Sanshirō - Chapter 2

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三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)が東京東京とうきょう Tōkyōで驚いた驚おどろいた be amazed; be impressedものはたくさんある。第一第一だいいち first of all電車電車でんしゃ electric trainのちんちん鳴る鳴なる ring; clangので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に非常ひじょうに exceedingly多くの多おおくの many; numerous人間人間にんげん peopleが乗ったり降りたりする乗のったり降おりたりする get on and offので驚いた。次次つぎ nextに丸の内丸まるの内うち Marunouchi (central district of Tōkyō)で驚いた。もっとも驚いたのは、どこまで行って行いって go; wanderも東京がなくならないということであった。しかもどこをどう歩いて歩あるいて walkも、材木材木ざいもく timber; lumberがほうり出してほうり出だして laid out (in piles)ある、石石いし rock; stoneが積んで積つんで piledある、新しい新あたらしい new家家いえ housesが往来往来おうらい the streetから二二に two、三間三間さんげん 3 ken (about 5.5 meters; about 18 feet)引っ込んで引ひっ込こんで stand back from; be set back fromいる、古い古ふるい old蔵蔵くら storehouseが半分半分はんぶん half; halfwayとりくずされて心細く心細こころぼそく helplessly; (looking) forlorn前前まえ frontの方方ほう side; directionに残って残のこって remain; be leftいる。すべての物物もの thingsが破壊破壊はかい destructionされつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に同時どうじに at the same time建設建設けんせつ constructionされつつあるようにみえる。たいへんな動き方動うごき方かた manner of activityである。

三四郎はまったく驚いた。要するに要ようするに in short; in sum普通の普通ふつうの ordinaryいなか者いなか者もの country boyがはじめて都都みやこ capital city; townのまん中まん中なか middle; centerに立って立たって stand驚くと同じ同おなじ same程度程度ていど extentに、また同じ性質性質せいしつ characteristic; qualityにおいて大いに大おおいに greatly驚いてしまった。今今いま now; the presentまでの学問学問がくもん studies; learningはこの驚きを予防する予防よぼうする prevent; guard againstうえにおいて、売薬売薬ばいやく patent medicineほどの効能効能こうのう efficacy; effectivenessもなかった。三四郎の自信自信じしん confidenceはこの驚きとともに四割がた四割よんわりがた about forty percent減却した減却げんきゃくした diminished; dissipated。不愉快不愉快ふゆかい unpleasant; disagreeableでたまらない。

この劇烈な劇烈げきれつな keen; intense活動活動かつどう activity; movementそのものがとりもなおさずとりもなおさず namely; in itself現実現実げんじつ real; actual世界世界せかい worldだとすると、自分自分じぶん oneselfが今日今日こんにち today; the presentまでの生活生活せいかつ life; existenceは現実世界に毫も毫ごうも (not) at all; (not) in the least接触して接触せっしょくして touch; come into contact (with)いないことになる。洞が峠洞ほらが峠とうげ on the fence; in a non-committal state (based on story from the Battle of Yamazaki)で昼寝昼寝ひるね nappingをしたと同然同然どうぜん the same; identicalである。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前割わり前まえ one's shareが払える払はらえる can pay out; can contributeかというと、それは困難困難こんなん difficultである。自分は今活動の中心中心ちゅうしん center; focal pointに立っている。けれども自分はただ自分の左右左右さゆう left and right前後前後ぜんご front and backに起こる起おこる happen; take place活動を見なければならない見みなければならない must watch; must observe地位地位ちい positionに置きかえられた置おきかえられた be displaced; be transposedというまでで、学生学生がくせい studentとしての生活は以前以前いぜん before; prior (time)と変る変かわる changeわけはない。世界はかように動揺する動揺どうようする stir; be restless。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わる加くわわる join in; take part inことはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ一ひとつ one (thing)平面平面へいめん flat surfaceに並んで並ならんで be lined up; be parallel (to each other)おりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして置おき去ざりにして leave behind; abandon行ってしまう。はなはだ不安不安ふあん anxiety; discomfortである。

三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車汽車きしゃ steam trainと、白い白しろい white着物着物きもの kimono; clothingを着た着きた wore人人ひと peopleと、黒い黒くろい black着物を着た人との活動を見て、こう感じた感かんじた felt。けれども学生生活の裏面に横たわる裏面りめんに横よこたわる lie beneath; underlie思想界思想界しそうかい world of thought; realm of ideasの活動には毫も気がつかなかった気きがつかなかった didn't realize; wasn't aware of。――明治明治めいじ Meiji period (1868-1912)の思想は西洋西洋せいよう the Westの歴史歴史れきし historyにあらわれた三百年三百年さんびゃくねん three hundred yearsの活動を四十年四十年よんじゅうねん forty yearsで繰り返して繰くり返かえして repeat; recreateいる。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)が動く動うごく move; bustle東京東京とうきょう Tōkyōのまん中まん中なか centerに閉じ込められて閉とじ込こめられて confined; hemmed in、一人一人ひとり aloneでふさぎこんでふさぎこんで mope; broodいるうちに、国元国元くにもと one's home townの母母はは motherから手紙手紙てがみ letterが来た来きた came; arrived。東京で受け取った受うけ取とった received; took delivery (of)最初最初さいしょ firstのものである。見る見みる look atといろいろ書いて書かいて writeある。まず今年今年ことし this yearは豊作豊作ほうさく good harvest; record cropでめでたいめでたい happy; joyousというところから始まって始はじまって begin、からだを大事にしなくってはいけない大事だいじにしなくってはいけない must take good care ofという注意注意ちゅうい cautionがあって、東京の者者もの peopleはみんな利口利口りこう clever; shrewdで人人ひと person; characterが悪い悪わるい devious; no goodから用心しろ用心ようじんしろ be careful; watch outと書いて、学資学資がくし school expenses; education fundingは毎月毎月まいつき each month月末月末つきずえ end of the monthに届く届とどく arrive; reachようにするから安心しろ安心あんしんしろ rest assured; don't worryとあって、勝田の政勝田かつたの政まさ Masa Katsuta (name)さんの従弟従弟いとこ cousinに当るに当あたる is ...; has the relation of ...人が大学校大学校だいがっこう universityを卒業して卒業そつぎょうして graduated、理科大学理科りか大学だいがく college of scienceとかに出ている出でている is in; attendsそうだから、尋ねて行って尋たずねて行いって go and visit; go call on、万事よろしく頼む万事ばんじよろしく頼たのむ use as a resource; ask for help (in getting oriented)がいいで結んで結むすんで conclude; close (lit: tie up)ある。肝心の肝心かんじんの critical; all-important名前名前なまえ nameを忘れた忘わすれた forget; omittedとみえて、欄外欄外らんがい in the marginというようなところに野々宮宗八野々宮ののみや宗八そうはち Sōhachi Nonomiyaどのと書いてあった。この欄外にはそのほか二二に two、三件三件さんげん three itemsある。作作さく Saku (name)の青馬青馬あお gray horse (usually 青馬あおうま)が急病急病きゅうびょう sudden illnessで死んだ死しんだ diedんで、作は大弱り大弱おおよわり quite upset; feeling downである。三輪田のお光三輪田みわたのお光みつ Omitsu Miwata (name)さんが鮎鮎あゆ ayu (kind of fish)をくれたけれども、東京へ送る送おくる sendと途中途中とちゅう on the way; in transitで腐って腐くさって spoilしまうから、家内家内うち home; our houseで食べて食たべて eatしまった、等等など and so forthである。

