Kokoro - Sensei's Testament - 28-36

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二十八二十八にじゅうはち (part) 28

「Kはあまり旅旅たび travel; trip; journeyへ出ない出でない not go out; not set out (on)男男おとこ man; fellowでした。私私わたくし I; meにも房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)は始めて始はじめて the first timeでした。二人二人ふたり two (people); the two of usは何にも知らない何なんにも知しらない not know anythingで、船船ふね boatが一番先一番先いちばんさき before all others; firstへ着いた着ついた arrived所所ところ placeから上陸した上陸じょうりくした went ashore; disembarkedのです。たしか保田保田ほた Hota (place name)とかいいました。今今いま now; the presentではどんなに変って変かわって change; be transformedいるか知りませんが、その頃頃ころ timeはひどい漁村漁村ぎょそん fishing villageでした。第一第一だいち first of all (usually 第一だいいち)どこもかしこもどこもかしこも everywhere; throughout腥い腥なまぐさい smelling of fishのです。それから海海うみ seaへ入る入はいる enter; go intoと、波波なみ wavesに押し倒されて押おし倒たおされて be knocked over; be pushed down、すぐ手手て handsだの足足あし feetだのを擦り剥く擦すり剥むく skin; scrapeのです。拳拳こぶし fistのような大きな大おおきな big; large石石いし stonesが打ち寄せる打うち寄よせる break onto (the shore)波に揉まれて揉もまれて be jostled; be pushed and shoved、始終始終しじゅう continuouslyごろごろしているのです。

私はすぐ厭厭いや unpleasant; not to one's likingになりました。しかしKは好い好いい good; fineとも悪い悪わるい no good; unacceptableともいいません。少なくとも少すくなくとも at least; at any rate顔付顔付かおつき countenance; expressionだけは平気平気へいき cool; calm; indifferentなものでした。そのくせ彼彼かれ he; himは海へ入るたんびにどこかに怪我怪我けが wound; abrasionをしない事事こと case; instanceはなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて説とき伏ふせて persuade; convince; prevail over、そこから富浦富浦とみうら Tomiura (place name)に行きました行ゆきました went to。富浦からまた那古那古なこ Nako (place name; more commonly referred to as Nago)に移りました移うつりました moved on (to)。すべてこの沿岸沿岸えんがん coast; shoreはその時分その時分じぶん that time; those daysから重に重おもに mainly; for the most part学生学生がくせい studentの集まる集あつまる gather; congregate所でしたから、どこでも我々我々われわれ we; usにはちょうど手頃の手頃てごろの appropriate; suitable海水浴場海水かいすい浴場よくじょう swimming beach; bathing beachだったのです。Kと私はよく海岸海岸かいがん seashore; seasideの岩岩いわ rock; boulderの上上うえ top ofに坐って坐すわって sit down; seat oneself、遠い遠とおい far off; distant海の色色いろ color; hueや、近い近ちかい near; close水水みず waterの底底そこ bottom; depthsを眺めました眺ながめました gazed upon。岩の上から見下す見下みおろす look down on; survey from above水は、また特別に特別とくべつに especially綺麗な綺麗きれいな beautiful; pleasing to the eyeものでした。赤い赤あかい red色だの藍藍あい indigoの色だの、普通普通ふつう ordinarily市場市場しじょう marketplace; marketに上らない上のぼらない not reach; not be brought up toような色をした小魚小魚こうお small fishが、透き通る透すき通とおる clear; transparent波の中中なか middle; midstをあちらこちらと泳いで泳およいで swimいるのが鮮やかに鮮あざやかに brilliantly; vividly指さされました指ゆびさされました were there to see; caught one's sight。

私はそこに坐って、よく書物書物しょもつ bookをひろげました。Kは何も何なにも (no)thingせずに黙って黙だまって remain silentいる方方ほう alternative; chosen stateが多かった多おおかった was (more) common; was (more) frequentのです。私にはそれが考えに耽っている考かんがえに耽ふけっている be lost in thoughtのか、景色景色けしき scenery; surroundingsに見惚れている見惚みとれている be taken; be captivated (by)のか、もしくは好きな好すきな pleasant; enjoyable想像想像そうぞう reverie; musingを描いて描えがいて picture; form (in one's mind)いるのか、全く解らなかった全まったく解わからなかった had no ideaのです。私は時々時々ときどき occasionally; from time to time眼眼め eyesを上げて上あげて lift; raise、Kに何をしているのだと聞きました聞ききました asked; inquired。Kは何もしていないと一口一口ひとくち in short答える答こたえる answer; replyだけでした。私は自分の自分じぶんの one's own傍傍そば side; proximityにこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんお嬢じょうさん (the) daughter; young ladyだったらさぞ愉快愉快ゆかい pleasant; agreeableだろうと思う思おもう think about; consider事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時には時ときには at timesKの方でも私と同じ同おなじ the sameような希望希望きぼう hope; desireを抱いて抱いだいて hold; harbor; embrace岩の上に坐っているのではないかしらと忽然忽然こつぜん suddenly; out of nowhere疑い出す疑うたがい出だす begin to suspectのです。 {paragraph continues below}

すると落ち付いて落おち付ついて settled; relaxedそこに書物書物しょもつ bookをひろげているのが急に急きゅうに suddenly厭厭いや disagreeable; unpleasantになります。私私わたくし I; meは不意に不意ふいに abruptly; without provocation立ち上ります立たち上あがります stand up。そうして遠慮のない遠慮えんりょのない unrestrained大きな大おおきな big; loud (voice)声声こえ voiceを出して出だして put forth; send out; emit怒鳴ります怒鳴どなります yell; shout。纏まった纏まとまった coherent; intelligible詩詩し poem; verseだの歌歌うた songだのを面白そうに面白おもしろそうに in a studied manner; with feeling吟ずる吟ぎんずる recite; singような手緩い手緩てぬるい controlled; methodical事事こと act; actionはできないのです。ただ野蛮人野蛮人やばんじん wild man; savageのごとくにわめくのです。ある時時とき time; occasion私は突然突然とつぜん suddenly彼彼かれ he; himの襟頸襟頸えりくび nape; back of the neckを後ろ後うしろ behind; in backからぐいと攫みました攫つかみました grasped; seized。こうして海海うみ seaの中中なか middle; midstへ突き落したら突つき落おとしたら thrust down (into)どうするといってKに聞きました聞ききました asked。Kは動きませんでした動うごきませんでした didn't move; didn't stir。後ろ向き後うしろ向むき facing awayのまま、ちょうど好いちょうど好いい perfect; just fine、やってくれと答えました答こたえました answered; replied。私はすぐ首筋首筋くびすじ back of the neck; scruff of the neckを抑えた抑おさえた held; grasped手手て handsを放しました放はなしました let go; released。

Kの神経衰弱神経しんけい衰弱すいじゃく frayed nervesはこの時もう大分大分だいぶ very much; a great dealよくなっていたらしいのです。それと反比例に反比例はんひれいに in inverse proportion、私の方方ほう side; alternative (of two choices)は段々段々だんだん gradually; bit by bit過敏過敏かびん oversensitive; high-strungになって来ていたなって来きていた had becomeのです。私は自分自分じぶん oneselfより落ち付いている落おち付ついている calm; composed; self-assuredKを見て見みて see; look at、羨ましがりました羨うらやましがりました was prone to envy。また憎らしがりました憎にくらしがりました was prone to loathing。彼はどうしても私に取り合う取とり合あう give one's attention to; lend one's ear to気色気色けしき sign; indicationを見せなかったからです。私にはそれが一種の一種いっしゅの a certain kind of自信自信じしん confidenceのごとく映りました映うつりました was reflected; came across (as)。しかしその自信を彼に認めた認みとめた recognized; acknowledgedところで、私は決して決けっして by (no) means満足できなかった満足まんぞくできなかった was not satisfied; was not contentのです。私の疑い疑うたがい suspicion; distrustはもう一歩一歩いっぽ one step前前まえ forwardへ出て出でて move (forward); advance、その性質性質せいしつ nature; characterを明らめたがりました明あきらめたがりました wanted to clarify; wanted to ascertain。彼は学問学問がくもん studiesなり事業事業じぎょう livelihood; professionなりについて、これから自分の進んで行く進すすんで行ゆく proceed; carry onべき前途前途ぜんと forward path; future prospects; outlookの光明光明こうみょう hope; optimismを再び再ふたたび once more; once again取り返した取とり返かえした recovered; regained心持心持こころもち feeling; moodになったのだろうか。単に単たんに simply; merelyそれだけならば、Kと私との利害利害りがい interests; concernsに何の何なんの (no) sort of衝突衝突しょうとつ conflict; clashの起る起おこる arise; come about訳訳わけ reason; causeはないのです。私はかえって世話世話せわ looking after (someone); assistanceのし甲斐し甲斐がい satisfaction of doing (something)があったのを嬉しく思う嬉うれしく思おもう be pleased (with; about)くらいなものです。けれども彼の安心安心あんしん peace of mind; sense of reliefがもしお嬢さんお嬢じょうさん (the) daughter; young ladyに対してに対たいして concerning; with respect toであるとすれば、私は決して彼を許す許ゆるす forgive; tolerate事ができなくなるのです。不思議にも不思議ふしぎにも oddly enough彼は私のお嬢さんを愛している愛あいしている love; cherish; have fallen for素振素振そぶり behavior; bearingに全く全まったく utterly; completely気が付いていない気きが付ついていない unaware of; oblivious toように見えました。無論無論むろん of course私もそれがKの眼に付く眼めに付つく catch one's eye; attract one's noticeようにわざとらしくは振舞いませんでした振舞ふるまいませんでした didn't behave; didn't carry oneselfけれども。Kは元来元来がんらい fundamentally; by natureそういう点点てん aspect; pointにかけると鈍い鈍にぶい dull; obtuse人人ひと person; manなのです。私には最初から最初さいしょから from the startKなら大丈夫大丈夫だいじょうぶ fine; alright; no problemという安心があったので、彼をわざわざ宅宅うち house; homeへ連れて来た連つれて来きた brought (into)のです。

