Sanshirō - Chapter 3

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学年学年がくねん school yearは九月九月くがつ September十一日十一日じゅういちにち 11th (day of the month)に始まった始はじまった began。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は正直に正直しょうじきに dutifully; faithfully午前午前ごぜん morning十時半十時半じゅうじはん 10:30ごろ学校学校がっこう schoolへ行って行いって go (to)みたが、玄関玄関げんかん entry hall前前まえ front ofの掲示場掲示場けいじばん bulletin boardに講義講義こうぎ lectureの時間割り時間割じかんわり scheduleがあるばかりで学生学生がくせい studentsは一人一人ひとり one (person)もいない。自分自分じぶん oneselfの聞く聞きく hear; listen toべき分分ぶん part; portionだけを手帳手帳てちょう notebookに書きとめて書かきとめて write down、それから事務室事務室じむしつ officeへ寄ったら寄よったら stopped by、さすがに事務員事務員じむいん office staffだけは出て出でて appear; be presentいた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言って言いって said; answeredいる。すましたすました indifferent; nonchalantものである。でも、どの部屋部屋へや roomを見て見みて look atも講義がないようですがと尋ねる尋たずねる ask (about); inquireと、それは先生先生せんせい teachers; professorsがいないからだと答えた答こたえた answered。三四郎はなるほどと思って思おもって thought; realized事務室を出た。裏裏うら back (side)へ回って回まわって circle around (to)、大きな大おおきな large欅欅けやき keyaki tree; zelkovaの下下した beneathから高い空高たかい空そら clear skyをのぞいたら、普通の普通ふつうの usual; ordinary空よりも明らか明あきらか vivid; distinctに見えた。熊笹熊笹くまざさ a striped bamboo grassの中中なか middle; midstを水ぎわ水みずぎわ water's edgeへおりて、例の例れいの the aforementioned椎の木椎しいの木き chinquapin oakの所所ところ place; spotまで来て来きて arrived (at)、またしゃがんだ。あの女女おんな woman; young ladyがもう一ぺんもう一いっぺん once more; one more time通れば通とおれば pass byいいくらいに考えて考かんがえて thought; considered、たびたびたびたび frequently; repeatedly丘丘おか hill; riseの上上うえ top ofをながめたが、丘の上には人影人影ひとかげ human form; human presenceもしなかった。三四郎はそれが当然当然とうぜん natural; a matter of courseだと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲午砲どん midday gun; noon gunが鳴った鳴なった rang out; soundedんで驚いて驚おどろいて be surprised; be startled下宿下宿げしゅく lodgings; dormitoryへ帰った帰かえった returned (home)。

翌日翌日よくじつ the next dayは正正しょう exactly at ...八時八時はちじ 8:00に学校へ行った。正門正門せいもん main gateをはいると、とっつきの大通り大通おおどおり broad avenue; boulevardの左右左右さゆう both sides; left and rightに植えて植うえて plant; cultivateある銀杏銀杏いちょう ginkgo (tree)の並木並木なみき line of trees; roadside treesが目についた目めについた caught one's attention。銀杏が向こう向むこう beyond; aheadの方方ほう directionで尽きる尽つきる come to an endあたりから、だらだら坂だらだら坂ざか gentle slopeに下がって下さがって descend、正門のきわに立った立たった stood三四郎から見ると、坂坂さか slopeの向こうにある理科大学理科りか大学だいがく college of scienceは二階二階にかい second floorの一部一部いちぶ part (of)しか出ていない。その屋根屋根やね roofのうしろに朝日朝日あさひ morning sunを受けた受うけた received上野上野うえの Ueno (place name)の森森もり forest; woodsが遠く遠とおく in the distance輝いて輝かがやいて glistenいる。日日ひ sunは正面正面しょうめん face on; (from) the frontにある。三四郎はこの奥行奥行おくゆき depthのある景色景色けしき view; sceneryを愉快愉快ゆかい pleasure; exhilarationに感じた感かんじた felt; experienced。

銀杏銀杏いちょう ginkgo (tree)の並木並木なみき line of trees; roadside treesがこちら側こちら側がわ this side; this endで尽きる尽つきる come to an end右手右手みぎて right hand (side)には法文科大学法文科大学ほうぶんかだいがく college of law and literatureがある。左手左手ひだりて left hand (side)には少し少すこし somewhat; a bitさがって博物博物はくぶつ natural historyの教室教室きょうしつ classroomsがある。建築建築けんちく architecture; buildingsは双方双方そうほう bothともに同じ同おなじ the same; similarで、細長い細長ほそながい long and narrow窓窓まど windowsの上上うえ aboveに、三角三角さんかく triangleにとがった屋根屋根やね roofが突き出して突つき出だして poke out; thrust outいる。その三角の縁縁ふち edge; borderに当る当あたる touch; engage赤煉瓦赤煉瓦あかれんが red brickと黒い黒くろい black屋根のつぎめの所所ところ place; locationが細い細ほそい narrow石石いし stoneの直線直線ちょくせん straight lineでできている。そうしてその石の色色いろ colorが少し青味青味あおみ blue tintを帯びて帯おびて be tinged with、すぐ下下した belowにくるはでな赤煉瓦に一種の一種いっしゅの a sort of; a type of趣趣おもむき elegance; charmを添えて添そえて add to; embellish (with)いる。そうしてこの長い長ながい long窓と、高い高たかい tall三角が横横よこ sideways; side to sideにいくつも続いて続つづいて continue; be in successionいる。三四郎はこのあいだ野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の説説せつ opinion; remarkを聞いて聞きいて hear; listen toから以来以来いらい since ...、急に急きゅうに suddenlyこの建物建物たてもの buildingsをありがたく思ってありがたく思おもって have an appreciation forいたが、けさは、この意見意見いけん opinion; ideaが野々宮君の意見でなくって、初手から初手しょてから from the beginning自分の自分じぶんの one's own持説持説とくせつ original thinking; novel ideaであるような気気き feeling; impressionがしだした。ことに博物室が法文科と一直線一直線いっちょくせん single straight lineに並んでいない並ならんでいない not be alignedで、少し奥奥おく interiorへ引っ込んで引ひっ込こんで withdrawいるところが不規則不規則ふきそく irregular; asymmetricalで妙妙みょう odd; curiousだと思った。こんど野々宮君に会ったら会あったら see (a person); meet自分の発明発明はつめい contrivance; discoveryとしてこの説を持ち出そう持もち出だそう bring up (in conversation)と考えた考かんがえた planned (to do something)。

法文科の右のはずれはずれ extremity; tip (of)から半町半町はんちょう half a chō (about 50 meters; about 60 yards)ほど前前まえ before; in front ofへ突き出している図書館図書館としょかん libraryにも感服した感服かんぷくした was impressed (by)。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁壁かべ wallにつけて、大きな大おおきな large棕櫚の木棕櫚しゅろの木き palm treeを五、六本五ご、六本ろっぽん five or six (trees)植えた植うえた plantedところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学工科大学こうかだいがく college of engineeringは封建時代封建時代ほうけんじかい feudal periodの西洋西洋せいよう Westernのお城お城しろ castle; fortressから割り出した割わり出だした be derived from; be based onように見えた見みえた appeared。まっ四角まっ四角しかく perfect squareにできあがっている。窓も四角四角しかく squareである。ただ四すみ四よすみ four cornersと入口入口いりぐち entranceが丸い丸まるい rounded; curved。これは櫓櫓やぐら turret; towerを形取った形取かたどった imitated; be modeled onんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそう倒たおれそう looking unstableでない。なんだか背の低い背せいの低ひくい short; squat相撲取り相撲取すもうとり sumō wrestlerに似て似にて resembleいる。

三四郎は見渡す見渡みわたす survey; look out overかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない目めに入はいらない out of sight; unseen建物がたくさんあることを勘定に入れて勘定かんじょうに入いれて take into account; consider、どことなく雄大雄大ゆうだい grandeur; greatnessな感じ感かんじ feeling; impressionを起こした起おこした aroused; brought about。「学問の府学問がくもんの府ふ seat of learning; center of learningはこうなくってはならない。こういう構え構かまえ structure; arrangementがあればこそ研究研究けんきゅう studies; researchもできる。えらいものだ」――三四郎は大学者大学者だいがくしゃ prominent scholar; man of eruditionになったような心持ち心持こころもち feeling; air (of)がした。

けれども教室教室きょうしつ classroomへはいってみたら、鐘鐘かね bellは鳴って鳴なって ring; soundも先生先生せんせい professor; instructorは来なかった来こなかった did not come; did not show。その代りその代かわり on the other hand学生学生がくせい studentsも出て来ない出でて来こない didn't show up。次の次つぎの next時間時間じかん hourもそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして癇癪かんしゃくを起おこして irritated; frustrated教場教場きょうじょう classroomを出た出でた left; departed (from)。そうして念のために念ねんのために for the sake of checking池池いけ pondの周囲周囲まわり circumference; edgeを二へん二にへん twiceばかり回って回まわって circle; walk around下宿下宿げしゅく dormitoryへ帰った帰かえった returned (to)。

それから約約やく about十日十日とうか ten daysばかりたってから、ようやく講義講義こうぎ lecturesが始まった始はじまった began。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)がはじめて教室教室きょうしつ classroomへはいって、ほかの学生学生がくせい studentsといっしょに先生先生せんせい professor; instructorの来る来くる come; arriveのを待って待まって wait forいた時時とき time; occasionの心持ち心持こころもち feelingはじつに殊勝な殊勝しゅしょうな sacred; reverentものであった。神主神主かんぬし Shintō priestが装束装束しょうぞく dress; attireを着けて着つけて wear; put on、これから祭典祭典さいてん ritual; riteでも行なおう行おこなおう conduct; performとするまぎわには、こういう気分気分きぶん feelingがするだろうと、三四郎は自分自分じぶん oneselfで自分の了見了見りょうけん thoughts; notionsを推定した推定すいていした inferred; surmised。じっさい学問学問がくもん learning; scholarshipの威厳威厳いげん dignity; majestyに打たれた打うたれた be hit by; be impacted byに違いないに違ちがいない no doubt ...。それのみならず、先生がベルが鳴って鳴なって ring; sound十五分十五分じゅうごふん fifteen minutes立って立たって pass; elapse (time)も出て来ない出でて来こない didn't appear; didn't show upのでますます予期予期よき expectation; anticipationから生ずる生しょうずる occur; come about敬畏敬畏けいい respect; esteem (usually 敬意けいい)の念念ねん sense; feelingを増した増ました increased。そのうち人品のいい人品じんぴんのいい good-looking; handsomeおじいさんの西洋人西洋人せいようじん Westernerが戸戸と doorをあけてはいってきて、流暢な流暢りゅうちょうな smooth; fluent英語英語えいご Englishで講義を始めた。三四郎はその時 answeranswerアンサー  という字字じ wordはアングロ・サクソン語語ご languageの and-swaruand-swaruアンド・スワル  から出たんだということを覚えた覚おぼえた learned。それからスコットスコット Sir Walter Scott (Scottish author; 1771 - 1832)の通った通かよった attended小学校小学校しょうがっこう elementary school; primary schoolの村村むら villageの名名な nameを覚えた。いずれも大切に大切たいせつに carefully筆記帳筆記帳ひっきちょう notebookにしるしておいた。その次次つぎ nextには文学論文学論ぶんがくろん literary theoryの講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板黒板ボールド (black)boardをながめていたが、黒板の上上うえ onに書いて書かいて writeある GeschehenGeschehenゲシェーヘン (German - event; happening) という字と NachbildNachbildナハビルド (German - imitation; afterimage) という字を見て見みて look at、はあドイツ語かと言って言いって say; remark、笑いながら笑わらいながら smiling; grinningさっさと消して消けして eraseしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対するに対たいする with respect to敬意敬意けいい respect; regardを少し少すこし a little; a bit失った失うしなった lostように感じた感かんじた felt。先生は、それから古来古来こらい from ancient times文学者文学者ぶんがくしゃ men of letters; literatiが文学に対して下した下くだした bestowed (on); handed down (to)定義定義ていぎ definitionをおよそ二十二十にじゅう twentyばかり並べた並ならべた enumerated; listed up。三四郎はこれも大事に手帳手帳てちょう notebookに筆記して筆記ひっきして record; take note ofおいた。午後午後ごご afternoonは大教室大教室だいきょうしつ large lecture hallに出た。その教室には約七、八十人七しち、八十人はちじゅうにん 70 or 80 peopleほどの聴講者聴講者ちょうこうしゃ listeners; attendeesがいた。したがって先生も演説演説えんぜつ (public) speech; oration口調口調くちょう tone; manner of speakingであった。砲声砲声ほうせい sound of cannon fire一発一発いっぱつ one shot浦賀浦賀うらが Uraga (defensive outpost on Edo Bay when Commodore Perry arrived in 1853)の夢夢ゆめ dreamsを破って破やぶって destroy; ruinという冒頭冒頭ぼうとう beginning; opening (statement)あったから、三四郎はおもしろがって聞いて聞きいて listenいると、しまいにはドイツの哲学者哲学者てつがくしゃ philosopherの名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった解げしにくくなった became difficult to follow; became difficult to understand。机机つくえ deskの上を見ると、落第落第らくだい (academic) failureという字がみごとに彫って彫ほって carveある。よほど暇に任せて暇ひまに任まかせて devoting significant time (to something)仕上げた仕上しあげた finished; craftedものとみえて、堅い堅かたい hard樫樫かし oakの板板いた board; woodをきれいに切り込んだ切きり込こんだ cut intoてぎわてぎわ skill; workmanshipは素人素人しろうと amateurとは思われない思おもわれない cannot be regarded as ...。深刻の深刻しんこくの seriousできである。隣の隣となりの neighboring; adjacent男男おとこ fellowは感心に感心かんしんに admirably; laudably根気よく根気こんきよく persistently; industriously筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから遠とおくから from a distance先生の似顔似顔にがお likeness; portraitをポンチポンチ caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)にかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方方ほう directionに出して出だして held out見せた。絵絵え drawingはうまくできているが、そばに久方久方ひさかた sky; moon (reference to tanka poetry style)の雲井雲井くもい beyond the clouds; Imperial courtの空空そら skyの子規子規ほととぎす cuckoo (reference to Masaoka Shiki 正岡まさおか子規しき)と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた判はんじかねた could not make sense of。