三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた古ふるぼけた worn and faded昔昔むかし long agoから届いたような気気き feelingがした。母にはすまないが、こんなものを読んで読よんで readいる暇暇ひま leisure; spare timeはないとまで考えた考かんがえた considered。それにもかかわらず繰り返して繰くり返かえして repeating; again二へん読んだ。要するに要ようするに in short; in sum自分自分じぶん oneselfがもし現実現実げんじつ real; actual世界世界せかい worldと接触して接触せっしょくして touch; come into contact (with)いるならば、今今いま now; the presentのところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかには汽車汽車きしゃ (steam) trainの中中なか in; on (train)で乗り合わした乗のり合あわした traveled together女女おんな woman; young ladyがいる。あれは現実世界の稲妻稲妻いなずま bolt of lightning; flash of lightningである。接触したというには、あまりに短くって短みじかくって short; briefかつあまりに鋭すぎた鋭するどすぎた intense; harsh。――三四郎は母の言いつけ言いいつけ instructions; biddingどおり野々宮宗八を尋ねることにした。

あくる日あくる日ひ the next dayは平生平生へいぜい normal; usualよりも暑い暑あつい hot; sultry日であった。休暇中休暇中きゅうかちゅう recess; break; time offだから理科大学理科りか大学だいがく college of scienceを尋ねて尋たずねて visit; call atも野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)はおるまいと思った思おもった thought; figuredが、母母はは motherが宿所宿所しゅくしょ lodgings; quartersを知らせて知しらせて inform (of); make knownこないから、聞き合わせ聞きき合あわせ make inquiries; seek informationかたがたかたがた in part to ...行って行いって go (to)みようという気気き inclinationになって、午後午後ごご afternoon四時四時よじ four o'clockごろ、高等学校高等学校こうとうがっこう high schoolの横横よこ vicinityを通って通とおって pass through弥生町弥生町やよいちょう Yayoichō (place name)の門門もん gateからはいった。往来往来おうらい road; streetは埃埃ほこり dust; loose dirtが二寸二寸にすん 2 sun (about 6 cm; about 2.5 inches)も積もって積つもって pile up; accumulateいて、その上上うえ top ofに下駄下駄げた (wooden) clogの歯歯は prop; supportや、靴靴くつ shoesの底底そこ bottom; sole (shoes)や、草鞋草鞋わらじ straw sandalsの裏裏うら back sideがきれいにできあがってる。車車くるま car; cartの輪輪わ wheelと自転車自転車じてんしゃ bicycleのあとは幾筋幾筋いくすじ how many (tracks)だかわからない。むっとするむっとする be stuffy; be stiflingほどたまらない道道みち roadだったが、構内構内こうない premises; groundsへはいるとさすがに木木き treesの多い多おおい many; numerousだけに気分気分きぶん mood; sentimentがせいせいしたせいせいした felt refreshed。とっつきのとっつきの first (that one comes to); nearest戸戸と doorをあたってみたら錠が下りている錠じょうが下おりている was locked。裏へ回って回まわって go around (to)もだめであった。しまいに横横よこ sideへ出た出でた arrived (at)。念のため念ねんのため just in case; for the sake of tryingと思って思おもって think; consider押して押おして pushみたら、うまいぐあいにあいた。廊下廊下ろうか hallwayの四つ角四よつ角かど intersectionに小使小使こづかい janitor; custodianが一人一人ひとり one (person)居眠り居眠いねむり nap; snoozeをしていた。来意来意らいい reason for one's visitを通じる通つうじる communicateと、しばらくのあいだは、正気正気しょうき consciousness; one's sensesを回復する回復かいふくする restore; recoverために、上野上野うえの Ueno (place name)の森森もり woods; forrestをながめていたが、突然突然とつぜん suddenly「おいでかもしれません」と言って言いって said; replied奥奥おく interiorへはいって行った。すこぶる閑静閑静かんせい quiet; desertedである。やがてまた出て来た出でて来きた came out; appeared。