二十九二十九にじゅうく (part) 29

「私私わたくし I; meは思い切って思おもい切きって resolutely自分の自分じぶんの one's own心心こころ heart; mindをKに打ち明けよう打うち明あけよう open (oneself) up; speak candidlyとしました。もっともこれはその時時とき time; occasionに始まった始はじまった began; started訳訳わけ situation; caseでもなかったのです。旅旅たび travelに出ない前出でない前まえ before leavingから、私にはそうした腹腹はら mind; true intentionができていたのですけれども、打ち明ける機会機会きかい chance; opportunityをつらまえる事事こと situation; state (of affairs)も、その機会を作り出す作つくり出だす produce; bring about事も、私の手際手際てぎわ tact; talentsでは旨くゆかなかった旨うまくゆかなかった didn't work outのです。今今いま now; the presentから思う思おもう think about; considerと、その頃頃ころ time私の周囲周囲しゅうい surroundings; environsにいた人間人間にんげん people; menはみんな妙妙みょう strange; curiousでした。女女おんな womenに関してに関かんして in connection to; concerning立ち入った立たち入いった entering into; broaching話話はなし talk; conversationなどをするものは一人一人ひとり one person; single personもありませんでした。中中なか within; amongには話す種種たね material; matterをもたないのも大分大分だいぶ a great deal; a good manyいたでしょうが、たといもっていても黙っている黙だまっている remain silent; hold one's tongueのが普通普通ふつう typical; usualのようでした。比較的比較的ひかくてき relatively自由な自由じゆうな free; unrestricted空気空気くうき air; atmosphereを呼吸して呼吸こきゅうして breatheいる今のあなたがたから見たら見みたら view; look at、定めし定さだめし surely; without doubt変変へん strange; peculiarに思われるでしょう。それが道学道学どうがく ethics; moralsの余習余習よしゅう remaining customs; remnantsなのか、または一種の一種いっしゅの a certain kind ofはにかみはにかみ bashfulness; inhibitionなのか、判断判断はんだん judgmentはあなたの理解理解りかい understanding; discernmentに任せておきます任まかせておきます entrust (to)。

Kと私は何でも何なんでも anything話し合える話はなし合あえる could talk (to each other) about; could discuss中中なか fellows; companyでした。偶には偶たまには on occasion; at times愛愛あい loveとか恋恋こい romanceとかいう問題問題もんだい subject; topic; problemも、口に上らないではありませんでした口くちに上のぼらないではありませんでした wasn't absent from (our) conversationが、いつでも抽象的な抽象的ちゅうしょうてきな abstract理論理論りろん theory; theorizingに落ちて落おちて fall into; end up inしまうだけでした。それも滅多には滅多めったには only occasionally; seldom話題話題わだい subject; topic (of discussion)にならなかったのです。大抵は大抵たいていは usually; more often書物書物しょもつ booksの話と学問学問がくもん studiesの話と、未来未来みらい futureの事業事業じぎょう livelihood; professional lifeと、抱負抱負ほうふ aspirations; ambitionsと、修養修養しゅうよう (mental) training; cultivation of one's mindの話ぐらいで持ち切って持もち切きって talk the whole while ofいたのです。いくら親しくって親したしくって intimate; closeもこう堅くなった堅かたくなった dispassionate; cerebral日日ひ daysには、突然突然とつぜん suddenly; out of the blue調子調子ちょうし tone; moodを崩せる崩くずせる can disrupt; can break apartものではありません。二人二人ふたり two (people); the two of usはただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんお嬢じょうさん (the) daughter; young ladyの事をKに打ち明けようと思い立って思おもい立たって think to; resolve toから、何遍何遍なんべん how many times歯がゆい歯はがゆい vexed; chagrinned不快不快ふかい discomfortに悩まされた悩なやまされた was tormented; was afflicted (by)か知れません知しれません don't know; can't say。私はKの頭頭あたま headのどこか一カ所一いっカ所しょ one place; one spotを突き破って突つき破やぶって break through; breach、そこから柔らかい柔やわらかい mild; tender空気空気くうき airを吹き込んで吹ふき込こんで breathe intoやりたい気気き feelingがしました。

あなたがたから見て笑止千万な笑止千万しょうしせんばんな highly ridiculous; most absurd事もその時の私には実際実際じっさい in fact; in truth大困難大困難だいこんなん great difficulty; considerable distressだったのです。私は旅先旅先たびさき (travel) destinationでも宅宅うち house; homeにいた時と同じ同おなじ the sameように卑怯卑怯ひきょう timid; meekでした。私は始終始終しじゅう continually; the whole while機会を捕える捕とらえる grasp; seize気でKを観察して観察かんさつして watch; observeいながら、変に高踏的な高踏的こうとうてきな highbrow; bookish彼彼かれ he; himの態度態度たいど attitude; mannerをどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓心臓しんぞう heartの周囲は黒い黒くろい black漆漆うるし lacquer; varnishで重く重あつく heavily; thickly塗り固められた塗ぬり固かためられた was hard coatedのも同然同然どうぜん same as; equivalent toでした。私の注ぎ懸けよう注そそぎ懸かけよう pour onto; pour overとする血潮血潮ちしお warm blood; passionは、一滴一滴いってき one drop; single dropもその心臓の中へは入らないで入はいらないで without entering; without penetrating、悉く悉ことごとく fully; entirely弾き返されて弾はじき返かえされて be repelled; be repulsedしまうのです。

或る時或ある時とき at (certain) timesはあまりKの様子様子ようす appearance; aspectが強くて強つよくて rugged; hardened高い高たかい elevated; loftyので、私私わたくし I; meはかえって安心した安心あんしんした felt relieved; was assured事事こと cases; instancesもあります。そうして自分の自分じぶんの one's own疑い疑うたがい distrust; suspicionを腹の中で腹はらの中なかで deep down; inside; to oneself後悔する後悔こうかいする regret; rueと共にと共ともに along with; together with、同じ同おなじ the same腹の中で、Kに詫びました詫わびました apologized。詫びながら自分が非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly下等な下等かとうな base; low; vulgar人間人間にんげん person; manのように見えて見みえて appear; seem、急に急きゅうに suddenly厭な厭いやな disagreeable; unpleasant心持心持こころもち feeling; moodになるのです。しかし少時すると少時しばらくすると after a short while; before long、以前の以前いぜんの previous; prior疑いがまた逆戻り逆戻ぎゃくもどり reversal; comebackをして、強く打ち返して来ます打うち返かえして来きます hit back; bounce back。すべてが疑いから割り出される割わり出だされる be calculated; be inferred (from)のですから、すべてが私には不利益不利益ふりえき unfavorable; disadvantageousでした。容貌容貌ようぼう physical appearance; looksもKの方方ほう alternative (of two choices)が女女おんな women; ladiesに好かれる好すかれる be liked; be preferredように見えました。性質性質せいしつ nature; dispositionも私のようにこせこせこせこせ fussy; fidgety; restlessしていないところが、異性異性いせい the opposite sexには気に入る気きに入いる suit one's taste; be to one's likingだろうと思われました思おもわれました (it) seemed that。どこか間が抜けていて間まが抜ぬけていて be deficient、それでどこかに確かりした確しっかりした strong; solid; secure男らしい男おとこらしい man-like; masculineところのある点点てん point; aspectも、私よりは優勢優勢ゆうせい superiority; ascendancyに見えました。学力学力がくりき scholarship; literary abilityになれば専門専門せんもん specialty; area of expertiseこそ違います違ちがいます differが、私は無論無論むろん of courseKの敵敵てき match; equal (in competition)でないと自覚して自覚じかくして be aware; acknowledgeいました。――すべて向う向むこうう the other partyの好い好いい good; fine; favorableところだけがこう一度に一度いちどに at once眼先眼先めさき before one's eyesへ散らつき出す散ちらつき出だす began to flicker; began to flitと、ちょっと安心した私はすぐ元の元もとの previous; prior; original不安不安ふあん uneasiness; anxietyに立ち返る立たち返かえる come back to; revert toのです。

Kは落ち付かない落おち付つかない unsettled; upset私の様子を見て、厭ならひとまず東京東京とうきょう Tōkyōへ帰って帰かえって return (to)もいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実は実じつは actually; in truthKを東京へ帰したくなかったのかも知れませんかも知しれません it may be that ...。二人二人ふたり two (people); the two of usは房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)の鼻鼻はな nose; point; headlandを廻って廻まわって circle; tour向う側向むこう側がわ far side; opposite sideへ出ました出でました came out (onto); appeared (at)。我々我々われわれ we; usは暑い暑あつい hot日日ひ sunに射られながら射いられながら being hit with、苦しい苦くるしい difficult; arduous思いをして、上総上総かずさ Kazusa (place name)のそこ一里一里いちり one ri (about 4 km; about 2.5 miles)に騙されながら騙だまされながら deceived (by)、うんうんうんうん moaning; groaning歩きました歩あるきました walked。私にはそうして歩いている意味意味いみ meaning; purposeがまるで解らなかった解わからなかった didn't see; failed to graspくらいです。私は冗談半分冗談じょうだん半分はんぶん half-jokinglyKにそういいました。するとKは足足あし legs; feetがあるから歩くのだと答えました答こたえました replied; answered。そうして暑くなると、海海うみ seaに入って行こう入はいって行ゆこう enter; go intoといって、どこでも構わず構かまわず without regard for潮潮しお (salt) waterへ漬りました漬つかりました soaked; immersed (oneself)。その後後あと afterをまた強い強つよい strong; intense日で照り付けられる照てり付つけられる have blazing down on; be beaten down withのですから、身体身体からだ bodyが倦怠くて倦怠だるくて languid; listlessぐたぐたぐたぐた exhausted; worn outになりました。

三十三十さんじゅう (part) 30

「こんな風風ふう way; mannerにして歩いて歩あるいて walkいると、暑さ暑あつさ heatと疲労疲労ひろう fatigueとで自然自然しぜん naturally; in due course身体身体からだ bodyの調子調子ちょうし condition; state of healthが狂って来る狂くるって来くる get out of sortsものです。もっとも病気病気びょうき sickness; illnessとは違います違ちがいます different; dissimilar。急に急きゅうに suddenly他他ひと (other) personの身体の中中なか inside; withinへ、自分自分じぶん oneselfの霊魂霊魂れいこん soul; spiritが宿替宿替やどがえ change of lodgingsをしたような気分気分きぶん feelingになるのです。私私わたくし I; meは平生の通り平生へいぜいの通とおり as usual; as alwaysKと口を利きながら口くちを利ききながら talk to; engage in conversation、どこかで平生の心持心持こころもち feeling; moodと離れる離はなれる be distant (from)ようになりました。彼彼かれ he; himに対するに対たいする with respect to; regarding親しみ親したしみ intimacyも憎しみ憎にくしみ enmity; animosityも、旅中旅中りょちゅう while traveling; on the road限り限かぎり limited toという特別な特別とくべつな special性質性質せいしつ nature; constitutionを帯びる帯おびる take on; be tinged with風になったのです。つまり二人二人ふたり two (people); the two of usは暑さのため、潮潮しお (salt) waterのため、また歩行歩行ほこう walking; trekkingのため、在来在来ざいらい heretofore; until nowと異なった異ことなった different新しい新あたらしい new; fresh関係関係かんけい relationshipに入る入はいる enter (into)事ができた事ことができた was able to ...のでしょう。その時時とき timeの我々我々われわれ we; usはあたかも道づれ道みちづれ fellow wayfarersになった行商行商ぎょうしょう traveling salesmen; peddlersのようなものでした。いくら話話はなし talk; conversationをしてもいつもと違って、頭頭あたま head; mindを使う使つかう use; apply込み入った込こみ入いった deep; difficult; complex問題問題もんだい subjects; topicsには触れませんでした触ふれませんでした didn't touch (on)。

