与次郎与次郎 Yojirō (name)が勧める勧める advise; encourageので、三四郎三四郎 Sanshirō (name)はとうとう精養軒精養軒 Seiyōken (name of high-end Western-style restaurant)の会会 gathering; partyへ出た出た appeared (at)。その時時 time; occasion三四郎は黒い黒い black紬紬 pongee (soft thin cloth woven from raw silk)の羽織羽織 haori (Japanese half-coat)を着た着た wore。この羽織は、三輪田三輪田 Miwata (family name)のお光お光 Omitsu (name)さんのおっかさんが織って織って weaveくれたのを、紋付紋付 with one's family crestに染めて染めて dyed、お光さんが縫い上げた縫い上げた sewed; tailoredものだと、母母 motherの手紙手紙 letter; correspondenceに長い長い long; lengthy説明説明 explanationがある。小包み小包み packageが届いた届いた arrived; was delivered時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚戸棚 closet; wardrobeへ入れて入れて put intoおいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う言う said。三四郎が着なければ、自分自分 oneselfが持っていって持っていって take away; take with着そうな勢い勢い energy; vigorであったから、つい着る気気 inclinationになった。着てみると悪くはない悪くはない not badようだ。
三四郎はこのいでたちいでたち dress; outfitで、与次郎と二人二人 two (people)で精養軒の玄関玄関 entry hallに立って立って standいた。与次郎の説説 view; opinionによると、お客お客 guestsはこうして迎えべき迎えべき should greet; should welcomeものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった知らなかった didn't know (about); hadn't been aware (of)。第一第一 for one thing; first off自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい安っぽい garish; tacky受け付け受け付け receiver; greeterの気がする。制服制服 (school) uniformを着てくればよかったと思った思った thought; considered。そのうち会員会員 party members; participantsがだんだん来る。与次郎は来る来る come; arrive人人 personsをつらまえてきっとなんとか話話 conversation; exchange (of words)をする。ことごとく旧知旧知 old friendのようにあしらってあしらって treat; deal withいる。お客が帽子帽子 hatと外套外套 overcoatを給仕給仕 attendantに渡して渡して hand to、広い広い wide梯子段梯子段 staircaseの横横 side (of)を、暗い暗い dark廊下廊下 hallway; corridorの方方 directionへ折れる折れる turnと、三四郎に向かって向かって face; turn to、今今 (just) nowのは誰某誰某 so-and-so; a certain someoneだと教えて教えて tell; informくれる。三四郎はおかげで知名な知名な well-known; renowned人の顔顔 facesをだいぶ覚えた覚えた learned。
そのうちお客はほぼ集まった集まった gathered; assembled。約約 about三十人三十人 thirty people足らず足らず just under; just short ofである。広田先生広田先生 Professor Hirotaもいる。野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんもいる。――これは理学者理学者 physicistだけれども、絵絵 paintingや文学文学 literatureが好きだ好きだ have a liking forからというので、原口原口 Haraguchi (name)さんが、むりに引っ張り出した引っ張り出した dragged along; coerced (to come with)のだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て来て come; arrive、世話を焼いたり世話を焼いたり flit about、愛嬌を振りまいたり愛嬌を振りまいたり turn on the charm; be all smiles、フランス式フランス式 French styleの髯髯 whiskersをつまんでみたり、万事万事 all things忙しそう忙しそう looking busyである。
やがて着席着席 sitting down; taking one's seatとなった。めいめいかってな所所 placeへすわる。譲る譲る yield; defer (to another)者者 personsもなければ、争う争う contend; vie者もない。そのうちでも広田先生広田先生 Professor Hirotaはのろいにも似合わず似合わず out of character (with)いちばんに腰をおろして腰をおろして sit downしまった。ただ与次郎与次郎 Yojirō (name)と三四郎三四郎 Sanshirō (name)だけがいっしょになって、入口入口 entranceに近くに近く near; close to座を占めた座を占めた took seats。その他その他 the othersはことごとく偶然偶然 chance; fortuityの向かい合わせ向かい合わせ pairing (across a table)、隣同志隣同志 neighbor; adjacent pairingであった。
野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんと広田先生のあいだに縞縞 stripeの羽織羽織 haori (Japanese half-coat)を着た着た wore批評家批評家 criticがすわった。向こう向こう oppositeには庄司庄司 Shōji (name)という博士博士 scholar (PhD)が座に着いた座に着いた was seated。これは与次郎のいわゆる文科文科 department of literatureで有力な有力な influential; prominent教授教授 professorである。フロックフロック frock coatを着た品格品格 dignity; refinementのある男男 man; gentlemanであった。髪髪 hairを普通普通 ordinary; usualの倍倍 twice; double以上以上 more than長く長く longしている。それが電燈電燈 electric lightingの光光 lightで、黒く黒く darkly渦をまいて渦をまいて swirl; coil見える見える appear (to)。広田先生の坊主頭坊主頭 close-cropped hairと比べる比べる compareとだいぶ相違相違 difference; contrastがある。原口原口 Haraguchi (name)さんはだいぶ離れて離れて apart; separated席を取った席を取った took a seat。あちらの角角 cornerだから、遠く遠く far; at a distance三四郎と真向かい真向かい directly oppositeになる。折襟折襟 folded collarに、幅幅 widthの広い広い wide黒黒 black襦子襦子 satinを結んだ結んだ tiedさきがぱっと開いて開いて open; spread apart胸いっぱい胸いっぱい covering one's chest; across one's chestになっている。与次郎が、フランスの画工画工 artistsは、みんなああいう襟飾り襟飾り necktieを着ける着ける affix; put onものだと教えて教えて tell; informくれた。三四郎は肉汁肉汁 bouillon (ソップ from Dutch vs the usual スープ from English)を吸いながら吸いながら sipping; drinking、まるで兵児帯兵児帯 waist bandの結び目結び目 knotのようだと考えた考えた thought; mused。そのうち談話談話 talk; conversationがだんだん始まった始まった started; began。与次郎はビールを飲む飲む drink。いつものように口をきかない口をきかない not be talkative; not be verbose。さすがの男もきょうは少々少々 somewhat謹んで謹んで be discreet; show respectいるとみえる。三四郎が、小さな小さな small; quiet (voice)声声 voiceで、