「おいででやす。おはいんなさい」と友だち友ともだち friendみたように言う。小使にくっついて行くと四つ角を曲がって曲まがって turn (a corner)和土和土たたき concrete floorの廊下を下下した down(ward)へ降りた降おりた descended。世界世界せかい the world; one's surroundingsが急に急きゅうに suddenly暗く暗くらく darkなる。炎天炎天えんてん blazing sunで目がくらんだ目めがくらんだ be dazzled; be blinded時時とき time; occurrenceのようであったがしばらくすると瞳瞳ひとみ pupilsがようやくおちついて、あたりが見える見みえる be visibleようになった。穴倉穴倉あなぐら underground; cellarだから比較的比較的ひかくてき relatively涼しい涼すずしい cool。左左ひだり leftの方方ほう side; directionに戸があって、その戸があけ放してあけ放はなして left openある。そこから顔顔かお faceが出た出でた appeared。額額ひたい foreheadの広い広ひろい wide目の大きな仏教仏教ぶっきょう Buddhismに縁縁えん affinity; connectionのある相相そう countenance; physiognomyである。縮み縮ちぢみ (cotton) crepeのシャツの上へ背広背広せびろ suit jacketを着て着きて wearいるが、背広はところどころにしみがある。背背せ stature; heightはすこぶる高い高たかい high; tall。やせているところが暑さに釣り合って釣つり合あって be balanced; be in keeping withいる。頭頭あたま headと背中背中せなか backを一直線一直線いっちょくせん a straight lineに前前まえ forwardの方へ延ばして延のばして stretch; extendお辞儀お辞儀じぎ bow; obeisanceをした。

「こっちへ」と言ったまま、顔を部屋部屋へや roomの中中なか insideへ入れて入いれて pull in; duck intoしまった。三四郎は戸の前まで来て部屋の中をのぞいた。すると野々宮君はもう椅子椅子いす chairへ腰をかけて腰こしをかけて sit downいる。もう一ぺんもう一いっぺん one more time「こっちへ」と言った。こっちへと言うところに台台だい stand; platformがある。四角な四角しかくな square棒棒ぼう stick; postを四本四本よんほん four (slender objects)立てて立たてて stand up、その上を板板いた board; plankで張った張はった coveredものである。三四郎は台の上へ腰をかけて初対面初対面しょたいめん initial meeting; first encounterの挨拶挨拶あいさつ greetings; civilitiesをする。それからなにぶんよろしく願いますよろしく願ねがいます request someone's favorと言った。野々宮君はただはあ、はあと言って聞いて聞きいて listenいる。その様子様子ようす appearance; demeanorがいくぶんか汽車汽車きしゃ (steam) trainの中で水蜜桃水蜜桃すいみつとう peachesを食った食くった ate男男おとこ manに似ている似にている resembled。ひととおり口上口上こうじょう introductionを述べた述のべた stated三四郎はもう何も何なにも (not) anything言う事事こと things; mattersがなくなってしまった。野々宮君もはあ、はあ言わなくなった。

部屋部屋へや roomの中中なか insideを見回す見回みまわす look around; surveyとまん中まん中なか centerに大きな大おおきな large長い長ながい long樫樫かし oakのテーブルが置いて置おいて set; placeある。その上上うえ top ofにはなんだかこみいった、太い太ふとい thick (in diameter)針金針金はりがね wiresだらけの器械器械きかい instrument; apparatusが乗っかって乗のっかって rest (on)、そのわきに大きなガラスの鉢鉢はち bowlに水水みず waterが入れて入いれて put intoある。そのほかにやすりとナイフと襟飾り襟飾えりかざり necktieが一つ一ひとつ one (thing)落ちて落おちて fall; be scatteredいる。最後に最後さいごに finally向こう向むこう beyond; far sideのすみを見ると、三尺三尺さんじゃく 3 shaku (about 1 meter; about 3 feet)ぐらいの花崗石花崗石みかげいし graniteの台台だい stand; platformの上に、福神漬福神漬ふくじんづけ sliced vegetables preserved in soy sauceの缶缶かん canほどな複雑な複雑ふくざつな complicated; intricate器械が乗せてある。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)はこの缶の横っ腹横よこっ腹ぱら side; flankにあいている二つ二ふたつ two (things)の穴穴あな holesに目をつけた目めをつけた fixed one's eyes on; took notice of。穴が蟒蛇蟒蛇うわばみ python; large snakeの目玉目玉めだま eyeballsのように光って光ひかって shine; glimmerいる。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)は笑いながら笑わらいながら smiling; laughing光るでしょうと言った言いった said; remarked。そうして、こういう説明説明せつめい explanationをしてくれた。

「昼間昼間ひるま daytimeのうちに、あんな準備準備したく preparation; set-up (usually 支度したく)をしておいて、夜夜よる nighttimeになって、交通交通こうつう trafficその他他た otherの活動活動かつどう activityが鈍く鈍にぶく slow; stillなるころに、この静かな静しずかな quiet暗い暗くらい dark穴倉穴倉あなぐら basement; cellarで、望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう telescopeの中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureを試験する試験しけんする test; study。今年今年ことし this yearの正月正月しょうがつ New Year'sごろからとりかかったが、装置装置そうち device; equipmentがなかなかめんどうなのでまだ思うような思おもうような desired; anticipated結果結果けっか resultsが出てきません出でてきません haven't been realized。夏夏なつ summerは比較的こらえやすいが、寒夜寒夜かんや cold night; winter nightになると、たいへんしのぎにくい。外套外套がいとう coatを着て襟巻襟巻えりまき scarf; mufflerをしても冷たくて冷つめたくて cold; frigidやりきれない。……」

三四郎は大いに大おおいに greatly驚いた驚おどろいた be impressed。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つどんな役やくに立たつ serves what kind of purposeんだか、まったく要領を得る要領ようりょうを得える comprehend; make sense ofに苦しんだ苦くるしんだ struggled; had difficulty。

その時時とき time; moment野々宮君は三四郎に、「のぞいてごらんなさい」と勧めた勧すすめた suggested; proposed。三四郎はおもしろ半分おもしろ半分はんぶん out of curiosity、石石いし stoneの台の二、三間間けん ken (about 1.8 meters; about 2 yards)手前手前てまえ in front ofにある望遠鏡のそばへ行って行いって went (to); approached右右みぎ rightの目をあてがったが、なんにも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く聞きく asked。「いっこう見えません」と答える答こたえる answer; replyと、「うんまだ蓋蓋ふた lid; coverが取らずにあった取とらずにあった hasn't been removed; is still in place」と言いながら、椅子椅子いす chairを立って立たって stand up (from)望遠鏡の先先さき tip; endにかぶせてあるものを除けて除のけて removeくれた。