我々はこの調子でとうとう銚子銚子ちょうし Chōshi (place name)まで行った行いった went (as far as)のですが、道中道中どうちゅう along the way; en routeたった一つ一ひとつ one thingの例外例外れいがい exceptionがあったのを今今いま now; the presentに忘れる忘わすれる forget事ができないのです。まだ房州房州ぼうしゅう Bōshū (place name; southern tip of Bōsō peninsula in Chiba Prefecture)を離れない前離はなれない前まえ before taking leave of、二人は小湊小湊こみなと Kominato (place name)という所所ところ place; localeで、鯛の浦鯛たいの浦うら Tai no Ura (small bay famous as spawning ground for tai, or sea bream) を見物しました見物けんぶつしました went to see; visited; toured。もう年数年数ねんすう a number of years; the yearsもよほど経って経たって pass; elapseいますし、それに私にはそれほど興味興味きょうみ interestのない事ですから、判然とは判然はんぜんとは clearly; distinctly覚えていません覚おぼえていません don't rememberが、何でも何なんでも apparently; it seemsそこは日蓮日蓮にちれん Nichiren (Buddhist priest; 1222 - 1282)の生れた生うまれた was born村村むら villageだとかいう話でした。日蓮の生れた日日ひ dayに、鯛鯛たい tai; sea breamが二尾二尾にび two (fish)磯磯いそ shoreに打ち上げられて打うち上あげられて were tossed up (onto)いたとかいう言伝え言伝いいつたえ legend; loreになっているのです。それ以来以来いらい since; from村の漁師漁師りょうし fishermenが鯛をとる事を遠慮して遠慮えんりょして refrain from今に至った今いまに至いたった continued to the presentのだから、浦浦うら inlet; bayには鯛が沢山沢山たくさん large numbers; manyいるのです。我々は小舟小舟こぶね small boatを傭って傭やとって employed; hired、その鯛をわざわざ見に出掛けた見みに出掛でかけた went out to seeのです。

その時私はただ一図に一図いちずに intently; earnestly波波なみ wavesを見ていました。そうしてその波の中に動く動うごく move少し少すこし somewhat; slightly紫がかった紫むらさきがかった purplish鯛の色色いろ colorを、面白い面白おもしろい intriguing; enthralling現象現象げんしょう phenomenon; spectacle; sceneの一つとして飽かず飽あかず untiringly眺めました眺ながめました watched; observed。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかった興味きょうみをもち得えなかった failed to find interest (in)ものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方方ほう alternative (of two things)を頭の中で想像して想像そうぞうして envision; pictureいたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺誕生寺たんじょうじ Tanjōji (temple name)という寺寺てら templeがありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名名な nameを付けた付つけた attached; assignedものでしょう、立派な立派りっぱな splendid; prominent伽藍伽藍がらん temple building; temple structureでした。Kはその寺に行って住持住持じゅうじ chief priestに会ってみる会あってみる call on; visit withといい出しましたいい出だしました suggested; proposed。 {paragraph continues below}

実をいうと実じつをいうと to tell the truth; to be honest、我々我々われわれ we; usはずいぶん変な変へんな odd; strange服装服装なり dress; attireをしていたのです。ことにKは風風かぜ wind; gustのために帽子帽子ぼうし hatを海海うみ seaに吹き飛ばされた吹ふき飛とばされた had blown away結果結果けっか result; consequence、菅笠菅笠すげがさ woven bamboo hatを買って買かって purchase; buy被って被かぶって wear (on one's head)いました。着物着物きもの clothingは固より固もとより of course双方双方そうほう both (of us)とも垢じみた垢あかじみた dirty; filthy; grimy上に上うえに on top of; in addition to汗汗あせ sweatで臭くなっていました臭くさくなっていました had started to smell。私私わたくし I; meは坊さん坊ぼうさん (Buddhist) priestなどに会う会あう meetのは止そう止よそう stop; quit; give up (an idea)といいました。Kは強情強情ごうじょう obstinate; headstrongだから聞きません聞ききません not listen。厭厭いや disagreeable; not to one's likingなら私だけ外外そと outsideに待って待まって waitいろというのです。私は仕方がない仕方しかたがない have no other recourseからいっしょに玄関玄関げんかん entrywayにかかりましたが、心のうちでは心こころのうちでは inwardly; to oneselfきっと断られる断ことわられる be turned down; be refusedに違いないに違ちがいない no doubt ...と思っていました思おもっていました thought; believed。ところが坊さんというものは案外案外あんがい unexpectedly丁寧な丁寧ていねいな courteous; civilもので、広い広ひろい wide; spacious立派な立派りっぱな fine; splendid座敷座敷ざしき room; parlorへ私たちを通して通とおして have brought to; allow into、すぐ会ってくれました。その時分時分じぶん timeの私はKと大分大分だいぶ very much; a great deal考え考かんがえ ideas; notionsが違っていました違ちがっていました were different; were dissimilarから、坊さんとKの談話談話だんわ talk; conversationにそれほど耳を傾ける耳みみを傾かたむける lend an ear; pay attention (to)気気き inclinationも起りませんでした起おこりませんでした didn't ariseが、Kはしきりに日蓮日蓮にちれん Nichiren (Buddhist priest; 1222 - 1282)の事の事こと about; concerningを聞いていたようです。日蓮は草日蓮草そう日蓮にちれん "grass Nichiren"といわれるくらいで、草書草書そうしょ grass script (flowing style of calligraphy)が大変大変たいへん very much; terribly上手上手じょうず masterful; proficientであったと坊さんがいった時時とき time; moment、字字じ charactersの拙い拙まずい inept; sub-parKは、何だ下らない何なんだ下くだらない what worthlessness; what follyという顔顔かお face; (facial) expressionをしたのを私はまだ覚えています覚おぼえています remember; recall。Kはそんな事よりも、もっと深い深ふかい deep; profound意味意味いみ meaning; significanceの日蓮が知りたかった知しりたかった wanted to knowのでしょう。坊さんがその点点てん point; aspectでKを満足させた満足まんぞくさせた satisfiedかどうかは疑問疑問ぎもん question; doubtですが、彼彼かれ he; himは寺寺てら templeの境内境内けいだい groundsを出る出でる leave; depart fromと、しきりに私に向って向むかって turn toward日蓮の事を云々し出しました云々うんぬんし出だしました began to go on about。私は暑くて暑あつくて hot草臥れて草臥くたびれて be tired; be worn out、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で口くちの先さきで with lip service好い加減な好いい加減かげんな halfhearted; lukewarm; perfunctory挨拶挨拶あいさつ responseをしていました。それも面倒面倒めんどう trouble; botherになってしまいには全く全まったく utterly; completely黙ってしまった黙だまってしまった fell silent; ceased respondingのです。

たしかその翌る翌あくる next; following晩晩ばん eveningの事だと思いますが、二人二人ふたり two (people); the two of usは宿宿やど innへ着いて着ついて arrive飯飯めし mealを食って食くって eat、もう寝よう寝ねよう go to bed; turn inという少し少すこし a little; a bit前前まえ beforeになってから、急に急きゅうに all of a sudden; unexpectedlyむずかしい問題問題もんだい subjectを論じ合い出しました論ろんじ合あい出だしました started to argue (about)。Kは昨日昨日きのう the day before自分自分じぶん oneselfの方方ほう sideから話しかけた話はなしかけた brought up in conversation日蓮の事について、私が取り合わなかった取とり合あわなかった didn't show interest; didn't devote one's attentionのを、快く思っていなかった快こころよく思おもっていなかった was not pleased; was put outのです。精神的に精神的せいしんてきに mentally; spiritually向上心向上心こうじょうしん desire for improvement; aspirationがないものは馬鹿馬鹿ばか fool; simpletonだといって、何だか私をさも軽薄もの軽薄けいはくもの trifling; superficial; fickle (person)のようにやり込めるやり込こめる snub; rebukeのです。ところが私の胸胸むね bosom; breastにはお嬢さんお嬢じょうさん (the) daughter; young ladyの事が蟠って蟠わだかまって lurk; hover; occupy (one's mind)いますから、彼の侮蔑侮蔑ぶべつ scorn; contempt; disdainに近いに近ちかい close to; bordering on言葉言葉ことば wordsをただ笑って笑わらって laugh; smile受け取る受うけ取とる accept; let pass訳にいきません訳わけにいきません couldn't ...。私は私で弁解弁解べんかい defenseを始めた始はじめた started on; engaged inのです。

三十一三十一さんじゅういち (part) 31

「その時時とき time; occasion私私わたくし I; meはしきりに人間らしい人間にんげんらしい human; humaneという言葉言葉ことば word; termを使いました使つかいました used; employed。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の自分じぶんの one's own弱点弱点じゃくてん weaknesses; shortcomingsのすべてを隠して隠かくして hide; concealいるというのです。なるほど後後あと afterから考えれば考かんがえれば think about; consider、Kのいう通りいう通とおり just as (someone) saysでした。しかし人間らしくない意味意味いみ meaning; significanceをKに納得させる納得なっとくさせる persuade; convinceためにその言葉を使い出した使つかい出だした put into use; brought out私には、出立点出立点しゅったつてん starting point; premiseがすでに反抗的反抗的はんこうてき argumentative; defiantでしたから、それを反省する反省はんせいする reconsider; backtrack onような余裕余裕よゆう leeway; marginはありません。私はなおの事なおの事こと all the more自説自説じせつ one's own opinionを主張しました主張しゅちょうしました asserted。するとKが彼彼かれ he; himのどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞く聞きく ask; inquireのです。私は彼に告げました告つげました told; informed。――君君きみ youは人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎる人間にんげんらし過すぎる too humanかも知れないかも知しれない it may be that ...のだ。けれども口の先口くちの先さき mouth; one's words; one's utterancesだけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おう振舞ふるまおう behave; conduct oneselfとするのだ。

私がこういった時、彼はただ自分の修養修養しゅうよう training; schoolingが足りない足たりない be insufficient; be lackingから、他他ひと (other) peopleにはそう見える見みえる appear; seemかも知れないと答えた答こたえた answered; respondedだけで、一向一向いっこう (not) in the least私を反駁しよう反駁はんばくしよう push back against; refuteとしませんでした。私は張合いが抜けた張合はりあいが抜ぬけた lost one's enthusiasm; felt deflatedというよりも、かえって気の毒になりました気きの毒どくになりました felt sympathetic toward; felt bad for。私はすぐ議論議論ぎろん argumentをそこで切り上げました切きり上あげました broke off; brought to an end。彼の調子調子ちょうし tone; moodもだんだん沈んで来ました沈しずんで来きました grew somber; darkened。もし私が彼の知っている知しっている know of; be familiar with通り通とおり just as; in the same way昔昔むかし former timesの人人ひと persons; personagesを知るならば、そんな攻撃攻撃こうげき attack; censureはしないだろうといって悵然としていました悵然ちょうぜんとしていました took on a doleful air; fell into sorrow。Kの口にした昔の人とは、無論無論むろん of course英雄英雄えいゆう heroesでもなければ豪傑豪傑ごうけつ great menでもないのです。霊霊れい soul; spiritのために肉肉にく (one's) fleshを虐げたり虐しいたげたり tyrannize; torment、道道みち way; pathのために体体たい the bodyを鞭うったり鞭むちうったり whip; scourgeしたいわゆる難行苦行難行苦行なんぎょうくぎょう penance; hardshipの人を指す指さす indicate; point outのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんで苦くるしんで sufferいるか解らない解わからない not understand; fail to graspのが、いかにも残念残念ざんねん disappointing; unfortunateだと明言しました明言めいげんしました declared; stated。