講義講義こうぎ lecturesが終って終おわって conclude; be finishedから、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はなんとなく疲労した疲労ひろうした fatigued; worn outような気味気味きみ touch of; shade of (feelings)で、二階二階にかい second floorの窓窓まど windowから頬杖を突いて頬杖ほおづえを突ついて rest one's chin (or cheek) on one's hands、正門内正門内せいもんない inside the main gateの庭庭にわ garden; yardを見おろして見みおろして look down on; view from aboveいた。ただ大きな大おおきな large松松まつ pine (tree)や桜桜さくら cherry (tree); sakuraを植えて植うえて plant; growそのあいだに砂利砂利じゃり stones; gravelを敷いた敷しいた spread広い広ひろい wide道道みち path; walkwayをつけたばかりであるが、手を入れすぎて手てを入いれすぎて overwork; apply excessive effortいないだけに、見ていて心持ち心持こころもち feeling; impressionがいい。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の話話はなし tale; storyによるとここは昔昔むかし former times; long agoはこうきれいではなかった。野々宮君の先生先生せんせい professor; instructorのなんとかいう人人ひと person; individualが、学生学生がくせい studentの時分時分じぶん time; period馬馬うま horseに乗って乗のって ride (on)、ここを乗り回す乗のり回まわす ride aroundうち、馬がいうことを聞かないで聞きかないで without listening (to); without heeding、意地を悪く意地いじを悪わるく spitefully; with an ill temperわざと木木き treeの下下した below; beneathを通る通とおる pass throughので、帽子帽子ぼうし hat; capが松の枝枝えだ branchに引っかかる引ひっかかる get caught (on)。下駄下駄げた (wooden) clogの歯歯は prop; supportが鐙鐙あぶみ stirrupsにはさまる。先生はたいへん困って困こまって be troubled; be distressedいると、正門前前まえ in front ofの喜多床喜多床きたどこ Kitadoko (name of Tōkyō barbershop founded in 1871)という髪結床髪結床かみゆいどこ hair salon; barber shopの職人職人しょくにん artisans; journeymenがおおぜい出てきて出でてきて came out; emerged、おもしろがって笑っていた笑わらっていた laughedそうである。その時分には有志の者有志ゆうしの者もの volunteers; boostersが醵金して醵金きょきんして contribute money (towards); raise funds (for)構内構内こうない within the grounds; on campusに厩厩うまや stable; (horse) barnをこしらえて、三頭三頭さんとう three head (horses)の馬と、馬の先生とを飼って飼かって keep; provide forおいた。ところが先生がたいへんな酒飲み酒飲さけのみ drinker; drunkardで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い白しろい white馬を売って売うって sold飲んで飲のんで drank (away the proceeds)しまった。それはナポレオン三世ナポレオン三世さんせい Napoleon III時代時代じだい age; periodの老馬老馬ろうば old horseであったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気なのん気きな lax; easy-going時代もあったものだと考えて考かんがえて think; considerいると、さっきポンチ絵ポンチ絵え caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)をかいた男男おとこ fellowが来て来きて came; appeared、

「大学大学だいがく universityの講義はつまらんなあ」と言った言いった said; remarked。三四郎はいいかげんな返事返事へんじ answer; responseをした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断判断はんだん judgmentができないのである。しかしこの時時とき timeからこの男と口をきく口くちをきく converse; talkようになった。

その日日ひ dayはなんとなく気が鬱して気きが鬱うっして feel down; feel blue、おもしろくなかったので、池池いけ pondの周囲周囲まわり perimeterを回る回まわる circle; walk aroundことは見合わせて見合みあわせて put off; forgo家家うち homeへ帰った帰かえった returned (to)。晩食後晩食後ばんしょくご after dinner筆記筆記ひっき notesを繰り返して繰くり返かえして once again; in review読んで読よんで readみたが、べつに愉快愉快ゆかい cheerfulにも不愉快不愉快ふゆかい unhappyにもならなかった。母母はは motherに言文一致言文一致げんぶんいっち colloquial style (of writing)の手紙手紙てがみ letterを書いた書かいた wrote。――学校学校がっこう schoolは始まった始はじまった has started。これから毎日毎日まいにち every day出る出でる attend。学校はたいへん広い広ひろい expansive; spaciousいい場所場所ばしょ place; settingで、建物建物たてもの buildingsもたいへん美しい美うつくしい handsome; elegant。まん中まん中なか center; middleに池がある。池の周囲を散歩する散歩さんぽする walk; strollのが楽しみ楽たのしみ pleasant; enjoyableだ。電車電車でんしゃ electric trainsには近ごろ近ちかごろ recentlyようやく乗り馴れた乗のり馴なれた became accustomed to riding。何か何なにか something買って買かって buyあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年今年ことし this yearの米米こめ rice (crop)はいまに価が出る価ねが出でる improve in value; fetch a higher priceから、売らずに売うらずに without sellingおくほうが得得とく advantageousだろう。三輪田三輪田みわた Miwata (family name)のお光お光みつ Omitsu (name)さんにはあまり愛想よく愛想あいそよく warmly; intimatelyしないほうがよかろう。東京東京とうきょう Tōkyōへ来てみると人はいくらでもいる。男も多い多おおい many; numerousが女女おんな women; young ladiesも多い。というような事事こと things; mattersをごたごたごたごた (in) disorder; (in) a jumble並べた並ならべた laid out; set forthものであった。

手紙手紙てがみ letterを書いて書かいて wrote、英語英語えいご Englishの本本ほん bookを六六ろく six、七七しち sevenページ読んだら読よんだら readいやになった。こんな本を一冊一冊いっさつ one volume (book)ぐらい読んでもだめだと思いだした思おもいだした began to think。床を取って床とこを取とって take out (prepare) bedding寝る寝ねる sleepことにしたが、寝つかれない。不眠症不眠症ふみんしょう insomniaになったらはやく病院病院びょういん hospital; doctorに行って行いって go (to)見て見みて look at; checkもらおうなどと考えて考かんがえて considerいるうちに寝てしまった。

あくる日あくる日ひ the next day; the following dayも例刻例刻れいこく usual hourに学校学校がっこう universityへ行って講義講義こうぎ lecturesを聞いた聞きいた heard; listened to。講義のあいだに今年今年ことし this yearの卒業生卒業生そつぎょうせい graduatesがどこそこへいくらで売れた売うれた were in demand (for)という話話はなし talkを耳にした耳みみにした heard (about); learned。だれとだれがまだ残って残のこって remain; be leftいて、それがある官立学校官立学校かんりつがっこう government schoolの地位地位ちい positionを競争して競争きょうそうして compete; vie forいる噂噂うわさ gossip; hearsayだなどと話している者者もの person; fellowがあった。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は漠然と漠然ばくぜんと vaguely、未来未来みらい futureが遠くから遠とおくから from a distance眼前眼前がんぜん before one's eyesに押し寄せる押おし寄よせる advance on; bear down onようなにぶい圧迫圧迫あっぱく oppressionを感じた感かんじた feltが、それはすぐ忘れて忘わすれて forgetしまった。むしろ昇之助昇之助しょうのすけ Shōnosuke (name)がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下廊下ろうか hallwayで熊本出熊本出くまもとで from Kumamotoの同級生同級生どうきゅうせい classmateをつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席寄席よせ storytellers' house; vaudeville theaterへ出る出でる appear娘娘むすめ girl; young woman義太夫義太夫ぎだゆう style of chanted narration (after Takemoto Gidayū)だと教えて教おしえて teach; informくれた。それから寄席の看板看板かんばん signboard; placardはこんなもので、本郷本郷ほんごう Hongō (part of Tōkyō)のどこにあるということまで言って聞かせた言いって聞きかせた toldうえ、今度の今度こんどの this; next土曜土曜どよう Saturdayにいっしょに行こうと誘って誘さそって inviteくれた。よく知ってる知しってる know (of); be informed (about)と思ったら思おもったら thought、この男男おとこ fellowはゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。

昼飯昼飯ひるめし lunchを食い食くい eatに下宿下宿げしゅく dormitory; lodgingsへ帰ろう帰かえろう returnと思ったら、きのうポンチ絵ポンチ絵え caricature drawing (based on magazine called Japan Punch)をかいた男が来て来きて showed up; appeared、おいおいと言いながら、本郷の通り通とおり avenue; main streetの淀見軒淀見軒よどみけん Yodomiken (shop in Hongō with restaurant in rear)という所所ところ placeに引っ張って行って引ひっ張ぱって行いって took to; dragged along to、ライスカレーライスカレー curry riceを食わした。淀見軒という所は店店みせ store; shopで果物果物くだもの fruitを売って売うって sellいる。新しい新あたらしい new普請普請ふしん building; constructionであった。ポンチ絵をかいた男はこの建築建築けんちく building; architectureの表表おもて front side; façadeを指さして指ゆびさして point to; point out、これがヌーボー式ヌーボー式しき art nouveaux styleだと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った悟さとった became aware of; became cognizant of。帰り道帰かえり道みち return trip; (on) the way homeに青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)も教わった教おそわった was informed (about); was shown。やはり大学生大学生だいがくせい university studentsのよく行く所だそうである。赤門赤門あかもん Red Gateをはいって、二人二人ふたり two (people)で池池いけ pondの周囲周囲まわり perimeterを散歩した散歩さんぽした walked。その時時とき time; occasionポンチ絵の男は、死んだ死しんだ deceased; passed away小泉八雲小泉こいずみ八雲やくも Koizumi (family name) Yakumo (given name); Japanese name of Lafcadio Hearn (1850-1904)先生先生せんせい professor; instructorは教員控室教員控室きょういんひかえしつ faculty loungeへはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って回まわって circle; go around歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら尋たずねたら asked; inquired、

「そりゃあたりまえださ。第一第一だいいち first of all; to begin with彼ら彼かれら they (faculty members)の講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人一人ひとり one person; a single oneもいやしない」と手ひどい手てひどい harsh; scathingことを平気で平気へいきで calmly; casually言ったには三四郎も驚いた驚おどろいた be surprised; be taken aback。この男は佐々木与次郎佐々木ささき与次郎よじろう Sasaki (family name) Yojirō (given name)といって、専門学校専門せんもん学校がっこう college; specialty schoolを卒業して卒業そつぎょうして graduated、今年また選科選科せんか elective studiesへはいったのだそうだ。東片町東片町ひがしかたまち Higashikatamachi (place name)の五番地五番地ごばんち Gobanchi (street address)の広田広田ひろた Hirota (family name)という家家うち house; residenceにいるから、遊びに来い遊あそびに来こい come and visitと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校高等こうとう学校がっこう high school (equivalent to modern-day college)の先生の家だと答えた答こたえた answered。

それから当分のあいだ当分とうぶんのあいだ for a while三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は毎日毎日まいにち every day学校学校がっこう the universityへ通って通かよって go to、律義に律義りちぎに loyally, faithfully講義講義こうぎ lecturesを聞いた聞きいた listened to; attended (lectures)。必修課目必修課目ひっしゅうかもく required subject以外以外いがい outside of; other thanのものへも時々時々ときどき sometimes; occasionally出席して出席しゅっせきして attend; sit in onみた。それでも、まだもの足りないもの足たりない unsatisfactory; lacking in some sense。そこでついには専攻課目専攻課目せんこうかもく specialized subject; one's area of studyにまるで縁故縁故えんこ relation; connectionのないものまでへもおりおりは顔を出した顔かおを出だした put in an appearance。しかしたいていは二度二度にど two timesか三度三度さんど three timesでやめてしまった。一か月一いっか月げつ one monthと続いた続つづいた continued; lastedのは少しもなかった少すこしもなかった not even a little; not even one。それでも平均平均へいきん on average一週一週いっしゅう one weekに約約やく about四十四十よんじゅう forty時間時間じかん hoursほどになる。いかな勤勉な勤勉きんべんな studious; diligent三四郎にも四十時間はちと多すぎる多おおすぎる too much。三四郎はたえず一種の一種いっしゅの a kind of; a sort of圧迫圧迫あっぱく pressureを感じて感かんじて feltいた。しかるにしかるに however; neverthelessもの足りない。三四郎は楽しまなくなった楽たのしまなくなった lost enthusiasm; lost one's drive。

ある日ある日ひ one day佐々木与次郎佐々木ささき与次郎よじろう Sasaki (family name) Yojirō (given name)に会って会あって met; ran intoその話話はなし story; talk (of)をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして目めを丸まるくして be wide-eyed (with astonishment)、「ばかばか」と言った言いった said; remarkedが、「下宿屋下宿屋げしゅくや dormitory; lodgingsのまずい飯飯めし food; mealを一日一日いちにち one dayに十ぺん十じゅっぺん ten times食ったら食くったら eatもの足りるようになるか考えて考かんがえて consider; think aboutみろ」といきなり警句警句けいく witticism; wisecrackでもって三四郎をどやしつけたどやしつけた drubbed; beat。三四郎はすぐさますぐさま at once; immediately (= すぐ)恐れ入って恐おそれ入いって yield (to); give in (to)、「どうしたらよかろう」と相談をかけた相談そうだんをかけた asked for advice; sought counsel。

「電車電車でんしゃ (electric) trainに乗る乗のる rideがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か何なにか some (kind of)寓意寓意ぐうい hidden meaning; implicationでもあることと思って思おもって think、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案思案しあん thought; considerationも浮かばない浮うかばない didn't come to mindので、

「本当の本当ほんとうの real; actual電車か」と聞き直した聞きき直なおした asked anew; asked again。その時時とき time; moment与次郎はげらげら笑ってげらげら笑わらって laughed loudly、

「電車に乗って、東京東京とうきょう Tōkyōを十五、六ぺん十五じゅうご、六ろっぺん fifteen or sixteen times乗り回して乗のり回まわして ride aroundいるうちにはおのずからおのずから naturally; as a matter of courseもの足りるようになるさ」と言う。

「なぜ」

「なぜって、そう、生きてる生いきてる be alive; be active頭頭あたま head; intellectを、死んだ死しんだ dead; lifeless講義で封じ込めちゃ封ふうじ込こめちゃ confine; imprison、助からない助たすからない can't flourish; can't survive。外外そと outsideへ出て出でて go out (to)風風かぜ wind; (fresh) airを入れる入いれる put intoさ。その上にその上うえに on top of thatもの足りる工夫工夫くふう means; measuresはいくらでもあるが、まあ電車が一番一番いちばん number one; foremostの初歩初歩しょほ first stepでかつもっとも軽便軽便けいべん convenient; expedientだ」