見ると、ただ輪郭輪郭りんかく contour; outlineのぼんやりした明るい明あかるい brightなかに、物差し物差ものさし rule; scaleの度盛り度盛どもり graduation (scale); tick marksがある。下下した belowに2の字字じ characterが出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と言うと、「いまに動きます動うごきます move」と言いながら向こうへ回って回まわって go around (to)何か何なにか somethingしているようであった。

やがて度盛りが明るいなかで動きだした。2が消えた消きえた disappeared。あとから3が出る。そのあとから4が出る。5が出る。とうとう10まで出た。すると度盛りがまた逆に逆ぎゃくに in reverse動きだした。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に順々じゅんじゅんに in order1まで来て来きて arrive (at)とまった。野々宮君はまた「どうです」と言う。三四郎は驚いて、望遠鏡から目を放して放はなして remove; separate (from)しまった。度盛りの意味意味いみ meaning; significanceを聞く気気き inclinationにもならない。

丁寧に丁寧ていねいに politely; courteously礼礼れい thanks; appreciationを述べて述のべて state; mention穴倉穴倉あなぐら basement; cellarを上がって上あがって rise (from); come up (from)、人人ひと peopleの通る通とおる pass by; pass through所所ところ place; areaへ出て出でて appear (at); arrive (at)見る見みる look aboutと世の中世よの中なか the world; one's surroundingsはまだかんかんしてかんかんして be burning; be boilingいる。暑い暑あつい hot; sultryけれども深い深ふかい deep息息いき breathをした。西西にし westの方方ほう side; directionへ傾いた傾かたむいた declined toward日日ひ sunが斜めに斜ななめに at an angle; obliquely広い広ひろい wide坂坂さか hill; slopeを照らして照てらして shine on; light up、坂の上上うえ topの両側両側りょうがわ both sidesにある工科工科こうか department of engineeringの建築建築けんちく building; structureのガラス窓窓まど windowsが燃える燃もえる burn; be engulfed (in flames)ように輝いて輝かがやいて shine; gleamいる。空空そら skyは深く深ふかく to its depths澄んで澄すんで become clear、澄んだなかに、西の果果はて edge; extremityから焼ける焼やける glow; burn火火ひ fireの炎炎ほのう flameが、薄赤く薄赤うすあかく in a pale red color吹き返して吹ひき返かえして blow overきて、三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の頭頭あたま headの上までほてってほてって radiate heatいるように思われた思おもわれた seemed as though ...。横に横よこに sideways照りつける日を半分半分はんぶん half背中背中せなか back (part of the body)に受けて受うけて receive、三四郎は左左ひだり left (side)の森森もり woodsの中中なか inside; interiorへはいった。その森も同じ同おなじ the same夕日夕日ゆうひ evening sunを半分背中に受けている。黒ずんだ黒くろずんだ had become dark青い青あおい green葉葉は leavesと葉のあいだは染めた染そめた dyedように赤い。太い太ふとい thick (in diameter)欅欅けやき keyaki tree (Japanese zelkova)の幹幹みき trunkで日暮らし日暮ひぐらし evening cicadaが鳴いて鳴ないて singいる。三四郎は池池いけ pondのそばへ来て来きて came (to); arrived (at)しゃがんだしゃがんだ crouched down (on one's heels)。

非常に非常ひじょうに exceedingly静か静しずか quiet; tranquilである。電車電車でんしゃ (electric) trainの音音おと soundもしない。赤門赤門あかもん Red Gate (name of a university gate)の前前まえ front ofを通るはずの電車は、大学大学だいがく universityの抗議抗議こうぎ objection; protestationで小石川小石川こいしかわ Koishikawa (place name)を回る回まわる go around toことになったと国国くに one's native placeにいる時分時分じぶん (time) period新聞新聞しんぶん newspaperで見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件事件じけん matter; occurrenceを思い出した思おもい出だした recalled; remembered。電車さえ通さないという大学はよほど社会社会しゃかい societyと離れて離はなれて be set apart (from); be distancedいる。

たまたまその中にはいってみると、穴倉の下下した belowで半年半年はんとし half a year余り余あまり more than; upward ofも光線光線こうせん light beamの圧力圧力あつりょく pressureの試験試験しけん test; measurementをしている野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な質素しっそな modest; frugal服装服装なり dress; appearanceをして、外外そと outsideで会えば会あえば meet (provisional form)電燈会社電燈でんとう会社がいしゃ electric lighting companyの技手技手ぎしゅ assistant engineerくらいな格格かく status; rankである。それで穴倉の底底そこ bottomを根拠地根拠地こんきょち base; headquartersとして欣然と欣然きんぜんと gladly; willinglyたゆまずにたゆまずに untiringly; persistently研究研究けんきゅう researchを専念にやって専念せんねんにやって devote oneself toいるから偉い偉えらい extraordinary; remarkable。しかし望遠鏡望遠鏡ぼうえんきょう scopeの中の度盛り度盛どもり graduation (scale); tick marksがいくら動いた動うごいた movedって現実現実げんじつ real; actual世界世界せかい worldと交渉交渉こうしょう relation; connectionのないのは明らか明あきらか clear; apparentである。野々宮君は生涯生涯しょうがい one's entire life; a lifetime現実世界と接触する接触せっしょくする come into contact (with)気気き inclinationがないのかもしれない。要するに要ようするに in short; in sumこの静かな空気空気くうき air; ambianceを呼吸する呼吸こきゅうする breathe; experienceから、おのずからおのずから naturally; as a matter of courseああいう気分気分きぶん feeling; sentimentにもなれるのだろう。自分自分じぶん oneselfもいっそのこといっそのこと as circumstances might have it気を散らさずに気きを散ちらさずに without distraction、生きた生いきた alive; active世の中世よの中なか the world; societyと関係のない関係かんけいのない have no connection生涯を送って送おくって spend; pass (time)みようかしらん。