Kと私とはそれぎり寝てしまいました寝ねてしまいました went to bed; turned in。そうしてその翌る翌あくる next; following日日ひ dayからまた普通の普通ふつうの usual; ordinary行商行商ぎょうしょう traveling salesmen; peddlersの態度態度たいど manner; behaviorに返って返かえって return; revert (to)、うんうんうんうん moaning; groaning汗を流しながら汗あせを流ながしながら sweating; perspiring歩き出した歩あるき出だした started walkingのです。しかし私は路々路々みちみち along the wayその晩晩ばん eveningの事をひょいひょいとひょいひょいと on occasion; often思い出しました思おもい出だしました recalled; recollected。私にはこの上上うえ above; beyondもない好い好いい good; fine; excellent機会機会きかい chance; opportunityが与えられた与あたえられた was givenのに、知らない振り振ふり pretense; guiseをしてなぜそれをやり過ごしたやり過すごした passed up; let slip awayのだろうという悔恨悔恨かいこん regretの念念ねん idea; thought; feelingが燃えた燃もえた burnedのです。私は人間らしいという抽象的な抽象的ちゅうしょうてきな abstract言葉を用いる用もちいる use; apply代りに代かわりに in place of; instead of、もっと直截直截ちょくせつ direct; straighforwardで簡単な簡単かんたんな simple; plain話話はなし talk; conversationをKに打ち明けて打うち明あけて open (oneself) up; speak candidlyしまえば好かった好よかった should have ...と思い出したのです。 {paragraph continues below}

実実じつ truthをいうと、私私わたくし I; meがそんな言葉言葉ことば word; termを創造した創造そうぞうした conjured up; called to mindのも、お嬢さんお嬢じょうさん (the) daughter; young ladyに対するに対たいする with respect to; regarding私の感情感情かんじょう feelings; emotionsが土台土台どだい basis; foundationになっていたのですから、事実事実じじつ realityを蒸溜して蒸溜じょうりゅうして distill拵えた拵こしらえた fabricated; concocted理論理論りろん logical thread; theorizingなどをKの耳耳みみ earに吹き込む吹ふき込こむ blow into; breathe intoよりも、原の原もとの original; fundamental形形かたち shape; formそのままを彼彼かれ he; himの眼の前眼めの前まえ before one's eyesに露出した露出ろしゅつした exposed; disclosed; revealed方方ほう alternative (of two choices)が、私にはたしかに利益利益りえき benefit; advantageだったでしょう。私にそれができなかったのは、学問学問がくもん studies; learning; scholarshipの交際交際こうさい friendship; societyが基調基調きちょう undertoneを構成して構成こうせいして make up; createいる二人二人ふたり two (people); the two of usの親しみ親したしみ intimacy; closenessに、自から自おのずから of its own; as a matter of course一種の一種いっしゅの a certain kind of惰性惰性だせい inertiaがあったため、思い切って思おもい切きって resolutely; daringlyそれを突き破る突つき破やぶる break through; breachだけの勇気勇気ゆうき courage; nerveが私に欠けて欠かけて be missing; be deficientいたのだという事事こと situation; state of affairsをここに自白します自白じはくします confess; acknowledge。気取り過ぎた気取きどり過すぎた too affected; too pretentiousといっても、虚栄心虚栄心きょえいしん vanityが祟った祟たたった worked (its) mischiefといっても同じ同おなじ the same (thing)でしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味意味いみ meaningは、普通普通ふつう usual; ordinaryのとは少し少すこし a little; somewhat違います違ちがいます different。それがあなたに通じさえすれば通つうじさえすれば be communicated; get through (to)、私は満足満足まんぞく satisfied; contentなのです。

我々我々われわれ we; usは真黒になって真黒まっくろになって tanned almost black東京東京とうきょう Tōkyōへ帰りました帰かえりました returned (to)。帰った時時とき timeは私の気分気分きぶん feeling; moodがまた変っていました変かわっていました was changed; was altered。人間らしい人間にんげんらしい human; humaneとか、人間らしくないとかいう小理屈小理屈こりくつ trifling argument; quibbleはほとんど頭の中頭あたまの中なか (in) one's head; one's mindに残って残のこって remainいませんでした。Kにも宗教家らしい宗教家しゅうきょうからしい sage-like様子様子ようす appearance; lookが全く全まったく utterly; completely見えなくなりました見みえなくなりました had disappeared; had vanished; was nowhere to be seen。おそらく彼の心心こころ heart; mindのどこにも霊霊れい soul; spiritがどうの肉肉にく (one's) fleshがどうのという問題問題もんだい problem; questionは、その時宿って宿やどって dwell; resideいなかったでしょう。二人は異人種異人種いじんしゅ alien race; foreign raceのような顔顔かお facesをして、忙しそう忙いそがしそう busy; hurried; bustlingに見える東京をぐるぐる眺めました眺ながめました looked at; gazed on。それから両国両国りょうごく Ryōgoku (place name)へ来て来きて come (to); arrive (at)、暑い暑あつい hotのに軍鶏軍鶏しゃも game fowl; gamecockを食いました食くいました ate。Kはその勢い勢いきおい energy; impetusで小石川小石川こいしかわ Koishikawa (place name)まで歩いて帰ろう歩あるいて帰かえろう walk homeというのです。体力体力たいりょく physical endurance; staminaからいえばKよりも私の方が強い強つよい strong; robustのですから、私はすぐ応じました応おうじました accepted; agreed。

宅宅うち house; homeへ着いた着ついた arrive (at)時、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)は二人の姿姿すがた appearance; conditionを見て驚きました驚おどろきました was surprised; was taken aback。二人はただ色が黒くなった色いろが黒くろくなった tanned almost blackばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変大変たいへん very much; a great deal瘠せてしまった瘠やせてしまった lost weightのです。奥さんはそれでも丈夫そう丈夫じょうぶそう healthy-looking; robust in appearanceになったといって賞めてくれる賞ほめてくれる praise; express admirationのです。お嬢さんは奥さんの矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyがおかしいといってまた笑い出しました笑わらい出だしました broke into laughter。旅行旅行りょこう travel; journey前前まえ before; prior時々時々ときどき sometimes; on occasion腹の立った腹はらの立たった was irritated; grew cross私も、その時だけは愉快な愉快ゆかいな happy; pleasant心持心持こころもち feeling; sensationがしました。場合場合ばあい situation; circumstancesが場合なのと、久しぶりに久ひさしぶりに first time in a while聞いた聞きいた heardせいでしょう。

三十二三十二さんじゅうに (part) 32

「それのみならず私私わたくし I; meはお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyの態度態度たいど manner; behaviorの少し少すこし a little; a bit前前まえ before; priorと変っている変かわっている changed; altered; differentのに気が付きました気きが付つきました noticed; sensed。久しぶりで久ひさしぶりで for the first time in a while旅旅たび travels; wanderingから帰った帰かえった return (home)私たちが平生の通り平生へいぜいの通とおり as usual落ち付く落おち付つく get settledまでには、万事万事ばんじ all thingsについて女女おんな female; womanの手手て care; effortが必要必要ひつよう necessary; needed; requiredだったのですが、その世話世話せわ help; assistanceをしてくれる奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)はとにかく、お嬢さんがすべて私の方方ほう alternative (of two choices)を先にして先さきにして do first、Kを後廻しにする後廻あとまわしにする put aside until laterように見えた見みえた appeared; seemedのです。それを露骨に露骨ろこつに conspicuously; overtlyやられては、私も迷惑した迷惑めいわくした be troubled; be botheredかもしれません。場合場合ばあい situation; circumstancesによってはかえって不快の不快ふかいの unpleasant; objectionable念念ねん sense; feelingさえ起しかねなかったろう起おこしかねなかったろう could well have brought about; might easily have evokedと思う思おもう think; believeのですが、お嬢さんの所作所作しょさ conduct; actionsはその点点てん point; aspectで甚だ甚はなはだ very much; exceedingly要領を得ていた要領ようりょうを得えていた were done just rightから、私は嬉しかった嬉うれしかった was pleasedのです。つまりお嬢さんは私だけに解る解わかる know; realizeように、持前の持前もちまえの characteristic; inherent; natural親切親切しんせつ kindness; considerationを余分に余分よぶんに extra; above and beyond私の方へ割り宛てて割わり宛あてて assign; allot; apportionくれたのです。だからKは別に別べつに particularly厭な厭いやな unpleasant; disagreeable顔顔かお face; (facial) expressionもせずに平気平気へいき unconcerned; indifferentでいました。私は心の中で心こころの中うちで deep down; to oneselfひそかに彼彼かれ he; himに対するに対たいする with respect to; regarding愷歌愷歌がいか victory song (usually 凱歌がいか)を奏しました奏そうしました played; performed。

やがて夏夏なつ summerも過ぎて過すぎて go by; pass九月九月くがつ Septemberの中頃中頃なかごろ (about the) middleから我々我々われわれ we; usはまた学校学校がっこう schoolの課業課業かぎょう lessonsに出席しなければならない出席しゅっせきしなければならない have to attend事事こと situation; state of affairsになりました。Kと私とは各自の各自てんでんの each his own; respective時間時間じかん timeの都合都合つごう circumstances; conditionsで出入り出入でいり coming and goingの刻限刻限こくげん appointed timesにまた遅速遅速ちそく sooner and later; inconsistent timesができてきました。私がKより後れて後おくれて be late; be delayed帰る時時とき times; occasionsは一週一週いっしゅう one weekに三度三度さんど three timesほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影影かげ shadow; traceをKの室室へや roomに認める認みとめる observe; notice事はないようになりました。Kは例の例れいの aforementioned; usual眼眼め eyes; lookを私の方に向けて向むけて turn toward、「今今いま now; just now帰ったのか」を規則規則きそく rule; conventionのごとく繰り返しました繰くり返かえしました repeated。私の会釈会釈えしゃく nod; salutationもほとんど器械のごとく器械きかいのごとく machine-like; mechanical簡単簡単かんたん simple; abruptでかつ無意味無意味むいみ without meaning; of no significanceでした。

