Kokoro - Sensei and I - 28-36

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二十八二十八にじゅうはち (part) 28

「君君きみ youのうちに財産財産ざいさん assets; wealthがあるなら、今のうちに今いまのうちに without delay; soonよく始末始末しまつ management; dealings; settlementをつけてもらっておかないといけないと思う思おもう thinkがね、余計なお世話余計よけいなお世話せわ meddling in another's businessだけれども。君のお父さんお父とうさん (your) fatherが達者達者たっしゃ in good health; of sound mindなうちに、貰う貰もらう receiveものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事万一まんいちの事こと unlikely event; unforeseen circumstanceがあったあとで、一番一番いちばん foremost; number one面倒面倒めんどう trouble; difficultyの起る起おこる occur; ariseのは財産の問題問題もんだい problem; issueだから」

「ええ」

私私わたくし I; meは先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の言葉言葉ことば wordsに大した大たいした particular; significant注意注意ちゅうい caution; heedを払わなかった払はらわなかった did not pay (heed)。私の家庭家庭かてい home; familyでそんな心配心配しんぱい worry; concernをしているものは、私に限らずに限かぎらず not just ...; not limited to ...、父父ちち fatherにしろ母母はは motherにしろ、一人一人ひとり one (single) personもないと私は信じて信しんじて believeいた。その上その上うえ on top of that; furthermore先生のいう事の、先生として、あまりに実際的実際的じっさいてき practical; pragmaticなのに私は少し少すこし a little; a bit驚かされた驚おどろかされた was taken by surprise。しかしそこは年長者年長者ねんちょうしゃ older person; elderに対するに対たいする in relation to; with respect to平生の平生へいぜいの usual; customary敬意敬意けいい respect; deferenceが私を無口無口むくち reticent; reservedにした。

「あなたのお父さんが亡くなられる亡なくなられる pass awayのを、今から予想して予想よそうして anticipateかかるような言葉遣い言葉遣ことばづかい speech; languageをするのが気に触ったら気きに触さわったら is unpleasant; is disagreeable許してくれたまえ許ゆるしてくれたまえ please forgive me; please excuse me。しかし人間人間にんげん human beingsは死ぬ死しぬ dieものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らない分わからない can't knowものだからね」

先生の口気口気こうき intimation; toneは珍しく珍めずらしく unusually; uncharacteristically苦々しかった苦々にがにがしかった was bitter; was somber。

「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません気きに掛かけちゃいません doesn't trouble one」と私は弁解した弁解べんかいした explained oneself; cleared the air。

「君の兄弟兄弟きょうだい brothers and sisters; siblingsは何人何人なんにん how many (people)でしたかね」と先生が聞いた聞きいた asked。

先生はその上に私の家族家族かぞく familyの人数人数にんず number of peopleを聞いたり、親類親類しんるい relatives; relationsの有無有無うむ presence or absenceを尋ねたり尋たずねたり asked; inquired、叔父叔父おじ unclesや叔母叔母おば auntsの様子様子ようす situation; circumstancesを問い問とい askなどした。そうして最後に最後さいごに finallyこういった。

「みんな善い善いい good; decent; virtuous人人ひと peopleですか」

「別に別べつに in particular悪い悪わるい dishonest人間というほどのものもいないようです。大抵大抵たいてい for the most part田舎者田舎者いなかもの country folkですから」

「田舎者はなぜ悪くないんですか」

私はこの追窮追窮ついきゅう inquiry; questioningに苦しんだ苦くるしんだ struggled (with)。しかし先生は私に返事返事へんじ answer; responseを考えさせる考かんがえさせる let consider余裕余裕よゆう leeway; time (in which to do something)さえ与えなかった与あたえなかった did not give; did not allow。

「田舎者田舎者いなかもの country folkは都会都会とかい cityのものより、かえって悪い悪わるい dishonestくらいなものです。それから、君君きみ youは今今いま now; just now、君の親戚親戚しんせき relatives; relationsなぞの中にの中うちに among ...、これといって、悪い人間人間にんげん personsはいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種一種いっしゅ (one) certain typeの人間が世の中世よの中なか society; the worldにあると君は思って思おもって think; believeいるんですか。そんな鋳型に入れた鋳型いかたに入いれた cast from a moldような悪人悪人あくにん villains; scoundrelsは世の中にあるはずがありませんよ。平生平生へいぜい usually; ordinarilyはみんな善人善人ぜんにん good people; virtuous peopleなんです。少なくとも少すくなくとも at the very leastみんな普通の普通ふつうの ordinary; common人間なんです。それが、いざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth、急に急きゅうに suddenly; abruptly悪人に変る変かわる change; transform (into)んだから恐ろしい恐おそろしい dreadful; frighteningのです。だから油断ができない油断ゆだんができない one must watch oneself; one cannot be too carefulんです」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)のいう事事こと mattersは、ここで切れる切きれる run out; come to an end様子様子ようす sign; appearanceもなかった。私私わたくし I; meはまたここで何か何なにか somethingいおうとした。すると後ろ後うしろ behind; in backの方方ほう directionで犬犬いぬ dogが急に吠え出した吠ほえ出だした began to bark。先生も私も驚いて驚おどろいて in surprise後ろを振り返った振ふり返かえった turned around; looked back。

縁台縁台えんだい bench; platformの横横よこ side; edgeから後部後部こうぶ rear; back partへ掛けて掛かけて covering ...; over ...植え付けてある植うえ付つけてある had been planted杉苗杉苗すぎなえ cedar saplingの傍傍そば vicinity; proximityに、熊笹熊笹くまざさ bamboo grassが三坪三坪みつぼ 3 tsubo (about 10 sq meters; about 12 sq yards)ほど地地ち earth; groundを隠す隠かくす hide; concealように茂って生えて茂しげって生はえて grow thicklyいた。犬はその顔顔かお faceと背背せ backを熊笹の上上うえ aboveに現わして現あらわして show; reveal、盛んに盛さかんに energetically; enthusiastically吠え立てた吠ほえ立たてた barked; howled。そこへ十十とお ten (years of age)ぐらいの小供小供こども child (usually 子供こども)が馳けて来て馳かけて来きて came running犬を叱り付けた叱しかり付つけた scolded severely。小供は徽章徽章きしょう badge; insigniaの着いた着ついた attached; affixed (to)黒い黒くろい black帽子帽子ぼうし hat; capを被った被かぶった wore (on one's head)まま先生の前前まえ front ofへ廻って廻まわって circle round (to)礼をした礼れいをした saluted; greeted。