その日日ひ dayの夕方夕方ゆうがた evening、与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)は三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)を拉して拉らっして drag along; bring (a person) with、四丁目四丁目よんちょうめ Yonchōme (fourth sub-district)から電車電車でんしゃ (electric) trainに乗って乗のって ride、新橋新橋しんばし Shinbashi (place name)へ行って行いって went (to)、新橋からまた引き返して引ひき返かえして return; double back、日本橋日本橋にほんばし Nihonbashi (place name)へ来て来きて come (to); arrive (at、そこで降りて降おりて get off; disembark、

「どうだ」と聞いた聞きいた asked; inquired。

次次つぎ nextに大通り大通おおどおり main streetから細い細ほそい narrow横町横町よこちょう side street; back alleyへ曲がって曲まがって turned (onto)、平の家平ひらの家や Hiranoya (name of a restaurant)という看板看板かんばん sign; placardのある料理屋料理屋りょうりや restaurant; eateryへ上がって上あがって entered (up into)、晩飯晩飯ばんめし dinnerを食って食くって eat酒酒さけ saké (rice wine)を飲んだ飲のんだ drank。そこの下女下女げじょ serving girlsはみんな京都弁京都弁きょうとべん Kyōto dialectを使う使つかう use。はなはだ纏綿して纏綿てんめんして be attentiveいる。表表おもて (out) frontへ出た出でた appeared; came out (to)与次郎は赤い顔赤あかい顔かお red face (from drinking)をして、また

「どうだ」と聞いた。

次に本場の本場ほんばの genuine; authentic寄席寄席よせ storytellers' house; vaudeville theaterへ連れて行ってやる連つれて行いってやる take (someone somewhere)と言って言いって say; state、また細い横町へはいって、木原店木原店きはらだな Kiharadana (name of a theater)という寄席を上がった。ここで小さん小こさん Yanagiya Kosan (柳家やなぎや小こさん) the 3rd generation; 1856-1930という落語家落語家はなしか professional storytellerを聞いた聞きいた heard; listened to。十時過ぎ十時過じゅうじすぎ after ten (o'clock)通り通とおり streetへ出た与次郎は、また

「どうだ」と聞いた。

三四郎は物足りた物足ものたりた refreshed; reinvigoratedとは答えなかった答こたえなかった didn't answer that ...; couldn't say that ...。しかしまんざらまんざら (not) fully; (not) altogetherもの足りないもの足たりない unsatisfactory; lacking in some sense心持ち心持こころもち feelingもしなかった。すると与次郎は大いに大おおいに greatly小さん論論ろん discussion; discourseを始めた始はじめた began。

小さんは天才天才てんさい geniusである。あんな芸術家芸術家げいじゅつか artistはめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思う思おもう thinkから安っぽい安やすっぽい insignificant; commonplace感じ感かんじ impressionがして、はなはだ気の毒気きの毒どく too bad; unfortunateだ。じつは彼彼かれ himと時時とき time; ageを同じゅうして同おなじゅうして share; have in common (= 同じくする)生きている生いきている be alive我々我々われわれ we; usはたいへんなしあわせである。今今いま now; the presentから少し少すこし a little; a bitまえに生まれて生うまれて be bornも小さんは聞けない。少しおくれても同様同様どうよう same situationだ。――円遊円遊えんゆう En'yū (storyteller; 1849-1907)もうまい。しかし小さんとは趣趣おもむき manner; styleが違って違ちがって differentいる。円遊のふんしたふんした portray; play the role of太鼓持太鼓持たいこもち jester; buffoonは、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた離はなれた be set apart from太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる演えんずる perform; enact人物人物じんぶつ character; personaから円遊を隠せば隠かくせば hide; obscure、人物がまるで消滅して消滅しょうめつして disappear; cease to existしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に活発溌地かっぱつはっちに vivaciously; energetically躍動躍動やくどう lively motionするばかりだ。そこがえらい。

与次郎はこんなことを言って、また

「どうだ」と聞いた。実実じつ truthをいうと三四郎には小さんの味わい味あじわい experience; appreciationがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説説せつ opinion; point of viewの当否当否とうひ right or wrong; suitabilityは判定判定はんてい judgment; decisionしにくい。しかしその比較比較ひかく comparisonのほとんど文学的文学的ぶんがくてき literaryといいうるほどに要領を得た要領ようりょうを得えた relevant; sensible; on pointには感服した感服かんぷくした was impressed (by)。

高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)の前前まえ front ofで別れる別わかれる parted (ways); said goodbye時、三四郎は、

「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた礼れいを述のべた expressed (his) thanks。すると与次郎は、

「これからさきは図書館図書館としょかん libraryでなくっちゃもの足りない」と言って片町片町かたまち Katamachi (place name)の方方ほう directionへ曲がってしまった。この一言一言ひとこと one word; single remarkで三四郎ははじめて図書館にはいることを知った知しった became aware of; occurred to one to ...。

その翌日翌日よくじつ next dayから三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は四十四十よんじゅう forty時間時間じかん hoursの講義講義こうぎ lecturesをほとんど半分半分はんぶん halfに減らして減へらして reducedしまった。そうして図書館図書館としょかん libraryにはいった。広く広ひろく wide; spacious、長く長ながく long; expansive、天井天井てんじょう ceilingが高く高たかく high、左右左右さゆう left and rightに窓窓まど windowsのたくさんある建物建物たてもの buildingであった。書庫書庫しょこ library stack roomは入口しか見えない入口いりぐちしか見みえない only the entrance was visible。こっちの正面正面しょうめん front sideからのぞくと奥奥おく interiorには、書物書物しょもつ books; publicationsがいくらでも備えつけて備そなえつけて furnish with; provision withあるように思われる思おもわれる appear to be; seem to be。立って立たって stand見て見みて look; watchいると、書庫の中中なか insideから、厚い厚あつい thick; voluminous本本ほん book; tomeを二、三冊二に、三冊さんさつ two or three volumes (books)かかえて、出口出口でぐち exitへ来て来きて come (to); arrive (at)左左ひだり leftへ折れて折おれて turn (toward)行く行いく go; proceed者者もの people; personsがある。職員職員しょくいん faculty閲覧室閲覧室えつらんしつ reading roomへ行く人人ひと people; individualsである。なかには必要の必要ひつようの needed; required本を書棚書棚しょだな bookshelvesからとりおろして、胸いっぱい胸むねいっぱい chest-widthにひろげて、立ちながら調べて調しらべて check; look up (information)いる人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階二階にかい second floorへ上がって上あがって ascend (to)、それから三階三階さんがい third floorへ上がって、本郷本郷ほんごう Hongō (place name)より高い所所ところ placeで、生きたもの生いきたもの living thing; living beingを近づけずに近ちかづけずに without approaching; without being near (to)、紙紙かみ paperのにおいをかぎながら、――読んで読よんで readみたい。けれども何何なに whatを読むかにいたっては、べつにはっきりした考え考かんがえ idea; thoughtがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。

三四郎は一年生一年生いちねんせい first-year student; freshmanだから書庫へはいる権利権利けんり privilege; permissionがない。しかたなしに、大きな大おおきな large箱入りの箱入はこいりの cased; boxed札目録札目録ふだもくろく card catalogueを、こごんでこごんで stoop; bend over一枚一枚一枚一枚いちまいいちまい one (card) by one (card)調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい新あたらしい new本の名名な nameが出て出でて appearくる。しまいに肩肩かた shouldersが痛くなった痛いたくなった became sore; started to ache。顔を上げて顔かおを上あげて lift one's gaze、中休み中休なかやすみ rest; breakに、館内館内かんない inside of a buildingを見回す見回みまわす look around; surveyと、さすがに図書館だけあって静かな静しずかな quiet; stillものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こう向むこう far sideのはずれにいる人の頭頭あたま headが黒く黒くろく black; dark見える。目口目口めくち eyes and mouthははっきりしない。高い窓の外外そと outsideから所々に所々ところどころに here and there; in places木木き treesが見える。空空そら skyも少し少すこし a little; a bit見える。遠くから遠とおくから from a distance; from far away町町まち town; cityの音音おと soundsがする。三四郎は立ちながら、学者学者がくしゃ scholar; academicの生活生活せいかつ lifeは静かで深い深ふかい deep; profoundものだと考えた。それでその日日ひ dayはそのまま帰った帰かえった returned (home)。

次次つぎ nextの日日ひ dayは空想空想くうそう idle fancy; daydreamをやめて、はいるとさっそく本本ほん bookを借りた借かりた borrowed。しかし借りそくなったので、すぐ返した返かえした returned。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかった読よめなかった wasn't able to readからまた返した。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこういうふうにして毎日毎日まいにち each day本を八、九冊八はち、九冊くさつ eight or nine (books)ずつは必ず必かならず without fail借りた。もっとももっとも in fact; indeedたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いた驚おどろいた be surprised; be impressedのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度一度いちど onceは目を通して目めを通とおして look through; readいるという事実事実じじつ fact; truthを発見した発見はっけんした discovered; realized時時とき time; momentであった。それは書中書中しょちゅう within the pagesここかしこに見える見みえる appear; be visible鉛筆鉛筆えんぴつ pencilのあとでたしかである。ある時三四郎は念のため念ねんのため for good measure; for the sake of checking、アフラ・ベーンアフラ・ベーン Aphra Behn (English female literary writer; 1640-1689)という作家作家さっか author; writerの小説小説しょうせつ novelを借りてみた。あけるまでは、よもやよもや surely (not); (not) possiblyと思った思おもった thoughtが、見るとやはり鉛筆で丁寧に丁寧ていねいに carefully; respectfullyしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓窓まど windowの外外そと outsideを楽隊楽隊がくたい marching band; brass bandが通った通とおった passed byんで、つい散歩散歩さんぽ walk; strollに出る出でる go out気気き inclinationになって、通りへ出て、とうとう青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)へはいった。

はいってみると客客きゃく patrons; customersが二組二組ふたくみ two groupsあって、いずれも学生学生がくせい studentsであったが、向こう向むこう far sideのすみにたった一人一人ひとり single person; solitary person離れて離はなれて separated; set apart茶茶ちゃ teaを飲んでいた飲のんでいた was drinking男男おとこ manがある。三四郎がふとその横顔横顔よこがお (facial) profileを見ると、どうも上京上京じょうきょう traveling (up) to Tōkyōの節節せつ time; occasion汽車汽車きしゃ (steam) trainの中中なか inside; on boardで水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesをたくさん食った食くった ate人人ひと personのようである。向こうは気がつかない気きがつかない took no notice。茶を一口一口ひとくち one sip; one mouthful飲んでは煙草煙草たばこ tobacco; cigaretteを一吸い一吸ひとすい one puffすって、たいへんゆっくり構えて構かまえて assume a posture; take on an attitudeいる。きょうは白地白地しろじ white (base) fabricの浴衣浴衣ゆかた summer kimonoをやめて、背広背広せびろ suitを着て着きて wearいる。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureの野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子様子ようす situation; doingsを見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色した物色ぶっしょくした identified; picked out (from among a large number)。大学大学だいがく universityの講義講義こうぎ lecturesを聞いて聞きいて listen to; attend (lectures)から以来以来いらい since ...、汽車の中でこの男の話した話はなした said; spokeことがなんだか急に急きゅうに suddenly意義意義いぎ import; significanceのあるように思われだした思おもわれだした begin to feel that ...ところなので、三四郎はそばへ行って行いって go (to)挨拶挨拶あいさつ greeting; acknowledgementをしようかと思った。けれども先方先方せんぽう the other partyは正面正面しょうめん straight aheadを見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない手ての出だしようがない there was no opening (for engagement)。

三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然突然とつぜん abruptlyコップにある葡萄酒葡萄酒ぶどうしゅ wineを飲み干して飲のみ干ほして drank up、表表おもて (out) frontへ飛び出した飛とび出だした ran out。そうして図書館図書館としょかん libraryに帰った帰かえった returned (to)。

その日日ひ dayは葡萄酒葡萄酒ぶどうしゅ wineの景気景気けいき mood; effectと、一種一種いっしゅ one type; one sortの精神作用精神作用せいしんさよう mental action; mental activityとで、例になく例れいになく without precedent; like never beforeおもしろい勉強勉強べんきょう studies; workができたので、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は大いに大おおいに greatlyうれしく思ったうれしく思おもった was happy; felt energized。二時間二時間にじかん two hoursほど読書三昧に入った読書三昧どくしょざんまいに入はいった was absorbed in reading; was buried in (his) booksのち、ようやく気がついて気きがついて realized; noticed、そろそろ帰る帰かえる return (home)したくをしながら、いっしょに借りた借かりた borrowed書物書物しょもつ books; volumesのうち、まだあけてみなかった最後最後さいご last; finalの一冊一冊いっさつ one (book; volume)を何気なく何気なにげなく casually; without much thought引っぺがして引ひっぺがして flip open; throw openみると、本本ほん bookの見返し見返みかえし inside coverのあいた所所ところ space; areaに、乱暴に乱暴らんぼうに roughly; with hasteも、鉛筆鉛筆えんぴつ pencilでいっぱい何か何なにか something書いてある書かいてある had been written。