「ちと、ダーターファブラダーターファブラ Latin phrase 'de te fabula' from Horace's Satires. Meaning: don't laugh - change the names and the story applies to you.をやらないか」と言う言う askと、「きょうはいけない」と答えた答えた answeredが、すぐ横横 side; sidewaysを向いて向いて turn toward、隣の男と話話 conversationを始めた。あなたの、あの論文論文 essay; paperを拝見して拝見して see; look at、大いに大いに greatly利益を得ました利益を得ました profited; benefitedとかなんとか礼を述べて礼を述べて express gratitude; express appreciationいる。ところがその論文は、彼彼 heが自分自分 oneselfの前前 front ofで、さかんに罵倒した罵倒した disparagedものだから、三四郎にはすこぶる不思議の不思議の odd; curious思い思い feelingがある。与次郎はまたこっちを向いた。
雲母雲母 micaか何か何か somethingで、十六武蔵十六武蔵 sixteen soldiers (game played with disk-shaped markers)ぐらいの大きさ大きさ sizeの薄い薄い thin円盤円盤 diskを作って作って make; fabricate、水晶水晶 crystalの糸糸 threadで釣るして釣るして hang; suspend、真空真空 vacuumのうちに置いて置いて set; place、この円盤の面面 surfaceへ弧光燈弧光燈 arc lampの光光 lightを直角に直角に perpendicularlyあてると、この円盤が光に圧されて圧されて be pushed動く動く move。と言うのである。
一座一座 the party; those presentは耳を傾けて聞いて耳を傾けて聞いて listen with interestいた。なかにも三四郎三四郎 Sanshirō (name)は腹のなかで腹のなかで to oneself、あの福神漬福神漬 sliced vegetables preserved in soy sauceの缶缶 canのなかに、そんな装置装置 device; apparatusがしてあるのだろうと、上京上京 arrival in Tōkyōのさい、望遠鏡望遠鏡 telescopeで驚かされた驚かされた was impressed昔昔 former timeを思い出した思い出した remembered; recalled。
「君君 you (used here as form of address)、水晶の糸があるのか」と小さい小さい small; quiet (voice)声声 voiceで与次郎与次郎 Yojirō (name)に聞いてみた。与次郎は頭を振って頭を振って shake one's headいる。
「野々宮野々宮 Nonomiya (name)さん、水晶の糸がありますか」
「ええ、水晶の粉粉 powderをね。酸水素酸水素 oxyhydrogen (mixture of oxygen and hydrogen gases)吹管吹管 blowpipeの炎炎 flameで溶かして溶かして meltおいて、両方の手両方の手 both handsで、左右左右 left and rightへ引っ張る引っ張る pull; stretchと細い細い slender; fine糸ができるのです」
「我々我々 we; usはそういう方面方面 area; field (of study)へかけると、全然無学全然無学 fully ignorant; completely uninitiatedなんですが、はじめはどうして気がついた気がついた noticed; became aware (of)ものでしょうな」
「理論上理論上 in theory; based on theoryはマクスウェルマクスウェル James Clerk Maxwell (Scottish scientist; 1831-1879)以来以来 since ...予想されて予想されて be expected; be predictedいたのですが、それをレベデフレベデフ Pyotr Nikolaevich Lebedev (Russian physicist; 1866-1912)という人人 person; manがはじめて実験実験 experimentで証明した証明した confirmedのです。近ごろ近ごろ recentlyあの彗星彗星 cometの尾尾 tailが、太陽太陽 the sunの方方 directionへ引きつけられべきはずであるのに、出る出る come out; appearたびにいつでも反対反対 oppositeの方角方角 directionになびくなびく flutter; wave; bendのは光の圧力圧力 pressureで吹き飛ばされる吹き飛ばされる be blown out; be blown awayんじゃなかろうかと思いついた思いついた think of; be struck with (an idea)人もあるくらいです」
批評家はだいぶ感心した感心した was impressedらしい。
「思いつき思いつき ideaもおもしろいが、第一第一 first of all大きくて大きくて big; grandいいですね」と言った。
「大きいばかりじゃない、罪がなくって罪がなくって harmless; innocuous愉快愉快 pleasant; exhilaratingだ」と広田先生広田先生 Professor Hirotaが言った。
「罪がない罪がない harmless; innocuous代りに代りに in exchange for; while ...、たいへん計算計算 calculationがめんどうになってきた。やっぱり一利一害一利一害 something gained and something lost; give and takeだ」と言った。この一言一言 few words; brief commentで、人々人々 everybodyはもとのとおりビールの気分気分 feeling; moodに復した復した returned; reverted (to)。広田先生広田先生 Professor Hirotaが、こんな事事 fact; matterを言う。
物理学者と自然派の二字二字 two wordsは少なからず少なからず not a little; in no small manner満場満場 the whole party; all presentの興味興味 interestを刺激した刺激した aroused; piqued (interest)。
「それはどういう意味意味 meaning; senseですか」と本人本人 the person in questionの野々宮さんが聞き出した聞き出した inquired; questioned。広田先生は説明しなければならなくなった説明しなければならなくなった was compelled to explain。
「だって、光線の圧力を試験する試験する test; measureために、目目 eyesだけあけて、自然を観察して観察して observeいたって、だめだからさ。自然の献立献立 menu; bill of fareのうちに、光線の圧力という事実事実 truth; realityは印刷されて印刷されて be printedいないようじゃないか。だから人工的に人工的に artificially; through man-made means、水晶水晶 crystalの糸糸 threadだの、真空真空 vacuumだの、雲母雲母 micaだのという装置装置 device; apparatusをして、その圧力が物理学者の目に見える見える appear; be visibleように仕掛ける仕掛ける set about (to do something)のだろう。だから自然派じゃないよ」
「すると、物理学者物理学者 physicistは浪漫的浪漫的 romantic自然派自然派 naturalistですね。文学文学 literatureのほうでいうと、イブセンイブセン Henrik Johan Ibsen (Norwegian Playwright, 1828 – 1906, whose works include A Doll's House)のようなものじゃないか」と筋向こう筋向こう diagonally oppositeの博士博士 scholarが比較比較 comparisonを持ち出した持ち出した put forth; proposed。
「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いて描いて depict; describeも世界世界 the worldに一人一人 one (person)くらいはいるようじゃないですか」と答えた答えた replied; answered。「じっさい人間たる我々我々 we; usは、人間らしからざるらしからざる unbecoming of (= らしくない)行為行為 actions; deeds動作動作 behavior; mannerを、どうしたって想像できる想像できる imagine; conceive ofものじゃない。ただへたに書く書く write; compose; penから人間と思われないと思われない doesn't seem to be ...のじゃないですか」
小説家はそれで黙った黙った was silent; offered no response。今度今度 now; nextは博士がまた口をきいた口をきいた spoke。
「物理学者でも、ガリレオガリレオ Galileoが寺院寺院 temple; church; cathedralの釣りランプ釣りランプ pendant lampの一一 one振動振動 period; oscillationの時間時間 timeが、振動の大小大小 large or small; magnitudeにかかわらず同じ同じ the sameであることに気がついたり気がついたり noticed; realized、ニュートンニュートン Newtonが林檎林檎 appleが引力引力 gravitational pullで落ちる落ちる fallのを発見したり発見したり discoverするのは、はじめから自然派ですね」