「叔父さん叔父おじさん uncle (used here as form of address)、はいって来るはいって来くる enter; come in時時とき time、家家うち houseに誰も誰だれも (no) oneいなかったかい」と聞いた聞きいた asked。

「誰もいなかったよ」

「姉さん姉ねえさん older sisterやおっかさんおっかさん motherが勝手勝手かって kitchenの方にいたのに」

「そうか、いたのかい」

「ああ。叔父さん、今日は今日こんちは good day; helloって、断って断ことわって give notice; announce oneselfはいって来ると好かったのにと好よかったのに (you) should have ...」

先生は苦笑した苦笑くしょうした forced a smile。懐中懐中ふところ pocketから蟇口蟇口がまぐち coin purseを出して出だして take out、五銭五銭ごせん 5 sen (0.05 yen)の白銅白銅はくどう nickel coinを小供の手手て handに握らせた握にぎらせた let grasp; let have。

「おっかさんにそういっとくれ。少し少すこし a little; a bitここで休まして下さい休やすまして下ください be kind enough to let (us) restって」

小供は怜悧そうな怜悧りこうそうな sharp; keen眼眼め eyesに笑い笑わらい smile; grinを漲らして漲みなぎらして (cause to) fill; overflow、首肯いて見せた首肯うなずいて見みせた nodded (his) agreement。

「今斥候長斥候長せっこうちょう scout; lookout; spyになってるところなんだよ」

小供はこう断って、躑躅躑躅つつじ azaleaの間の間あいだ among ...を下下した below; beneathの方へ駈け下りて行った駈かけ下おりて行いった ran down。犬も尻尾尻尾しっぽ tailを高く高たかく high; in the air巻いて巻まいて wind; coil小供の後後あと afterを追い掛けた追おい掛かけた pursued; followed。しばらくすると同じ同おなじ the sameくらいの年格好年格好としかっこう ageの小供が二、三人二に、三人さんにん two or three (people)、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。

二十九二十九にじゅうく (part) 29

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の談話談話だんわ talk; conversationは、この犬犬いぬ dogと小供小供こども child (usually 子供こども)のために、結末結末けつまつ end; conclusionまで進行する進行しんこうする advance; progress; move forward事ができなくなった事ことができなくなった became unable to ...ので、私私わたくし I; meはついにその要領を得ないで要領ようりょうを得えないで without grasping; without getting the meaning ofしまった。先生の気にする気きにする worry over; fixate on財産財産ざいさん assets云々云々うんぬん and the likeの掛念掛念けねん anxieties; concerns (usually 懸念けねん)はその時時とき timeの私には全く全まったく (not) at allなかった。私の性質性質せいしつ nature; dispositionとして、また私の境遇境遇きょうぐう environment; circumstancesからいって、その時の私には、そんな利害利害りがい gains or losses; interest; stakesの念念ねん sense; idea; feelingに頭を悩ます頭あたまを悩なやます worry about; lose sleep over余地余地よち room; margin; scopeがなかったのである。考える考かんがえる consider; think aboutとこれは私がまだ世間世間せけん the worldに出ない出でない not be out inためでもあり、また実際実際じっさい in fact; in realityその場に臨まないその場ばに臨のぞまない not have exposure to (something)ためでもあったろうが、とにかく若い若わかい young; youthful私にはなぜか金金かね moneyの問題問題もんだい problems; issuesが遠くの方遠とおくの方ほう distant; far offに見えた見みえた appeared。

先生の話話はなし talkのうちでただ一つ一ひとつ one thing底底そこ bottom; depthsまで聞きたかった聞ききたかった wanted to askのは、人間人間にんげん people; human beingsがいざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth、誰でも誰だれでも anyone悪人悪人あくにん villain; scoundrelになるという言葉言葉ことば wordsの意味意味いみ meaningであった。単なる単たんなる simple; mere言葉としては、これだけでも私に解らない解わからない not understand; fail to grasp事はなかった。しかし私はこの句句く expression; statementについてもっと知りたかった知しりたかった wanted to know; wanted to learn。

犬と小供が去った去さった went away; moved onあと、広い広ひろい open; expansive若葉若葉わかば new leaves; fresh verdureの園園その garden; orchardは再び再ふたたび once again故の故もとの former; previous静かさ静しずかさ silenceに帰った帰かえった returned (to)。そうして我々我々われわれ we; usは沈黙沈黙ちんもく quiet; stillnessに鎖ざされた鎖とざされた be locked; be encased (in)人人ひと people; personsのようにしばらく動かずに動うごかずに without moving; motionlessいた。うるわしいうるわしい beautiful; lovely空空そら skyの色色いろ colorがその時次第に次第しだいに gradually光光ひかり lightを失って来た失うしなって来きた lost; let go of。眼眼め eyesの前前まえ before; in front ofにある樹樹き treesは大概大概たいがい generally; for the most part楓楓かえで maplesであったが、その枝枝えだ branchesに滴る滴したたる glisten; drip (with moisture)ように吹いた吹ふいた waved軽い軽かるい light; pale緑緑みどり greenの若葉が、段々段々だんだん slowly; bit by bit暗くなって行く暗くらくなって行いく grow darker; fadeように思われた思おもわれた seemed to ...。遠い往来往来おうらい road; streetを荷車荷車にぐるま cart; wagonを引いて行く引ひいて行ゆく pull along響き響ひびき echo; sound (of)がごろごろと聞こえた。私はそれを村村むら villageの男男おとこ man; fellowが植木植木うえき plants; shrubsか何か何なにか somethingを載せて載のせて load; carry縁日縁日えんにち festival; fairへでも出掛ける出掛でかける set out (for)ものと想像した想像そうぞうした imagined。先生はその音音おと soundを聞くと、急に急きゅうに suddenly瞑想瞑想めいそう contemplation; reverieから呼息を吹き返した呼息いきを吹ふき返かえした came to; came back to life人のように立ち上がった立たち上あがった stood up; rose。