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)がじっとして池池いけ pondの面面おもて surfaceを見つめて見みつめて gaze (at)いると、大きな大おおきな large木木き treesが、幾本となく幾本いくほんとなく a good number of水水みず waterの底底そこ bottom; depthsに映って映うつって be reflected、そのまた底に青い青あおい blue空空そら skyが見える。三四郎はこの時時とき time; moment電車電車でんしゃ (electric) trainよりも、東京東京とうきょう Tōkyōよりも、日本日本にほん Japanよりも、遠く遠とおく distantかつはるかなはるかな far off; remote心持ち心持こころもち feeling; sensationがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲薄雲うすぐも thin cloudsのような寂しさ寂さびしさ lonelinessがいちめんに広がってきた広ひろがってきた spread across。そうして、野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)の穴倉穴倉あなぐら basement; cellarにはいって、たった一人で一人ひとりで alone; by oneselfすわっているかと思われる思おもわれる seem (to be); feel (to be)ほどな寂寞寂寞せきばく lonesomeness; desolationを覚えた覚おぼえた felt; experienced。熊本熊本くまもと Kumamoto (city in Kyūshū)の高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)にいる時分時分じぶん time; periodもこれより静かな静しずかな quiet; still竜田山竜田山たつたやま Tatsuta-yama (hills near Kumamoto)に上ったり上のぼったり climb; hike up、月見草月見草つきみくさ evening primroseばかりはえている運動場運動場うんどうじょう athletic groundsに寝たり寝ねたり nap; dozeして、まったく世の中世よの中なか society; the worldを忘れた忘わすれた forgot気気き feelingになったことは幾度となく幾度いくどとなく numerous timesある、けれどもこの孤独孤独こどく solitude; isolationの感じ感かんじ feelingは今今いま now; the presentはじめて起こった起おこった occurred; came about。

活動活動かつどう activityの激しい激はげしい intense東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった赤あかくなった blushed; felt flushed。汽車汽車きしゃ (steam) trainで乗り合わした乗のり合あわした rode together; traveled together女女おんな woman; young ladyの事事こと matter; affairを思い出した思おもい出だした recalled; rememberedからである。――現実現実げんじつ real; actual世界世界せかい worldはどうも自分自分じぶん oneselfに必要必要ひつよう necessaryらしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない近寄ちかよれない can't draw near (to)気がする。三四郎は早く早はやく soon; right away下宿下宿げしゅく dorm; lodgingsに帰って帰かえって return (to)母母はは motherに手紙手紙てがみ letterを書いて書かいて writeやろうと思った思おもった thought (to do)。

ふと目目め eyes; gazeを上げる上あげる raise; liftと、左手左手ひだりて lefthand (side)の丘丘おか hill; riseの上上うえ top ofに女が二人二人ふたり two (people)立って立たって standいる。女のすぐ下下した belowが池で、向こう側向むこう側がわ other side; opposite sideが高い高たかい high崖崖がけ cliffの木立木立こだち clump of trees; groveで、その後後うしろ behind; in back ofがはでな赤煉瓦赤煉瓦あかれんが red brickのゴシック風ゴシック風ふう gothic styleの建築建築けんちく buildingである。そうして落ちかかった日落おちかかった日ひ setting sunが、すべての向こうから横横よこ sidewaysに光光ひかり lightをとおしてくる。女はこの夕日夕日ゆうひ evening sunに向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い低ひくい low; sunken陰陰かげ shadowから見ると丘の上はたいへん明るい明あかるい bright。女の一人はまぼしいとみえて、団扇団扇うちわ (round) fanを額額ひたい foreheadのところにかざしてかざして hold upいる。顔顔かお faceはよくわからない。けれども着物着物きもの kimono; dressの色色いろ colors、帯帯おび sashの色はあざやかにわかった。白い白しろい white足袋足袋たび sandal socksの色も目についた。鼻緒鼻緒はなお sandal strapの色はとにかく草履草履ぞうり straw sandalsをはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持って持もって have; holdいない。ただ額に少し少すこし a little; a bit皺を寄せて皺しわを寄よせて with knitted brow、向こう岸岸きし shoreからおいかぶさりそうにおいかぶさりそうに looking like it's trying to cover over、高く池の面に枝枝えだ branchesを伸ばした伸のばした stretched; extended古木古木こぼく old treesの奥奥おく depths; interiorをながめていた。団扇を持った女は少し前へ出て出でて proceedいる。白いほうは一足一足いっそく one step土堤土堤どて embankmentの縁縁ふち edgeからさがっている。三四郎が見ると、二人の姿姿すがた form; shapeが筋かい筋すじかい oblique; diagonalに見える。

この時時とき time; occasion三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の受けた受うけた received感じ感かんじ feeling; impressionはただきれいな色彩色彩しきさい colorsだということであった。けれどもいなか者いなか者もの provincial; unworldlyだから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず口くちにも言いえず cannot articulate、筆筆ふで (writing) brushにも書けない書かけない cannot write。ただ白い白しろい whiteほうが看護婦看護婦かんごふ nurse; caregiverだと思った思おもった thought; surmisedばかりである。

三四郎はまたみとれてみとれて be captivated; be fascinatedいた。すると白いほうが動きだした動うごきだした began to move。用事用事ようじ purpose; objectiveのあるような動き方動うごき方かた manner of movementではなかった。自分の自分じぶんの one's own足足あし feet; legsがいつのまにか動いたというふうであった。見る見みる watch; look onと団扇団扇うちわ (round) fanを持った持もった carried; held女女おんな womanもいつのまにかまた動いている。二人二人ふたり two (people)は申し合わせたように申もうし合あわせたように as if by agreement; as if on cue用のない用ようのない casual; leisurely歩き方歩あるき方かた manner of walkingをして、坂坂さか slopeを降りて来る降おりて来くる descended; came down。三四郎はやっぱり見ていた。

坂の下下した bottomに石橋石橋いしばし stone bridgeがある。渡らなければ渡わたらなければ if one doesn't cross (the bridge)まっすぐに理科大学理科りか大学だいがく college of scienceの方方ほう directionへ出る出でる arrive (at)。渡れば水ぎわ水みずぎわ water's edgeを伝って伝つたって walk beside; followこっちへ来る。二人は石橋を渡った。