「ヘーゲルヘーゲル Hegel (German philosopher; 1770-1831)のベルリン大学ベルリン大学だいがく University of Berlinに哲学哲学てつがく philosophyを講じたる講こうじたる lecture (on)時時とき time; occasion、ヘーゲルに毫も毫ごうも (not) in the least哲学を売る売うる peddle; pushの意意い thought; intentionなし。彼の彼かれの his講義講義こうぎ lecturesは真真しん truthを説く説とく explain; make clearの講義にあらず、真を体せる体ていせる embody; personify (= 体たいする)人人ひと personの講義なり。舌舌した tongue; wordsの講義にあらず、心心こころ heart; soulの講義なり。真と人と合して合ごうして join; bring together醇化醇化じゅんか purification一致一致いっち unificationせる時、その説くところ、言う言いう say; professところは、講義のための講義にあらずして、道道みち path; wayのための講義となる。哲学の講義はここに至ってに至いたって arriving at ...; achieving ...はじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭舌頭ぜっとう tip of the tongueに転ずる転てんずる revolve (about)ものは、死したる死しっしたる dead; lifeless墨墨すみ (black) inkをもって、死したる紙紙かみ paperの上上うえ top of; surface ofに、むなしき筆記筆記ひっき notesを残す残のこす leave behindにすぎず。なんの意義意義いぎ import; significanceかこれあらん。……余余よ I; myself今今いま now; at present試験試験しけん test; examのため、すなわちパンのために、恨み恨うらみ resentment; spiteをのみ涙涙なみだ tearsをのんでこの書書しょ book; writingを読む読よむ read。岑々たる岑々しんしんたる ache; throb (with pain)頭頭かしら headをおさえて未来永劫未来永劫みらいえいごう forever; forevermoreに試験制度制度せいど systemを呪詛する呪詛じゅそする curseことを記憶せよ記憶きおくせよ bear in mind; take note of」

とある。署名署名しょめい signatureはむろんない。三四郎は覚えず覚おぼえず unwittingly微笑した微笑びしょした smiled; grinned。けれどもどこか啓発された啓発けいはつされた be enlightened; be edifiedような気気き feelingがした。哲学ばかりじゃない、文学文学ぶんがく literatureもこのとおりだろうと考えながら考かんがえながら consider; conclude、ページをはぐるはぐる turn (a page)と、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな好すきな well regarded; much admired男男おとこ fellowとみえる。

「ヘーゲルヘーゲル Hegel (German philosopher; 1770-1831)の講義講義こうぎ lectureを聞かんとして聞きかんとして to hear (= 聞きくために)、四方四方しほう all (four) directionsよりベルリンに集まれる集あつまれる gathered学生学生がくせい studentsは、この講義を衣食衣食いしょく food and clothing; one's livelihoodの資資し means; resourceに利用せんと利用りようせんと to useの野心野心やしん ambition; sinister intentionをもって集まれるにあらず。ただ哲人哲人てつじん sage; philosopherヘーゲルなるものありて、講壇講壇こうだん rostrum; (lecture) platformの上上うえ top ofに、無上無上むじょう greatest; highest (lit: nothing higher)普遍普遍ふへん universal; omnipresentの真真しん truthを伝うる伝つたうる teach; professと聞いて、向上求道向上求道こうじょうぐどう seeking ultimate truth; striving for enlightenmentの念念ねん idea; thoughtに切なる切せつなる be earnest; be ardentがため、壇下に壇下だんかに in attendance (lit: below the platform)、わが不穏底の不穏底ふおんていの restless; disquieting疑義疑義ぎぎ doubt; uncertaintyを解釈せんと解釈かいしゃくせんと to construe; to elucidate欲したる欲よくしたる wish for; desire清浄心清浄心しょうじょうしん pure heart; spotless heartの発現発現はつげん expression; manifestationにほかならず。このゆえに彼ら彼かれら theyはヘーゲルを聞いて、彼らの未来未来みらい futureを決定しえたり決定けつじょうしえたり able to decide; able to determine。自己の自己じこの one's own運命運命うんめい fate; destinyを改造しえたり改造かいぞうしえたり able to transform; able to alter。のっぺらぼうにのっぺらぼうに indifferently; dispassionately講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業卒業そつぎょう graduateし去る去さる leave; depart from公ら公きみら you (usually 君きみら)日本の日本にほんの Japanese大学生大学生だいがくせい university studentsと同じ同おなじ same事事こと thingと思う思おもう think; considerは、天下の天下てんかの the greatest (under Heaven)己惚れ己惚うぬぼれ conceit; vanityなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったる欲張よくばったる avaricious; greedyタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言う言いう say; speakところ、ついに切実なる切実せつじつなる keen; fervent社会社会しゃかい societyの活気運活気運かっきうん spirited motion; energetic movementに関せず関かんせず unrelated (to); disassociated (from)。死死し deathに至るまでに至いたるまで until one arrives at ...のっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」

と、のっぺらぼうを二へん二にへん two times繰り返して繰くり返かえして repeatいる。三四郎は黙然として黙然もくぜんとして in silence考え込んで考かんがえ込こんで be absorbed in thoughtいた。すると、うしろからちょいと肩肩かた shoulderをたたいた者者もの personがある。例の例れいの none other than ...与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)であった。与次郎を図書館図書館としょかん libraryで見かける見みかける see; come acrossのは珍しい珍めずらしい unusual。彼は講義はだめだが、図書館は大切大切たいせつ importantだと主張する主張しゅちょうする insist; emphasize男男おとこ fellowである。けれども主張どおりにはいることも少ない少すくない few; seldom男である。

「おい、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)宗八宗八そうはち Sōhachi (name)さんが、君君きみ youを捜していた捜さがしていた was looking for」と言う。与次郎が野々宮君を知ろう知しろう know; be acquainted withとは思いがけなかったから、念のため念ねんのため to be sure; to confirm理科大学理科りか大学だいがく college of scienceの野々宮さんかと聞き直す聞きき直なおす ask back (for confirmation)と、うんという答答こたえ answer; responseを得た得えた received。さっそく本本ほん bookを置いて置おいて set down入口入口いりぐち entranceの新聞新聞しんぶん newspaperを閲覧する閲覧えつらんする read; peruse所所ところ place; areaまで出て行った出でて行いった went out (to)が、野々宮君君くん (suffix of familiarity for males)がいない。玄関玄関げんかん entrywayまで出てみたがやっぱりいない。石段石段いしだん stone stepsを降りて降おりて descend; walk down、首を延ばして首くびを延のばして craning one's neckその辺辺へん surroundings; vicinityを見回した見回みまわした looked around; surveyedが影も形も影かげも形かたちも (no) sign of; (neither) hide nor hair; (lit: neither shadow nor shape)見えない。やむを得ずやむを得えず having no alternative引き返した引ひき返かえした went back; returned。もとの席席せき seatへ来て来きて come (to)みると、与次郎が、例のヘーゲル論論ろん discourseをさして、小さな小ちいさな small声声こえ voiceで、

「だいぶ振ってる振ふるってる eccentric; impassioned。昔昔むかし old days; former timesの卒業生卒業生そつぎょうせい graduate; alumnusに違いないに違ちがいない no doubt ...。昔のやつは乱暴乱暴らんぼう wild; unrulyだが、どこかおもしろいところがある。実際実際じっさい in truth; in factこのとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入った気きに入いった found favor; met with one's approvalらしい。三四郎は

「野々宮さんはおらんぜ」と言う。

「さっき入口にいたがな」

「何か何なにか something; some sort of用用よう business; errandがあるようだったか」

「あるようでもあった」

二人二人ふたり two (people)はいっしょに図書館図書館としょかん libraryを出た出でた left; departed (from)。その時時とき time; occasion与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が話した話はなした talked; told。――野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)は自分の自分じぶんの one's own寄寓して寄寓きぐうして lodge (at someone's residence)いる広田広田ひろた Hirota (name)先生先生せんせい professor; teacherの、もとの弟子弟子でし pupil; discipleでよく来る来くる come by; visit。たいへんな学問好き学問がくもん好ずき prolific scholarで、研究研究けんきゅう research; (academic) inquiryもだいぶある。その道道みち (academic) field; areaの人人ひと personなら、西洋人西洋人せいようじん Westernerでもみんな野々宮君の名名な nameを知っている知しっている know; be familiar with。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はまた、野々宮君の先生で、昔昔むかし long ago; in former times正門正門せいもん main gate内内ない within; inside ofで馬馬うま horseに苦しめられた苦くるしめられた was tormented; was distressed人の話を思い出して思おもい出だして recalled; remembered、あるいはあるいは maybe; perhapsそれが広田先生ではなかろうかと考えだした考かんがえだした began to consider; began to think。与次郎にその事事こと matter; affairを話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って言いって say; remark笑って笑わらって smile; laughいた。

その翌日翌日よくじつ next dayはちょうど日曜日曜にちよう Sundayなので、学校学校がっこう universityでは野々宮君に会う会あう see; meetわけにゆかない。しかしきのう自分を捜して捜さがして look forいたことが気がかり気きがかり worry; concernになる。さいわいまだ新宅新宅しんたく new house; new residenceを訪問した訪問ほうもんした visited; called onことがないから、こっちから行って行いって go用事用事ようじ business; affairsを聞いて聞きいて ask (about)きようという気気き inclinationになった。

思い立った思おもい立たった thought (of doing); decided (to do)のは朝朝あさ morningであったが、新聞新聞しんぶん newspaperを読んで読よんで readぐずぐずしているうちに昼昼ひる noonになる。昼飯昼飯ひる lunch (short for 昼飯ひるめし)を食べた食たべた ateから、出かけようとすると、久しぶりに久ひさしぶりに for the first time in a long while熊本出熊本出くまもとで from Kumamotoの友人友人ゆうじん friendが来る。ようやくそれを帰した帰かえした see (a visitor) offのはかれこれ四時四時よじ four (o'clock)過ぎ過すぎ after; pastである。ちとおそくなったが、予定のとおり予定よていのとおり according to plan; as decided出た。

野々宮の家家いえ houseはすこぶる遠い遠とおい far away; distant。四、五日前四し、五日前ごにちまえ four or five days earlier大久保大久保おおくぼ Ōkubo (place name)へ越した越こした moved (to); relocated。しかし電車電車でんしゃ (electric) trainを利用利用りよう useすれば、すぐに行かれる行いかれる can go; can get to。なんでも停車場停車場ステーション stationの近辺近辺きんぺん vicinityと聞いて聞きいて heard (that)いるから、捜すに不便はない不便ふべんはない not inconvenient; not difficult。実実じつ truthをいうと三四郎はかの平野家平野家ひらのや Hiranoya (name of a restaurant)行き行ゆき traveling to ...以来以来いらい sinceとんだ失敗失敗しっぱい mistakes; blundersをしている。神田神田かんだ Kanda (place name)の高等商業学校高等こうとう商業しょうぎょう学校がっこう business collegeへ行くつもりで、本郷本郷ほんごう Hongō (place name)四丁目四丁目よんちょうめ Yonchōme (fourth sub-district)から乗った乗のった rode; boardedところが、乗り越して乗のり越こして riding too far (past one's station)九段九段くだん Kudan (place name)まで来て、ついでに飯田橋飯田橋いいだばし Iidabashi (place name)まで持ってゆかれて持もってゆかれて be carried (away to)、そこでようやく外濠線外濠線そとぼりせん Sotobori (train) Lineへ乗り換えて乗のり換かえて transfer (to)、御茶の水御茶おちゃの水みず Ochanomizu (place name)から、神田橋神田橋かんだばし Kandabashi (place name)へ出て、まだ悟らずに悟さとらずに unawares鎌倉河岸鎌倉河岸かまくらがし Kamakuragashi (place name)を数寄屋橋数寄屋橋すきやばし Sukiyabashi (place name)の方方ほう directionへ向いて向むいて headed (towards)急いで急いそいで in haste; hurriedly行ったことがある。それより以来電車はとかくとかく tend towards; be apt to ...ぶっそうなぶっそうな perilous感じ感かんじ feeling; impressionがしてならないのだが、甲武線甲武線こうぶせん Kōbu (train) Lineは一筋一筋ひとすじ single line; straight passだと、かねてかねて previously; in advance聞いているから安心して安心あんしんして relax; feel at ease乗った。

大久保大久保おおくぼ Ōkuboの停車場停車場ステーション stationを降りて降おりて get off (at); disembark、仲百人仲百人なかひゃくにん Nakahyakunin (place name)の通り通とおり street; avenueを戸山学校戸山学校とやまがっこう Toyama Academyの方方ほう directionへ行かずに行いかずに without going (toward)、踏切踏切ふみきり crossingからすぐ横へ横よこへ to the side折れる折おれる turnと、ほとんど三尺三尺さんしゃく 3 shaku (about 1 meter; about 3 feet)ばかりの細い細ほそい narrow道道みち path; laneになる。それを爪先上がり爪先上つまさきあがり uphill (lit: climbing on one's toes)にだらだらと上がると、まばらなまばらな thin; sparse孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooがある。その藪の手前手前てまえ near sideと先先さき far sideに一軒一軒いっけん one (dwelling; structure)ずつ人人ひと person; peopleが住んで住すんで live (in a place)いる。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)の家家いえ houseはその手前の分分ぶん part; portionであった。小さな小ちいさな small門門もん gateが道の向き向むき direction; orientationにまるで関係のない関係かんけいのない having no connection (to)ような位置位置いち position; placementに筋かいに筋すじかいに at an angle; askew立って立たって stand; be builtいた。はいると、家がまた見当違い見当違けんとうちがい unexpectedの所所ところ place; locationにあった。門も入口入口いりぐち entranceもまったくあとからつけたものらしい。

台所台所だいどころ kitchenのわきにりっぱな生垣生垣いけがき hedgeがあって、庭庭にわ yard; gardenの方にはかえって仕切り仕切しきり partition; boundaryもなんにもない。ただ大きな大おおきな large萩萩はぎ Japanese bush cloverが人の背背せ height; statureより高く高たかく tall; in height延びて延のびて grow; extend、座敷座敷ざしき (living) roomの椽側椽側えんがわ verandaを少し少すこし a bit; somewhat隠して隠かくして hide; concealいるばかりである。野々宮君君くん (suffix of familiarity for males)はこの椽側に椅子椅子いす chairを持ち出して持もち出だして bring out (to)、それへ腰を掛けて腰こしを掛かけて sit西洋の西洋せいようの Western雑誌雑誌ざっし magazine; periodicalを読んで読よんで readいた。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)のはいって来たはいって来きた arrived; enteredのを見て見みて see; notice、

「こっちへ」と言った言いった said; called out。まるで理科大学理科りか大学だいがく college of scienceの穴倉穴倉あなぐら cellarの中中なか insideと同じ同おなじ same挨拶挨拶あいさつ greetingである。庭からはいるべきのか、玄関玄関げんかん entrance; entry hallから回る回まわる go around (by way of)べきのか、三四郎は少しく躊躇して躊躇ちゅうちょして hesitateいた。するとまた