「もう、そろそろ帰りましょう。大分大分だいぶ a good deal日日ひ daysが永くなった永ながくなった have grown longerようだが、やっぱりこう安閑としている安閑あんかんとしている take things easy; while away the timeうちには、いつの間にかいつの間まにか before one knows it暮れて行く暮くれて行いく (the sun) goes downんだね」

先生の背中背中せなか backsideには、さっき縁台縁台えんだい platformの上上うえ top ofに仰向き仰向あおむき (lying) face upに寝た寝ねた rested痕痕あと traces; marks (of)がいっぱい着いて着ついて stick; cling (to)いた。私は両手両手りょうて both handsでそれを払い落した払はらい落おとした brushed off。

「ありがとう。脂脂やに resinがこびり着いてこびり着ついて stick; cling (to)やしませんか」

「綺麗に綺麗きれいに cleanly落ちました落おちました came off」

「この羽織羽織はおり haori (Japanese half-coat)はつい此間此間こないだ recently; the other day拵えた拵こしらえた procured; had madeばかりなんだよ。だからむやみに汚して汚よごして stain; soil帰ると、妻妻さい wifeに叱られる叱しかられる be scoldedからね。有難う有難ありがとう thank you」

二人二人ふたり two people; the two of usはまただらだら坂だらだら坂ざか gentle slopeの中途中途ちゅうと in the middle of; halfwayにある家家うち houseの前前まえ front ofへ来た来きた came (to); arrived (at)。はいる時時とき time; occasionには誰も誰だれも (no) oneいる気色気色けしき sign; indicationの見えなかった見みえなかった was not visible; was not evident縁縁えん veranda (= 縁側えんがわ)に、お上さんお上かみさん lady of the houseが、十五、六十五じゅうご、六ろく fifteen or sixteen (years of age)の娘娘むすめ daughterを相手相手あいて companion; partner; helperに、糸巻糸巻いとまき spoolへ糸糸いと threadを巻きつけて巻まきつけて wind (onto)いた。二人は大きな大おおきな large金魚鉢金魚鉢きんぎょばち gold fish bowl; gold fish basinの横横よこ side ofから、「どうもお邪魔をしましたどうもお邪魔じゃまをしました thank you for accommodating us」と挨拶挨拶あいさつ greeting; salutationした。お上さんは「いいえお構い申しも致しませんでお構かまい申もうしも致いたしませんで don't mention it」と礼礼れい courtesyを返した返かえした responded in turn; reciprocated後後あと after、先刻先刻さっき just prior小供小供こども child (usually 子供こども)にやった白銅白銅はくどう nickel coinの礼を述べた述のべた mentioned。

門口門口かどぐち entrance; gatewayを出て出でて depart (from)二、三町二に、三町さんちょう 2 or 3 chō (about 300 meters; about 300 yards)来た時、私私わたくし I; meはついに先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)に向かって向むかって turned (toward)口を切った口くちを切きった broke the silence。

「さきほど先生のいわれた、人間人間にんげん people; human beingsは誰でも誰だれでも anyoneいざという間際にいざという間際まぎわに at the critical moment; in the moment of truth悪人悪人あくにん villain; scoundrelになるんだという意味意味いみ meaningですね。あれはどういう意味ですか」

「意味といって、深い深ふかい deep; profound意味もありません。――つまり事実事実じじつ fact; truthなんですよ。理屈理屈りくつ theory; rationalizationじゃないんだ」

「事実で差支えありません差支さしつかえありません have no objection; am fine withが、私の伺いたい伺うかがいたい want to ask; want to understandのは、いざという間際という意味なんです。一体一体いったい after all; in factどんな場合場合ばあい situation; circumstancesを指す指さす point to; indicateのですか」

先生は笑い出した笑わらい出だした laughed。あたかも時機時機じき chance; opportunityの過ぎた過すぎた was passed今今いま now; the present、もう熱心に熱心ねっしんに with vigor説明する説明せつめいする explain張合いがない張合はりあいがない one's interest has wanedといった風風ふう mannerに。

「金金かね moneyさ君君きみ you (used here as form of address)。金を見ると、どんな君子君子くんし man of noble character; gentlemanでもすぐ悪人になるのさ」

私には先生の返事返事へんじ response; replyがあまりに平凡過ぎて平凡へいぼん過すぎて banal; trite; hackneyed詰らなかった詰つまらなかった was dissatisfying。先生が調子に乗らない調子ちょうしに乗のらない fail to engageごとく、私も拍子抜け拍子ひょうし抜ぬけ let-down; disappointmentの気味気味きみ feeling; tendencyであった。私は澄まして澄すまして feigning indifferenceさっさと歩き出したさっさと歩あるき出だした set off walking; set off at a quick pace。いきおいいきおい naturally; in due course先生は少し少すこし a little; a bit後れがち後おくれがち lagging behindになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた声こえを掛かけた called out。

「そら見たまえそら見みたまえ take a look (at that)」

「何何なに whatをですか」

「君の気分気分きぶん feeling; moodだって、私の返事一つ一ひとつ one (thing)ですぐ変る変かわる change; varyじゃないか」

待ち合わせる待まち合あわせる wait forために振り向いて振ふり向むいて turn around立ち留まった立たち留どまった stood still私の顔顔かお faceを見て、先生はこういった。

三十三十さんじゅう (part) 30

その時時とき time; momentの私私わたくし I; meは腹の中で腹はらの中なかで deep down; inwardly先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)を憎らしく思った憎にくらしく思おもった loathed; hated; detested。肩肩かた shouldersを並べて並ならべて line up (side by side)歩き出して歩あるき出だして set off walkingからも、自分自分じぶん oneselfの聞きたい聞ききたい want to ask (about)事事こと matters; thingsをわざと聞かずにいた。しかし先生の方方ほう sideでは、それに気が付いていた気きが付ついていた took notice; was aware ofのか、いないのか、まるで私の態度態度たいど manner; behaviorに拘泥る拘泥こだわる pay heed to; be particular about様子様子ようす sign; indicationを見せなかった見みせなかった didn't show。いつもの通りいつもの通とおり as always沈黙がちに沈黙ちんもくがちに tending toward silence; with reticence落ち付き払った落おち付つき払はらった fully composed歩調歩調ほちょう pace; cadenceをすまして運んで行くすまして運はこんで行いく carry forward unperturbedので、私は少し少すこし a bit; somewhat業腹になった業腹ごうはらになった became spiteful。何とか何なんとか somehowいって一つ一ひとつ one; once先生をやっ付けてやっ付つけて upset; bother; unsettleみたくなって来たみたくなって来きた felt the urge to try ...。

