nonomiya's first name)さんにはお談義をされるお談義だんぎをされる be lectured。これくらい愚な愚おろかな foolish; idiotic事はない」とまるで自分自分じぶん oneselfから事が起こった起おこった occurred; originatedとは認めて認みとめて recognize; acknowledgeいない申し分申もうし分ぶん protest; critiqueである。三四郎もこの問題問題もんだい problem; difficultyに関してはに関かんしては concerning ...、もう与次郎の責任責任せきにん responsibilityを忘れて忘わすれて forgetしまった。したがって与次郎の頭にかかって頭あたまにかかって hang on someone; assign blameこない返事返事へんじ reply; responseをした。

「いつまでも借りておくのは、いやだから、家家うち homeへそう言ってやったんだ」

「君君きみ youはいやでも、向こう向むこう the other partyでは喜ぶ喜よろこぶ be happy; be pleasedよ」

「なぜ」

このなぜが三四郎自身自身じしん oneselfにはいくぶんか虚偽虚偽きょぎ falsehood; insincerityの響響ひびき echo; ringらしく聞こえた聞きこえた sounded。しかし相手相手あいて companionにはなんらの影響も与えなかった影響えいきょうも与あたえなかった had no effect; made no impactらしい。

「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって人ひとにしたって as a person; as a human、同じ同おなじ the sameことだ。ぼくに金が余っている余あまっている have in abundanceとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸して貸かして lendおくほうがいい心持ち心持こころもち feeling; sensationだ。人間人間にんげん people; human beingsはね、自分が困らない困こまらない not troubled; not put out程度程度ていど extent; limit内内ない withinで、なるべく人に親切親切しんせつ kindness; considerationがしてみたいものだ」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は返事返事へんじ reply; responseをしないで、講義講義こうぎ lectureを筆記しはじめた筆記ひっきしはじめた started taking notes。二、三行二に、三行さんぎょう two or three lines書きだす書かきだす start to writeと、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)がまた、耳耳みみ earのそばへ口口くち mouthを持ってきた持もってきた brought near (to)。

「おれだって、金金かね moneyのある時時とき times; occasionsはたびたび人人ひと people; othersに貸した貸かした lentことがある。しかしだれもけっして返した返かえした returned; repaidものがない。それだからおれはこのとおり愉快愉快ゆかい cheerful; in good spiritsだ」

三四郎はまさか、そうかとも言えなかった言いえなかった couldn't say。薄笑い薄笑うすわらい faint smileをしただけで、またペンを走らしはじめたペンを走はしらしはじめた took up one's pen。与次郎もそれからはおちついて、時間時間じかん timeの終る終おわる finish; be overまで口をきかなかった。

ベルが鳴って鳴なって ring、二人二人ふたり two (people)肩を並べて肩かたを並ならべて side by side教場教場きょうじょう classroomを出る出でる leave; exit時、与次郎が、突然突然とつぜん suddenly; abruptly聞いた聞きいた asked。

「あの女女おんな woman; young ladyは君君きみ youにほれているのか」

二人のあとから続々続々ぞくぞく successively; one after another聴講生聴講生ちょうこうせい lecture attendeesが出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま無言むごんのまま without speaking梯子段梯子段はしごだん staircaseを降りて降おりて descend横手横手よこて sideの玄関玄関げんかん entrywayから、図書館図書館としょかん libraryわきの空地空地あきち open area; fieldへ出て、はじめて与次郎を顧みた顧かえりみた looked back at。

「よくわからない」

与次郎はしばらく三四郎を見て見みて look atいた。

「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫夫ハスバンド husbandになれるか」

三四郎はいまだかつてこの問題問題もんだい problem; questionを考えた考かんがえた consideredことがなかった。美禰子美禰子みねこ Mineko (name)に愛せられる愛あいせられる be lovedという事実事実じじつ fact; truthそのものが、彼女の彼女かのおんなの her (usually 彼女かのじょの)夫たる唯一の唯一ゆいいつの single; solitary資格資格しかく qualificationのような気気き feelingがしていた。言われてみると、なるほど疑問疑問ぎもん question; doubtである。三四郎は首を傾けた首くびを傾かたむけた tilted one's head。

「野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんならなれる」と与次郎が言った。

「野々宮さんと、あの人とは何か何なにか something; some sort of今今いま now; the presentまでに関係関係かんけい connection; relationshipがあるのか」