団扇はもうかざしていない。左左ひだり leftの手手て handに白い小さな小ちいさな small花花はな flowerを持って、それをかぎながらかぎながら smell来る。かぎながら、鼻鼻はな noseの下にあてがった花を見ながら、歩くので、目目め eyesは伏せて伏ふせて lower; direct downwardいる。それで三四郎から一間一間いっけん 1 ken (about 1.8 meters; about 2 yards)ばかりの所所ところ place; positionへ来てひょいととまった。

「これはなんでしょう」と言って言いって ask; inquire、仰向いた仰向あおむいた looked upward。頭頭あたま headの上上うえ aboveには大きな大おおきな large椎椎しい chinquapin oakの木木き treeが、日の目日ひの目め sunlightのもらないほど厚い厚あつい thick; dense葉葉は leavesを茂らして茂しげらして (cause to) grow thick、丸い丸まるい round形形かたち shape; formに、水ぎわまで張り出して張はり出だして project outward; overhangいた。

「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供子供こども childに物物もの thing; somethingを教える教おしえる teach; instructようであった。

「そう。実実み acornsはなっていないの」と言いながら、仰向いた顔顔かお faceをもとへもどす、その拍子拍子ひょうし momentに三四郎を一目一目ひとめ one glance見た。三四郎はたしかに女の黒目黒目くろめ pupilsの動く刹那刹那せつな instantを意識した意識いしきした perceived; was conscious of。その時時とき time; moment色彩の感じはことごとく消えて消きえて disappeared、なんともいえぬある物に出会った出会であった met with; ran against。そのある物は汽車汽車きしゃ (steam) trainの女に「あなたは度胸のない度胸どきょうのない timid; faintheartedかたですね」と言われた時の感じとどこか似通って似通にかよって closely resembleいる。三四郎は恐ろしく恐おそろしく anxious; apprehensiveなった。

二人二人ふたり two (people)の女女おんな womenは三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)の前前まえ front ofを通り過ぎる通とおり過すぎる pass by。若い若わかい youngほうが今今いま now; the presentまでかいでいた白い白しろい white花花はな flowerを三四郎の前へ落として落おとして drop; let fall行った行いった went (by)。三四郎は二人の後姿後姿うしろすがた retreating figure; view of one walking awayをじっと見つめて見みつめて gaze at; look (after)いた。看護婦看護婦かんごふ nurseは先先さき ahead; in frontへ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色色いろ colorsのなかに、白い薄薄すすき susuki grassを染め抜いた染そめ抜ぬいた left undyed (same color as base material)帯帯おび sashが見える。頭頭あたま headにもまっ白なまっ白しろな pure white薔薇薔薇ばら roseを一つ一ひとつ one (thing)さしている。その薔薇が椎椎しい chinquapin oakの木陰木陰こかげ shade of a treeの下下した under; beneathの、黒い黒くろい black髪髪かみ hairのなかできわだってきわだって be conspicuous; be prominent光って光ひかって shoneいた。

三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな小ちいさな small声声こえ voiceで「矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyだ」と言った言いった said; murmured。大学大学だいがく universityの空気空気くうき air; atmosphereとあの女が矛盾なのだか、あの色彩色彩しきさい colors; colorationとあの目つき目めつき look in a person's eyesが矛盾なのだか、あの女を見て汽車汽車きしゃ (steam) trainの女を思い出した思おもい出だした recalled; rememberedのが矛盾なのだか、それとも未来未来みらい futureに対するに対たいする with respect to自分の自分じぶんの one's own方針方針ほうしん plan; purposeが二道二道ふたみち fork in the road; crossroadsに矛盾しているのか、または非常に非常ひじょうに exceedinglyうれしいものに対して恐れ恐おそれ anxietyをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出いなか出で fresh from the countryの青年青年せいねん youth; young manには、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。

三四郎は女の落として行った花を拾った拾ひろった picked up。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池池いけ pondの中へ中なかへ into投げ込んだ投なげ込こんだ threw; tossed。花は浮いて浮ういて floatいる。すると突然突然とつぜん suddenly向こう向むこう other sideで自分の名名な nameを呼んだ呼よんだ called者者もの personがある。

三四郎は花から目を放した放はなした removed; separated。見ると野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)が石橋石橋いしばし stone bridgeの向こうに長く長ながく tall立って立たって standいる。

「君君きみ youまだいたんですか」と言う。三四郎は答答こたえ responseをするまえに、立ってのそのそのそのそ slowly; lazily歩いて行った歩あるいて行いった went walking (toward)。石橋の上上うえ on; top ofまで来て来きて came (to); reached、

「ええ」と言った。なんとなくまが抜けてまが抜ぬけて be awkward; feel oddいる。けれども野々宮君は、少しも少すこしも (not) in the least驚かない驚おどろかない be surprised。

「涼しい涼すずしい coolですか」と聞いた聞きいた asked。三四郎はまた、

「ええ」と言った。

野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)はしばらく池池いけ pondの水水みず waterをながめていたが、右右みぎ right (side)の手手て handをポケットへ入れて入いれて put into何か何なにか something捜しだした捜さがしだした began searching for。ポケットから半分半分はんぶん half; halfway封筒封筒ふうとう envelopeがはみ出してはみ出だして stick out; protrudeいる。その上上うえ surfaceに書いて書かいて writeある字字じ characters (writing)が女女おんな womanの手跡手跡しゅせき handwritingらしい。野々宮君は思う思おもう think (of); hope for物物もの article; objectを捜しあてなかったとみえて、もとのとおりの手を出してぶらりと下げたぶらりと下さげた dangled; let drop。そうして、こう言った言いった said。

「きょうは少し少すこし somewhat; a bit装置装置そうち instrumentationが狂った狂くるった be out of sortsので晩晩ばん evening; nightの実験実験じっけん experimentはやめだ。これから本郷本郷ほんごう Hongō (part of Tōkyō)の方方ほう directionを散歩して散歩さんぽして walk (through)帰ろう帰かえろう return homeと思うが、君君きみ youどうです、いっしょに歩きません歩あるきません walk (used in negative for question)か」