「先生」

「何ですか」

「先生はさっき少し昂奮なさいました昂奮こうふんなさいました was worked up; became agitatedね。あの植木屋植木屋うえきや (plant) nurseryの庭庭にわ gardensで休んで休やすんで rest; relaxいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に滅多めったに rarely見た事がないんですが、今日今日きょう todayは珍しい珍めずらしい unusualところを拝見した拝見はいけんした saw; witnessedような気がします」

先生はすぐ返事返事へんじ answer; replyをしなかった。私はそれを手応え手応てごたえ reaction; impactのあったようにも思った。また的的まと mark; targetが外れた外はずれた missedようにも感じた感かんじた felt。仕方がない仕方しかたがない nothing (more) could be doneから後後あと afterはいわない事にした。すると先生がいきなり道道みち road; streetの端端はじ edgeへ寄って行った寄よって行いった approached; drew onto。そうして綺麗に綺麗きれいに neatly刈り込んだ刈かり込こんだ cut; trimmed生垣生垣いけがき hedgeの下下した beneath; at the base (of)で、裾裾すそ hem; shirttailをまくって小便をした小便しょうべんをした took a pee; relieved himself。私は先生が用を足す用ようを足たす finish one's business間間あいだ while ...ぼんやりそこに立って立たって stand; lingerいた。

「やあ失敬やあ失敬しっけい excuse me; pardon me」

先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込めるやり込こめる box in; corner (in an argument)事を断念した断念だんねんした gave up on。私たちの通る通とおる pass over道は段々段々だんだん gradually賑やか賑にぎやか lively; busy; activeになった。今今いま now; the presentまでちらほらちらほら here and there; now and thenと見えた広い広ひろい wide; open畠畠はたけ fieldsの斜面斜面しゃめん slopesや平地平地ひらち level groundが、全く全まったく completely眼に入らない眼めに入いらない not be seenように左右左右さゆう left and right; both sidesの家並家並いえなみ rows of housesが揃ってきた揃そろってきた gathered; clustered; came together。それでも所々所々ところどころ in places宅地宅地たくち residential lot; yardの隅隅すみ cornerなどに、豌豆豌豆えんどう green peasの蔓蔓つる vines; tendrilsを竹竹たけ bambooにからませたり、金網金網かなあみ wire screen; wire meshで鶏鶏にわとり chickensを囲い飼いにしたり囲かこい飼がいにしたり raising in pensするのが閑静閑静かんせい quiet (areas)に眺められた眺ながめられた could be seen。市中市中しちゅう city centerから帰る帰かえる return駄馬駄馬だば workhorse; cart horseが仕切りなく仕切しきりなく in succession; one after another擦れ違って行った擦すれ違ちがって行いった passed (us) by。こんなものに始終始終しじゅう continuously; always気を奪られがち気きを奪とられがち tend to have one's attention diverted (by)な私は、さっきまで胸胸むね breast; bosomの中中なか inside; withinにあった問題問題もんだい questions; problemsをどこかへ振り落して振ふり落おとして shake off; discardしまった。先生が突然突然とつぜん suddenly; abruptlyそこへ後戻り後戻あともどり doubling back; backtrackingをした時、私は実際実際じっさい truly; in factそれを忘れていた忘わすれていた had forgotten。

「私私わたくし I; meは先刻先刻さっき earlier; beforeそんなに昂奮した昂奮こうふんした was worked up; became agitatedように見えた見みえた appeared; seemedんですか」

「そんなにというほどでもありませんが、少し少すこし a little; a bit……」

「いや見えても構わない構かまわない doesn't matter; is okay。実際実際じっさい actually; in fact昂奮するんだから。私は財産財産ざいさん assets; wealthの事の事こと concerning ...をいうときっと昂奮するんです。君君きみ youにはどう見えるか知らない知しらない don't knowが、私はこれで大変大変たいへん terribly; a great deal執念深い執念しゅうねん深ぶかい vindictive; spiteful; vengeful男男おとこ manなんだから。人人ひと (other) peopleから受けた受うけた received; sustained; suffered屈辱屈辱くつじょく disgrace; humiliationや損害損害そんがい damage; injury; lossは、十年十年じゅうねん ten yearsたっても二十年二十年にじゅうねん twenty yearsたっても忘れやしない忘わすれやしない don't forgetんだから」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の言葉言葉ことば wordsは元よりも元もとよりも more than beforeなお昂奮していた。しかし私の驚いた驚おどろいた was surprisedのは、決して決けっして by (no) meansその調子調子ちょうし tone; moodではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳耳みみ earsに訴える訴うったえる raise; bring (to one's attention)意味意味いみ meaningそのものであった。先生の口口くち mouthからこんな自白自白じはく confessionを聞く聞きく hearのは、いかな私にも全く全まったく completely; utterlyの意外意外いがい unexpectedに相違なかったに相違そういなかった without a doubt; surely。私は先生の性質性質せいしつ nature; dispositionの特色特色とくしょく feature; facet; idiosyncrasyとして、こんな執着力執着力しゅうじゃくりょく tenacityをいまだかつて想像した想像そうぞうした imagined事さえなかった。私は先生をもっと弱い弱よわい meek; mild; passive人と信じて信しんじて believe; thinkいた。そうしてその弱くて高い高たかい lofty; noble処処ところ point; aspectに、私の懐かしみ懐なつかしみ fondness; attachmentの根根ね rootsを置いて置おいて set; placeいた。一時の一時いちじの one-time; momentary気分気分きぶん feeling; moodで先生にちょっと盾を突いて盾たてを突ついて oppose; defy; set oneself againstみようとした私は、この言葉の前前まえ before; in front ofに小さくなった小ちいさくなった felt small; shrank back。先生はこういった。