たしか十月十月じゅうがつ Octoberの中頃と思います。私は寝坊をした寝坊ねぼうをした slept late; overslept結果結果けっか result; consequence、日本服日本服にほんふく Japanese dress; Japanese attireのまま急いで急いそいで in a hurry; in a rush学校へ出た出でた left; set out (for)事があります。穿物穿物はきもの footwearも編上編上あみあげ high-laced shoesなどを結んで結むすんで tie; fastenいる時間が惜しい惜おしい regrettable; a shameので、草履草履ぞうり Japanese (woven straw) sandalsを突っかけた突つっかけた slipped onなり飛び出した飛とび出だした flew out; dashed offのです。その日日ひ dayは時間割時間割じかんわり (class) scheduleからいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来る戻もどって来くる come back; return homeと、そのつもりで玄関玄関げんかん entry hall; entrywayの格子格子こうし latticework (door)をがらりとがらりと with a clatter; noisily開けた開あけた openedのです。するといないと思っていたKの声声こえ voiceがひょいとひょいと suddenly聞こえました聞きこえました was audible; caught one's ear。同時に同時どうじに at the same timeお嬢さんの笑い声笑わらい声ごえ laughterが私の耳耳みみ earsに響きました響ひびきました reverberated; resounded。私はいつものように手数のかかる手数てかずのかかる be burdensome; be a bother靴靴くつ shoesを穿いて穿はいて wear (on lower body or feet)いないから、すぐ玄関に上がって上あがって come up (into)仕切仕切しきり partition; divisionの襖襖ふすま fusuma (sliding door)を開けました。私は例の通り机机つくえ deskの前に坐っている坐すわっている seated; sittingKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。 {paragraph continues below}

私私わたくし I; meはあたかもKの室室へや roomから逃れ出る逃のがれ出でる escape; flee; take flightように去る去さる leave; departその後姿後姿うしろすがた retreating figureをちらりとちらりと fleetingly認めた認みとめた observed; recognizedだけでした。私はKにどうして早く早はやく early帰った帰かえった returnedのかと問いました問といました asked; inquired。Kは心持が悪い心持こころもちが悪わるい not feeling wellから休んだ休やすんだ stayed home (to rest)のだと答えました答こたえました answered; replied。私が自分自分じぶん one's ownの室にはいってそのまま坐って坐すわって sitいると、間もなく間まもなく before long; shortlyお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyが茶茶ちゃ teaを持って来て持もって来きて bringくれました。その時時とき time; occasionお嬢さんは始めて始はじめて for the first timeお帰りお帰かえり welcome homeといって私に挨拶挨拶あいさつ salutation; greetingをしました。私は笑いながら笑わらいながら with a smileさっきはなぜ逃げた逃にげた ran away; fledんですと聞ける聞きける can askような捌けた捌さばけた sociable; world-wise; sensible男男おとこ man; fellowではありません。それでいて腹の中では腹はらの中なかでは deep down; to oneself何だか何なんだか somehow; in some wayその事事こと matter; affairが気にかかる気きにかかる weigh on one's mindような人間人間にんげん person; manだったのです。お嬢さんはすぐ座を立って座ざを立たって get up (to go)縁側伝いに縁側伝えんがわづたいに along the veranda; following the veranda向う向むこう other side; opposite direction (usually 向むこう)へ行って行いって go (to)しまいました。しかしKの室の前前まえ front ofに立ち留まって立たち留どまって pause; halt、二言三言二言ふたこと三言みこと a few words内内うち insideと外外そと outsideとで話話はなし conversation; exchangeをしていました。それは先刻先刻さっき earlier; a while agoの続き続つづき continuationらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした解わかりませんでした didn't understand; couldn't follow。

そのうちお嬢さんの態度態度たいど manner; behaviorがだんだん平気平気へいき nonchalant; casualになって来ました。Kと私がいっしょに宅宅うち house; homeにいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼彼かれ he; himの名名な nameを呼びました呼よびました called。そうしてそこへ入って入はいって enter; go into、ゆっくりしていました。無論無論むろん of course郵便郵便ゆうびん mail; postを持って来る持もって来くる bring事もあるし、洗濯物洗濯物せんたくもの laundryを置いてゆく置おいてゆく drop off; take in事もあるのですから、そのくらいの交通交通こうつう interaction; exchangeは同じ同おなじ the same宅にいる二人二人ふたり two peopleの関係関係かんけい relationship上上じょう with respect to; regarding、当然当然とうぜん natural; reasonableと見なければならない見みなければならない have to regard asのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したい専有せんゆうしたい want solely for one's ownという強烈な強烈きょうれつな strong; intent一念一念いちねん wholehearted desire; ardent wishに動かされて動うごかされて was moved; was motivated (by)いる私には、どうしてもそれが当然以上以上いじょう beyond; more thanに見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して回避かいひして avoid、Kの方方ほう alternative (of two choices)ばかりへ行く行いく go (to)ように思われる思おもわれる seemed事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわない出でてもらわない have leave; put outのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に無理むりに insistingly; with great effort引張って来た引張ひっぱって来きた brought (to)主意主意しゅい aim; purposeが立たなくなる立たたなくなる be for noughtだけです。私にはそれができないのです。

三十三三十三さんじゅうさん (part) 33

「十一月十一月じゅういちがつ Novemberの寒い寒さむい cold雨雨あめ rainの降る降ふる fall; come down (precipitation)日日ひ dayの事事こと happening; affairでした。私私わたくし I; meは外套外套がいとう overcoat; mantleを濡らして濡ぬらして get wet; soak例の通り例れいの通とおり as always; as usual蒟蒻閻魔蒟蒻こんにゃく閻魔えんま Konnyaku Enma (temple name; also known as Genkaku-ji)を抜けて抜ぬけて cut through細い細ほそい narrow坂路坂路さかみち sloping road; sloping laneを上って上あがって go up; ascend; climb宅宅うち house; homeへ帰りました帰かえりました returned (to)。Kの室室へや roomは空虚空虚がらんどう empty; vacantでしたけれども、火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierには継ぎたての火継つぎたての火ひ rekindled fireが暖かそうに暖あたたかそうに warmly; in a cozy manner燃えていました燃もえていました was burning。私も冷たい冷つめたい cold手手て handsを早く早はやく soon赤い赤あかい red炭炭すみ charcoal; coalsの上上うえ over; aboveに翳そう翳かざそう hold up (in front of)と思って思おもって think (to do)、急いで急いそいで hurriedly自分の自分じぶんの one's own室の仕切り仕切しきり partitionを開けました開あけました opened。すると私の火鉢には冷たい灰灰はい ashesが白く白しろく with a white color残って残のこって remain; be leftいるだけで、火種火種ひだね live coal; glowing emberさえ尽きている尽つきている be consumed; be all goneのです。私は急に急きゅうに suddenly; at once不愉快不愉快ふゆかい unhappy; discontentになりました。

その時時とき time; occasion私の足音足音あしおと footstepsを聞いて聞きいて hear出て来た出でて来きた came out; appearedのは、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)でした。奥さんは黙って黙だまって in silence室の真中真中まんなか middle; centerに立っている立たっている be standing私を見て見みて see、気の毒そうに気きの毒どくそうに sympathetically外套を脱がせてくれたり脱ぬがせてくれたり help (someone) out of (their clothing)、日本服日本服にほんふく Japanese dress; Japanese attireを着せてくれたりしました着きせてくれたりしました helped into; helped to put on (clothing)。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の次つぎの next; adjacent; adjoining間間ま room; spaceからKの火鉢を持って来て持もって来きて bringくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました答こたえました answered; replied。その日もKは私より後れて後おくれて later; delayed帰る時間割時間割じかんわり (class) scheduleだったのですから、私はどうした訳訳わけ circumstances; situationかと思いました。奥さんは大方大方おおかた probably; likely用事用事ようじ business (to attend to); errandでもできたのだろうといっていました。

私はしばらくそこに坐った坐すわった satまま書見書見しょけん readingをしました。宅の中中なか insideがしんと静まって静しずまって be quiet; be still、誰誰だれ (no) oneの話し声話はなし声ごえ (talking; speaking) voiceも聞こえないうちに、初冬初冬はつふゆ early winterの寒さと佗びしさ佗わびしさ loneliness; drearinessとが、私の身体身体からだ body; beingに食い込む食くい込こむ bite into; penetrateような感じ感かんじ feelingがしました。私はすぐ書物書物しょもつ bookを伏せて伏ふせて turn over; lay face down立ち上りました立たち上あがりました stood up。私はふと賑やかな賑にぎやかな busy; lively所所ところ placeへ行きたくなった行ゆきたくなった wanted to go (to)のです。雨はやっと歇った歇あがった let up; stoppedようですが、空空そら skyはまだ冷たい鉛鉛なまり lead (metal)のように重く見えた重おもく見みえた looked heavyので、私は用心用心ようじん precautionのため、蛇の目蛇じゃの目め paper umbrella with a bull's-eye design (short for 蛇じゃの目め傘がさ)を肩に担いで肩かたに担かついで carry over one's shoulder、砲兵工廠砲兵ほうへい工廠こうしょう arsenal; armoryの裏手裏手うらて back sideの土塀土塀どべい earthen wallについて東東ひがし eastへ坂坂さか slopeを下りました下おりました descended。その時分時分じぶん time; periodはまだ道路道路どうろ road; streetの改正改正かいせい improvementsができない頃頃ころ time; daysなので、坂の勾配勾配こうばい gradient; pitch; inclineが今今いま now; the presentよりもずっと急急きゅう precipitous; steepでした。道幅道幅みちはば width of a roadも狭くて狭せまくて narrow、ああ真直真直まっすぐ straightではなかったのです。その上あの谷谷たに valleyへ下りると、南南みなみ southが高い高たかい tall建物建物たてもの buildings; structuresで塞がっている塞ふさがっている be blocked off; be obstructed; be closedのと、放水放水みずはき drainageがよくないのとで、往来往来おうらい road; streetはどろどろでした。ことに細い石橋石橋いしばし stone bridgeを渡って渡わたって go over; cross柳町柳町やなぎちょう Yanagi-chō (place name)の通り通とおり avenue; roadへ出る間間あいだ interval; spanが非道かった非道ひどかった was terrible; was awfulのです。 {paragraph continues below}