「そういう自然派なら、文学のほうでも結構結構 acceptable; well enoughでしょう。原口原口 Haraguchi (name)さん、絵絵 paintingのほうでも自然派がありますか」と野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんが聞いた聞いた asked。
「あるとも。恐るべき恐るべき dreadful; fearsomeクールベエクールベエ Jean Désiré Gustave Courbet (French realist painter; 1819-1877)というやつがいる。[vérité vraievérité vraie (genuine truth; honest truth).]なんでも事実事実 realityでなければ承知しない承知しない not accept; not acknowledge。しかしそう猖獗を極めて猖獗を極めて run rampant; be rifeいるものじゃない。ただ一派一派 one faction; one schoolとして存在存在 existence; presenceを認められる認められる be recognized; be acknowledgedだけさ。またそうでなくっちゃ困る困る be troubled; be botheredからね。小説だって同じことだろう、ねえ君君 you (used here as form of address)。やっぱりモローモロー Gustave Moreau (French Symbolist painter; 1826–1898)や、シャバンヌシャバンヌ Pierre Puvis de Chavannes (French Symbolist painter; 1824-1898)のようなのもいるはずだろうじゃないか」
食後食後 after dinnerには卓上演説卓上演説 table speech; dinner speechも何もなかった何もなかった there was no ...。ただ原口原口 Haraguchi (name)さんが、しきりに九段九段 Kudan (place name)の上上 top ofの銅像銅像 bronze statue; bronze bustの悪口を言って悪口を言って speak ill of; rail againstいた。あんな銅像をむやみに立てられて立てられて have erectedは、東京東京 Tōkyō市民市民 citizenryが迷惑する迷惑する be put out; be affronted。それより、美しい美しい beautiful芸者芸者 geishaの銅像でもこしらえるほうが気が利いている気が利いている be smart; be sensibleという説説 view; opinionであった。与次郎与次郎 Yojirō (name)は三四郎三四郎 Sanshirō (name)に九段の銅像は原口さんと仲の悪い仲の悪い on bad terms人人 personが作った作った createdんだと教えた教えた told; informed。
会会 party; gatheringが済んで済んで end; conclude、外外 outsideへ出る出る come out; emerge (into)といい月月 moonであった。今夜今夜 this eveningの広田先生広田先生 Professor Hirotaは庄司博士庄司博士 Dr. Shōjiによい印象印象 impressionを与えたろう与えたろう impart onかと与次郎が聞いた聞いた asked。三四郎は与えたろうと答えた答えた replied。与次郎は共同共同 public-use水道栓水道栓 faucet; tapのそばに立って、この夏夏 summer、夜夜 evening散歩散歩 walk; strollに来て来て came (to)、あまり暑い暑い hot; sultryからここで水を浴びて水を浴びて douse oneself with waterいたら、巡査巡査 policemanに見つかって見つかって was seen; was discovered (by)、擂鉢山擂鉢山 Suribachiyama (place name)へ駆け上がった駆け上がった ran upと話した話した told; related。二人二人 two (people)は擂鉢山の上で月を見て見て look at; gaze on帰った帰った returned (home)。
帰り道帰り道 the way back; the way homeに与次郎が三四郎に向かって向かって turn to; turn toward、突然突然 suddenly借金借金 borrowed money; loanの言い訳言い訳 excuse; explanationをしだした。月のさえた比較的比較的 relatively; comparatively寒い寒い cold晩晩 evening; nightである。三四郎はほとんど金金 moneyの事の事 concerning ...などは考えていなかった考えていなかった removed from consideration; put out of mind。言い訳を聞くのでさえ本気本気 serious; earnestではない。どうせ返す返す return; repayことはあるまいと思って思って think; believeいる。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情事情 circumstances; reasonsをいろいろに話す。その話し方話し方 manner of speakingのほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分自分 oneselfの知ってる知ってる know; be acquainted withさるさる certain; particular男男 man; fellowが、失恋失恋 unrequited love; heartbreakの結果結果 result; outcome (of)、世の中世の中 the worldがいやになって、とうとう自殺自殺 suicideをしようと決心した決心した resolvedが、海海 seaもいや川川 riverもいや、噴火口噴火口 mouth of a volcanoはなおいや、首をくくる首をくくる hang oneself; strangle oneselfのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃短銃 pistolを買って買って buy; purchaseきた。買ってきて、まだ目的目的 objective; intentionを遂行遂行 accomplishment; executionしないうちに、友だち友だち friendが金を借りにきた借りにきた came to borrow。金はないと断った断った refused; declinedが、ぜひどうかしてくれと訴える訴える appeal toので、しかたなしに、大事の大事の valuable; important短銃を貸して貸して lendやった。友だちはそれを質に入れて質に入れて pawn一時一時 the present; the time beingをしのいだ。つごうがついて、質を受け出して質を受け出して redeem; recover (a pawned item)返しにきた時時 time; occasionは、肝心の肝心の essential; crucial短銃の主主 ownerはもう死ぬ死ぬ die気気 inclinationがなくなっていた。だからこの男の命命 lifeは金を借りにこられたために助かった助かった was savedと同じ同じ same; equivalent事である。
「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女女 woman; young ladyを愛している愛している be in love withんだろう」
与次郎はよく知っている知っている know; be aware of。三四郎はふんと言って、また高い月を見た見た looked at。月のそばに白い白い white雲雲 cloudが出た出た appeared。
「君、あの女には、もう返したのか」
「いいや」
「いつまでも借りておいてやれ」
のん気なのん気な carefree; easygoing事を言う。三四郎はなんとも答えなかった答えなかった didn't answer。しかしいつまでも借りておく気気 intentionはむろんなかった。じつは必要な必要な necessary; needed二十円二十円 twenty yenを下宿下宿 lodgingsへ払って払って pay、残りの残りの remaining十円十円 ten yenをそのあくる日あくる日 next day; following dayすぐ里見里見 Satomi (Mineko's family name)の家家 houseへ届けよう届けよう deliverと思った思った thought (to do)が、今今 now返してはかえって、好意好意 good will; favorにそむいて、よくないと考え直して考え直して reconsider、せっかく門内門内 within the gates; onto the premisesに、はいられる機会機会 chance; opportunityを犠牲にして犠牲にして give up; foregoまでも引き返した引き返した withdrew。その時時 time; occasion何かの拍子で何かの拍子で for some reason; on some impulse、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜今夜 this eveningの会費会費 participants' feeもそのうちから出ている。自分自分 oneselfばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円二、三円 two or three yen残っている。三四郎はそれで冬冬 winterシャツを買おう買おう buy; purchaseと思った。