「私は他他ひと othersに欺かれた欺あざむかれた was deceivedのです。しかも血のつづいた親戚血ちのつづいた親戚しんせき blood relationsのものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父父ちち fatherの前には善人善人ぜんにん good people; virtuous peopleであったらしい彼ら彼かれら they; themは、父の死ぬ死しぬ die; pass awayや否やや否いなや as soon as許しがたい許ゆるしがたい inexcusable; unpardonable不徳義漢不徳義漢ふとくぎかん rogues; rascals; malefactorsに変った変かわった changed; transformed (into)のです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供小供こども child (usually 子供こども)の時時とき time; periodから今日今日きょう today; this dayまで背負わされている背負しょわされている be burdened with。恐らく恐おそらく perhaps; most likely死ぬまで背負わされ通し背負しょわされ通どおし be burdened throughoutでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐復讐ふくしゅう revenge; paybackをしずにいる。考える考かんがえる consider; think aboutと私は個人個人こじん individualsに対するに対たいする with respect to; in relation to復讐以上以上いじょう above; beyond; more thanの事を現に現げんに in actuality; in factやっているんだ。私は彼らを憎む憎にくむ hate; despiseばかりじゃない、彼らが代表して代表だいひょうして representいる人間人間にんげん human beings; humanityというものを、一般に一般いっぱんに in general; as a whole憎む事を覚えた覚おぼえた learned (to do)のだ。私はそれで沢山沢山たくさん sufficient; enoughだと思う」

私は慰藉慰藉いしゃ consolation; comfortの言葉さえ口へ出せなかった口くちへ出だせなかった could not voice。

三十一三十一さんじゅういち (part) 31

その日日ひ dayの談話談話だんわ talk; conversationもついにこれぎりで発展せずにしまった発展はってんせずにしまった developed no further; went no further。私私わたくし I; meはむしろ先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の態度態度たいど manner; demeanorに畏縮して畏縮いしゅくして shrink; recoil (from)、先先さき forwardへ進む進すすむ advance; progress気気き inclinationが起らなかった起おこらなかった did not ariseのである。

二人二人ふたり two (people)は市市し cityの外れ外はずれ extremity; outskirtsから電車電車でんしゃ (electric) trainに乗った乗のった boarded; rodeが、車内車内しゃない on boardではほとんど口を聞かなかった口くちを聞きかなかった didn't speak。電車を降りる降おりる disembark; get offと間もなく間まもなく soon; right away別れなければならなかった別わかれなければならなかった had to part; had to go (our) separate ways。別れる時時とき time; occasionの先生は、また変っていた変かわっていた had changed; was different。常常つね usualよりは晴やかな晴はれやかな clear; bright調子調子ちょうし toneで、「これから六月六月ろくがつ Juneまでは一番一番いちばん most気楽な気楽きらくな carefree; comfortable; easygoing時ですね。ことによると生涯生涯しょうがい (your) lifetimeで一番気楽かも知れないかも知しれない it may be that ...。精出して精出せいだして do one's utmost遊びたまえ遊あそびたまえ enjoy」といった。私は笑って笑わらって smile; grin帽子帽子ぼうし hat; capを脱った脱とった took off; removed。その時私は先生の顔顔かお faceを見て見みて look at、先生ははたして心心こころ heart; soulのどこで、一般の一般いっぱんの all; general人間人間にんげん human beings; humanityを憎んで憎にくんで hate; despiseいるのだろうかと疑った疑うたぐった doubted; questioned。その眼眼め eyes、その口、どこにも厭世的の厭世的えんせいてきの weary; despondent影影かげ shadow; traceは射して射さして shine; project; show (through)いなかった。

私は思想思想しそう thoughts; ideas上上じょう regarding; concerningの問題問題もんだい questions; subjectsについて、大いなる大おおいなる considerable; significant利益利益りえき benefit; gainを先生から受けた受うけた received事事こと factを自白する自白じはくする confess; admit。しかし同じ同おなじ the same問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々間々まま occasionally; sometimesあったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領不得要領ふとくようりょう vagueness; ambiguityに終った終おわった ended (in)。その日二人の間の間あいだ between ...に起った郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)の談話も、この不得要領の一例一例いちれい one example (of)として私の胸胸むね breast; bosomの裏裏うち insideに残った残のこった remained。

無遠慮な無遠慮ぶえんりょな forward; presumptuous私は、ある時ついにそれを先生の前前まえ front ofに打ち明けた打うち明あけた divulged。先生は笑っていた。私はこういった。

「頭頭あたま head; mindが鈍くて鈍にぶくて dull; blunt要領を得ない要領ようりょうを得えない fail to graspのは構いません構かまいません don't mind; don't have a problem withが、ちゃんと解ってる解わかってる know; be awareくせに、はっきりいってくれないのは困ります困こまります be troubled by; take issue with」

「私は何にも何なんにも (no)thing隠してやしません隠かくしてやしません am not hiding; do not conceal」

「隠していらっしゃいます」

「あなたは私の思想とか意見意見いけん ideas; opinionsとかいうものと、私の過去過去かこ pastとを、ごちゃごちゃに考えて考かんがえて consider; think aboutいるんじゃありませんか。私は貧弱な貧弱びんじゃくな poor; of little worth思想家思想家しそうか thinkerですけれども、自分の自分じぶんの one's own頭で纏め上げた纏まとめ上あげた compiled; pulled together考えをむやみに人人ひと (other) peopleに隠しやしません。隠す必要必要ひつよう need; necessityがないんだから。けれども私の過去を悉く悉ことごとく in full; in its entiretyあなたの前に物語らなくてはならない物語ものがたらなくてはならない have to tell; be compelled to explainとなると、それはまた別問題別問題べつもんだい separate issue; another matterになります」

「別問題とは思われません思おもわれません doesn't seem like; don't see as。先生の過去が生み出した生うみ出だした brought forth; produced; created思想だから、私は重きを置く重おもきを置おく place great importance on; hold in high regardのです。二つのもの二ふたつのもの the two thingsを切り離したら切きり離はなしたら cut apart; separate、私にはほとんど価値価値かち worth; valueのないものになります。私は魂魂たましい soulの吹き込まれていない吹ふき込こまれていない has not been breathed into人形人形にんぎょう doll; puppetを与えられた与あたえられた be givenだけで、満足満足まんぞく satisfactionはできないのです」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はあきれたといった風風ふう mannerに、私私わたくし I; meの顔顔かお faceを見た見みた looked at。巻烟草巻まき烟草タバコ cigarette (lit: rolled tobacco)を持って持もって holdいたその手手て handが少し少すこし a little; a bit顫えた顫ふるえた shook; trembled。