「こっちへ」と催促する催促さいそくする request; urgeので、思い切って思おもい切きって resolutely; decisively庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎書斎しょさい study; libraryで、広さ広ひろさ sizeは八畳八畳はちじょう 8 (tatami) mats (about 13 sq meters; about 140 sq ft)で、わりあいに西洋の書物書物しょもつ books; publicationsがたくさんある。野々宮君は椅子を離れて椅子いすを離はなれて leave one's chairすわったすわった sat down (on the mats)。三四郎は閑静な閑静かんせいな quiet所だとか、わりあいに御茶の水御茶おちゃの水みず Ochanomizu (place name)まで早く早はやく quickly出られる出でられる can get out (to)とか、望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう telescopeの試験試験しけん experimentはどうなりましたとか、――締まりのない締しまりのない casual; loose当座の当座とうざの stopgap; filler話話はなし talk; conversationをやったあと、

「きのう私私わたし meを捜して捜さがして look forおいでだったそうですが、何か何なにか something; some sort of御用御用ごよう business; matter of importanceですか」と聞いた聞きいた asked。すると野々宮君は、少し気の毒そうな気きの毒どくそうな apologetic; sympathetic顔顔かお look; (facial) expressionをして、

「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。

「それでわざわざ来て来きて come (over)くれたんですか」

「なに、そういうわけでもありません」

「じつはお国お国くに home region; the countryのおっかさんがね、せがれせがれ sonがいろいろお世話になるお世話せわになる receive assistance; be under one's careからと言って言いって say; note、結構な結構けっこうな fine; splendidものを送って送おくって sendくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうお礼れいを言いおう express one's thanksと思って思おもって thinking to do (something)……」

「はあ、そうですか。何か何なにか something送ってきましたか」

「ええ赤い赤あかい red魚魚さかな fishの粕漬粕漬かすづけ (fish) pickled in saké leesなんですがね」

「じゃひめいちひめいち himeichi (a small red fish)でしょう」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はつまらんつまらん poor; pettyものを送ったものだと思った。しかし野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)はかのひめいちについていろいろな事事こと things; factsを質問した質問しつもんした asked (about); inquired。三四郎は特に特とくに in particular食う食くう eat時時とき instance; occasionの心得心得こころえ information; instructionsを説明した説明せつめいした explained。粕ごと粕かずごと lees and all焼いて焼やいて roast; broil、いざ皿皿さら dish; plateへうつすという時に、粕を取らないと取とらないと if one doesn't remove味味あじ flavorが抜ける抜ぬける escape; dissipateと言って教えて教おしえて tell; informやった。

二人二人ふたり two (people)がひめいちについて問答問答もんどう dialogue (lit: questions and answers)をしているうちに、日が暮れた日ひが暮くれた the sun went down。三四郎はもう帰ろう帰かえろう return (home)と思って挨拶挨拶あいさつ formalities; farewellをしかけるところへ、どこからか電報電報でんぽう telegramが来た来きた arrived。野々宮君は封封ふう sealを切って切きって cut; break (seal)、電報を読んだ読よんだ readが、口のうちで口くちのうちで (say) within one's mouth; mutter、「困ったな困こまったな uh oh; darn」と言った。

三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った立たち入いった interfering; prying事を聞く気気き inclinationにもならなかったので、ただ、

「何かできましたか」と棒のように棒ぼうのように dryly (lit: like a stick)聞いた。すると野々宮君は、

「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った手てに持もった held in one's hand電報を、三四郎に見せて見みせて showくれた。すぐ来てくれとある。

「どこかへおいでになるのですか」

「ええ、妹妹いもうと (younger) sisterがこのあいだから病気病気びょうき illnessをして、大学大学だいがく universityの病院病院びょういん hospitalにはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ騒さわぐ loose one's cool; get excited気色気色けしき sign; indicationもない。三四郎のほうはかえって驚いた驚おどろいた be surprised。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池池いけ pondの周囲周囲しゅうい perimeterで会った会あった met; encountered女女おんな woman; young ladyを加えて加くわえて add; throw in、それを一どきに一いちどきに at onceかき回してかき回まわして stir together、驚いている。

「じゃ、よほどお悪いお悪わるい bad; seriousんですな」

「なにそうじゃないんでしょう。じつは母母はは motherが看病看病かんびょう attending (to a sick person)に行って行いって go (to)るんですが、――もし病気のためなら、電車電車でんしゃ (electric) trainへ乗って乗のって board; ride (on)駆けて駆かけて run; race; dash来たほうが早い早はやい quickわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越して越こして move; relocateからまだ一ぺん一いっぺん one timeも行かないものだから、きょうの日曜日曜にちよう Sundayには来ると思って待って待まって waitでもいたのでしょう、それで」と言って首首くび head (lit: neck)を横に横よこに sideways; to the side曲げて曲まげて bend; tilt考えた考かんがえた considered; thought over。

「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」

「さよう。四、五日四し、五日ごんち four or five days行かないうちにそう急に急きゅうに suddenly変る変かわる changeわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」

「おいでになるにしくはないしくはない it's best to ...でしょう」

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)は行く行いく goことにした。行くときめたについては、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)に頼み頼たのみ request; favor (to ask)があると言いだした言いいだした mentioned。万一万一まんいち on the off chance that (lit: in the 1 in 10,000 case)病気病気びょうき illnessのための電報電報でんぽう telegramとすると、今夜今夜こんや this eveningは帰れない帰かえれない cannot return。すると留守留守るす house-sitting; caretaking (in one's absence)が下女下女げじょ maidservant一人一人ひとり aloneになる。下女が非常に非常ひじょうに exceedingly臆病臆病おくびょう timid; faint of heartで、近所近所きんじょ neighborhoodがことのほかことのほか more than expectedぶっそうぶっそう dangerous; unsafeである。来合わせた来合きあわせた happened to come byのがちょうど幸い幸さいわい opportune; fortuitousだから、あすの課業課業かぎょう school work; lessonsにさしつかえがなければ泊って泊とまって spend the nightくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の例れいの that ...佐々木佐々木ささき Sasakiでも頼むはずだったが、今今いま now; the presentからではとても間に合わない間まに合あわない be too late。たった一晩一晩ひとばん one nightのことではあるし、病院病院びょういん hospitalへ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係関係かんけい relation; connectionもない人人ひと personに、迷惑をかける迷惑めいわくをかける inconvenience; put (a person) outのはわがまますぎて、しいてしいて by force; insistingとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢に流暢りゅうちょうに eloquently; smoothlyは頼まなかったが、相手相手あいて the other partyの三四郎が、そう流暢に頼まれる必要必要ひつよう necessityのない男男おとこ fellowだから、すぐ承知して承知しょうちして agree; acceptしまった。

下女が御飯御飯ごはん dinnerはというのを、「食わない食くわない will not eat」と言ったまま、三四郎に「失敬失敬しっけい rudeness; impolitenessだが、君君きみ you一人で、あとで食ってください」と夕飯夕飯ゆうはん dinnerまで置き去り置おき去ざり leaving behindにして、出て出でて leave; departいった。行ったと思ったら暗い暗くらい dark萩萩はぎ Japanese bush cloverの間間あいだ (from) between; throughから大きな大おおきな big; loud声声こえ voiceを出して出だして put forth (voice)、

「ぼくの書斎書斎しょさい study; libraryにある本本ほん booksはなんでも読んで読よんで readいいです。別に別べつに particularlyおもしろいものもないが、何か何なにか something御覧なさい御覧ごらんなさい take a look。小説小説しょうせつ novelsも少し少すこし a fewはある」

と言ったまま消えて消きえて disappearなくなった。椽側椽側えんがわ verandaまで見送って見送みおくって see (a person) off三四郎が礼を述べた礼れいを述のべた said 'thanks'時は、三坪三坪みつぼ 3 tsubo (about 10 sq meters; about 100 sq ft)ほどな孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooの竹竹たけ bamboo (stalks)が、まばらなだけに一本一本いっぽん one (stalk)ずつまだ見えた。

まもなく三四郎は八畳敷八畳敷はちじょうしき 8-mat room (about 13 sq meters; about 140 sq ft)の書斎のまん中まん中なか middleで小さい小ちいさい small膳膳ぜん (dining) trayを控えて控ひかえて have; hold (close to oneself)、晩飯晩飯ばんめし dinnerを食った。膳の上上うえ top (of); surfaceを見ると、主人主人しゅじん master (referring here to Nonomiya)の言葉にたがわず言葉ことばにたがわず as stated; as ordered、かのひめいちがついている。久しぶり久ひさしぶり for the first time in a long whileで故郷故郷ふるさと home town; home regionの香香かおり smell; aromaをかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕お給仕きゅうじ service; waiting (on someone)に出た下女の顔顔かお faceを見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻目鼻めはな eyes and nose; (facial) features であった。

飯飯めし dinnerが済む済すむ be finished; be overと下女下女げじょ maidservantは台所台所だいどころ kitchenへ下がる下さがる withdraw (to)。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は一人一人ひとり aloneになる。一人になっておちつくと、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の妹妹いもうと younger sisterの事事こと matter; situationが急に急きゅうに suddenly心配心配しんぱい worry; concernになってきた。危篤危篤きとく grave illnessなような気気き feeling; sense (of something)がする。野々宮君の駆けつけ方駆かけつけ方かた manner of setting out; manner of goingがおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た見みた saw女女おんな woman; young ladyのような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん一いっぺん one time、女の顔つき顔かおつき facial featuresと目つき目めつき eyesと、服装服装ふくそう clothing; dressとを、あの時時とき time; occasionあのままに、繰り返して繰くり返かえして return to; reflect on、それを病院病院びょういん hospitalの寝台寝台ねだい bedの上上うえ top ofに乗せて乗のせて set (onto); place (onto)、そのそばに野々宮君を立たして立たたして (cause to) stand、二、三二に、三さん two or three; severalの会話会話かいわ conversation; (verbal) exchangeをさせたが、兄兄あに elder brotherではもの足らないもの足たらない inadequate; lacking (usually もの足たりない)ので、いつのまにか、自分自分じぶん oneselfが代理代理だいり substituteになって、いろいろ親切に親切しんせつに kindly; compassionately介抱介抱かいほう tending to; looking afterしていた。ところへ汽車汽車きしゃ (steam) trainがごうと鳴って鳴なって roar; rumble孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooのすぐ下下した belowを通った通とおった passed through。根太根太ねだ (floor) joistsのぐあいか、土質土質どしつ soil condition; soil qualityのせいか座敷座敷ざしき living roomが少し少すこし a little; a bit震える震ふるえる shake; trembleようである。

三四郎は看病看病かんびょう attending (to a sick person)をやめて、座敷を見回した見回みまわした looked around。いかさまいかさま for sure; without doubt古い古ふるい old建物建物たてもの building; constructionと思われて思おもわれて seemed (to be); looked (to be)、柱柱はしら pillars; beamsに寂寂さび patinaがある。その代りその代かわり on the other hand唐紙唐紙からかみ papered shōji (唐紙障子からかみしょうじ)の立てつけ立たてつけ fitting; alignmentが悪い悪わるい poor; compromised。天井天井てんじょう ceilingはまっ黒まっ黒くろ pitch blackだ。ランプばかりが当世に当世とうせいに in a modern fashion光って光ひかって shine; glowいる。野々宮君のような新式の新式しんしきの new-style; modern学者学者がくしゃ scholar; academicが、もの好きにもの好すきに on a whim; out of curiosityこんな家家うち houseを借りて借かりて borrow、封建時代封建ほうけん時代じだい feudal timesの孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ cluster of bambooを見て暮らす暮くらす live; pass one's daysのと同格同格どうかく two of a kind (with)である。もの好きならば当人当人とうにん the person in questionの随意随意ずいい option; choiceだが、もし必要必要ひつよう necessityにせまられて、郊外郊外こうがい suburbs; outskirtsにみずからを放逐した放逐ほうちくした turned out; expelledとすると、はなはだ気の毒気きの毒どく pitiableである。聞くところによると聞きくところによると according to rumor、あれだけの学者で、月に月つきに per monthたった五十五円五十五円ごじゅうごえん 55 yenしか、大学大学だいがく universityからもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校私立しりつ学校がっこう private schoolへ教えにゆく教おしえにゆく go to teach (at)のだろう。それで妹に入院されて入院にゅういんされて be hospitalizedはたまるまい。大久保大久保おおくぼ Ōkubo (place name)へ越した越こした moved; relocatedのも、あるいはそんな経済上の経済上けいざいじょうの economicつごうかもしれない。……

宵の口宵よいの口くち early eveningではあるが、場所場所ばしょ place; locationが場所だけにしんとしている。庭庭にわ yard; gardenの先先さき edgesで虫虫むし insectsの音音ね soundがする。ひとりですわっていると、さみしい秋秋あき fall; autumnの初め初はじめ beginningである。その時時とき moment; time遠い遠とおい distant所所ところ place; localeでだれか、

「ああああ、もう少し少すこし a little; a bitの間間ま while; interval (of time)だ」

と言う言いう say; utter声声こえ voiceがした。方角方角ほうがく directionは家家いえ houseの裏手裏手うらて back sideのようにも思える思おもえる seemed (to be)が、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける聞きき分わける discern (through listening)暇暇ひま time; leisureもないうちに済んで済すんで be finished; be doneしまった。けれども三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の耳耳みみ earsには明らかに明あきらかに clearly; certainlyこの一句一句いっく single phraseが、すべてに捨てられた捨すてられた be cast away; be abandoned人人ひと person; individualの、すべてから返事返事へんじ answer; responseを予期しない予期よきしない not expect; not anticipate、真実の真実しんじつの genuine; authentic独白独白ひとりごと talking to oneself (usually 独白どくはく)と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった気味きみが悪わるくなった began to feel uneasy。ところへまた汽車汽車きしゃ (steam) trainが遠くから響いて来た響ひびいて来きた began to resound; began to reverberate。その音が次第に次第しだいに gradually近づいて近ちかづいて drew near孟宗藪孟宗藪もうそうやぶ stand of bambooの下下した belowを通る通とおる pass through時には、前の前まえの previous列車列車れっしゃ trainよりも倍倍ばい twice (as much)も高い音高たかい音おと high-pitched soundを立てて立たてて raise; make (sound)過ぎ去った過すぎ去さった went on its way; continued on its way。座敷座敷ざしき living roomの微震微震びしん reverberationsがやむまでは茫然として茫然ぼうぜんとして be in a daze; be mentally numbいた三四郎は、石火石火せっか spark (from striking flint)のごとく、さっきの嘆声嘆声たんせい sighと今今いま (just) nowの列車の響きとを、一種一種いっしゅ one typeの因果因果いんが cause and effect; causal relationshipで結びつけた結むすびつけた tied together; connected。そうして、ぎくんと飛び上がった飛とび上あがった jumped up; bolted upright。その因果は恐るべき恐おそるべき dreadful; terribleものである。