じつは与次郎与次郎 Yojirō (name)がとうてい返しそう返しそう return; repayもないから、三四郎三四郎 Sanshirō (name)は思いきって思いきって resolutely、このあいだ国元国元 hometown; native placeへ三十円三十円 thirty yenの不足不足 deficit; shortageを請求した請求した requested。十分な十分な ample; sufficient学資学資 school expenses; education fundingを月々月々 month by month; each monthもらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘嘘 lie; falsehoodをついたことのない男男 man; fellowだから、請求の理由理由 reasonにいたって困却した困却した was at a loss; was hard pressed。しかたがないからただ友だち友だち friendが金金 moneyをなくして弱っていた弱っていた was in trouble; was in a bindから、つい気の毒になって気の毒になって feeling pity for貸してやった貸してやった lent (to someone)。その結果結果 resultとして、今度今度 this timeはこっちが弱るようになった。どうか送ってくれ送ってくれ please sendと書いた書いた wrote。
すぐ返事返事 answer; replyを出して出して put forthくれれば、もう届く届く be delivered; arrive時分時分 timeであるのにまだ来ないまだ来ない hadn't come yet。今夜今夜 this eveningあたりはことによると来ている来ている be here; have arrivedかもしれぬくらいに考えて考えて think about; have on one's mind、下宿下宿 lodgingsへ帰って帰って return (to)みると、はたして、母母 motherの手蹟手蹟 hand (writing)で書いた封筒封筒 envelopeがちゃんと机机 deskの上上 top ofに乗って乗って rest onいる。不思議なことに不思議なことに strangely; curiously、いつも必ず必ず invariably; without fail書留書留 registered mailで来る来る arriveのが、きょうは三銭三銭 three sen (0.03 yen)切手切手 (postage) stamp一枚一枚 one (stamp)で済ましてある済ましてある be managed; be taken care of。開いて開いて openみると、中中 insideはいつになく短かい短かい short; terse。母としては不親切なくらい不親切なくらい impersonal; aloof; cold、用事用事 business (matter)だけで申し納めて申し納めて limit to; confine toしまった。依頼依頼 requestの金は野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんの方方 care of ...へ送った送った sent (to)から、野々宮さんから受け取れ受け取れ receive; getというさしずさしず instructionsにすぎない。三四郎は床を取って床を取って lay out one's beddingねた。
翌日翌日 next day; following dayもその翌日も三四郎は野々宮さんの所所 place; residenceへ行かなかった行かなかった didn't go (to)。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間一週間 one weekほどたった。しまいに野々宮さんから、下宿下宿 lodgingsの下女下女 maidservantを使い使い messengerに手紙手紙 letter; noteをよこした。おっかさんから頼まれもの頼まれもの requested itemがあるから、ちょっと来てくれろとある。三四郎は講義講義 lecturesの隙隙 break; intervalをみて、また理科大学理科大学 college of scienceの穴倉穴倉 underground; cellarへ降りていった降りていった went down (to)。そこで立談立談 hallway conversationのあいだに事を済ませよう事を済ませよう settle a matter; take care of somethingと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏夏 summerは野々宮さんだけで専領して専領して occupyいた部屋部屋 roomに髭髭 mustacheのはえた人人 people; menが二、三人二、三人 several (people)いる。制服制服 (school) uniformを着た着た wore学生学生 studentsも二、三人いる。それが、みんな熱心に熱心に ardently; intently、静粛に静粛に silently、頭頭 headの上の日日 sun; sunlightのあたる世界世界 worldをよそにして、研究研究 research; experimentationをやっている。そのうちで野々宮さんはもっとも多忙多忙 busy; occupiedに見えた見えた appeared (to be)。部屋の入口入口 entranceに顔を出した顔を出した looked in (from)三四郎をちょっと見て、無言のまま無言のまま without words近寄ってきた近寄ってきた approached。
「国国 country; one's native placeから、金金 moneyが届いた届いた was delivered; arrivedから、取りに来てくれたまえ取りに来てくれたまえ come over to get (it)。今今 now; at presentここに持って持って haveいないから。それからまだほかに話す話す talk over; discuss事事 matterもある」
「だからいつまでも借りて借りて borrowおいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄り年寄り elders; old folksには心配をかける心配をかける cause to worry。宗八宗八 Sōhachi (Nonomiya's first name)さんにはお談義をされるお談義をされる be lectured。これくらい愚な愚な foolish; idiotic事はない」とまるで自分自分 oneselfから事が起こった起こった occurred; originatedとは認めて認めて recognize; acknowledgeいない申し分申し分 protest; critiqueである。三四郎もこの問題問題 problem; difficultyに関してはに関しては concerning ...、もう与次郎の責任責任 responsibilityを忘れて忘れて forgetしまった。したがって与次郎の頭にかかって頭にかかって hang on someone; assign blameこない返事返事 reply; responseをした。
「いつまでも借りておくのは、いやだから、家家 homeへそう言ってやったんだ」
「君君 youはいやでも、向こう向こう the other partyでは喜ぶ喜ぶ be happy; be pleasedよ」
「なぜ」
このなぜが三四郎自身自身 oneselfにはいくぶんか虚偽虚偽 falsehood; insincerityの響響 echo; ringらしく聞こえた聞こえた sounded。しかし相手相手 companionにはなんらの影響も与えなかった影響も与えなかった had no effect; made no impactらしい。
「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって人にしたって as a person; as a human、同じ同じ the sameことだ。ぼくに金が余っている余っている have in abundanceとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸して貸して lendおくほうがいい心持ち心持ち feeling; sensationだ。人間人間 people; human beingsはね、自分が困らない困らない not troubled; not put out程度程度 extent; limit内内 withinで、なるべく人に親切親切 kindness; considerationがしてみたいものだ」
三四郎三四郎 Sanshirō (name)は返事返事 reply; responseをしないで、講義講義 lectureを筆記しはじめた筆記しはじめた started taking notes。二、三行二、三行 two or three lines書きだす書きだす start to writeと、与次郎与次郎 Yojirō (name)がまた、耳耳 earのそばへ口口 mouthを持ってきた持ってきた brought near (to)。