「あなたは大胆大胆だいたん bold; audaciousだ」

「ただ真面目真面目まじめ earnest; sincere; genuineなんです。真面目に人生人生じんせい lifeから教訓教訓きょうくん lessonsを受けたい受うけたい want to receiveのです」

「私の過去過去かこ pastを訐いて訐あばいて divulge; exposeもですか」

訐くという言葉言葉ことば wordが、突然突然とつぜん suddenly恐ろしい恐おそろしい frightening; dreadful; ominous響き響ひびき echo; sound; reverberationをもって、私の耳耳みみ earsを打った打うった struck; hit; impacted。私は今今いま now; at present私の前前まえ front ofに坐って坐すわって sitいるのが、一人一人ひとり one personの罪人罪人ざいにん offender; wrongdoer; malefactorであって、不断から不断ふだんから ordinarily; always尊敬して尊敬そんけいして respect; esteemいる先生でないような気気き feelingがした。先生の顔は蒼かった蒼あおかった was pale。

「あなたは本当に本当ほんとうに really; truly真面目なんですか」と先生が念を押した念ねんを押おした checked; confirmed; ascertained。「私は過去過去かこ pastの因果因果いんが ill fate; misfortuneで、人人ひと peopleを疑りつけている疑うたぐりつけている have come to distrust。だから実は実じつは the truth isあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎる単純たんじゅんすぎる (too) simple; innocent; child-likeようだ。私は死ぬ死しぬ die; depart前にたった一人で好い好いい good; fineから、他他ひと (other) personを信用して信用しんようして trust; confide in死にたいと思って思おもって think; considerいる。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底からはらの底そこから from the depths of one's soul真面目ですか」

「もし私の命命いのち life; existenceが真面目なものなら、私の今いった事事こと matters; thingsも真面目です」

私の声声こえ voiceは顫えた顫ふるえた trembled; quavered。

「よろしい」と先生がいった。「話しましょう話はなしましょう tell; relate。私の過去を残らず残のこらず without omission、あなたに話して上げましょう上あげましょう do (something) for someone。その代りその代かわり in return; at the same time……。いやそれは構わない構かまわない doesn't matter。しかし私の過去はあなたに取ってあなたに取とって to you; for your purposesそれほど有益有益ゆうえき beneficial; of valueでないかも知れませんかも知しれません it may be that ...よ。聞かない聞きかない not hear; not learn方方ほう the alternative of ...が増増まし preferable; betterかも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい下ください please ...。適当の適当てきとうの appropriate; proper時機時機じき time; opportunity; occasionが来なくっちゃ来こなくっちゃ (if) doesn't arise話さないんだから」

私は下宿下宿げしゅく lodgingsへ帰って帰かえって return (to)からも一種の一種いっしゅの a certain type of圧迫圧迫あっぱく pressure; stressを感じた感かんじた felt; experienced。

三十二三十二さんじゅうに (part) 32

私私わたくし I; meの論文論文ろんぶん thesisは自分自分じぶん oneselfが評価して評価ひょうかして assess; evaluateいたほどに、教授教授きょうじゅ professorsの眼眼め eyesにはよく見えなかったよく見みえなかった didn't look so goodらしい。それでも私は予定通り予定よてい通どおり as planned; on schedule及第した及第きゅうだいした passed。卒業式卒業式そつぎょうしき graduation ceremonyの日日ひ day、私は黴臭くなった黴臭かびくさくなった smelling of mold; musty古い古ふるい old冬服冬服ふゆふく winter outfitを行李行李こうり trunk; suitcaseの中中なか insideから出して出だして take out着た着きた put on; wore。式場式場しきじょう assembly hallにならぶと、どれもこれもみな暑そうな暑あつそうな looking hot顔顔かお face; (facial) expressionばかりであった。私は風風かぜ wind; breezeの通らない通とおらない not pass through厚羅紗厚あつ羅紗ラシャ thick woolの下下した beneathに密封された密封みっぷうされた was sealed自分の身体身体からだ bodyを持て余した持もて余あました struggled to manage。しばらく立って立たって standいるうちに手手て handに持った持もった heldハンケチハンケチ handkerchiefがぐしょぐしょぐしょぐしょ sopping; soakingになった。

私は式が済む済すむ be concluded; endとすぐ帰って帰かえって return (home)裸体になった裸体はだかになった stripped down; undressed。下宿下宿げしゅく lodgingsの二階二階にかい second floorの窓窓まど windowをあけて、遠眼鏡遠眼鏡とおめがね scope; spyglassのようにぐるぐる巻いたぐるぐる巻まいた rolled up卒業証書卒業そつぎょう証書しょうしょ graduation certificate; diplomaの穴穴あな (center) holeから、見えるだけの世の中世よの中なか outside worldを見渡した見渡みわたした looked over; surveyed。それからその卒業証書を机机つくえ deskの上上うえ top ofに放り出した放ほうり出だした tossed down。そうして大の字なり大だいの字じなり in the shape of the character '大'になって、室室へや roomの真中真中まんなか centerに寝そべった寝ねそべった sprawled。私は寝ながら自分の過去過去かこ pastを顧みた顧かえりみた looked back on; reflected on。また自分の未来未来みらい futureを想像した想像そうぞうした imagined。するとその間間あいだ interval; space betweenに立って立たって stand一区切りを付けて一区切ひとくぎりを付つけて mark a break point; mark a junctureいるこの卒業証書なるものが、意味意味いみ significanceのあるような、また意味のないような変な変へんな odd; curious紙紙かみ (piece of) paperに思われた思おもわれた seemed (to be)。

私はその晩晩ばん evening先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の家家うち houseへ御馳走御馳走ごちそう (celebratory) mealに招かれて招まねかれて was invited行った行いった went (to)。これはもし卒業したらその日の晩餐晩餐ばんさん dinnerはよそで喰わずに喰くわずに not eat、先生の食卓食卓しょくたく (dining) tableで済ますという前前まえ before; priorからの約束約束やくそく promiseであった。