三四郎はこの時じっと座に着いて座ざに着ついて be sitting; remain seatedいることのきわめて困難な困難こんなんな difficultのを発見した発見はっけんした discovered; found。背筋背筋せすじ spinal columnから足の裏足あしの裏うら bottoms of one's feetまでが疑惧疑惧ぎぐ apprehension; uneaseの刺激刺激しげき stimulationでむずむずするむずむずする feel itchy; be tingly。立って立たって stand up; get up便所便所べんじょ toiletに行った行いった went (to)。窓窓まど windowから外外そと outsideをのぞくと、一面一面いちめん one layer; a blanket of ...の星月夜星月夜ほしづきよ starry nightで、土手土手どて embankment下の汽車道汽車道きしゃみち train tracksは死んだように死しんだように deathly静か静しずか quietである。それでも竹格子竹格子たけごうし bamboo latticeのあいだから鼻鼻はな noseを出す出だす stick out (from)くらいにして、暗い暗くらい dark; dim所をながめていた。

すると停車場停車場ステーション stationの方方ほう directionから提灯提灯ちょうちん lanternをつけた男男おとこ menがレールの上上うえ top ofを伝って伝つたって walk along; followこっちへ来る。話し声話はなし声こえ (talking) voicesで判じる判はんじる judge (by)と三、四人三さん、四人よにん three or four menらしい。提灯の影影かげ form; light (from something)は踏切踏切ふみきり crossingから土手下へ隠れて隠かくれて be hidden (from view)、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉言葉ことば wordsは手に取るように手てに取とるように as if close enough to touch聞こえた聞きこえた were audible; could be heard。

「もう少し先だ」

足音足音あしおと sound of footstepsは向こう向むこう ahead; beyondへ遠のいて行く行いく go; proceed。三四郎は庭先庭先にわさき inner garden (bordering on the veranda)へ回って回まわって circle around (to)下駄下駄げた wooden sandalsを突っ掛けた突つっ掛かけた slipped on (slippers or sandals)まま孟宗藪の所から、一間余一間余いっけんあまり about 1 ken (about 2 yards; about 2 meters)の土手を這い降りて這はい降おりて scrambled down、提灯のあとを追っかけて行った追おっかけて行いった followed after。

五、六間五ご、六間ろっけん 5 or 6 ken (about 10 meters; about 12 yards)行くか行かないうちに、また一人一人ひとり one person土手から飛び降りた飛とび降おりた jumped down; dropped down者者もの personがある。――

「轢死轢死れきし death on impact (by train or car)じゃないですか」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は何か何なにか something答えよう答こたえよう respond (with)としたが、ちょっと声声こえ voiceが出なかった出でなかった didn't come out; didn't materialize。そのうち黒い男黒くろい男おとこ dark figure (of a man)は行き過ぎた行ゆき過すぎた went on (ahead)。これは野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の奥奥おく interior (further down the lane)に住んで住すんで live; resideいる家家いえ houseの主人主人あるじ head (of a household)だろうと、後をつけながら後あとをつけながら while following after考えた考かんがえた surmised。半町半町はんちょう half a chō (about 50 meters; about 60 yards)ほどくると提灯提灯ちょうちん lanternsが留まって留とまって be stopped; come to a haltいる。人人ひと people; menも留まっている。人は灯灯ひ lightをかざしたかざした held up (over one's head)まま黙っている黙だまっている be silent。三四郎は無言で無言むごんで silently; without a word灯の下下した beneathを見た見みた looked at。下には死骸死骸しがい body; (human) remainsが半分半分はんぶん halfある。汽車汽車きしゃ (steam) trainは右右みぎ rightの肩肩かた shoulderから乳乳ちち breastの下を腰腰こし waist; hipsの上上うえ aboveまでみごとに引きちぎって引ひきちぎって tear off; wrench off、斜掛けの斜掛はすかけの (cut) at an angle胴胴どう trunk; torsoを置き去りにして置おき去ざりにして leaving behind; leaving in its wake行った行いった went (on)のである。顔顔かお faceは無傷無傷むきず unhurt; undamagedである。若い若わかい young女女おんな woman; young ladyだ。

三四郎はその時時とき time; momentの心持ち心持こころもち feeling; impressionをいまだに覚えて覚おぼえて rememberいる。すぐ帰ろう帰かえろう return (home)として、踵をめぐらしかけた踵きびすをめぐらしかけた started to return; made ready to go (lit: turned one's heels)が、足がすくんで足あしがすくんで feel weak in the kneesほとんど動けなかった動うごけなかった couldn't move。土手土手どて embankmentを這い上がって這はい上あがって crawled up; clambered up、座敷座敷ざしき living roomへもどったら、動悸動悸どうき palpitation; pulsationが打ち出した打うち出だした begin to beat; begin to throb。水水みず waterをもらおうと思って思おもって think (to do something)、下女下女げじょ maidservantを呼ぶ呼よぶ call (for someone)と、下女はさいわいになんにも知らない知しらない not know; be unawareらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した騒さわぎ出だした broke into a commotion。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った覚さとった realized; became aware of。やがて土手の下ががやがやするがやがやする buzz; hum (with noise)。それが済む済すむ end; be overとまた静か静しずか quietになる。ほとんど堪え難い堪たえ難がたい unbearable; unendurableほどの静かさであった。

三四郎の目の前目めの前まえ before one's eyesには、ありありとありありと distinctly; vividlyさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力力ちから energy; vigorのない声と、その二つ二ふたつ two (things)の奥に潜んで潜ひそんで be hidden in; lie withinおるべきはずの無残な無残むざんな cruel; merciless運命運命うんめい fate; destinyとを、継ぎ合わして継つぎ合あわして join together; put together考えてみると、人生人生じんせい (human) lifeという丈夫そうな丈夫じょうぶそうな seemingly robust; hearty-looking命命いのち (mortal) lifeの根根ね rootsが、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇暗闇くらやみ darknessへ浮き出して浮うき出だして float (off)ゆきそうに思われる思おもわれる seems (to be)。三四郎は欲も得もいらない欲よくも得とくもいらない forget all other considerations; having no concern for love or moneyほどこわかった。ただごうというごうという with a roar; with a rumble一瞬間一瞬間いっしゅんかん single instantである。そのまえまではたしかに生きていた生いきていた was aliveに違いないに違ちがいない it's certain that ...。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこの時時とき time; momentふと汽車汽車きしゃ (steam) trainで水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesをくれた男男おとこ manが、あぶないあぶない、気をつけないと気きをつけないと if one isn't carefulあぶない、と言った言いった saidことを思い出した思おもい出だした remembered; called to mind。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分自分じぶん oneselfはあぶなくない地位地位ちい position; statusに立って立たって stand; be situatedいれば、あんな男にもなれるだろう。世の中世よの中なか society; the worldにいて、世の中を傍観して傍観ぼうかんして looking on; watching from the wingsいる人人ひと personはここに面白味面白味おもしろみ interest; fascination (with)があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあい食くいぐあい manner of eatingから、青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)で茶茶ちゃ teaを飲んで飲のんで drinkは煙草煙草たばこ tobacco; cigaretteを吸い吸すい smoke (tobacco)、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面正面しょうめん straight aheadを見て見みて look; watchいた様子様子ようす appearance; mannerは、まさにこの種種しゅ type; kindの人物人物じんぶつ character; personageである。――批評家批評家ひひょうか critic; commentatorである。――三四郎は妙な妙みょうな odd; unusual意味意味いみ meaning; nuanceに批評家という字字じ wordを使って使つかって use; applyみた。使ってみて自分でうまいと感心した感心かんしんした was impressed (with)。のみならずのみならず furthermore; moreover自分も批評家として、未来未来みらい futureに存在しよう存在そんざいしよう exist; live (one's life)かとまで考えだした考かんがえだした began to consider; began to think。あのすごい死顔死顔しにがお face of a dead personを見るとこんな気気き feelingも起こる起おこる arise; be stirred up。

三四郎は部屋部屋へや roomのすみにあるテーブルと、テーブルの前前まえ front ofにある椅子椅子いす chairと、椅子の横横よこ next toにある本箱本箱ほんばこ bookcaseと、その本箱の中中なか insideに行儀よく行儀ぎょうぎよく carefully; neatly並べて並ならべて line up; put in orderある洋書洋書ようしょ Western booksを見回して見回みまわして survey; look over、この静かな静しずかな quiet; still書斎書斎しょさい libraryの主人主人あるじ owner; masterは、あの批評家と同じく同おなじく similarly (to)無事で無事ぶじで without incident; in safety幸福幸福こうふく happiness; well-beingであると思った思おもった thought。――光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureを研究する研究けんきゅうする study; researchために、女女おんな woman; young ladyを轢死轢死れきし death on impact (by train or car)させることはあるまい。主人の妹妹いもうと younger sisterは病気病気びょうき ill; unwellである。けれども兄兄あに older brotherの作った作つくった made; brought about病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭頭あたま head; thoughtsが移ってゆく移うつってゆく move on to; transition toうちに、十一時十一時じゅういちじ eleven (o'clock)になった。中野行中野行なかのゆき for Nakano (train)の電車電車でんしゃ (electric) trainはもう来ない来こない run (train); arrive。あるいは病気が悪い悪わるい serious; graveので帰らない帰かえらない won't returnのかしらと、また心配心配しんぱい worry; concernになる。ところへ野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)から電報電報でんぽう telegramが来た来きた came; arrived。妹無事、あす朝朝あさ morning帰るとあった。

安心して安心あんしんして be reassured床床とこ bedにはいったが、三四郎の夢夢ゆめ dreamはすこぶる危険危険きけん dangerous; perilousであった。――轢死を企てた企きわてた planned; plotted女は、野々宮に関係関係かんけい connection; relationshipのある女で、野々宮はそれと知って知しって know (of); be aware (of)家家いえ houseへ帰って来ない帰かえって来こない not return (to)。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた掛かけた applied; sent (telegram)。妹無事とあるのは偽り偽いつわり fabrication; deceptionで、今夜今夜こんや this evening轢死のあった時刻時刻じこく time; hourに妹も死んでしまった死しんでしまった died。そうしてその妹はすなわち三四郎が池池いけ pondの端端はた edgeで会った会あった met; encountered女である。……

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はあくる日あくる日ひ the next day例になく例れいになく unusually; contrary to habit早く早はやく early起きた起おきた woke up。

寝つけない寝ねつけない not used to sleeping所所ところ placeに寝た床床とこ bedのあとをながめて、煙草煙草たばこ cigaretteを一本一本いっぽん one (cigarette)のんだが、ゆうべの事事こと matter; affairは、すべて夢夢ゆめ dreamのようである。椽側椽側えんがわ verandaへ出て出でて go out (onto)、低い低ひくい low廂廂ひさし eavesの外外そと outside (of)にある空空そら skyを仰ぐ仰あおぐ look up atと、きょうはいい天気天気てんき weatherだ。世界世界せかい the worldが今今いま now; the present朗らか朗ほがらか bright; cheerfulになったばかりの色色いろ colorをしている。飯飯めし breakfastを済まして済すまして finish茶茶ちゃ teaを飲んで飲のんで drink、椽側に椅子椅子いす chairを持ち出して持もち出だして take out (onto)新聞新聞しんぶん newspaperを読んで読よんで readいると、約束どおり約束やくそくどおり as promised野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)が帰って来た帰かえって来きた came back; returned。

「昨夜昨夜さくや last night、そこに轢死轢死れきし death on impact (by train or car)があったそうですね」と言う言いう said。停車場停車場ステーション stationか何か何なにか somethingで聞いた聞きいた heardものらしい。三四郎は自分の自分じぶんの one's own経験経験けいけん experienceを残らず残のこらず in full; holding nothing back話した話はなした told; related。

「それは珍しい珍めずらしい unusual。めったに会えないめったに会あえない rarely encounteredことだ。ぼくも家家いえ house; homeにおればよかった。死骸死骸しがい body; remainsはもう片づけたろう片かたづけたろう probably disposed of; probably cleaned upな。行って行いって goも見られない見みられない can't see; won't be able to seeだろうな」

「もうだめでしょう」と一口一口ひとくち one word; in short答えた答こたえた answeredが、野々宮君ののん気なのん気きな easygoing; carefreeのには驚いた驚おどろいた be surprised; be taken aback。三四郎はこの無神経無神経むしんけい indifference; callousnessをまったく夜夜よる nighttimeと昼昼ひる daytimeの差別差別さべつ distinctionから起こる起おこる arise (from); be brought about (by)ものと断定した断定だんていした concluded。光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureを試験する試験しけんする measure; test人人ひと personの性癖性癖せいへき disposition; propensityが、こういう場合場合ばあい circumstanceにも、同じ同おなじ same態度態度たいど manner; behaviorで表われて表あらわれて appear; become apparentくるのだとはまるで気がつかなかった気きがつかなかった didn't realize。年が若い年としが若わかい be youngからだろう。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は話話はなし talk; conversationを転じて転てんじて shift; alter (the course of)、病人病人びょうにん sick person; patientのことを尋ねた尋たずねた inquired (about)。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の返事返事へんじ answer; responseによると、はたして自分の自分じぶんの one's own推測推測すいそく guess; conjectureどおり病人に異状異状いじょう change (in condition)はなかった。ただ五、六日五ご、六日ろくんち five or six days以来以来いらい since ...行って行いって goやらなかったものだから、それを物足りなく物足ものたりなく unsatisfactory; inadequate思って思おもって thought; considered、退屈紛れに退屈紛たいくつまぎれに to pass the time; to alleviate one's boredom兄兄あに older brotherを釣り寄せた釣つり寄よせた beckoned; luredのである。きょうは日曜日曜にちよう Sundayだのに来て来きて come (to visit)くれないのはひどいと言って言いって say怒って怒おこって be cross; be irritatedいたそうである。それで野々宮君は妹妹いもうと younger sisterをばかだと言っている。本当に本当ほんとうに really; in truthばかだと思っているらしい。この忙しい忙いそがしい busyものに大切な大切たいせつな valuable時間時間じかん timeを浪費させる浪費ろうひさせる cause to waste; force to squanderのは愚愚ぐ foolishnessだというのである。けれども三四郎にはその意味意味いみ argument; point (of view)がほとんどわからなかった。わざわざ電報電報でんぽう telegramを掛けて掛かけて send (telegram)まで会いたがる会あいたがる want to see (someone)妹なら、日曜の一晩一晩ひとばん one eveningや二晩二晩ふたばん two eveningsをつぶしたって惜しくはない惜おしくはない one should not begrudge ...はずである。そういう人人ひと personに会って過ごす過すごす spend (time)時間が、本当の時間で、穴倉穴倉あなぐら basement; cellarで光線光線こうせん light beamの試験試験しけん experimentをして暮らす暮くらす live (one's life)月日月日つきひ days (lit: months and days)はむしろ人生人生じんせい life; human lifeに遠い遠とおい distant (from)閑生涯閑生涯かんしょうがい leisurely existenceというべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強勉強べんきょう studiesの妨害妨害ぼうがい disturbance; interruptionをされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じた感かんじた feltが、その時時とき time; momentは轢死轢死れきし death on impact (by train or car)の事事こと matter; affairを忘れて忘わすれて forgetいた。