三四郎の顔顔かお faceは彫りつけた彫ほりつけた carved; chiseledようにまじめであった。与次郎は一口一口ひとくち in short、

「知らん知しらん (I) don't know」と言った。三四郎は黙っている黙だまっている fell silent。

「また野々宮さんの所所ところ place; residenceへ行って行いって go (to)、お談義お談義だんぎ lectureを聞いてこい」と言いすてて、相手相手あいて companionは池池いけ pondの方方ほう directionへ行きかけた行ゆきかけた set out; set off (toward)。三四郎は愚劣愚劣ぐれつ foolishness; stupidityの看板看板かんばん signboardのごとく突っ立った突つっ立たった stood rooted in place。与次郎は五、六歩五ご、六歩ろっぽ five or six steps行ったが、また笑いながら笑わらいながら smiling; grinning帰ってきた帰かえってきた came back; returned。

「君、いっそいっそ rather; preferably、よし子よし子こ Yoshiko (Nonomiya's younger sister)さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って引ひっ張ぱって drag along、池の方へ連れて行った連つれて行いった took (someone) along。歩きながら歩あるきながら while walking、あれならいい、あれならいいと、二度二度にど twiceほど繰り返した繰くり返かえした repeated; reiterated。そのうちまたベルが鳴った。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はその夕方夕方ゆうがた evening野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんの所所ところ place; residenceへ出かけた出でかけた set out (for)が、時間時間じかん timeがまだすこし早すぎる早はやすぎる too earlyので、散歩散歩さんぽ walk; strollかたがたかたがた combined with ...; in part to ...四丁目四丁目よんちょうめ Yonchōme (fourth sub-district)まで来て来きて came (to)、シャツシャツ shirtを買いに買かいに to buy大きな大おおきな large唐物屋唐物屋とうぶつや imported goods storeへはいった。小僧小僧こぞう clerkが奥奥おく interiorからいろいろ持ってきた持もってきた brought outのをなでてみたり、広げて広ひろげて spread outみたりして、容易に容易よういに easily買わない。わけもなく鷹揚に鷹揚おうように with airs; in a lordly mannerかまえていると、偶然偶然ぐうぜん by chance美禰子美禰子みねこ Mineko (name)とよし子よし子こ Yoshiko (Nonomiya's younger sister)が連れ立って連つれ立たって together香水香水こうすい perfume; fragranceを買いに来た。あらと言って言いって exclaim挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしたあとで、美禰子が、

「せんだってはありがとう」と礼を述べた礼れいを述のべた expressed thanks。三四郎にはこのお礼の意味意味いみ meaningが明らかに明あきらかに clearlyわかった。美禰子から金金かね moneyを借りた借かりた borrowedあくる日あくる日ひ next dayもう一ぺんもう一いっぺん once more訪問して訪問ほうもんして call on; visit余分余分よぶん extraをすぐに返す返かえす return; repayべきところを、ひとまずひとまず for the time being見合わせた見合みあわせた put off; deferred代りに代かわりに in exchange for; to compensate for、二日二日ふつか two daysばかり待って待まって wait、三四郎は丁寧な丁寧ていねいな polite; courteous; thoughtful礼状礼状れいじょう acknowledgment; letter of thanksを美禰子に送った送おくった sent (to)。

手紙手紙てがみ letterの文句文句もんく wordsは、書いた書かいた wrote人人ひと personの、書いた当時当時とうじ at the timeの気分気分きぶん feeling; moodをすなおに表わした表あらわした expressedものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉言葉ことば wordsを層々と層々そうそうと layer upon layer排列して排列はいれつして array; arrange感謝感謝かんしゃ thanks; gratitudeの意意い meaningを熱烈に熱烈ねつれつに ardently; passionatelyいたした。普通の普通ふつうの ordinary者者もの personから見れば見みれば view; look atほとんど借金借金しゃっきん loanの礼状とは思われない思おもわれない not appear as; not seem to beくらいに、湯気の立った湯気ゆげの立たった steamy; emotionalものである。しかし感謝以外以外いがい apart from; outside ofには、なんにも書いてない。それだから、自然の自然しぜんの natural勢い勢いきおい force; vigor、感謝が感謝以上以上いじょう more thanになったのでもある。三四郎はこの手紙手紙てがみ letterをポストに入れるポストに入いれる post; mail (a letter)時時とき time; moment、時を移さぬ時ときを移うつさぬ at once; immediately美禰子の返事返事へんじ replyを予期して予期よきして anticipateいた。ところがせっかくの封書封書ふうしょ sealed letterはただ行った行いった went (off)ままである。それから美禰子に会う会あう see; meet機会機会きかい chance; opportunityはきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる微弱びじゃくなる faint; weak「このあいだはありがとう」という反響反響はんきょう reaction; responseに対してに対たいして in response to、はっきりした返事をする勇気勇気ゆうき courage; nerveも出なかった出でなかった was not forthcoming。大きなシャツを両手両手りょうて both handsで目目め eyesのさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡冷淡れいたん coolness; indifferenceなんだろうかと考えた考かんがえた thought; considered。それからこのシャツもこの女女おんな woman; young ladyの金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した催促さいそくした pressed; urged。