食卓は約束通り座敷座敷ざしき sitting room; parlorの縁近く縁えん近ちかく near the verandaに据えられてあった据すえられてあった had been placed; had been set up。模様模様もよう pattern; figure; designの織り出された織おり出だされた (pattern) had been woven厚い厚あつい thick; heavy糊の硬い糊のりの硬こわい stiffly starched卓布卓布テーブルクロース tableclothが美しく美うつくしく beautifullyかつ清らかに清きよらかに purely電燈電燈でんとう electric lampの光光ひかり lightを射返して射返いかえして reflectいた。先生のうちで飯飯めし mealを食うと、きっとこの西洋西洋せいよう Western; Western-style料理店料理店りょうりてん eatery; restaurantに見るような白い白しろい whiteリンネルリンネル linen (from french linière)の上に、箸箸はし chopsticksや茶碗茶碗ちゃわん rice bowls; tea cups; dishesが置かれた置おかれた be laid out; be placed。そうしてそれが必ず必かならず invariably; without fail洗濯したての洗濯せんたくしたての freshly-laundered真白な真白まっしろな pure whiteものに限られていたに限かぎられていた was never other than ...。

「カラやカフスカラやカフス collars and cuffsと同じ同おなじ the same事事こと situation; matterさ。汚れた汚よごれた dirty; soiledのを用いる用もちいる make use ofくらいなら、一層一層いっそ still more; all the more始めから始はじめから from the start; in the first place色の着いた色いろの着ついた coloredものを使う使つかう useが好いが好いい it's better to ...。白ければ純白純白じゅんぱく pure white; perfect whiteでなくっちゃ」

こういわれてみると、なるほど先生は潔癖潔癖けっぱく fastidious; meticulousであった。書斎書斎しょさい study; reading roomなども実に実じつに truly; in fact整然と整然きちりと precisely; neatly (= きっちりと)片付いていた片付かたづいていた was arranged; was organized。無頓着な無頓着むとんじゃくな careless; indifferent私には、先生のそういう特色特色とくしょく characteristic; idiosyncrasyが折々折々おりおり occasionally; at times著しく著いちじるしく remarkably; strikingly眼に留まった眼めに留とまった caught one's eye。

「先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は癇性癇性かんしょう particular; meticulousですね」とかつて奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeに告げた告つげた commented; mentioned時時とき time; occasion、奥さんは「でも着物着物きもの clothes; attireなどは、それほど気にしない気きにしない pay little mind to; be unconcerned overようですよ」と答えた答こたえた replied; answered事事こと act; instanceがあった。それを傍傍そば nearbyに聞いて聞きいて listen to; hearいた先生は、「本当本当ほんとう truthをいうと、私私わたくし I; meは精神的に精神的せいしんてきに mentally; emotionally; psychologically癇性なんです。それで始終始終しじゅう always; constantly苦しい苦くるしい uncomfortable; in tormentんです。考える考かんがえる consider; think aboutと実に実じつに really; actually馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿ばかばかしい foolish; absurd; asinine性分性分しょうぶん nature; dispositionだ」といって笑った笑わらった smiled; laughed。精神的に癇性という意味意味いみ meaningは、俗にいう俗ぞくにいう commonly meant神経質神経質しんけいしつ fussy; sensitiveという意味か、または倫理的に倫理的りんりてきに ethically; morally潔癖潔癖けっぺき demanding; exacting; finickyだという意味か、私には解らなかった解わからなかった was not clear。奥さんにも能く能よく well通じない通つうじない (meaning) does not come throughらしかった。

その晩晩ばん evening私は先生と向い合せ向むかい合あわせ facing each otherに、例の例れいの the aforementioned白い白しろい white卓布卓布たくふ tableclothの前前まえ front ofに坐った坐すわった sat; was seated。奥さんは二人二人ふたり two (people); the two of usを左右左右さゆう left and right; both sidesに置いて置おいて place; position、独り独ひとり one (person)庭庭にわ garden; yardの方方ほう directionを正面正面しょうめん straight aheadにして席を占めた席せきを占しめた took a seat。

「お目出とうお目出めでとう congratulations」といって、先生が私のために杯杯さかずき saké cupを上げて上あげて lift; raiseくれた。私はこの盃盃さかずき saké cupに対してに対たいして towards; regardingそれほど嬉しい嬉うれしい happy; glad気気き feelingを起さなかった起おこさなかった didn't trigger; didn't unleash。無論無論むろん of course; granted私自身自身じしん oneselfの心心こころ heart; mindがこの言葉言葉ことば wordに反響する反響はんきょうする respond; reactように、飛び立つ飛とび立たつ leap out嬉しさをもっていなかったのが、一つ一ひとつ one (thing)の源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)であった。けれども先生のいい方いい方かた manner of speakingも決して決けっして by (no) means私の嬉しさを唆る唆そそる stir up; arouse浮々した浮々うきうきした cheerful; lighthearted調子調子ちょうし tone (of voice)を帯びて帯おびて have; assume; be tinged withいなかった。先生は笑って杯を上げた。私はその笑いのうちに、些とも些ちっとも (not) in the least意地の悪い意地いじの悪わるい spiteful; ill-naturedアイロニーアイロニー ironyを認めなかった認みとめなかった did not recognize; did not perceive。同時に同時どうじに at the same time目出たい目出めでたい joyous; happyという真情真情しんじょう true feeling; sincere feelingも汲み取る汲くみ取とる come away with; take away from事ができなかった。先生の笑いは、「世間世間せけん the world; society; peopleはこんな場合場合ばあい situation; occasionによくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語って物語ものがたって relate; conveyいた。

奥さんは私に「結構結構けっこう wonderful; splendidね。さぞお父さんお父とうさん fatherやお母さんお母かあさん motherはお喜びでしょうお喜よろこびでしょう must be delighted」といってくれた。私は突然突然とつぜん suddenly; at once病気病気びょうき ill; unwellの父父ちち fatherの事を考えた。早く早はやく soon; right awayあの卒業証書卒業そつぎょう証書しょうしょ graduation certificate; diplomaを持って行って持もって行いって take見せて見みせて showやろうと思った思おもった thought (to do)。