足駄足駄あしだ rain clogs (stilted sandals)でも長靴長靴ながぐつ high bootsでもむやみにむやみに rashly; indiscriminately歩く歩あるく walk; step訳にはゆきません訳わけにはゆきません one couldn't ...; it wouldn't do to ...。誰でも誰だれでも anyone路路みち road; laneの真中真中まんなか centerに自然と自然しぜんと naturally細長く細長ほそながく long and narrow泥泥どろ mud; muckが掻き分けられた掻かき分わけられた be pushed aside所所ところ placeを、後生後生ごしょう by all means大事に大事だいじに with care; taking care辿って行かなければならない辿たどって行ゆかなければならない had to follow; was compelled to followのです。その幅幅はば widthは僅か僅わずか only; merely; just一、二尺一いち、二に尺しゃく 1 or 2 shaku (30 to 60 cm; 1 or 2 feet)しかないのですから、手もなく手てもなく just like; as it were往来往来おうらい road; streetに敷いてある敷しいてある be spread; be laid out (over)帯帯おび belt; band; stripの上上うえ top ofを踏んで踏ふんで step on; tread on向う向むこう other side; opposite direction (usually 向むこう)へ越す越こす cross over (to)のと同じ同おなじ the same事事こと situationです。行く人人ひと peopleはみんな一列一列いちれつ single fileになってそろそろそろそろ slowly; steadily通り抜けます通とおり抜ぬけます pass through。私私わたくし I; meはこの細帯細帯ほそおび narrow belt; narrow stripの上で、はたりとはたりと suddenly (= はたと)Kに出合いました出合であいました met; encountered。足足あし feetの方方ほう directionにばかり気を取られていた気きを取とられていた give one's attention (to); be preoccupied (with)私は、彼彼かれ he; himと向き合う向むき合あう be face to face (with)まで、彼の存在存在そんざい existence; presenceにまるで気が付かずに気きが付つかずに without noticing; unawaresいたのです。私は不意に不意ふいに abruptly自分自分じぶん oneselfの前前まえ front ofが塞がった塞ふさがった was blocked; was obstructedので偶然偶然ぐうぜん as it happened眼眼め eyesを上げた上あげた lifted; raised時時とき time; moment、始めて始はじめて for the first timeそこに立っている立たっている be standingKを認めた認みとめた noticed; recognizedのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました聞ききました asked。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答え答こたえ answer; replyはいつもの通りいつもの通とおり as alwaysふんという調子ふんという調子ちょうし terse in mannerでした。Kと私は細い帯の上で身体を替せました身体からだを替かわせました switched places; maneuvered around each other。するとKのすぐ後ろ後うしろ behind; in backに一人一人ひとり one person; single personの若い若わかい young女女おんな woman; ladyが立っているのが見えました見みえました became apparent。近眼近眼きんがん nearsightednessの私には、今今いま now; the presentまでそれがよく分らなかった分わからなかった didn't know; couldn't tellのですが、Kをやり越したやり越こした passed; cleared後後あと afterで、その女の顔顔かお faceを見ると、それが宅宅うち (our) house; homeのお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyだったので、私は少なからず少すくなからず not a little bit; to no small extent驚きました驚おどろきました was surprised。お嬢さんは心持心持こころもち slightly; a touch薄赤い薄赤うすあかい lightly blushing顔をして、私に挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationをしました。その時分時分じぶん time; periodの束髪束髪そくはつ hairstyleは今と違って違ちがって different (from); unlike廂廂ひさし brim; peak (of the hair when styled)が出ていないのです、そうして頭頭あたま headの真中に蛇蛇へび serpent; snakeのようにぐるぐる巻きつけてぐるぐる巻まきつけて wind in circlesあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の次つぎの next; following瞬間瞬間しゅんかん moment; instantに、どっちか路を譲らなければならない譲ゆずらなければならない have to yieldのだという事に気が付きました。私は思い切って思おもい切きって resolutelyどろどろの中中なか middleへ片足片足かたあし one foot踏ん込みました踏ふん込こみました stepped into (= 踏ふみ込こみました)。そうして比較的比較的ひかくてき relatively; comparatively通りやすい所を空けて空あけて open、お嬢さんを渡してやりました渡わたしてやりました let by。

それから柳町柳町やなぎちょう Yanagi-chō (place name)の通り通とおり avenue; roadへ出た私はどこへ行って好い好いい good; well; fineか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くない面白おもしろくない of no interest; wearisome; dullような心持心持こころもち feeling; moodがするのです。私は飛泥飛泥はね splashes (of mud)の上がるのも構わずに構かまわずに without consideration; giving no heed to、糠る海糠ぬかる海み mud; mireの中を自暴に自暴やけに desperately; with abandonどしどしどしどし tramping on歩きました。それから直ぐ直すぐ straightaway; directly宅へ帰って来ました帰かえって来きました came back; came home。

三十四三十四さんじゅうし (part) 34

「私私わたくし I; meはKに向って向むかって turn toward; faceお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyといっしょに出た出でた went outのかと聞きました聞ききました asked。Kはそうではないと答えました答こたえました answered; replied。真砂町真砂町まさごちょう Masago-chō (place name)で偶然偶然ぐうぜん by chance出会った出会であった ran into; encounteredから連れ立って連つれ立だって accompany; escort帰って来た帰かえって来きた came back; returned homeのだと説明しました説明せつめいしました explained。私はそれ以上以上いじょう above; beyond; more thanに立ち入った立たち入いった intrusive; prying質問質問しつもん questions; queriesを控えなければなりませんでした控ひかえなければなりませんでした had to refrain from。しかし食事食事しょくじ mealの時時とき time、またお嬢さんに向って、同じ同おなじ the same問い問とい question; queryを掛けたくなりました掛かけたくなりました wanted to pose (a question)。するとお嬢さんは私の嫌いな嫌きらいな disagreeable; disliked例の例れいの aforementioned; characteristic笑い方笑わらい方かた manner of laughing; laughterをするのです。そうしてどこへ行った行いった went (to)か中ててみろ中あててみろ take a guessとしまいにいうのです。その頃頃ころ timeの私はまだ癇癪持ち癇癪かんしゃく持もち (man) of short temper; hotheadでしたから、そう不真面目に不真面目ふまじめに frivolously; triflingly若い若わかい young女女おんな woman; ladyから取り扱われる取とり扱あつかわれる be treated; be handledと腹が立ちました腹はらが立たちました became angry; took offense。ところがそこに気の付く気きの付つく take notice (of)のは、同じ同おなじ the same食卓食卓しゃくたく dining tableに着いている着ついている be present (at)もののうちで奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)一人一人ひとり one person; single personだったのです。Kはむしろ平気平気へいき cool; indifferentでした。お嬢さんの態度態度たいど attitude; mannerになると、知って知しって knowingly; awareわざとやるのか、知らないで無邪気に無邪気むじゃきに innocentlyやるのか、そこの区別区別くべつ distinctionがちょっと判然しない判然はんぜんしない be unclear点点てん point; placeがありました。若い女としてお嬢さんは思慮思慮しりょ prudence; discretionに富んだ富とんだ be rich (in); have in abundance方方ほう direction; tendencyでしたけれども、その若い女に共通な共通きょうつうな common; shared; universal私の嫌いなところも、あると思えば思おもえば think; consider思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅宅うち house; homeへ来てから、始めて始はじめて for the first time私の眼眼め eyesに着き出した着つき出だした thrust out; projectedのです。私はそれをKに対するに対たいする with respect to; regarding私の嫉妬嫉妬しっと jealousy; envyに帰して帰きして attribute (to)いいものか、または私に対するお嬢さんの技巧技巧ぎこう technique; finesseと見傚して見傚みなして consider; regard (as)しかるべきものか、ちょっと分別分別ふんべつ judgment; discernmentに迷いました迷まよいました was lost; was unsure; waivered。私は今今いま now; the presentでも決して決けっして by (no) meansその時の私の嫉妬心嫉妬心しっとしん jealous heart; feelings of jealousyを打ち消す打うち消けす deny気気き intentionはありません。私はたびたび繰り返した繰くり返かえした repeated; reiterated通り通とおり just as、愛愛あい love; affectionの裏面裏面りめん reverse side; backgroundにこの感情感情かんじょう feelings; emotionsの働き働はたらき workings; operationを明らかに明あきらかに clearly; distinctly意識していた意識いしきしていた was aware of; felt; sensedのですから。しかも傍のもの傍はたのもの outside observers; othersから見る見みる see; viewと、ほとんど取るに足りない取とるに足たりない not worth regard瑣事瑣事さじ trifleに、この感情がきっと首首くび neck; headを持ち上げたがる持もち上あげたがる be prone to raiseのでしたから。これは余事余事よじ extraneous matter; digression; an asideですが、こういう嫉妬は愛の半面半面はんめん half; one side (of)じゃないでしょうか。私は結婚して結婚けっこんして marry; wedから、この感情がだんだん薄らいで行く薄うすらいで行ゆく attenuate; fade awayのを自覚しました自覚じかくしました was conscious of; perceived。その代りその代かわり in return; at the same time愛情愛情あいじょう (feelings of) love; affectionの方も決して元のように元もとのように as before; as in the beginning猛烈猛烈もうれつ keen; spirited; intenseではないのです。

私私わたくし I; meはそれまで躊躇していた躊躇ちゅうちょしていた hesitated; was indecisive自分の自分じぶんの one's own心心こころ heart; mindを、一思いに一思ひとおもいに resolutely相手相手あいて the other partyの胸胸むね breast; bosomへ擲き付けよう擲たたき付つけよう thrust (onto); hurl (against)かと考え出しました考かんがえ出だしました thought (to do)。私の相手というのはお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyではありません、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)の事の事こと regarding ...; concerning ...です。奥さんにお嬢さんを呉れろ呉くれろ give to meと明白な明白めいはくな overt; explicit談判談判だんぱん negotiation; talkを開こう開ひらこう open; engage in; beginかと考えたのです。しかしそう決心しながら決心けっしんしながら decide; make up one's mind、一日一日と一日いちにち一日いちにちと day by day; a day at a time私は断行断行だんこう decisive action; executionの日日ひ dayを延ばして行った延のばして行いった put off; delayedのです。そういうと私はいかにも優柔な優柔ゆうじゅうな irresolute; hesitant; wishy-washy男男おとこ man; fellowのように見えます見みえます appear; come across (as)、また見えても構いません構かまいません is fine; doesn't matterが、実際実際じっさい in fact; in truth私の進みかねた進すすみかねた was unable to move forwardのは、意志意志いし intention; volitionの力力ちから power; strengthに不足不足ふそく deficiencyがあったためではありません。Kの来ないうち来こないうち before coming; before arrivingは、他他ひと others; other (people)の手手て trick; techniqueに乗る乗のる be deceived; be taken in (by)のが厭厭いや objectionable; unpleasantだという我慢我慢がまん forebearance; restraintが私を抑え付けて抑おさえ付つけて suppressed; held back、一歩一歩いっぽ one stepも動けない動うごけない can't moveようにしていました。Kの来た来きた came; arrived後後のち afterは、もしかするとお嬢さんがKの方方ほう alternative (of two choices)に意意い feelings; thoughtsがあるのではなかろうかという疑念疑念ぎねん doubt; misgivingが絶えず絶たえず continually; steadily; at all times私を制する制せいする rein in; restrict; control; commandようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けて傾かたむけて lean; incline; tip (toward)いるならば、この恋恋こい (romantic) loveは口へいい出す口くちへいい出だす voice; profess価値価値かち value; worthのないものと私は決心して決心けっしんして determine; decideいたのです。恥を掻かせられる恥はじを掻かかせられる be humiliated; have cause to lose faceのが辛い辛つらい painful; difficult; bitterなどというのとは少し少すこし a little; a bit訳訳わけ situation; circumstanceが違います違ちがいます different。こっちでいくら思って思おもって think; consider; museも、向う向むこう other side; opposite direction (usually 向むこう)が内心内心ないしん at heart; deep down他の他ほかの other人人ひと person; manに愛愛あい love; affectionの眼眼まなこ eyes; look; gazeを注いで注そそいで pour out uponいるならば、私はそんな女女おんな woman; young ladyといっしょになるのは厭なのです。世の中世よの中なか society; the worldでは否応なしに否応いやおうなしに by force; by compulsion自分の好いた好すいた preferred; favored女を嫁嫁よめ wife; brideに貰って貰もらって receive (as)嬉しがっている嬉うれしがっている be happy; be pleased人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした世間せけんずれのした tainted by experience; world-worn男か、さもなければ愛の心理心理しんり state of mind; mentality; psychologyがよく呑み込めない呑のみ込こめない can't comprehend; can't relate to鈍物鈍物どんぶつ blockhead; dullard; foolのする事と、当時当時とうじ at that timeの私は考えていたのです。一度一度いちど once貰ってしまえばどうかこうか落ち付く落おち付つく come to rest; settle inものだぐらいの哲理哲理てつり philosophy; line of reasoningでは、承知する承知しょうちする acquiesce to; accept事ができないくらい私は熱していました熱ねっしていました was agitated; was passionate。つまり私は極めて極きわめて exceedingly; extremely高尚な高尚こうしょうな lofty; noble愛の理論家理論家りろんか theoristだったのです。同時に同時どうじに at the same timeもっとも迂遠な迂遠うえんな roundabout; circuitous愛の実際家実際家じっさいか pragmatist; doer of deedsだったのです。