二人二人ふたり two (people)の女女おんな women; young ladiesは笑いながら笑わらいながら smilingそばへ来て来きて came (to); approached、いっしょにシャツシャツ shirtsを見て見みて look atくれた。しまいに、よし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)が「これになさい」と言った言いった said; suggested。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はそれにした。今度今度こんど this time; nextは三四郎のほうが香水香水こうすい perfume; fragranceの相談を受けた相談そうだんを受うけた was consulted; was asked to advise on。いっこうわからない。ヘリオトロープヘリオトロープ heliotrope (pink-purple flowering plant)と書いてある書かいてある be written; be labeled罎罎びん bottleを持って持もって pick up、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子美禰子みねこ Mineko (name)が、「それにしましょう」とすぐ決めた決きめた decided; settled (on something)。三四郎は気の毒気きの毒どく pitiful; unfortunateなくらいであった。

表表おもて out frontへ出て出でて come out (to)別れよう別わかれよう take leave ofとすると、女のほうが互いに互たがいに mutually; to each otherお辞儀お辞儀じぎ bow; curtsyを始めた始はじめた engaged in。よし子が「じゃ行ってきて行いってきて take care; see you laterよ」と言うと、美禰子が、「お早くお早はやく hurry back; not too late……」と言っている。聞いて聞きいて ask; inquireみて、妹妹いもと younger sister (usually 妹いもうと)が兄兄あに older brotherの下宿下宿げしゅく lodgingsへ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で二人連ふたりづれで one-on-one; as a pair追分追分おいわけ Oiwake (place name)の方方ほう directionへ歩く歩あるく walk; strollべきべき be obliged to ...宵宵よい eveningとなった。日日ひ the sunはまだまったく落ちて落おちて set (sun)いない。

三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ落おち合あわねばならぬ have to meet; have to come together機会機会きかい occasionをいささか迷惑迷惑めいわく bother; annoyanceに感じた感かんじた felt。いっそのこといっそのこと rather; preferably今夜今夜こんや this eveningは家家いえ homeへ帰って帰かえって return (to)、また出直そう出直でなおそう set out anewかと考えた考かんがえた considered。しかし、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)のいわゆるお談義お談義だんぎ lectureを聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利便利べんり convenient; advantageousかもしれない。まさか人人ひと another (person)の前前まえ front ofで、母母はは motherから、こういう依頼依頼いらい requestがあったと、遠慮なし遠慮えんりょなし unrestrainedの注意注意ちゅうい caution; admonitionを与える与あたえる give; impart (to)わけはなかろう。ことによると、ただ金金かね moneyを受け取る受うけ取とる receive; take charge ofだけで済む済すむ finish; be settledかもわからない。――三四郎は腹の中で腹はらの中なかで to oneself、ちょっとずるい決心決心けっしん determination; resolutionをした。

「ぼくも野々宮さんの所所ところ place; residenceへ行くところです」

「そう、お遊びお遊あそび social call; visitに?」

「いえ、すこし用用よう matter of businessがあるんです。あなたは遊びですか」

「いいえ、私私わたし I; meも御用御用ごよう matter of businessなの」

両方両方りょうほう both sides; both partiesが同じ同おなじ same; similarようなことを聞いて聞きいて ask、同じような答答こたえ answerを得た得えた got; obtained。しかし両方とも迷惑迷惑めいわく bother; annoyanceを感じて感かんじて feelいる気色気色けしき sign; indicationがさらにないさらにない be not in the least。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は念のため念ねんのため for good measure; to be sure、じゃまじゃないかと尋ねて尋たずねて inquireみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女女おんな young lady; sheは言葉言葉ことば wordsでじゃまを否定した否定ひていした deniedばかりではない。顔顔かお faceではむしろなぜそんなことを質問する質問しつもんする askかと驚いて驚おどろいて be surprisedいる。三四郎は店先店先みせさき storefrontのガスの光ガスの光ひかり gaslightで、女の黒い黒くろい black; dark目目め eyesの中中なか inside; interiorに、その驚きを認めた認みとめた recognizedと思った思おもった thought; imagined。事実としては事実じじつとしては in fact; actually、ただ大きく大おおきく large黒く見えた見みえた appearedばかりである。

「バイオリンバイオリン violinを買いました買かいました boughtか」

「どうして御存じ御存ごぞんじ know about」

三四郎は返答返答へんとう reply; answerに窮したに窮きゅうした struggled for; was hard pressed for。女は頓着なく頓着とんじゃくなく indifferently; without concern、すぐ、こう言った言いった said; continued。

「いくら兄さん兄にいさん older brotherにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」

三四郎は腹の中で腹はらの中なかで to oneself、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)よりも広田広田ひろた (Professor) Hirotaよりも、むしろ与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)を非難した非難ひなんした blamed; reproached。