「おれだって、金金 moneyのある時時 times; occasionsはたびたび人人 people; othersに貸した貸した lentことがある。しかしだれもけっして返した返した returned; repaidものがない。それだからおれはこのとおり愉快愉快 cheerful; in good spiritsだ」
三四郎はまさか、そうかとも言えなかった言えなかった couldn't say。薄笑い薄笑い faint smileをしただけで、またペンを走らしはじめたペンを走らしはじめた took up one's pen。与次郎もそれからはおちついて、時間時間 timeの終る終る finish; be overまで口をきかなかった。
ベルが鳴って鳴って ring、二人二人 two (people)肩を並べて肩を並べて side by side教場教場 classroomを出る出る leave; exit時、与次郎が、突然突然 suddenly; abruptly聞いた聞いた asked。
「あの女女 woman; young ladyは君君 youにほれているのか」
二人のあとから続々続々 successively; one after another聴講生聴講生 lecture attendeesが出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま無言のまま without speaking梯子段梯子段 staircaseを降りて降りて descend横手横手 sideの玄関玄関 entrywayから、図書館図書館 libraryわきの空地空地 open area; fieldへ出て、はじめて与次郎を顧みた顧みた looked back at。
「また野々宮さんの所所 place; residenceへ行って行って go (to)、お談義お談義 lectureを聞いてこい」と言いすてて、相手相手 companionは池池 pondの方方 directionへ行きかけた行きかけた set out; set off (toward)。三四郎は愚劣愚劣 foolishness; stupidityの看板看板 signboardのごとく突っ立った突っ立った stood rooted in place。与次郎は五、六歩五、六歩 five or six steps行ったが、また笑いながら笑いながら smiling; grinning帰ってきた帰ってきた came back; returned。
「君、いっそいっそ rather; preferably、よし子よし子 Yoshiko (Nonomiya's younger sister)さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って引っ張って drag along、池の方へ連れて行った連れて行った took (someone) along。歩きながら歩きながら while walking、あれならいい、あれならいいと、二度二度 twiceほど繰り返した繰り返した repeated; reiterated。そのうちまたベルが鳴った。
三四郎三四郎 Sanshirō (name)はその夕方夕方 evening野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんの所所 place; residenceへ出かけた出かけた set out (for)が、時間時間 timeがまだすこし早すぎる早すぎる too earlyので、散歩散歩 walk; strollかたがたかたがた combined with ...; in part to ...四丁目四丁目 Yonchōme (fourth sub-district)まで来て来て came (to)、シャツシャツ shirtを買いに買いに to buy大きな大きな large唐物屋唐物屋 imported goods storeへはいった。小僧小僧 clerkが奥奥 interiorからいろいろ持ってきた持ってきた brought outのをなでてみたり、広げて広げて spread outみたりして、容易に容易に easily買わない。わけもなく鷹揚に鷹揚に with airs; in a lordly mannerかまえていると、偶然偶然 by chance美禰子美禰子 Mineko (name)とよし子よし子 Yoshiko (Nonomiya's younger sister)が連れ立って連れ立って together香水香水 perfume; fragranceを買いに来た。あらと言って言って exclaim挨拶挨拶 greeting; salutationをしたあとで、美禰子が、
「せんだってはありがとう」と礼を述べた礼を述べた expressed thanks。三四郎にはこのお礼の意味意味 meaningが明らかに明らかに clearlyわかった。美禰子から金金 moneyを借りた借りた borrowedあくる日あくる日 next dayもう一ぺんもう一ぺん once more訪問して訪問して call on; visit余分余分 extraをすぐに返す返す return; repayべきところを、ひとまずひとまず for the time being見合わせた見合わせた put off; deferred代りに代りに in exchange for; to compensate for、二日二日 two daysばかり待って待って wait、三四郎は丁寧な丁寧な polite; courteous; thoughtful礼状礼状 acknowledgment; letter of thanksを美禰子に送った送った sent (to)。
手紙手紙 letterの文句文句 wordsは、書いた書いた wrote人人 personの、書いた当時当時 at the timeの気分気分 feeling; moodをすなおに表わした表わした expressedものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉言葉 wordsを層々と層々と layer upon layer排列して排列して array; arrange感謝感謝 thanks; gratitudeの意意 meaningを熱烈に熱烈に ardently; passionatelyいたした。普通の普通の ordinary者者 personから見れば見れば view; look atほとんど借金借金 loanの礼状とは思われない思われない not appear as; not seem to beくらいに、湯気の立った湯気の立った steamy; emotionalものである。しかし感謝以外以外 apart from; outside ofには、なんにも書いてない。それだから、自然の自然の natural勢い勢い force; vigor、感謝が感謝以上以上 more thanになったのでもある。三四郎はこの手紙手紙 letterをポストに入れるポストに入れる post; mail (a letter)時時 time; moment、時を移さぬ時を移さぬ at once; immediately美禰子の返事返事 replyを予期して予期して anticipateいた。ところがせっかくの封書封書 sealed letterはただ行った行った went (off)ままである。それから美禰子に会う会う see; meet機会機会 chance; opportunityはきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる微弱なる faint; weak「このあいだはありがとう」という反響反響 reaction; responseに対してに対して in response to、はっきりした返事をする勇気勇気 courage; nerveも出なかった出なかった was not forthcoming。大きなシャツを両手両手 both handsで目目 eyesのさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡冷淡 coolness; indifferenceなんだろうかと考えた考えた thought; considered。それからこのシャツもこの女女 woman; young ladyの金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した催促した pressed; urged。
二人二人 two (people)の女女 women; young ladiesは笑いながら笑いながら smilingそばへ来て来て came (to); approached、いっしょにシャツシャツ shirtsを見て見て look atくれた。しまいに、よし子よし子 Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)が「これになさい」と言った言った said; suggested。三四郎三四郎 Sanshirō (name)はそれにした。今度今度 this time; nextは三四郎のほうが香水香水 perfume; fragranceの相談を受けた相談を受けた was consulted; was asked to advise on。いっこうわからない。ヘリオトロープヘリオトロープ heliotrope (pink-purple flowering plant)と書いてある書いてある be written; be labeled罎罎 bottleを持って持って pick up、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子美禰子 Mineko (name)が、「それにしましょう」とすぐ決めた決めた decided; settled (on something)。三四郎は気の毒気の毒 pitiful; unfortunateなくらいであった。