肝心の肝心かんじんの essential; crucial; all-importantお嬢さんに、直接直接ちょくせつ directlyこの私というものを打ち明ける打うち明あける disclose; lay bare機会機会きかい opportunity; chanceも、長く長ながく for a long timeいっしょにいるうちには時々時々ときどき on occasion; from time to time出て来た出でて来きた came about; aroseのですが、私はわざとそれを避けました避さけました avoided。日本日本にほん Japanの習慣習慣しゅうかん custom; conventionとして、そういう事は許されていない許ゆるされていない not permissibleのだという自覚自覚じかく consciousness; awarenessが、その頃頃ころ time; periodの私には強く強つよく strongly; firmlyありました。しかし決して決けっして by (no) meansそればかりが私を束縛した束縛そくばくした restrained; fetteredとはいえません。日本人日本人にほんじん Japanese (people)、ことに日本の若い女若わかい女おんな young ladiesは、そんな場合場合ばあい situation; circumstancesに、相手に気兼なく気兼きがねなく without hesitation自分の思った通り通とおり just as; exactly asを遠慮せずに遠慮えんりょせずに without holding back口にする口くちにする verbalize; voiceだけの勇気勇気ゆうき nerve; audacityに乏しい乏とぼしい poor; lacking (in)ものと私は見込んでいた見込みこんでいた was convincedのです。

三十五三十五さんじゅうご (part) 35

「こんな訳訳わけ reason; rationaleで私私わたくし I; meはどちらの方面方面ほうめん directionへ向って向むかって turn towardも進む進すすむ advance; move forward; progress事ができずに事ことができずに without being able to立ち竦んでいました立たち竦すくんでいました stood frozen (in place); was paralyzed。身体身体からだ body; physical constitutionの悪い悪わるい bad; poor; out of sorts時時とき timeに午睡午睡ひるね nap; restなどをすると、眼眼め eyesだけ覚めて覚さめて be awake; be alert; be active周囲周囲しゅうい surroundingsのものが判然判然はっきり clearly; distinctly見える見みえる be visible; appearのに、どうしても手足手足てあし hands and feetの動かせない動うごかせない cannot be moved場合場合ばあい case; situationがありましょう。私は時としてああいう苦しみ苦くるしみ suffering; distressを人知れず人知ひとしれず unbeknownst to others感じた感かんじた felt; experiencedのです。

その内その内うち during that time; by and by年年とし yearが暮れて暮くれて end; come to a close春春はる spring; springtime; New Yearになりました。ある日日ひ day奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)がKに歌留多歌留多かるた karuta (from portuguese 'carta'); traditional Japanese playing cardsをやるから誰か誰だれか someone友達友達ともだち friendを連れて来ないか連つれて来こないか can you bring; can you invite (over)といった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人も一人ひとりも (not) one personないと答えた答こたえた replied; respondedので、奥さんは驚いて驚おどろいて be surprised; be taken abackしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来往来おうらい road; streetで会った会あった meet; run into; come across時挨拶挨拶あいさつ greetingをするくらいのものは多少多少たしょう some; a fewありましたが、それらだって決して決けっして by (no) means歌留多などを取る取とる play (cards)柄柄がら suitable forではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知った知しった know; be acquainted withものでも呼んで来たら呼よんで来きたら summon; inviteどうかといい直しましたいい直なおしました stated anew; took another tactが、私も生憎生憎あいにく unfortunately; regrettablyそんな陽気な陽気ようきな jovial; lively遊び遊あそび amusement; playをする心持心持こころもち feeling; moodになれないので、好い加減な好いい加減かげんな vague; noncommittal; perfunctory生返事生返事なまへんじ lukewarm response; halfhearted replyをしたなり、打ちやっておきました打うちやっておきました sidestepped; dismissed。ところが晩晩ばん eveningになってKと私はとうとうお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyに引っ張り出されて引ひっ張ぱり出だされて be pressed; be urged; be coerced (to come and do something)しまいました。客客きゃく visitor; guestも誰も来ないのに、内々内々うちうち household membersの小人数小人数こにんず small number of peopleだけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かな静しずかな quiet; subduedものでした。その上その上うえ on top of that; furthermoreこういう遊技遊技ゆうぎ game; amusementをやり付けないやり付つけない be unaccustomed toKは、まるで懐手をしている懐手ふところでをしている stand idly by (lit: have one's hands in one's pockets)人人ひと personと同様同様どうよう equivalent to; the same asでした。私はKに一体一体いったい for heaven's sake; of all things百人一首百人ひゃくにん一首いっしゅ Hyakunin Isshu (100 poems by 100 famous poets)の歌歌うた classical Japanese poemsを知っているのかと尋ねました尋たずねました asked; inquired。Kはよく知らないと答えました。私の言葉言葉ことば wordsを聞いた聞きいた heardお嬢さんは、大方大方おおかた perhaps; in all likelihoodKを軽蔑する軽蔑けいべつする mock; derideとでも取ったのでしょう。それから眼に立つ眼めに立たつ catch one's eye; be apparentようにKの加勢加勢かせい assistance; supportをし出しましたし出だしました began to provide。しまいには二人二人ふたり two (people); the two of themがほとんど組組くみ teamになって私に当る当あたる face; confront; take onという有様有様ありさま state of affairs; circumstanceになって来ました。私は相手相手あいて other party; opponent次第次第しだい depending onでは喧嘩喧嘩けんか argument; quarrelを始めた始はじめた started; instigatedかも知れなかったのです。幸いに幸さいわいに fortunatelyKの態度態度たいど attitude; mannerは少しも少すこしも (not) in the least最初最初さいしょ beginning; outsetと変りませんでした変かわりませんでした was unchanged (from)。彼彼かれ he; himのどこにも得意らしい得意とくいらしい triumphant; gloating様子様子ようす appearance; aspectを認めなかった認みとめなかった didn't observe; didn't notice私は、無事に無事ぶじに without incidentその場場ば situation; sceneを切り上げる切きり上あげる bring to a close; be done with事ができました。

それから二、三日二に、三日さんにち two or three days経った経たった passed; went by; elapsed後後のち afterの事事こと affair; happeningでしたろう、奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)とお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyは朝朝あさ morningから市ヶ谷市ヶ谷いちがや Ichigaya (place name)にいる親類親類しんるい relative; relationの所所ところ place; residenceへ行く行ゆく go (to)といって宅宅うち houseを出ました出でました left; departed from。Kも私私わたくし I; meもまだ学校学校がっこう school; classesの始まらない始はじまらない not start; not begin頃頃ころ time; periodでしたから、留守居留守居るすい caretaker; keeper同様同様どうよう same as; equivalent toあとに残って残のこって remain; stay behindいました。私は書物書物しょもつ bookを読む読よむ readのも散歩散歩さんぽ walk; strollに出るのも厭厭いや not to one's likingだったので、ただ漠然と漠然ばくぜんと vaguely; dreamily; musingly火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierの縁縁ふち edgeに肱肱ひじ elbowsを載せて載のせて rest on凝と凝じっと fixedly; intently顋顋あご jaw; chinを支えた支ささえた supported; proppedなり考えて考かんがえて think; consider; contemplateいました。隣の隣となりの adjacent; adjoining室室へや roomにいるKも一向一向いっこう (not) in the least音を立てませんでした音おとを立たてませんでした made no sound。双方双方そうほう both; both partiesともいるのだかいないのだか分らない分わからない can't tellくらい静か静しずか quiet; stillでした。もっともこういう事は、二人二人ふたり two (people); the two of usの間柄間柄あいだがら relationship; termsとして別に別べつに particularly珍しく珍めずらしく unusualも何とも何なんとも (no)thingなかったのですから、私は別段別段べつだん especiallyそれを気にも留めませんでした気きにも留とめませんでした pay attention to; give heed to。

十時十時じゅうじ ten (o'clock)頃頃ごろ around; aboutになって、Kは不意に不意ふいに suddenly; abruptly仕切り仕切しきり partitionの襖襖ふすま fusuma (sliding door)を開けて開あけて open私と顔を見合せました顔かおを見合みあわせました saw face to face。彼彼かれ he; himは敷居敷居しきい thresholdの上上うえ over; aboveに立った立たった stoodまま、私に何何なに whatを考えていると聞きました聞ききました asked。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りいつもの通とおり as alwaysお嬢さんが問題問題もんだい subject; topicだったかも知れませんかも知しれません it may be that ...。そのお嬢さんには無論無論むろん of course奥さんも食っ付いて食くっ付ついて come along with; be close toいますが、近頃では近頃ちかごろでは recently; of lateK自身自身じしん oneself; himselfが切り離すべからざる切きり離はなすべからざる cannot detach; cannot separate人人ひと person; character; presenceのように、私の頭頭あたま head; mindの中中なか insideをぐるぐる回ってぐるぐる回めぐって circulate in; whirl through、この問題を複雑複雑ふくざつ complicatedにしているのです。Kと顔を見合せた私は、今今いま nowまで朧気に朧気おぼろげに dimly; indistinctly彼を一種の一種いっしゅの a certain type of邪魔もの邪魔じゃまもの nuissance; hindranceの如くの如ごとく like ...; the same as ...意識して意識いしきして think of asいながら、明らかに明あきらかに openly; plainlyそうと答える答こたえる respond; answer訳にいかなかった訳わけにいかなかった it wouldn't do to ...; couldn't very well ...のです。私は依然として依然いぜんとして still; as (I) had been彼の顔を見て黙っていました黙だまっていました kept silent。するとKの方方ほう sideからつかつかとつかつかと determinedly私の座敷座敷ざしき roomへ入って来て入はいって来きて come into; enter、私のあたっている火鉢の前前まえ front ofに坐りました坐すわりました sat down。私はすぐ両肱両肱りょうひじ both elbowsを火鉢の縁から取り除けて取とり除のけて remove、心持心持こころもち slightly; just a littleそれをKの方へ押しやる押おしやる push over (toward)ようにしました。