三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は快く快こころよく gladly; readily応じた応おうじた accepted。二人二人ふたり two (people)で坂坂さか slopeを上がって上あがって ascended; climbed、丘丘おか hill; riseの上へ出た出でた arrived (at); reached。野々宮君はさっき女の立っていた立たっていた were standingあたりでちょっととまって、向こう向むこう other side; opposite sideの青い青あおい green木立木立こだち clump of trees; groveのあいだから見える見みえる be visible赤い赤あかい red建物建物たてもの buildingと、崖崖がけ cliffの高い高たかい highわりにわりに in comparison to、水の落ちた落おちた drop; come down池をいちめんに見渡して見渡みわたして look out over、

「ちょっといい景色景色けしき scenery; viewでしょう。あの建築建築ビルジング buildingの角度角度アングル angle; cornerのところだけが少し出ている。木木き treesのあいだから。ね。いいでしょう。君気がついて気きがついて notice; be aware ofいますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科工科こうか engineeringもよくできてるがこのほうがうまいですね」

三四郎は野々宮君の鑑賞力鑑賞力かんしょうりょく keenness of observationに少々少々しょうしょう somewhat; a little驚いた驚おどろいた impressed。実実じつ truthをいうと自分自分じぶん oneselfにはどっちがいいかまるでわからないのである。そこで今度今度こんど this timeは三四郎のほうが、はあ、はあと言い出した言いい出だした began saying; began responding with。

「それから、この木と水の感じ感じエフフェクト effect; impressionがね。――たいしたものじゃないが、なにしろ東京東京とうきょう Tōkyōのまん中まん中なか heart; dead center (of)にあるんだから――静か静しずか quiet; peacefulでしょう。こういう所所ところ placeでないと学問学問がくもん studies; scholarshipをやるにはいけませんね。近ごろ近ちかごろ these days; recentlyは東京があまりやかましくなりすぎて困る困こまる be troubled by; be dissatisfied with。これが御殿御殿ごてん palace; sanctuary」と歩きだしながら、左手左手ゆんで left hand (lit: bow hand; also written 弓手)の建物をさしてみせる。「教授会教授会きょうじゅかい faculty meetingsをやる所です。うむなに、ぼくなんか出ないでいいのです。ぼくは穴倉穴倉あなぐら basement; cellar生活生活せいかつ life; daily routineをやっていればすむのです。近ごろの学問は非常な非常ひじょうな extreme勢い勢いきおい force; vigorで動いて動うごいて move; advanceいるので、少しゆだんすると、すぐ取り残されて取とり残のこされて be left behindしまう。人が見ると穴倉の中中なか inside; interiorで冗談冗談じょうだん boondoggle; monkey businessをしているようだが、これでもやっている当人当人とうにん person in questionの頭頭あたま headの中は劇烈に劇烈げきれつに keenly; intensely働いて働はたらいて work; endeavorいるんですよ。電車電車でんしゃ electric trainよりよっぽど激しく激はげしく furiously; strenuously働いているかもしれない。だから夏夏なつ summerでも旅行旅行りょこう travelをするのが惜しくって惜おしくって wasteful; resulting in regretね」と言いながら仰向いて仰向あおむいて looking upward大きな大おおきな large; spacious空空そら skyを見た。空にはもう日日ひ sunの光光ひかり light; raysが乏しい乏とぼしい scarce; faint。

青い青あおい blue空空そら skyの静まり返った静しずまり返かえった calmed; quieted、上皮上皮うわかわ upper layerに白い白しろい white薄雲薄雲うすぐも thin cloudsが刷毛先刷毛先はけさき tip of a brushでかき払ったかき払はらった swept off; brushed awayあとのように、筋かいに筋すじかいに obliquely; diagonally長く長ながく long; drawn out浮いて浮ういて floatいる。

「あれを知ってます知しってます know of; be familiar withか」と言う言いう ask。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)は仰いで仰あおいで look up半透明半透明はんとうめい translucent; semi-transparentの雲雲くも cloudsを見た見みた looked at。

「あれは、みんな雪雪ゆき snowの粉粉こ powder; dustですよ。こうやって下下した belowから見ると、ちっとも動いて動うごいて move; be in motionいない。しかしあれで地上地上ちじょう the earth's surfaceに起こる起おこる occur; take place颶風颶風ぐふう typhoon; cyclone以上以上いじょう more than; in excess (of)の速力速力そくりょく speed; velocityで動いているんですよ。――君君きみ youラスキンラスキン John Ruskin (English art critic and writer; 1819-1900)を読みました読よみました readか」

三四郎は憮然として憮然ぶぜんとして with disappointment読まないと答えた答こたえた answered。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)はただ

「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、

「この空を写生写生しゃせい sketching; drawing from natureしたらおもしろいですね。――原口原口はらぐち Haraguchi (name)にでも話して話はなして tell; mentionやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工画工がこう painterの名前名前なまえ nameを知らなかった。

二人二人ふたり two (people)はベルツベルツ Erwin Bälz (German physician 1849-1913; helped introduce Western medicine to Japan)の銅像銅像どうぞう bronze statue; bronze bustの前前まえ front (of)から枳殻寺枳殻寺からたちでら temple in Tōkyō (formally known as Rinshōin 麟祥院りんしょういん)の横横よこ side (of)を電車電車でんしゃ electric trainの通り通とおり thoroughfareへ出た出でた arrived (at)。銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて聞きかれて was asked三四郎はまた弱った弱よわった be puzzled; be stumped。表表おもて main(street)はたいへんにぎやかである。電車がしきりなしに通る。

「君電車はうるさくはないですか」とまた聞かれた。三四郎はうるさいよりすさまじいすさまじい frightful; intimidatingくらいである。しかしただ「ええ」と答えておいた。すると野々宮君は「ぼくもうるさい」と言った。しかしいっこううるさいようにもみえなかった。

「ぼくは車掌車掌しゃとう (train) conductorに教わらないと教おそわらないと unless taught (by)、一人で一人ひとりで by oneself乗換え乗換のりかえ transferが自由に自由じゆうに as one pleasesできない。この二二に two、三三さん three年年ねん yearsむやみにふえたのでね。便利便利べんり convenientになってかえって困る困こまる have difficulty。ぼくの学問学問がくもん studies; researchと同じ同おなじ sameことだ」と言って笑った笑わらった smiled。