表表 out frontへ出て出て come out (to)別れよう別れよう take leave ofとすると、女のほうが互いに互いに mutually; to each otherお辞儀お辞儀 bow; curtsyを始めた始めた engaged in。よし子が「じゃ行ってきて行ってきて take care; see you laterよ」と言うと、美禰子が、「お早くお早く hurry back; not too late……」と言っている。聞いて聞いて ask; inquireみて、妹妹 younger sister (usually 妹)が兄兄 older brotherの下宿下宿 lodgingsへ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で二人連で one-on-one; as a pair追分追分 Oiwake (place name)の方方 directionへ歩く歩く walk; strollべきべき be obliged to ...宵宵 eveningとなった。日日 the sunはまだまったく落ちて落ちて set (sun)いない。
三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ落ち合わねばならぬ have to meet; have to come together機会機会 occasionをいささか迷惑迷惑 bother; annoyanceに感じた感じた felt。いっそのこといっそのこと rather; preferably今夜今夜 this eveningは家家 homeへ帰って帰って return (to)、また出直そう出直そう set out anewかと考えた考えた considered。しかし、与次郎与次郎 Yojirō (name)のいわゆるお談義お談義 lectureを聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利便利 convenient; advantageousかもしれない。まさか人人 another (person)の前前 front ofで、母母 motherから、こういう依頼依頼 requestがあったと、遠慮なし遠慮なし unrestrainedの注意注意 caution; admonitionを与える与える give; impart (to)わけはなかろう。ことによると、ただ金金 moneyを受け取る受け取る receive; take charge ofだけで済む済む finish; be settledかもわからない。――三四郎は腹の中で腹の中で to oneself、ちょっとずるい決心決心 determination; resolutionをした。
両方両方 both sides; both partiesが同じ同じ same; similarようなことを聞いて聞いて ask、同じような答答 answerを得た得た got; obtained。しかし両方とも迷惑迷惑 bother; annoyanceを感じて感じて feelいる気色気色 sign; indicationがさらにないさらにない be not in the least。三四郎三四郎 Sanshirō (name)は念のため念のため for good measure; to be sure、じゃまじゃないかと尋ねて尋ねて inquireみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女女 young lady; sheは言葉言葉 wordsでじゃまを否定した否定した deniedばかりではない。顔顔 faceではむしろなぜそんなことを質問する質問する askかと驚いて驚いて be surprisedいる。三四郎は店先店先 storefrontのガスの光ガスの光 gaslightで、女の黒い黒い black; dark目目 eyesの中中 inside; interiorに、その驚きを認めた認めた recognizedと思った思った thought; imagined。事実としては事実としては in fact; actually、ただ大きく大きく large黒く見えた見えた appearedばかりである。
「バイオリンバイオリン violinを買いました買いました boughtか」
「どうして御存じ御存じ know about」
三四郎は返答返答 reply; answerに窮したに窮した struggled for; was hard pressed for。女は頓着なく頓着なく indifferently; without concern、すぐ、こう言った言った said; continued。
二人二人 two (people)は追分追分 Oiwake (place name)の通り通り boulevard; main thoroughfareを細い細い narrow路地路地 alleyway; laneに折れた折れた turned (into)。折れると中に家家 housesがたくさんある。暗い暗い dark道道 laneを戸ごと戸ごと each houseの軒燈軒燈 door lampが照らして照らして shine on; illuminateいる。その軒燈の一つ一つ one (thing)の前前 front ofにとまった。野々宮はこの奥奥 interior; withinにいる。
三四郎の下宿下宿 lodgingsとはほとんど一丁一丁 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)ほどの距離距離 distanceである。野々宮がここへ移って移って move; transfer (to)から、三四郎は二、三度二、三度 several times訪問した訪問した called on; came to visitことがある。野々宮の部屋部屋 roomは広い広い wide廊下廊下 hallwayを突き当って突き当って come to the end of、二段二段 two stepsばかりまっすぐに上がる上がる ascend; step upと、左手左手 left sideに離れた離れた be separated二間二間 two roomsである。南向き南向き facing southによその広い庭庭 gardenをほとんど椽椽 verandaの下下 below; beneathに控えて控えて hold close to; have immediately present、昼昼 day (time)も夜夜 nightも至極至極 exceedingly静か静か quiet; stillである。この離れ座敷離れ座敷 detached roomsに立てこもった立てこもった sealed oneself up in; situated oneself in野々宮さんを見た時時 time; occasion、なるほど家を畳んで畳んで fold up; close; vacate下宿をするのも悪い悪い bad思いつき思いつき ideaではなかったと、はじめて来た来た came; visited時から、感心した感心した was impressedくらい、居心地のいい居心地のいい comfortable; cosy所所 placeである。その時野々宮さんは廊下へ下りて下りて descend; step down (to)、下から自分の自分の one's own部屋部屋 roomの軒軒 eavesを見上げて見上げて look up at、ちょっと見たまえ、藁葺藁葺 straw thatchingだと言った。なるほど珍しく珍しく unusually; unexpectedly屋根屋根 roofに瓦瓦 roof tilesを置いて置いて set; placeなかった。
「妙な妙な odd; curiousお客お客 visitors; guestsが落ち合った落ち合った met up; fell togetherな。入口入口 entranceで会った会った metのか」と野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんが妹妹 younger sisterに聞いて聞いて askいる。妹はしからざるむねしからざるむね that it's not soを説明して説明して explainいる。ついでに三四郎のようなシャツシャツ shirtを買ったら買ったら buy; purchaseよかろうと助言して助言して advise; suggestいる。それから、このあいだのバイオリンバイオリン violinは和製和製 Japanese-madeで音音 soundが悪くって悪くって no good; of poor qualityいけない。買うのをこれまで延期した延期した deferred; put offのだから、もうすこし良い良い fine; niceのと買いかえてくれと頼んで頼んで ask; requestいる。せめて美禰子美禰子 Mineko (name)さんくらいのなら我慢する我慢する make due withと言って言って say; stateいる。そのほか似たりよったりの似たりよったりの of a similar vein駄々をしきりにこねて駄々をしきりにこねて continue whining; vent one's problemsいる。野々宮さんはべつだんこわい顔こわい顔 angry lookもせず、といって、優しい優しい kind; gentle言葉言葉 wordsもかけず、ただそうかそうかと聞いている。
三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子よし子 Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)は愚な愚な silly; trifling事事 mattersばかり述べる述べる express; mention。かつ少しも少しも (not) in the least遠慮遠慮 reserve; restraintをしない。それがばかとも思えなければ思えなければ couldn't regard as ...、わがままとも受け取れない受け取れない couldn't take for ...。兄兄 older brotherとの応待応待 interaction; exchangeをそばにいて聞いていると、広い広い wide; spacious日あたりのいい日あたりのいい sunlit; bright畑畑 (farm) fieldへ出た出た came out (to)ような心持ち心持ち feelingがする。三四郎は来たるべき来たるべき to come; ... that must followお談義お談義 lectureの事の事 concerning ...をまるで忘れて忘れて forgetしまった。その時時 time; moment突然突然 suddenly驚かされた驚かされた be surprised; be caught off guard。