Kはいつもに似合わないいつもに似合にあわない unbecomming; out of character話話はなし talk; conversationを始めました始はじめました started; engaged in。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行った行いった went (to)のだろうというのです。私は大方大方おおかた probably; most likely叔母さん叔母おばさん auntの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人軍人ぐんじん military man; soldierの細君細君さいくん wifeだと教えてやりました。すると女女おんな womenの年始年始ねんし New Year's greetingsは大抵大抵たいてい usually; oridinarily十五日十五日じゅうごにち 15th (day of the month)過過すぎ after; pastだのに、なぜそんなに早く早はやく soon出掛けた出掛でかけた went out; set outのだろうと質問する質問しつもんする ask; inquireのです。私はなぜだか知らないと挨拶する挨拶あいさつする reply; respondより外により外ほかに other than仕方がありませんでした仕方しかたがありませんでした had no choice but to ...。

三十六三十六さんじゅうろく (part) 36

「Kはなかなか奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)とお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyの話話はなし talk; conversationを已めませんでした已やめませんでした didn't stop。しまいには私私わたくし I; meも答えられない答こたえられない be unable to answerような立ち入った立たち入いった probing; personal事事こと mattersまで聞く聞きく askのです。私は面倒面倒めんどう trouble; nuisanceよりも不思議不思議ふしぎ strange; curious; uncannyの感感かん feeling; impressionに打たれました打うたれました was struck (by)。以前以前いぜん before; previously私の方方ほう sideから二人二人ふたり two (people)を問題問題もんだい subject; topicにして話しかけた時時とき times; occasionsの彼彼かれ he; himを思い出す思おもい出だす recall; rememberと、私はどうしても彼の調子調子ちょうし vein; mood; mannerの変っている変かわっている be changed; be differentところに気が付かずに気きが付つかずに without noting; without noticingはいられないのです。私はとうとうなぜ今日今日きょう today; this dayに限ってに限かぎって limited to; onlyそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました尋たずねました asked; inquired。その時彼は突然突然とつぜん suddenly; abruptly黙りました黙だまりました fell silent。しかし私は彼の結んだ結むすんだ closed; bound; tied口元口元くちもと mouth; lipsの肉肉にく fleshが顫える顫ふるえる tremble; quiverように動いて動うごいて move; waverいるのを注視しました注視ちゅうししました watched with care; studied。彼は元来元来がんらい inherently; by nature無口な無口むくちな reserved; reticent男男おとこ man; fellowでした。平生平生へいぜい ordinarily; usuallyから何か何なにか somethingいおうとすると、いう前前まえ beforeによく口のあたりをもぐもぐさせる癖癖くせ tendency; idiosyncrasyがありました。彼の唇唇くちびる lipsがわざと彼の意志意志いし will; volitionに反抗する反抗はんこうする resist; oppose; defyように容易く容易たやすく easily開かない開あかない don't openところに、彼の言葉言葉ことば wordsの重み重おもみ weight; gravityも籠って籠こもって be heavy withいたのでしょう。一旦一旦いったん once声声こえ voiceが口を破って出る破やぶって出でる burst out; break forth (from)となると、その声には普通の普通ふつうの usual; typical; ordinary人人ひと person; manよりも倍倍ばい twofoldの強い強つよい strong; potent力力ちから power; forceがありました。

彼の口元をちょっと眺めた眺ながめた watched; observed時、私はまた何か出て来る出でて来くる come forth; emergeなとすぐ疳付いた疳付かんづいた suspected; sensedのですが、それがはたして何の何なんの what; what sort of準備準備じゅんび preparationなのか、私の予覚予覚よかく hunch; premonitionはまるでなかったのです。だから驚いた驚おどろいた was caught off guard; was blindsidedのです。彼の重々しい重々おもおもしい serious; weighty口から、彼のお嬢さんに対するに対たいする with respect to; concerning切ない切せつない distressing; heartrending恋恋こい (romantic) loveを打ち明けられた打うち明あけられた was revealed; was disclosed時の私を想像してみて想像そうぞうしてみて try to imagine下さい下ください please ...。私は彼の魔法棒魔法棒まほうぼう magician's wandのために一度に一度いちどに at once; in an instant化石された化石かせきされた turned to stone; petrified; fossilizedようなものです。口をもぐもぐさせる働き働はたらき ability; functionさえ、私にはなくなってしまったのです。

その時の私は恐ろしさ恐おそろしさ fright; dreadの塊り塊かたまり embodiment (of a feeling)といいましょうか、または苦しさ苦くるしさ torment; anguishの塊りといいましょうか、何しろ何なにしろ anyway; at any rate一つ一ひとつ one (thing)の塊りでした。石石いし stoneか鉄鉄てつ iron; steelのように頭頭あたま headから足の先足あしの先さき tip of one's toesまでが急に急きゅうに suddenly固くなった固かたくなった stiffened; went rigidのです。呼吸呼吸こきゅう breathをする弾力性弾力性だんりょくせい flexibility; resilienceさえ失われた失うしなわれた was lost; was goneくらいに堅くなったのです。幸いな事に幸さいわいな事ことに fortunatelyその状態状態じょうたい situation; conditionは長く長ながく for long続きませんでした続つづきませんでした did not continue; did not last。私は一瞬間一瞬間いっしゅんかん a moment; an instantの後後のち later; afterに、また人間らしい人間にんげんらしい human; human-like気分気分きぶん feelingを取り戻しました取とり戻もどしました took back; regained; recovered。そうして、すぐ失策った失策しまった damn it; confound itと思いました思おもいました thought。先を越された先せんを越こされた been beaten (at or to something); lost the initiativeなと思いました。

しかしその先先さき ahead; going forwardをどうしようという分別分別ふんべつ judgment; discernmentはまるで起りません起おこりません not arise; not come about。恐らく恐おそらく probably; likely起るだけの余裕余裕よゆう margin; leewayがなかったのでしょう。私私わたくし I; meは腋の下腋わきの下した underarm; armpitから出る出でる come out; emerge気味のわるい気味きみのわるい unpleasant; unsettling汗汗あせ sweatが襯衣襯衣シャツ shirtに滲み透る滲しみ透とおる soak throughのを凝と凝じっと patiently; stoically我慢して我慢がまんして endure; suffer動かずに動うごかずに without moving; without stirringいました。Kはその間間あいだ interval; span (of time)いつもの通りいつもの通とおり as always; as before重い重おもい heavy; solemn口口くち mouthを切って切きって break (open)は、ぽつりぽつりとぽつりぽつりと intermittantly; bit by bit自分の自分じぶんの one's own心心こころ heart; soulを打ち明けてゆきます打うち明あけてゆきます continue to bare。私は苦しくって苦くるしくって in agony堪りませんでした堪たまりませんでした couldn't endure; couldn't bear。おそらくその苦しさは、大きな大おおきな big; large広告広告こうこく notice; announcement; handbillのように、私の顔顔かお faceの上上うえ surface ofに判然りした判然はっきりした bold; vivid字字じ characters; writingで貼り付けられて貼はり付つけられて pasted; affixedあったろうと私は思う思おもう think; imagineのです。いくらKでもそこに気の付かない気きの付つかない not notice; fail to catchはずはないのですが、彼彼かれ he; himはまた彼で、自分の事事こと matter; affair; concernに一切一切いっさい all; everythingを集中して集中しゅうちゅうして focus; concentrateいるから、私の表情表情ひょうじょう facial expression; countenanceなどに注意する注意ちゅういする heed; take note of暇暇ひま time; leisureがなかったのでしょう。彼の自白自白じはく confessionは最初最初さいしょ beginningから最後最後さいご endまで同じ同おなじ the same調子調子ちょうし vein; mood; mannerで貫いて貫つらぬいて carry through; persistいました。重くて鈍い鈍のろい slow; lethargic代りに代かわりに in return; in exchange (for)、とても容易な容易よういな easy; simple事では動かせない動うごかせない can't move; can't shift; can't budgeという感じ感かんじ feeling; impressionを私に与えた与あたえた gave; impartedのです。私の心は半分半分はんぶん half; in partその自白を聞いて聞きいて listen toいながら、半分どうしようどうしようという念念ねん thoughtに絶えず絶たえず ceaselessly; all the while掻き乱されて掻かき乱みだされて be agitated; be disturbedいましたから、細かい細こまかい detailed; fine点点てん pointsになるとほとんど耳へ入らない耳みみへ入はいらない fall on deaf earsと同様同様どうよう the same asでしたが、それでも彼の口に出す口くちに出だす utter; voice言葉言葉ことば wordsの調子だけは強く強つよく impactfully; with force胸胸むね breast; bosomに響きました響ひびきました echoed; reverberated。そのために私は前前まえ before; priorいった苦痛苦痛くつう anguish; painばかりでなく、ときには一種の一種いっしゅの a certain type of恐ろしさ恐おそろしさ dreadを感ずる感かんずる feel; senseようになったのです。つまり相手相手あいて the other partyは自分より強いのだという恐怖恐怖きょうふ fear; dread; horrorの念が萌し始めた萌きざし始はじめた began to materialize; began to show itselfのです。

Kの話話はなし talk; discourseが一通り一通ひととおり once through済んだ済すんだ finished; concluded時時とき time; moment、私は何とも何なんとも (no)thingいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ同おなじ the same意味意味いみ meaning; sense; effectの自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方方ほう alternative (of two choices)が得策得策とくさく the best plan; advantageousだろうか、私はそんな利害利害りがい pro or con; profit or lossを考えて考かんがえて consider; think over黙っていた黙だまっていた held one's silenceのではありません。ただ何事も何事なにごとも (no)thing whatsoeverいえなかったのです。またいう気気き inclinationにもならなかったのです。

午食午食ひるめし lunchの時、Kと私は向い合せに向むかい合あわせに facing each other席を占めました席せきを占しめました took (our) seats。下女下女げじょ maidservantに給仕給仕きゅうじ (table) serviceをしてもらって、私はいつにない不味い不味まずい unappetizing; tasteless飯飯めし mealを済ませました。二人二人ふたり two (people); the two of usは食事中食事中しょくじちゅう while eating; throughout the mealもほとんど口を利きませんでした口くちを利ききませんでした didn't speak。奥さん奥おくさん Okusan (wife; lady of the house - used here as form of address)とお嬢さんお嬢じょうさん daughter; young ladyはいつ帰る帰かえる return homeのだか分りませんでした分わかりませんでした didn't know。