二人二人ふたり two (people)は追分追分おいわけ Oiwake (place name)の通り通とおり boulevard; main thoroughfareを細い細ほそい narrow路地路地ろじ alleyway; laneに折れた折おれた turned (into)。折れると中に家家いえ housesがたくさんある。暗い暗くらい dark道道みち laneを戸ごと戸こごと each houseの軒燈軒燈けんとう door lampが照らして照てらして shine on; illuminateいる。その軒燈の一つ一ひとつ one (thing)の前前まえ front ofにとまった。野々宮はこの奥奥おく interior; withinにいる。

三四郎の下宿下宿げしゅく lodgingsとはほとんど一丁一丁いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ほどの距離距離きょり distanceである。野々宮がここへ移って移うつって move; transfer (to)から、三四郎は二、三度二に、三度さんど several times訪問した訪問ほうもんした called on; came to visitことがある。野々宮の部屋部屋へや roomは広い広ひろい wide廊下廊下ろうか hallwayを突き当って突つき当あたって come to the end of、二段二段にだん two stepsばかりまっすぐに上がる上あがる ascend; step upと、左手左手ひだりて left sideに離れた離はなれた be separated二間二間ふたま two roomsである。南向き南向みなみむき facing southによその広い庭庭にわ gardenをほとんど椽椽えん verandaの下下した below; beneathに控えて控ひかえて hold close to; have immediately present、昼昼ひる day (time)も夜夜よる nightも至極至極しごく exceedingly静か静しずか quiet; stillである。この離れ座敷離はなれ座敷ざしき detached roomsに立てこもった立たてこもった sealed oneself up in; situated oneself in野々宮さんを見た時時とき time; occasion、なるほど家を畳んで畳たたんで fold up; close; vacate下宿をするのも悪い悪わるい bad思いつき思おもいつき ideaではなかったと、はじめて来た来きた came; visited時から、感心した感心かんしんした was impressedくらい、居心地のいい居心地いごこちのいい comfortable; cosy所所ところ placeである。その時野々宮さんは廊下へ下りて下おりて descend; step down (to)、下から自分の自分じぶんの one's own部屋部屋へや roomの軒軒のき eavesを見上げて見上みあげて look up at、ちょっと見たまえ、藁葺藁葺わらぶき straw thatchingだと言った。なるほど珍しく珍めずらしく unusually; unexpectedly屋根屋根やね roofに瓦瓦かわら roof tilesを置いて置おいて set; placeなかった。

きょうは夜夜よる eveningだから、屋根屋根やね roofはむろん見えない見みえない cannot be seenが、部屋部屋へや roomの中中なか insideには電燈電燈でんとう (electric) lightがついている。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は電燈を見る見みる seeやいなや藁葺藁葺わらぶき straw thatchingを思い出した思おもい出だした recalled; remembered。そうしておかしくなった。

「妙な妙みょうな odd; curiousお客お客きゃく visitors; guestsが落ち合った落おち合あった met up; fell togetherな。入口入口いりぐち entranceで会った会あった metのか」と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんが妹妹いもうと younger sisterに聞いて聞きいて askいる。妹はしからざるむねしからざるむね that it's not soを説明して説明せつめいして explainいる。ついでに三四郎のようなシャツシャツ shirtを買ったら買かったら buy; purchaseよかろうと助言して助言じょげんして advise; suggestいる。それから、このあいだのバイオリンバイオリン violinは和製和製わせい Japanese-madeで音音ね soundが悪くって悪わるくって no good; of poor qualityいけない。買うのをこれまで延期した延期えんきした deferred; put offのだから、もうすこし良い良よい fine; niceのと買いかえてくれと頼んで頼たのんで ask; requestいる。せめて美禰子美禰子みねこ Mineko (name)さんくらいのなら我慢する我慢がまんする make due withと言って言いって say; stateいる。そのほか似たりよったりの似にたりよったりの of a similar vein駄々をしきりにこねて駄々だだをしきりにこねて continue whining; vent one's problemsいる。野々宮さんはべつだんこわい顔こわい顔かお angry lookもせず、といって、優しい優やさしい kind; gentle言葉言葉ことば wordsもかけず、ただそうかそうかと聞いている。

三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)は愚な愚ぐな silly; trifling事事こと mattersばかり述べる述のべる express; mention。かつ少しも少すこしも (not) in the least遠慮遠慮えんりょ reserve; restraintをしない。それがばかとも思えなければ思おもえなければ couldn't regard as ...、わがままとも受け取れない受うけ取とれない couldn't take for ...。兄兄あに older brotherとの応待応待おうたい interaction; exchangeをそばにいて聞いていると、広い広ひろい wide; spacious日あたりのいい日ひあたりのいい sunlit; bright畑畑はたけ (farm) fieldへ出た出でた came out (to)ような心持ち心持こころもち feelingがする。三四郎は来たるべき来きたるべき to come; ... that must followお談義お談義だんぎ lectureの事の事こと concerning ...をまるで忘れて忘わすれて forgetしまった。その時時とき time; moment突然突然とつぜん suddenly驚かされた驚おどろかされた be surprised; be caught off guard。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝お言伝ことづて messageがあってよ」