「おっかさんが心配して心配して worry; be concerned、長い長い long手紙手紙 letterを書いて書いて writeよこしましたよ。三四郎は余儀ない余儀ない unavoidable; beyond one's control事情事情 circumstancesで月々の月々の monthly学資学資 education fundsを友だち友だち friendに貸した貸した lent (to)と言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金金 moneyを借りる借りる borrowものじゃあるまいし、よし借りたって返す返す return; pay backはずだろうって。いなかの者者 peopleは正直正直 honest; uprightだから、そう思う思う think; considerのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方貸し方 manner of lendingが大げさ大げさ grandiose; excessiveだ。親親 parentから月々学資を送って送って send; remitもらう身分身分 social positionでいながら、一度に一度に at one time二十円二十円 twenty yenの三十円三十円 thirty yenのと、人人 another (person)に用立てる用立てる lend money (to)なんて、いかにも無分別無分別 thoughtlessness; indiscretionだとあるんですがね――なんだかぼくに責任責任 responsibilityがあるように書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て見て look at、にやにや笑って笑って smile; grinいる。三四郎はまじめに、「お気の毒ですお気の毒です sorry for your trouble」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い若い young者を、極めつける極めつける give a scolding; take to taskつもりで言ったんでないとみえて、少し少し a little; a bit調子調子 tone; manner (of speaking)を変えた変えた changed。
「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事事 matterなんだから。ただおっかさんは、いなかの相場相場 market pricesで、金の価値価値 value; worthをつけるから、三十円がたいへん重くなる重くなる important; seriousんだね。なんでも三十円あると、四人の四人の four-person家族家族 familyが半年半年 half a year食っていける食っていける feed oneself; live off ofと書いてあったが、そんなものかな、君君 you (used here as form of address)」と聞いた。よし子は大きな大きな big; loud (voice)声声 voiceを出して笑った笑った laughed。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条言条 one's say; one's pointが、まったく事実事実 realityを離れた離れた separated (from)作り話作り話 fiction; fabricationでないのだから、そこに気がついた気がついた realized; became aware of時時 time; momentには、なるほど軽率な軽率な rash; imprudent事をして悪かった悪かった was in the wrongと少しく後悔した後悔した regretted。
「そうすると、月月 (one) monthに五円五円 5 yenのわりだから、一人前一人前 one (person's) portion一円二十五銭一円二十五銭 1 yen and 25 sen (1.25 yen)にあたる。それを三十日三十日 thirty daysに割りつける割りつける distribute; divide amongと、四銭四銭 4 sen (0.04 yen)ばかりだが――いくらいなかでも少し少し a little; a bit安すぎる安すぎる too little (money)ようだな」と野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんが計算を立てた計算を立てた performed the calculation。
「何何 whatを食べたら食べたら eat、そのくらいで生きて生きて live (on)いられるでしょう」とよし子よし子 Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)がまじめに聞きだした聞きだした asked。三四郎三四郎 Sanshirō (name)も後悔する後悔する regret; be sorry暇暇 timeがなくなって、自分自分 oneselfの知っている知っている know of; be familiar withいなか生活生活 life; lifestyleのありさまをいろいろ話して聞かした話して聞かした explained; related。そのなかには宮籠り宮籠り supplication day (an entire day spent in the shrine)という慣例慣例 customもあった。三四郎の家家 houseでは、年年 yearに一度一度 one timeずつ村村 village全体全体 whole; entiretyへ十円十円 ten yen寄付する寄付する contribute; donateことになっている。その時時 time; occasionには六十戸六十戸 sixty householdsから一人ずつ一人ずつ one person each出て出て come forth; take part、その六十人六十人 sixty peopleが、仕事仕事 workを休んで休んで take time off (from)、村のお宮お宮 Shinto shrineへ寄って寄って gather together、朝朝 morningから晩晩 nightまで、酒酒 sakéを飲みつづけに飲んで飲みつづけに飲んで drink non-stop、ごちそうを食いつづけに食う食いつづけに食う eat to one's heart's contentんだという。
「それで十円」とよし子が驚いて驚いて be surprisedいた。お談義お談義 lectureはこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談雑談 idle talkをして一段落ついた一段落ついた let up; reached a pause時に、野々宮さんがあらためて、こう言った言った said。
「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応一応 more or less; roughly事情事情 circumstancesを調べて調べて look into、不都合不都合 trouble; wrongdoingがないと認めたら認めたら deem; judge、金金 moneyを渡して渡して hand over; give toくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせて知らせて inform; let know aboutもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君君 youたしかに佐々木佐々木 Sasaki (Yojirō's family name)に貸した貸した lentんですね」
三四郎は美禰子美禰子 Mineko (name)からもれて、よし子に伝わってに伝わって transmitted through; by way of、それが野々宮さんに知れているんだと判じた判じた guessed; figured。しかしその金が巡り巡って巡り巡って making the roundsバイオリンバイオリン violinに変形した変形した transformed; morphed (into)ものとは、兄妹兄妹 brother and sisterとも気がつかない気がつかない not have noticed; not be awareから一種一種 one kind (of)妙な妙な odd; strange感じ感じ feelingがした。ただ「そうです」と答えて答えて respondedおいた。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人人 personの所所 placeへ、行く行く go (to)か行かないかって、聞いた聞いた askって。好き好き like (for something)でもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