学期学期がっき academic termの始まりぎわ始はじまりぎわ just before the start (of)なので新しい新あたらしい new高等学校高等学校こうとうがっこう high school (equivalent to modern-day college)の帽子帽子ぼうし cap; hatをかぶった生徒生徒せいと studentsがだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに愉快ゆかいそうに cheerfully; happily、この連中連中れんじゅう group; companyを見ている。

「だいぶ新しいのが来ました来きました came; arrivedね」と言う。「若い若わかい young人人ひと peopleは活気活気かっき vitality; vigorがあっていい。ときにときに by the way君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳宿帳やどちょう inn registerへ書いた書かいた wroteとおりを答えた答こたえた answered。すると、

「それじゃぼくより七つ七ななつ seven (years of age)ばかり若い。七年七年しちねん seven years (time)もあると、人間人間にんげん a personはたいていの事事こと things; mattersができる。しかし月日月日つきひ months and days; timeはたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当本当ほんとう truth; realityなんだか、三四郎にはわからなかった。

「四角四角よつかど (street) corner; intersection近く近ちかく near (to); vicinity (of)へ来る来くる come (to); arrive (at)と左右左右さゆう left and rightに本屋本屋ほんや book shopと雑誌屋雑誌屋ざっしや magazine standがたくさんある。そのうちの二二に two、三軒三軒さんけん three (shops; establishments)には人人ひと peopleが黒山黒山くろやま great crowd; sea of black headsのようにたかってたかって swarm; gatherいる、そうして雑誌を読んで読よんで read; look atいる。そうして買わずに買かわずに without buying行って行いって go (on one's way)しまう。野々宮野々宮ののみや Nonomiya (name)君君くん (suffix of familiarity for males)は、

「みんなずるいなあ」と言って言いって say; remark笑って笑わらって laughいる。もっとも当人当人とうにん the person in questionもちょいと太陽太陽たいよう Sun (name of a periodical)をあけてみた。

四角へ出る出でる arrive (at)と、左手左手ひだりて lefthand sideのこちら側こちら側がわ near sideに西洋西洋せいよう Western小間物屋小間物屋こまものや haberdashery; small wares shopがあって、向こう側向むこう側がわ other side; far sideに日本日本にほん Japanese小間物屋がある。そのあいだを電車電車でんしゃ (electric) trainがぐるっと曲がって曲まがって corner; turn、非常な非常ひじょうな extraordinary; remarkable勢い勢いきおい force; powerで通る通とおる pass through。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくい渡わたりにくい difficult to crossほど雑踏する雑踏ざっとうする be crowded; be congested。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、

「あすこでちょいと買物買物かいもの shopping; purchaseをしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴る鳴なる ring; clangあいだを駆け抜けた駆かけ抜ぬけた ran through; dashed through。三四郎三四郎さんしろう Sanshirō (name)もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店店みせ shopへはいった。表表おもて out frontに待って待まって waitいた三四郎が、気がついて見る気きがついて見みる take notice (and look)と、店先店先みせさき storefrontのガラス張りのガラス張ばりの glassed-in棚棚たな shelfに櫛櫛くし combsだの花簪花簪はなかんざし floral hairpinだのが並べて並ならべて line up; lay outある。三四郎は妙妙みょう odd; strangeに思った思おもった thought; considered。野々宮君が何何なに what (sort of thing)を買っているのかしらと、不審を起こして不審ふしんを起おこして arouse one's curiosity、店の中中なか insideへはいってみると、蝉蝉せみ cicadaの羽根羽根はね wingのようなリボンをぶら下げてぶら下さげて dangle、

「どうですか」と聞かれた聞きかれた was asked。三四郎はこの時時とき time; occasion自分自分じぶん oneselfも何か買って、鮎鮎あゆ ayu (kind of fish)のお礼お礼れい thanks; acknowledgementに三輪田のお光三輪田みわたのお光みつ Omitsu Miwata (name)さんに送って送おくって send (to)やろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての手前てまえがっての egotistic理屈理屈りくつ theory; reasoningをつけるに違いないに違ちがいない no doubt ...と考えた考かんがえた consideredからやめにした。

それから真砂町真砂町まさごちょう Masagochō (place name)で野々宮君に西洋料理西洋料理せいようりょうり Western-style cuisineのごちそうになった。野々宮君の話話はなし story; explanationでは本郷本郷ほんごう Hongō (place name)でいちばんうまい家家うち house; establishmentだそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味味あじ flavorがするだけであった。しかし食べる食たべる eatことはみんな食べた。

西洋料理屋西洋料理屋せいようりょうりや Western-style restaurantの前で野々宮君に別れて別わかれて part ways、追分追分おいわけ Oiwake (place name)に帰る帰かえる return (home)ところを丁寧に丁寧ていねいに carefullyもとの四角まで出て、左左ひだり leftへ折れた折おれた turned (toward)。下駄下駄げた wooden sandalsを買おう買かおう buy; purchaseと思って、下駄屋下駄屋げたや sandal shopをのぞきこんだら、白熱ガス白熱はくねつガス incandescent gas (lamp)の下下した below; beneathに、まっ白まっ白しろ pure whiteに塗り立てた塗ぬり立たてた powdered (one's face)娘娘むすめ girlが、石膏石膏せっこう plasterの化物化物ばけもの goblin; apparitionのようにすわっていたので、急に急きゅうに suddenlyいやになってやめた。それから家へ帰るあいだ、大学大学だいがく universityの池池いけ pondの縁縁ふち edgeで会った会あった met; encountered女女おんな womanの、顔顔かお faceの色色いろ color; complexionばかり考えていた。――その色は薄く薄うすく lightly餅餅もち rice cakeをこがしたこがした toasted; singedような狐色狐色きつねいろ light brown (lit: fox color)であった。そうして肌理肌理きめ (skin) textureが非常に細か細こまか delicate; fineであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した断定だんていした concluded; made up one's mind。