「そうか」

「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方方ほう directionを向いた向むいた turned toward。

「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑って笑わらって smile; grinいた。

「ばかじゃないわ。ねえ、小川小川おがわ Ogawa (Sanshirō's family name)さん」

三四郎はまた笑っていた。腹の中では腹はらの中なかでは within; deep downもう笑うのがいやになった。

「美禰子さんがね、兄さん兄にいさん older brotherに文芸協会文芸ぶんげい協会きょうかい Literary Societyの演芸会演芸会えんげいかい performance; showに連れて行って連つれて行いって take along; escortちょうだいって」

「里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name; referring here to Mineko's older brother)さんといっしょに行ったら行いったら go; attendよかろう」

「御用御用ごよう business; prior engagementがあるんですって」

「お前お前まえ youも行くのか」

「むろんだわ」

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんは行く行ゆく goとも行かないとも答えなかった答こたえなかった didn't answer。また三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の方方ほう directionを向いて向むいて turn toward、今夜今夜こんや this evening; tonight妹妹いもうと younger sisterを呼んだ呼よんだ called; summonedのは、まじめの用用よう matter of businessがあるんだのに、あんなのん気のん気き carefree; easygoingばかり言って言いって talk (of)いて困る困こまる be troubledと話した話はなした stated; explained。聞いて聞きいて ask; inquireみると、学者学者がくしゃ scholarだけあって、存外存外ぞんがい unexpectedly淡泊淡泊たんぱく frank; candidである。よし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)に縁談縁談えんだん marriage proposalの口口くち opening; opportunityがある。国国くに country; one's native placeへそう言ってやったら、両親両親りょうしん parentsも異存異存いぞん objectionはないと返事返事へんじ reply; responseをしてきた。それについて本人本人ほんにん the person in questionの意見意見いけん opinion; viewをよく確かめる確たしかめる ascertain; make sure of必要必要ひつよう necessityが起こった起おこった arose; came aboutのだと言う。三四郎はただ結構結構けっこう splendid; niceですと答えて、なるべく早く早はやく quickly自分自分じぶん oneselfのほうを片づけて片かたづけて wrap up; take care of帰ろう帰かえろう return; go homeとした。そこで、

「母母はは motherからあなたにごめんどうごめんどう (someone's) careを願った願ねがった requestedそうで」と切り出した切きり出だした broached (a subject)。野々宮さんは、

「なに、大して大たいして (not so) muchめんどうでもありませんがね」とすぐに机机つくえ deskの引出し引出ひきだし drawerから、預かった預あずかった was entrusted withものを出して、三四郎に渡した渡わたした handed (to)。

「おっかさんが心配して心配しんぱいして worry; be concerned、長い長ながい long手紙手紙てがみ letterを書いて書かいて writeよこしましたよ。三四郎は余儀ない余儀よぎない unavoidable; beyond one's control事情事情じじょう circumstancesで月々の月々つきづきの monthly学資学資がくし education fundsを友だち友ともだち friendに貸した貸かした lent (to)と言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金金かね moneyを借りる借かりる borrowものじゃあるまいし、よし借りたって返す返かえす return; pay backはずだろうって。いなかの者者もの peopleは正直正直しょうじき honest; uprightだから、そう思う思おもう think; considerのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方貸かし方かた manner of lendingが大げさ大おおげさ grandiose; excessiveだ。親親おや parentから月々学資を送って送おくって send; remitもらう身分身分みぶん social positionでいながら、一度に一度いちどに at one time二十円二十円にじゅうえん twenty yenの三十円三十円さんじゅうえん thirty yenのと、人人ひと another (person)に用立てる用立ようだてる lend money (to)なんて、いかにも無分別無分別むふんべつ thoughtlessness; indiscretionだとあるんですがね――なんだかぼくに責任責任せきにん responsibilityがあるように書いてあるから困る。……」

野々宮さんは三四郎を見て見みて look at、にやにや笑って笑わらって smile; grinいる。三四郎はまじめに、「お気の毒ですお気きの毒どくです sorry for your trouble」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い若わかい young者を、極めつける極きめつける give a scolding; take to taskつもりで言ったんでないとみえて、少し少すこし a little; a bit調子調子ちょうし tone; manner (of speaking)を変えた変かえた changed。