三四郎三四郎 Sanshirō (name)は知らないわの本意本意 true feelings; meaning behind ...をようやく会得した会得した understood; grasped。兄妹兄妹 (older) brother and (younger) sisterをそのままにして急いで急いで hastily表へ出た表へ出た went out (front); made one's exit。
人の通らない人の通らない quiet; deserted軒燈軒燈 door lampばかり明らかな明らかな clear; visible路地路地 alleyway; laneを抜けて抜けて cut through表へ出ると、風風 windが吹く吹く blow。北北 northへ向き直る向き直る turn towardと、まともに顔へ当る当る hit; strike。時を切って時を切って periodically; at intervals、自分の自分の one's own下宿下宿 lodgingsの方方 directionから吹いてくる。その時三四郎は考えた考えた considered。この風の中中 middle; midstを、野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんは、妹を送って送って see off; escort里見里見 Satomi (Mineko's family name)まで連れて連れて take; lead (a person)いってやるだろう。
下宿の二階二階 second floorへ上って上って ascend; climb up (to)、自分の部屋部屋 roomへはいって、すわってみると、やっぱり風の音音 soundがする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命運命 fate; destinyという字字 wordを思い出す思い出す call to mind。ごうと鳴って鳴って sound; resonateくるたびにすくみたくなるすくみたくなる want to shrink; want to cower。自分ながらけっして強い強い strong; tough男男 man; fellowとは思って思って think; considerいない。考えると、上京上京 arrival in Tōkyō以来以来 since ...自分の運命はたいがい与次郎与次郎 Yojirō (name)のためにこしらえられている。しかも多少多少 more or less; somewhatの程度程度 extentにおいて、和気靄然たる和気靄然たる congenial; amiable翻弄翻弄 trifling with; leading by the noseを受ける受ける receiveようにこしらえられている。与次郎は愛すべき愛すべき lovable悪戯者悪戯者 mischief-makerである。向後向後 hereafterもこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそう握られていそう look to be grasped (by); look to be subject (to)に思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上以上 above and beyondの風である。
三四郎三四郎 Sanshirō (name)は母母 motherから来た来た came; arrived三十円三十円 thirty yenを枕元枕元 bedside; next to one's pillowへ置いて置いて set; place寝た寝た went to bed; retired。この三十円も運命運命 fate; destinyの翻弄翻弄 trifling with; leading by the noseが生んだ生んだ gave rise to; brought aboutものである。この三十円がこれからさきどんな働き働き workings; functionをするか、まるでわからない。自分自分 oneselfはこれを美禰子美禰子 Mineko (name)に返し返し return; repayに行く行く go (to do)。美禰子がこれを受け取る受け取る take; receive時時 time; occasionに、また一煽り一煽り a rush (of something); a fanning (of flames)来る来る come; arriveにきまっている。三四郎はなるべく大きく大きく in a big way; in grand fashion来ればいいと思った思った thought。
三四郎はそれなり寝ついた。運命も与次郎与次郎 Yojirō (name)も手を下しようのない手を下しようのない beyond reach of; outside the influence ofくらいすこやかなすこやかな vigorous; sound眠り眠り sleep; slumberに入った入った entered (into)。すると半鐘半鐘 fire bell; fire alarmの音音 soundで目がさめた目がさめた woke up。どこかで人声人声 voicesがする。東京東京 Tōkyōの火事火事 fireはこれで二へん目二へん目 second timeである。三四郎は寝巻寝巻 pajamasの上上 top ofへ羽織羽織 haori (Japanese half coat)を引っかけて引っかけて pull on、窓窓 windowをあけた。風風 windはだいぶ落ちている落ちている was settled; had died down。向こう向こう across the wayの二階屋二階屋 two-story houseが風の鳴る鳴る sound; roar中中 middle; midstに、まっ黒まっ黒 pitch blackに見える見える appeared。家家 houseが黒いほど、家のうしろの空空 skyは赤かった赤かった was red。
三四郎は寒い寒い coldのを我慢して我慢して endure; put up with、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭頭 head; mindには運命がありありと赤く映った映った was reflected; was displayed。三四郎はまた暖かい暖かい warm蒲団蒲団 futon; beddingの中にもぐり込んだもぐり込んだ slipped into; crawled into。そうして、赤い運命の中で狂い回る狂い回る run amok多くの多くの numerous人人 peopleの身の上身の上 one's fortune; one's welfare; one's lotを忘れた忘れた forgot。
夜が明ければ夜が明ければ when dawn broke常の常の ordinary; usual人である。制服制服 (school) uniformをつけて、ノートノート notebookを持って持って hold; carry、学校学校 schoolへ出た出た set out; set off (for)。ただ三十円を懐懐 pocketにすることだけは忘れなかった。あいにく時間割時間割 scheduleのつごうが悪い悪い not good。三時三時 three (o'clock)までぎっしり詰まってぎっしり詰まって packed tightいる。三時過ぎ過ぎ after ...; past ...に行けば行けば go; visit、よし子よし子 Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)も学校から帰って来ている帰って来ている be home fromだろう。ことによれば里見恭助里見恭助 Kyōsuke Satomi (name of Mineko's older brother)という兄兄 older brotherも在宅在宅 at homeかもしれない。人がいては、金金 moneyを返すのが、まったくだめのような気気 feelingがする。
また与次郎与次郎 Yojirō (name)が話しかけた話しかけた addressed; engaged (in conversation)。
「ゆうべはお談義お談義 lectureを聞いた聞いた listened to; heardか」
「なにお談義というほどでもない」
「そうだろう、野々宮野々宮 Nonomiya (name)さんは、あれで理由のわかった理由のわかった sensible; reasonable人人 personだからな」と言って言って say; remarkどこかへ行って行って go (to)しまった。二時間後二時間後 two hours laterの講義講義 lectureの時時 timeにまた出会った出会った came across; encountered。
「広田先生広田先生 Professor Hirotaのことは大丈夫大丈夫 alright; okayうまくいきそうだ」と言う。どこまで事事 matters; affairsが運んだ運んだ proceeded; progressedか聞いてみると、
「いや心配しないでもいい心配しないでもいい there's no need to worry。いずれゆっくり話す。先生が君君 youがしばらく来ない来ない not come (over); not visitと言って、聞いていたぜ。時々時々 sometimes; from time to time行くがいい。先生は一人もの一人もの unmarried man; bachelorだからな。我々我々 we; usが慰めて慰めて comfort; consoleやらんと、いかん。今度今度 next time何か何か something買って来い買って来い buy (and bring with)」と言いっぱなして、それなり消えて消えて disappearしまった。すると、次の次の next時間にまたどこからか現われた現われた appeared。今度はなんと思った思った thoughtか、講義の最中最中 middle ofに、突然突然 suddenly、