野々宮君は昨夜昨夜さくや the previous nightよく寝られなかった寝ねられなかった couldn't sleep; wasn't able to sleepものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼昼ひる noonから早稲田早稲田わせだ Waseda (place name)の学校学校がっこう schoolへ行く行いく go (to)日日ひ dayで、大学大学だいがく universityのほうは休み休やすみ day offだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きて起おきて be up; be awakeいたんですか」と三四郎が聞く聞きく askと、じつは偶然偶然ぐうぜん by chance、高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)で教わった教おそわった was taught byもとの先生先生せんせい teacher; professorの広田広田ひろた Hirota (name)という人が妹の見舞い見舞みまい visit; inquiry (to check after a person's health)に来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車電車でんしゃ (electric) trainの時間に遅れて遅おくれて be late (for)、つい泊る泊とまる stay over; spend the nightことにした。広田の家家うち houseへ泊るべきのを、また妹がだだをこねてだだをこねて be fretful; raise a fuss、ぜひ病院病院びょういん hospitalに泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い狭せまい confined; cramped所所ところ placeへ寝たら、なんだか苦しくって苦くるしくって uncomfortable寝つかれなかった。どうも妹は愚物愚物ぐぶつ fool; dunceだ。とまた妹を攻撃する攻撃こうげきする attack; criticize。三四郎はおかしくなった。少し少すこし a little; a bit妹のために弁護しよう弁護べんごしよう defend; argue on someone's behalfかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。

その代りその代かわり instead; rather広田広田ひろた Hirota (name)さんの事の事こと concerning ...を聞いた聞きいた asked (about)。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は広田さんの名前名前なまえ nameをこれで三、四へん三さん、四しへん three or four times耳にしている耳みみにしている had heard。そうして、水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesの先生先生せんせい teacher; professorと青木堂青木堂あおきどう Aokidō (grocery and spirits shop in Hongō with cafe on 2nd floor)の先生に、ひそかに広田さんの名名な nameをつけている。それから正門内正門内せいもんない inside the main gate (of the university)で意地の悪い意地いじの悪わるい ill-tempered; mean-spirited馬馬うま horseに苦しめられて苦くるしめられて be tormented; be put in a bind、喜多床喜多床きたどこ Kitadoko (name of Tōkyō barbershop founded in 1871)の職人職人しょくにん artisans; journeymenに笑われた笑わらわれた be laughed atのもやはり広田先生にしてある。ところが今今いま now; the present (time)承って承うけたまわって be told; be informedみると、馬の件件けん incidentははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず必かならず certainly; positively同先生同先生どうせんせい the same teacher; the same professorに違いないに違ちがいない no doubt that ...と決めた決きめた decided; concluded。考える考かんがえる consider; think aboutと、少し少すこし a little; a bit無理無理むり unlikely; far-fetchedのようでもある。

帰る帰かえる return; leave (for home)時時とき timeに、ついでだから、午前中午前中ごぜんちゅう during the morning; before noonに届けて届とどけて deliverもらいたいと言って言いって say、袷袷あわせ a lined kimonoを一枚一枚いちまい one (counter for thin objects)病院病院びょういん hospitalまで頼まれた頼たのまれた was requested。三四郎は大いに大おおいに very much; greatlyうれしかった。

三四郎は新しい新あたらしい new四角な四角しかくな square; four-cornered帽子帽子ぼうし hat; capをかぶっている。この帽子をかぶって病院に行ける行いける can go (to)のがちょっと得意得意とくい triumph; point of prideである。さえざえしい顔さえざえしい顔かお cheerful lookをして野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の家家うち houseを出た出でた left; departed (from)。

御茶の水御茶おちゃの水みず Ochanomizu (place name)で電車電車でんしゃ (electric) trainを降りて降おりて descend from; get off (a train)、すぐ俥俥くるま rickshawに乗った乗のった boarded; got into (car)。いつもの三四郎に似合わぬ似合にあわぬ not suit; not be becoming to所作所作しょさ conduct; behaviorである。威勢よく威勢いせいよく with energy; with a flair赤門赤門あかもん Red Gateを引き込ませた引ひき込こませた had (the rickshaw driver) pull through時、法文科法文科ほうぶんか (college of) law and literatureのベルが鳴り出した鳴なり出だした began to ring; rang out。いつもならノートとインキ壺インキ壺つぼ ink jarを持って持もって hold; carry、八番八番はちばん No 8の教室教室きょうしつ classroom; lecture hallにはいる時分時分じぶん time; hourである。一、二時間一いち、二時間にじかん one or two hoursの講義講義こうぎ lectureぐらい聞きそくなって聞ききそくなって miss (hearing); fail to attend (lecture)もかまわないという気気き feelingで、まっすぐに青山青山あおやま Aoyama (name)内科内科ないか (institute for) internal medicineの玄関玄関げんかん entrywayまで乗りつけた。

上がり口上あがり口ぐち entranceを奥奥おく interiorへ、二つ目の二ふたつ目めの second角角かど cornerを右右みぎ rightへ切れて切きれて turn (toward)、突当たり突当つきあたり end (of the hall)を左左ひだり leftへ曲がる曲まがる turnと東側東側ひがしがわ east sideの部屋部屋へや roomだと教わった教おそわった be instructed; be toldとおり歩いて歩あるいて walk行くと、はたしてあった。黒塗り黒塗くろぬり painted in blackの札札ふだ card; labelに野々宮よし子よし子こ Yoshiko (name)と仮名仮名かな kanaで書いて書かいて write、戸口戸口とぐち doorに掛けて掛かけて hang; suspendある。三四郎はこの名前を読んだ読よんだ readまま、しばらく戸口の所所ところ place; locationでたたずんでたたずんで idle; loiterいた。いなか物いなか物もの country boyだからノックするなぞという気の利いた気きの利きいた clever; prudent事事こと act; actionはやらない。「この中中なか insideにいる人人ひと personが、野々宮君の妹妹いもうと younger sisterで、よし子という女女おんな woman; young ladyである」

三四郎はこう思って思おもって think; consider立って立たって standいた。戸戸と doorをあけて顔顔かお faceが見たく見みたく wanting to seeもあるし、見て失望する失望しつぼうする be disappointedのがいやでもある。自分の自分じぶんの one's own頭の中頭あたまの中なか mind; thoughtsに往来する往来おうらいする come and go; move about女の顔は、どうも野々宮宗八宗八そうはち Sōhachi (name)さんに似ていない似にていない bear no resemblance toのだから困る困こまる be worried。

うしろから看護婦看護婦かんごふ nurseが草履草履ぞうり straw sandalsの音音おと soundをたてて近づいて来た近ちかづいて来きた approached; drew near。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は思い切って思おもい切きって with resolve戸戸と doorを半分半分はんぶん halfwayほどあけた。そうして中中なか insideにいる女女おんな woman; young ladyと顔顔かお faceを見合わせた見合みあわせた exchanged glances。(片手片手かたて one handにハンドルをもったまま)

目目め eyesの大きな大おおきな large、鼻鼻はな noseの細い細ほそい narrow、唇唇くちびる lipsの薄い薄うすい thin、鉢が開いた鉢はちが開ひらいた wide and flatと思う思おもう think (of as)くらいに、額額ひたい foreheadが広くって広ひろくって wide; broad顎がこけた顎あごがこけた with a drooping jaw女であった。造作造作ぞうさく facial featuresはそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だち顔かおだち looks; featuresから出る出でる emanate (from)、この時時とき time; momentにひらめいた咄嗟咄嗟とっさ moment; instantの表情表情ひょうじょう expressionを生まれて生うまれて in one's lifeはじめて見た。青白い青白あおじろい pale; pallid額のうしろに、自然のままに自然しぜんのままに in its natural stateたれた濃い濃こい thick髪髪かみ hairが、肩肩かた shouldersまで見える。それへ東窓東窓ひがしまど east windowをもれる朝日朝日あさひ morning lightの光光ひかり raysが、うしろからさすので、髪と日光日光ひ sunlight; sun's rays (usually 日光にっこう)の触れ合う触ふれ合あう come in contact; touch each other境境さかい border; boundaryのところが菫色菫色すみれいろ violet colorに燃えて燃もえて burn、生きた生いきた living暈暈つきかさ halo; corona (usually 月暈つきがさ)をしょってしょって carry; supportる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い暗くらい in darkness; shaded。暗くて青白い。そのなかに遠い遠とおい distant心持ち心持こころもち feelingのする目がある。高い高たかい high; lofty雲雲くも cloudsが空空そら skyの奥奥おく interior; depthsにいて容易に容易よういに easily; readily動かない動うごかない don't move。けれども動かずにもいられない。ただなだれるなだれる descend; slide downように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。

三四郎はこの表情のうちにものういものうい languid; listless憂鬱憂鬱ゆううつ melancholyと、隠さざる隠かくさざる apparent; not to be hidden快活快活かいかつ cheerfulness; lightheartednessとの統一統一とういつ unityを見いだした。その統一の感じ感かんじ feeling; impressionは三四郎にとって、最も最もっとも most尊き尊とうとき precious; exalted人生人生じんせい human life; existenceの一片一片いっぺん piece (of); aspect (of)である。そうして一大一大いちだい one large ...; a great ...発見発見はっけん discoveryである。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影影かげ shadow; shelter ofから半分部屋部屋へや roomの中に差し出した差さし出だした stretched out; extendedままこの刹那刹那せつな moment; instantの感感かん feelingに自ら自みずから oneselfを放下し去った放下ほうげし去さった give up to; abandon to。

「おはいりなさい」

女は三四郎を待ち設けた待まち設もうけた expected; was watching forように言う言いう spoke。その調子調子ちょうし tone (voice)には初対面初対面しょたいめん first meeting; initial introductionの女には見いだすことのできない、安らかな安やすらかな comfortable; relaxed音色音色ねいろ tone; timbreがあった。純粋の純粋じゅんすいの pure; innocent子供子供こども childか、あらゆる男児男児だんじ boysに接しつくした接せっしつくした had extensive contact; had extensive interaction婦人婦人ふじん ladyでなければ、こうは出られないこうは出でられない couldn't engage with (a person) so。なれなれしいなれなれしい familiar; overfamiliarのとは違う違ちがう different。初めから初はじめから from the beginning; from the start古い古ふるい old知り合い知しり合あい acquaintanceなのである。同時に同時どうじに at the same time女は肉の豊かでない肉にくの豊ゆたかでない thin (lit: not of ample flesh)頬頬ほお cheeksを動かしてにこりと笑ったにこりと笑わらった smiled。青白いうちに、なつかしい暖かみ暖あたたかみ warmthができた。三四郎の足足あし legs; feetはしぜんと部屋の内内うち insideへはいった。その時青年青年せいねん young manの頭頭あたま head; mindのうちには遠い故郷故郷こきょう home town; native regionにある母母はは motherの影がひらめいた。

戸戸と doorのうしろへ回って回まわって step around (to)、はじめて正面正面しょうめん straight ahead; forwardに向いた向むいた faced時時とき time; moment、五十五十ごじゅう fifty (years of age)あまりの婦人婦人ふじん ladyが三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)に挨拶挨拶あいさつ greetingをした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉扉とびら doorの陰陰かげ shadow; shelter ofを出ない出でない not be emerged (from)まえから席を立って席せきを立たって rise from one's seat待って待まって waitいたものとみえる。

「小川小川おがわ Ogawa (Sanshirō's family name)さんですか」と向こう向むこう the other partyから尋ねて尋たずねて inquiredくれた。顔顔かお faceは野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)に似て似にて resembleいる。娘娘むすめ daughterにも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた頼たのまれた requested; entrusted風呂敷包み風呂敷包ふろしきづつみ bundle wrapped with a furoshiki (carrying cloth)を出す出だす take out; presentと、受け取って受うけ取とって receive; take possession of、礼を述べて礼れいを述のべて express one's thanks、

「どうぞ」と言いながら椅子椅子いす chairをすすめたまま、自分自分じぶん oneselfは寝台寝台ベッド bedの向こう側向むこう側がわ other side; far sideへ回った。

寝台の上上うえ top ofに敷いた敷しいた laid out; spread out蒲団蒲団ふとん futon; quilted mattressを見る見みる look atとまっ白まっ白しろ pure whiteである。上へ掛ける掛かける spreadものもまっ白である。それを半分半分はんぶん halfほど斜に斜はすに at an angleはぐってはぐって turned down、裾裾すそ skirt; edgeのほうが厚く厚あつく thick見えるところを、よけるように、女女おんな young ladyは窓窓まど windowを背にして背せにして turning one's back toward腰をかけた腰こしをかけた sat; was seated。足足あし feetは床床ゆか floorに届かない届とどかない didn't reach。手手て handsに編針編針あみばり knitting needlesを持って持もって hold; haveいる。毛糸毛糸けいと yarnのたまが寝台の下下した below; beneathに転がった転ころがった rolled。女の手から長い長ながい long赤い赤あかい red糸糸いと yarn; stringが筋を引いて筋すじを引ひいて drawing a lineいる。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出して取とり出だして retrieveやろうかと思った思おもった thought (of doing)、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着無頓着むとんじゃく indifferent; unconcernedでいるので控えた控ひかえた refrained。

おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜昨夜さくや last night; the previous nightの礼を述べる。お忙しいお忙いそがしい busyところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んで遊あそんで be idle; have time on one's handsいますからと言う。二人二人ふたり two (people)が話話はなし talk; conversationをしているあいだ、よし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)は黙って黙だまって remain quietいた。二人の話が切れた切きれた ended; broke off時、突然突然とつぜん suddenly; abruptly、

「ゆうべの轢死轢死れきし death on impact (by train or car)を御覧になって御覧ごらんになって see; witness」と聞いた聞きいた asked。見ると部屋部屋へや roomのすみに新聞新聞しんぶん newspaperがある。三四郎が、

「ええ」と言う。

「こわかったでしょう」と言いながら、少し少すこし a little; a bit首首くび head; neckを横に横よこに to the side曲げて曲まげて bent; inclined、三四郎を見た。兄兄あに older brotherに似て首の長い長ながい long女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに答こたえずに without replying、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問質問しつもん questionがあまり単純な単純たんじゅんな simpleので、答に窮した窮きゅうした be hard pressed; be at a lossのである。半分は答えるのを忘れた忘わすれた forgotのである。女は気がついた気きがついた noticed; realizedとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い青白あおじろい pale; pallid頬頬ほお cheeksの奥奥おく interior; depthsを少し赤くした赤あかくした reddened (blushed)。三四郎はもう帰る帰かえる return; take one's leaveべき時間時間じかん timeだと考えた考かんがえた decided。

挨拶挨拶あいさつ formalities; regardsをして、部屋部屋へや roomを出て出でて left; departed (from)、玄関玄関げんかん entrance; entryway正面正面しょうめん forward; straight aheadへ来て来きて came (to)、向こう向むこう beyond; the far endを見る見みる look (to)と、長い長ながい long廊下廊下ろうか hallwayのはずれが四角四角しかく squareに切れて切きれて cut (into); divided (into)、ぱっと明るく明あかるく bright、表表おもて out frontの緑緑みどり greenが映る映うつる reflect; be projected上がり口上あがり口くち entranceに、池池いけ pondの女女おんな young ladyが立って立たって standいる。はっと驚いた驚おどろいた be surprised三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の足足あし feet; legsは、さっそく歩調歩調ほちょう pace (of walking); gaitに狂い狂くるい confusion; disorderができた。その時時とき time; moment透明な透明とうめいな transparent空気空気くうき airの画布画布カンバス (oil painting) canvasの中中なか middleに暗く暗くらく darkly描かれた描えがかれた painted; drawn女の影影かげ shadow; silhouetteは一足一足ひとあし one step前前まえ forwardへ動いた動うごいた moved。三四郎も誘われた誘さそわれた summoned; beckonedように前へ動いた。二人二人ふたり two (people)は一筋道一筋道ひとすじみち single straight pathの廊下のどこかですれ違わねばならぬすれ違ちがわねばならぬ must pass (each other)運命運命うんめい fate; destinyをもって互いに互たがいに mutually近づいて来た近ちかづいて来きた approached; drew nearer。すると女が振り返った振ふり返かえった looked back; turned back。明るい表の空気の中には、初秋初秋はつあき early autumnの緑が浮いて浮ういて floatいるばかりである。振り返った女の目目め eyes; lookに応じてに応おうじて in response to; in reaction to、四角の中に、現われた現あらわれた appearedものもなければ、これを待ち受けて待まち受うけて expect; wait forいたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢姿勢しせい posture; stanceと服装服装ふくそう dress; clothingを頭の中頭あたまの中なか one's mindへ入れた入いれた put into。

着物着物きもの kimonoの色色いろ colorはなんという名名な nameかわからない。大学大学だいがく universityの池池いけ pondの水水みず waterへ、曇った曇くもった cloudy; overcast常磐木常磐木ときわぎ evergreen (tree)の影が映る時のようである。それはあざやかな縞縞しま stripesが、上上うえ topから下下した bottomへ貫いて貫つらぬいて run through; pierceいる。そうしてその縞が貫きながら波を打って波なみを打うって ripple; form a wave、互いに寄ったり寄よったり draw near離れたり離はなれたり move apart; separate、重なって重かさなって overlap; double up太くなったり太ふとくなったり thicken、割れて割われて split apart二筋二筋ふたすじ two linesになったりする。不規則不規則ふきそく irregularだけれども乱れない乱みだれない not in disorder。上から三分一三分一さんぶいち one thirdのところを、広い広ひろい wide帯帯おび belt; sashで横横よこ sidewaysに仕切った仕切しきった cut; partitioned。帯の感じ感かんじ feeling; impressionには暖かみ暖あたたかみ warmthがある。黄黄き yellowを含んで含ふくんで includeいるためだろう。

うしろを振り向いた時、右右みぎ right (side)の肩肩かた shoulderが、あとへ引けて引ひけて withdrew; reversed、左左ひだり left (side)の手手て handが腰腰こし waist; hipsに添った添そった accompany; stay byまま前前まえ forwardへ出た出でた advanced。ハンケチを持って持もって hold; carryいる。そのハンケチの指指ゆび fingersに余った余あまった be in excess; be left overところが、さらりとさらりと smoothly; sleekly開いて開ひらいて open; unfoldいる。絹絹きぬ silkのためだろう。――腰から下は正しい正ただしい straight; correct姿勢にある。

女はやがてもとのとおりに向き直った向むき直なおった turned back (around); corrected one's orientation。目を伏せて目めを伏ふせて with eyes cast downward二足二足ふたあし two steps; several stepsばかり三四郎に近づいた時、突然突然とつぜん suddenly首首くび neck; headを少し少すこし a little; a bitうしろに引いて、まともに男男おとこ man (here: Sanshirō)を見た見みた looked at。二重瞼二重瞼ふたえまぶた double eyelidの切長の切長きれながの tapered (outer corners of the eye)おちついた恰好恰好かっこう shape; form; appearanceである。目立って目立めだって be conspicuous; stand out黒い黒くろい black眉毛眉毛まゆげ eyebrowsの下に生きて生いきて be aliveいる。同時に同時どうじに at the same timeきれいな歯歯は teethがあらわれた。この歯とこの顔色顔色かおいろ facial complexionとは三四郎にとって忘るべからざる忘わすれるべからざる unforgettable対照対照たいしょう contrast; comparisonであった。

きょうは白い白しろい whiteものを薄く薄うすく thinly; lightly塗って塗ぬって paint; apply (makeup)いる。けれども本来の本来ほんらいの original; natural地地じ ground; base (color)を隠す隠かくす hide; concealほどに無趣味無趣味むしゅみ lacking in refinementではなかった。こまやかなこまやかな tender; fine肉肉にく fleshが、ほどよくほどよく judiciously; to the proper degree色づいて色いろづいて be colored、強い強つよい strong; intense日光日光ひ sunlight; sun's raysにめげないめげない not succumb toように見える見みえる appear上上うえ top ofを、きわめて薄く粉が吹いて粉こが吹ふいて be dusted with powderいる。てらてらてらてら lustrously; glossily照る照ひかる shine顔顔かお faceではない。

肉は頬頬ほお cheekといわず顎顎あご jawといわずきちりときちりと nicely; perfectly (= きっちりと)締まって締しまって be firm; be tautいる。骨骨ほね bones; frameの上に余った余あまった excessものはたんとたんと a lot; very much (= たくさん)ないくらいである。それでいて、顔全体全体ぜんたい as a whole; overallが柔かい柔やわらかい soft; tender。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる思おもわれる it seemed that ...。奥行きの長い奥行おくゆきの長ながい having depth感じ感かんじ feeling; impressionを起こさせる起おこさせる stir; evoke顔である。

女女おんな young ladyは腰をかがめた腰こしをかがめた bowed (lit: bent at the waist)。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は知らぬ知しらぬ unknown; unfamiliar人人ひと personに礼礼れい salutationをされて驚いた驚おどろいた be surprisedというよりも、むしろ礼のしかたの巧みな巧たくみな skillful; artfulのに驚いた。腰から上が、風風かぜ wind; breezeに乗る乗のる ride (on)紙紙かみ paperのようにふわりとふわりと softly; lightly前前まえ forwardに落ちた落おちた fell; dropped。しかも早い早はやい simple; quick。それで、ある角度角度かくど angleまで来て来きて arrive (at)苦もなく苦くもなく without difficultyはっきりととまった。むろん習って習ならって be taught覚えた覚おぼえた learnedものではない。

「ちょっと伺います伺うかがいます ask; inquireが……」と言う言いう say; speak声声こえ voiceが白い白しろい white歯歯は teethのあいだから出た出でた came forth (from)。きりりとしてきりりとして be tight; be crispいる。しかし鷹揚鷹揚おうよう large-hearted; generousである。ただ夏夏なつ summerのさかりさかり the height (of)に椎椎しい chinquapin oakの実実み acornsがなっているかと人人ひと a personに聞きそう聞ききそう askには思われなかった。三四郎はそんな事事こと fact; matterに気のつく気きのつく take notice (of)余裕余裕よゆう composure; marginはない。

「はあ」と言って立ち止まった立たち止どまった came to a stop。

「十五号室十五じゅうご号室ごうしつ room number 15はどの辺辺へん area; vicinityになりましょう」

十五号は三四郎が今今いま now; just now出て来た出でて来きた came out (of)部屋部屋へや roomである。

「野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)さんの部屋ですか」

今度今度こんど this timeは女のほうが「はあ」と言う。

「野々宮さんの部屋はね、その角角かど cornerを曲がって曲まがって turn (a corner)突き当って突つき当あたって at the end、また左左ひだり leftへ曲がって、二番目二番目にばんめ the second (one)の右側右側みぎがわ right sideです」

「その角を……」と言いながら女は細い細ほそい slender指指ゆび fingerを前へ出した。

「ええ、ついその先先さき aheadの角です」

「どうもありがとう」

女女おんな young ladyは行き過ぎた行いき過すぎた passed by; proceeded on (one's way)。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は立ったまま立たったまま standing; fixed in place、女の後姿後姿うしろすがた retreating figureを見守って見守みまもって look afterいる。女は角角かど cornerへ来た来きた came (to); arrived (at)。曲がろう曲まがろう turn (a corner)とするとたんに振り返った振ふり返かえった looked back。三四郎は赤面する赤面せきめんする blush; become self-consciousばかりに狼狽した狼狽ろうばいした be flustered; be panicked。女はにこりと笑ってにこりと笑わらって grinned; smiled、この角ですかというようなあいずを顔顔かお face; facial expressionでした。三四郎は思わず思おもわず reflexivelyうなずいた。女の影影かげ figure; formは右へ切れて右みぎへ切きれて turned to the right白い白しろい white壁壁かべ wallsの中中なか within; amongへ隠れた隠かくれた was hidden (from view)。

三四郎はぶらりとぶらりと aimlessly玄関玄関げんかん entrywayを出た出でた departed; left (from)。医科大学生医科いか大学生だいがくせい medical studentと間違えて間違まちがえて mistake (for)部屋部屋へや roomの番号番号ばんごう numberを聞いた聞きいた asked (about)のかしらんと思って、五、六歩五ご、六歩ろっぽ five or six stepsあるいたが、急に急きゅうに suddenly気がついた気きがついた realized。女に十五号十五号じゅうごごう number 15を聞かれた時時とき time; occasion、もう一ぺんもう一いっぺん one more timeよし子よし子こ Yoshiko (name of Nonomiya's younger sister)の部屋へあともどりをして、案内すれば案内あんないすれば guide; show (the way)よかった。残念な残念ざんねんな regrettableことをした。

三四郎はいまさらとって帰すとって帰かえす hurry back; retrace one's steps勇気勇気ゆうき courageは出なかった出でなかった was not forthcoming。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度今度こんど this timeはぴたりととまった。三四郎の頭の中頭あたまの中なか inside one's head; (in) one's mindに、女の結んで結むすんで tie (up)いたリボンの色色いろ colorが映った映うつった be reflected; be imaged。そのリボンの色も質質しつ materials; textureも、たしかに野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)が兼安兼安かねやす Kaneyasu (place name)で買った買かった boughtものと同じ同おなじ same (as)であると考え出した考かんがえ出だした noticed; realized時、三四郎は急に足足あし legs; feetが重くなった重おもくなった became heavy; felt heavy。図書館図書館としょかん libraryの横横よこ beside; next toをのたくるようにのたくるように sluggishly; ploddingly正門正門せいもん main gateの方方ほう direction; vicinity (of)へ出ると、どこから来た来きた came (from)か与次郎与次郎よじろう Yojirō (name)が突然突然とつぜん suddenly声をかけた声こえをかけた called out (to someone)。

「おいなぜ休んだ休やすんだ skipped (lecture)。きょうはイタリー人イタリー人じん Italian (person)がマカロニーをいかにして食う食くう eatかという講義講義こうぎ lectureを聞いた」と言いながら言いいながら saying、そばへ寄って来て寄よって来きて came up (to); drew near (to)三四郎の肩肩かた shoulderをたたいた。

二人二人ふたり two (people)は少し少すこし a little; a bitいっしょに歩いた歩あるいた walked。正門のそばへ来た時、三四郎は、

「君君きみ you (used here as form of address)、今ごろでも薄い薄うすい thinリボンをかけるものかな。あれは極暑極暑ごくしょ extreme heat; hottest days of the yearに限るに限かぎる be limited toんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、

「〇〇教授〇〇まるまる教授きょうじゅ Professor so-and-soに聞くがいい。なんでも知ってる知しってる know (of; about)男男おとこ manだから」と言って取り合わなかった取とり合あわなかった didn't take up; sidestepped。

正門の所所ところ place; locationで三四郎はぐあいが悪いぐあいが悪わるい not feeling wellからきょうは学校学校がっこう school; classesを休むと言い出した言いい出だした declared; announced。与次郎はいっしょについて来て損をした損そんをした suffered a loss; wasted one's timeといわぬばかりに教室教室きょうしつ classroomsの方へ帰って行った帰かえって行いった went back (to)。