「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事事こと matterなんだから。ただおっかさんは、いなかの相場相場そうば market pricesで、金の価値価値かち value; worthをつけるから、三十円がたいへん重くなる重おもくなる important; seriousんだね。なんでも三十円あると、四人の四人よにんの four-person家族家族かぞく familyが半年半年はんねん half a year食っていける食くっていける feed oneself; live off ofと書いてあったが、そんなものかな、君君きみ you (used here as form of address)」と聞いた。よし子は大きな大おおきな big; loud (voice)声声こえ voiceを出して笑った笑わらった laughed。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条言条いいじょう one's say; one's pointが、まったく事実事実じじつ realityを離れた離はなれた separated (from)作り話作つくり話ばなし fiction; fabricationでないのだから、そこに気がついた気きがついた realized; became aware of時時とき time; momentには、なるほど軽率な軽率けいそつな rash; imprudent事をして悪かった悪わるかった was in the wrongと少しく後悔した後悔こうかいした regretted。

「そうすると、月月つき (one) monthに五円五円ごえん 5 yenのわりだから、一人前一人前ひとりまえ one (person's) portion一円二十五銭一円いちえん二十五銭にじゅうごせん 1 yen and 25 sen (1.25 yen)にあたる。それを三十日三十日さんじゅうにち thirty daysに割りつける割わりつける distribute; divide amongと、四銭四銭よんせん 4 sen (0.04 yen)ばかりだが――いくらいなかでも少し少すこし a little; a bit安すぎる安やすすぎる too little (money)ようだな」と野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんが計算を立てた計算けいさんを立たてた performed the calculation。

「何何なに whatを食べたら食たべたら eat、そのくらいで生きて生いきて live (on)いられるでしょう」とよし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)がまじめに聞きだした聞ききだした asked。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)も後悔する後悔こうかいする regret; be sorry暇暇ひま timeがなくなって、自分自分じぶん oneselfの知っている知しっている know of; be familiar withいなか生活生活せいかつ life; lifestyleのありさまをいろいろ話して聞かした話はなして聞きかした explained; related。そのなかには宮籠り宮籠みやごもり supplication day (an entire day spent in the shrine)という慣例慣例かんれい customもあった。三四郎の家家いえ houseでは、年年ねん yearに一度一度いちど one timeずつ村村むら village全体全体ぜんたい whole; entiretyへ十円十円じゅうえん ten yen寄付する寄付きふする contribute; donateことになっている。その時時とき time; occasionには六十戸六十戸ろくじゅっこ sixty householdsから一人ずつ一人ひとりずつ one person each出て出でて come forth; take part、その六十人六十人ろくじゅうにん sixty peopleが、仕事仕事しごと workを休んで休やすんで take time off (from)、村のお宮お宮みや Shinto shrineへ寄って寄よって gather together、朝朝あさ morningから晩晩ばん nightまで、酒酒さけ sakéを飲みつづけに飲んで飲のみつづけに飲のんで drink non-stop、ごちそうを食いつづけに食う食くいつづけに食くう eat to one's heart's contentんだという。

「それで十円」とよし子が驚いて驚おどろいて be surprisedいた。お談義お談義だんぎ lectureはこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談雑談ざつだん idle talkをして一段落ついた一段落いちだんらくついた let up; reached a pause時に、野々宮さんがあらためて、こう言った言いった said。

「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応一応いちおう more or less; roughly事情事情じじょう circumstancesを調べて調しらべて look into、不都合不都合ふつごう trouble; wrongdoingがないと認めたら認みとめたら deem; judge、金金かね moneyを渡して渡わたして hand over; give toくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせて知しらせて inform; let know aboutもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君君きみ youたしかに佐々木佐々木ささき Sasaki (Yojirō's family name)に貸した貸かした lentんですね」

三四郎は美禰子美禰子みねこ Mineko (name)からもれて、よし子に伝わってに伝つたわって transmitted through; by way of、それが野々宮さんに知れているんだと判じた判はんじた guessed; figured。しかしその金が巡り巡って巡めぐり巡めぐって making the roundsバイオリンバイオリン violinに変形した変形へんけいした transformed; morphed (into)ものとは、兄妹兄妹きょうだい brother and sisterとも気がつかない気きがつかない not have noticed; not be awareから一種一種いっしゅ one kind (of)妙な妙みょうな odd; strange感じ感かんじ feelingがした。ただ「そうです」と答えて答こたえて respondedおいた。

「佐々木が馬券馬券ばけん horse (wagering) ticketを買って買かって buy; purchase、自分の自分じぶんの one's own金をなくしたんだってね」

「ええ」

よし子はまた大きな大おおきな big; loud (voice)声声こえ voiceを出して出だして put forth笑った笑わらった laughed。

「じゃ、いいかげんにおっかさんの所所ところ place; residenceへそう言ってあげよう。しかし今度今度こんど next timeから、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」

三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶挨拶あいさつ salutationをして、立ちかける立たちかける start to get upと、よし子も、もう帰ろう帰かえろう return; go homeと言い出した。

「さっきの話話はなし talk; discussionをしなくっちゃ」と兄兄あに older brotherが注意した注意ちゅういした cautioned。

「よくってよ」と妹妹いもうと younger sisterが拒絶した拒絶きょぜつした refused。

「よくはないよ」

「よくってよ。知らない知しらない don't know; have no opinionわ」

兄は妹の顔顔かお faceを見て見みて look at黙って黙だまって remain silentいる。妹は、またこう言った言いった said; continued。

「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人人ひと personの所所ところ placeへ、行く行いく go (to)か行かないかって、聞いた聞きいた askって。好き好すき like (for something)でもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は知らないわの本意本意ほんい true feelings; meaning behind ...をようやく会得した会得えとくした understood; grasped。兄妹兄妹きょうだい (older) brother and (younger) sisterをそのままにして急いで急いそいで hastily表へ出た表おもてへ出でた went out (front); made one's exit。

人の通らない人ひとの通とおらない quiet; deserted軒燈軒燈けんとう door lampばかり明らかな明あきらかな clear; visible路地路地ろじ alleyway; laneを抜けて抜ぬけて cut through表へ出ると、風風かぜ windが吹く吹ふく blow。北北きた northへ向き直る向むき直なおる turn towardと、まともに顔へ当る当あたる hit; strike。時を切って時ときを切きって periodically; at intervals、自分の自分じぶんの one's own下宿下宿げしゅく lodgingsの方方ほう directionから吹いてくる。その時三四郎は考えた考かんがえた considered。この風の中中なか middle; midstを、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんは、妹を送って送おくって see off; escort里見里見さとみ Satomi (Mineko's family name)まで連れて連つれて take; lead (a person)いってやるだろう。

下宿の二階二階にかい second floorへ上って上あがって ascend; climb up (to)、自分の部屋部屋へや roomへはいって、すわってみると、やっぱり風の音音おと soundがする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命運命うんめい fate; destinyという字字じ wordを思い出す思おもい出だす call to mind。ごうと鳴って鳴なって sound; resonateくるたびにすくみたくなるすくみたくなる want to shrink; want to cower。自分ながらけっして強い強つよい strong; tough男男おとこ man; fellowとは思って思おもって think; considerいない。考えると、上京上京じょうきょう arrival in Tōkyō以来以来いらい since ...自分の運命はたいがい与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)のためにこしらえられている。しかも多少多少たしょう more or less; somewhatの程度程度ていど extentにおいて、和気靄然たる和気わき靄然あいぜんたる congenial; amiable翻弄翻弄ほんろう trifling with; leading by the noseを受ける受うける receiveようにこしらえられている。与次郎は愛すべき愛あいすべき lovable悪戯者悪戯者いたずらもの mischief-makerである。向後向後こうご hereafterもこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそう握にぎられていそう look to be grasped (by); look to be subject (to)に思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上以上いじょう above and beyondの風である。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は母母はは motherから来た来きた came; arrived三十円三十円さんじゅうえん thirty yenを枕元枕元まくらもと bedside; next to one's pillowへ置いて置おいて set; place寝た寝ねた went to bed; retired。この三十円も運命運命うんめい fate; destinyの翻弄翻弄ほんろう trifling with; leading by the noseが生んだ生うんだ gave rise to; brought aboutものである。この三十円がこれからさきどんな働き働はたらき workings; functionをするか、まるでわからない。自分自分じぶん oneselfはこれを美禰子美禰子みねこ Mineko (name)に返し返かえし return; repayに行く行いく go (to do)。美禰子がこれを受け取る受うけ取とる take; receive時時とき time; occasionに、また一煽り一煽ひとあおり a rush (of something); a fanning (of flames)来る来くる come; arriveにきまっている。三四郎はなるべく大きく大おおきく in a big way; in grand fashion来ればいいと思った思おもった thought。

三四郎はそれなり寝ついた。運命も与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)も手を下しようのない手てを下くだしようのない beyond reach of; outside the influence ofくらいすこやかなすこやかな vigorous; sound眠り眠ねむり sleep; slumberに入った入いった entered (into)。すると半鐘半鐘はんしょう fire bell; fire alarmの音音おと soundで目がさめた目めがさめた woke up。どこかで人声人声ひとごえ voicesがする。東京東京とうきょう Tōkyōの火事火事かじ fireはこれで二へん目二にへん目め second timeである。三四郎は寝巻寝巻ねまき pajamasの上上うえ top ofへ羽織羽織はおり haori (Japanese half coat)を引っかけて引ひっかけて pull on、窓窓まど windowをあけた。風風かぜ windはだいぶ落ちている落おちている was settled; had died down。向こう向むこう across the wayの二階屋二階屋にかいや two-story houseが風の鳴る鳴なる sound; roar中中なか middle; midstに、まっ黒まっ黒くろ pitch blackに見える見みえる appeared。家家いえ houseが黒いほど、家のうしろの空空そら skyは赤かった赤あかかった was red。

三四郎は寒い寒さむい coldのを我慢して我慢がまんして endure; put up with、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭頭あたま head; mindには運命がありありと赤く映った映うつった was reflected; was displayed。三四郎はまた暖かい暖あたたかい warm蒲団蒲団ふとん futon; beddingの中にもぐり込んだもぐり込こんだ slipped into; crawled into。そうして、赤い運命の中で狂い回る狂くるい回まわる run amok多くの多おおくの numerous人人ひと peopleの身の上身みの上うえ one's fortune; one's welfare; one's lotを忘れた忘わすれた forgot。

夜が明ければ夜よが明あければ when dawn broke常の常つねの ordinary; usual人である。制服制服せいふく (school) uniformをつけて、ノートノート notebookを持って持もって hold; carry、学校学校がっこう schoolへ出た出でた set out; set off (for)。ただ三十円を懐懐ふところ pocketにすることだけは忘れなかった。あいにく時間割時間割じかんわり scheduleのつごうが悪い悪わるい not good。三時三時さんじ three (o'clock)までぎっしり詰まってぎっしり詰つまって packed tightいる。三時過ぎ過すぎ after ...; past ...に行けば行ゆけば go; visit、よし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)も学校から帰って来ている帰かえって来きている be home fromだろう。ことによれば里見恭助里見さとみ恭助きょうすけ Kyōsuke Satomi (name of Mineko's older brother)という兄兄あに older brotherも在宅在宅うち at homeかもしれない。人がいては、金金かね moneyを返すのが、まったくだめのような気気き feelingがする。

また与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が話しかけた話はなしかけた addressed; engaged (in conversation)。

「ゆうべはお談義お談義だんぎ lectureを聞いた聞きいた listened to; heardか」

「なにお談義というほどでもない」

「そうだろう、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんは、あれで理由のわかった理由わけのわかった sensible; reasonable人人ひと personだからな」と言って言いって say; remarkどこかへ行って行いって go (to)しまった。二時間後二時間後にじかんご two hours laterの講義講義こうぎ lectureの時時とき timeにまた出会った出会であった came across; encountered。

「広田先生広田ひろた先生せんせい Professor Hirotaのことは大丈夫大丈夫だいじょうぶ alright; okayうまくいきそうだ」と言う。どこまで事事こと matters; affairsが運んだ運はこんだ proceeded; progressedか聞いてみると、

「いや心配しないでもいい心配しんぱいしないでもいい there's no need to worry。いずれゆっくり話す。先生が君君きみ youがしばらく来ない来こない not come (over); not visitと言って、聞いていたぜ。時々時々ときどき sometimes; from time to time行くがいい。先生は一人もの一人ひとりもの unmarried man; bachelorだからな。我々我々われわれ we; usが慰めて慰なぐさめて comfort; consoleやらんと、いかん。今度今度こんど next time何か何なにか something買って来い買かって来こい buy (and bring with)」と言いっぱなして、それなり消えて消きえて disappearしまった。すると、次の次つぎの next時間にまたどこからか現われた現あらわれた appeared。今度はなんと思った思おもった thoughtか、講義の最中最中さいちゅう middle ofに、突然突然とつぜん suddenly、

「金金かね money受け取ったり受うけ取とったり receivedや」と電報電報でんぽう telegramのようなものを白紙白紙しらかみ blank sheet (of paper)へ書いて書かいて write出した出だした put forth; presented。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は返事返事へんじ reply; responseを書こうと思って、教師教師きょうし instructorの方方ほう directionを見る見みる lookと、教師がちゃんとこっちを見ている。白紙を丸めて丸まるめて ball up足足あし feetの下下した beneathへなげた。講義が終る終おわる end; be concludedのを待って待まって wait for、はじめて返事をした。

「金は受け取った、ここにある」

「そうかそれはよかった。返す返かえす return; repayつもりか」

「むろん返すさ」

「それがよかろう。はやく返すがいい」

「きょう返そうと思う」

「うん昼過ぎ昼過ひるすぎ afternoonおそくならいるかもしれない」

「どこかへ行くのか」

「行くとも、毎日毎日毎日まいにち毎日まいにち (each and) every day絵絵え paintingにかかれに行く。もうよっぽどできたろう」

「原口原口はらぐち Haraguchi (name)さんの所所ところ placeか」

「うん」

三四郎は与次郎から原口さんの宿所宿所しゅくしょ address (of one's lodgings)を聞きとった。