「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。

「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。

「ええ、たしかしまってあるはずですが」

卒業証書の在処在処ありどころ whereaboutsは二人ともよく知らなかった知しらなかった didn't know。

三十三三十三さんじゅうさん (part) 33

飯飯めし meal; main courseになった時時とき time、奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeは傍傍そば nearby; next toに坐っている坐すわっている be seated下女下女げじょ maidservantを次次つぎ next (room)へ立たせて立たたせて send off; dispatch (to)、自分自分じぶん oneselfで給仕給仕きゅうじ servingの役役やく roleをつとめた。これが表立たない表立おもてだたない informal; intimate客客きゃく visitor; guestに対するに対たいする with respect to; in relation to先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の家家いえ house; homeの仕来り仕来しきたり custom; practiceらしかった。始めの始はじめの first一、二回一いち、二回にかい one or two times; couple of timesは私私わたくし I; meも窮屈窮屈きゅうくつ discomfortを感じた感かんじた felt; experiencedが、度数度数どすう number of timesの重なる重かさなる pile up; accumulateにつけ、茶碗茶碗ちゃわん dishesを奥さんの前前まえ before; in front ofへ出す出だす hold out; put forward; presentのが、何でもなくなった何なんでもなくなった came to be nothing at all; came to be matter of course。

「お茶お茶ちゃ tea? ご飯ご飯はん rice? ずいぶんよく食べる食たべる eatのね」

奥さんの方方ほう sideでも思い切って思おもい切きって resolutely; boldly遠慮のない遠慮えんりょのない unrestrained; without reserve事事こと matters; thingsをいうことがあった。しかしその日日ひ dayは、時候時候じこう season; time of yearが時候なので、そんなに調戯われる調戯からかわれる tease; poke fun atほど食欲が進まなかった食欲しょくよくが進すすまなかった did not have much appetite。

「もうおしまい。あなた近頃近頃ちかごろ lately; recently大変大変たいへん very much; terribly小食小食しょうしょく light eaterになったのね」

「小食になったんじゃありません。暑い暑あつい hot; sticky (weather)んで食われない食くわれない can't eatんです」

奥さんは下女を呼んで呼よんで call for; summon食卓食卓しょくたく dining tableを片付けさせた片付かたづけさせた had clear off後後あと afterへ、改めて改あらためて again; anewアイスクリームアイスクリーム ice creamと水菓子水菓子みずがし desert fruitsを運ばせた運はこばせた had bring out; had serve。

「これは宅宅うち house; homeで拵えた拵こしらえた made; preparedのよ」

用のない用ようのない having time on one's hands; idle奥さんには、手製手製てせい handmadeのアイスクリームを客に振舞う振舞ふるまう treat; lavish uponだけの余裕余裕よゆう leisure; spare timeがあると見えた見みえた seemed to ...。私はそれを二杯二杯にはい two dishes; two helpings更えてもらった更かえてもらった had change; had replenish。

「君君きみ youもいよいよ卒業した卒業そつぎょうした graduatedが、これから何何なに whatをする気気き intentionですか」と先生が聞いた聞きいた asked。先生は半分半分はんぶん halfway縁側縁側えんがわ verandaの方へ席席せき seatをずらして、敷居敷居しきい threshold; sill際際ぎわ edgeで背中背中せなか backを障子障子しょうじ shōji; sliding screenに靠たせて靠もたせて rest on; lean againstいた。

私にはただ卒業したという自覚自覚じかく awareness; realizationがあるだけで、これから何をしようという目的目的あて objective; aimもなかった。返事返事へんじ answer; replyにためらっている私を見た時、奥さんは「教師教師きょうし teacher; instructor?」と聞いた。それにも答えず答こたえず without answeringにいると、今度今度こんど this timeは、「じゃお役人役人やくにん government official; civil servant?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した笑わらい出だした began to laugh。

「本当本当ほんとう truthいうと、まだ何をする考え考かんがえ idea; thoughtもないんです。実は実じつは actually; in fact職業職業しょくぎょう occupationというものについて、全く全まったく (not) at all考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善い善いい desirable; agreeableか、どれが悪い悪わるい undesirable; disagreeableか、自分がやって見た上でないとやって見みた上うえでないと without having tried解らない解わからない don't know; can't sayんだから、選択選択せんたく choice; decisionに困る困こまる struggle with訳訳わけ circumstance; situationだと思います思おもいます think; reckon」

「それもそうね。けれどもあなたは必竟必竟ひっきょう after all財産財産ざいさん wealthがあるからそんな呑気な呑気のんきな easygoing; carefree事をいっていられるのよ。これが困る人人ひと peopleでご覧なさいご覧らんなさい take a look (at)。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられない落おち付ついちゃいられない can't take things easyから」

私私わたくし I; meの友達友達ともだち friendsには卒業しない前から卒業そつぎょうしない前まえから even before graduating、中学教師中学ちゅうがく教師きょうし middle school teacherの口口くち opening; positionを探して探さがして seek out; findいる人人ひと people; personsがあった。私は腹の中で腹はらの中なかで inwardly; to oneself奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeのいう事実事実じじつ reality; truthを認めた認みとめた recognized; acknowledged。しかしこういった。

「少し少すこし a little; a bit先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)にかぶれたかぶれた (have been) affected; influencedんでしょう」

「碌な碌ろくな genuine; legitimateかぶれ方かぶれ方かた manner in which one is influencedをして下さらない下くださらない please don'tのね」

先生は苦笑した苦笑くしょうした forced a smile。

「かぶれても構わない構かまわない doesn't matter; is fineから、その代りその代かわり in returnこの間この間あいだ the other dayいった通りいった通とおり as (I) said、お父さんお父とうさん (your) fatherの生きてる生いきてる is living; is aliveうちに、相当の相当そうとうの proper; proportional財産財産ざいさん wealthを分けてもらってお置きなさい分わけてもらってお置おきなさい have divide; have divvy up (in advance)。それでないと決して決けっして by (no) means油断はならない油断ゆだんはならない can't rest easy; must always be on edge」

私は先生といっしょに、郊外郊外こうがい environs; outskirts (of a town)の植木屋植木屋うえきや (plant) nurseryの広い広ひろい open; expansive庭庭にわ gardensの奥奥おく inside; interiorで話した話はなした talked; conversed、あの躑躅躑躅つつじ azaleaの咲いている咲さいている be in bloom五月五月ごがつ Mayの初め初はじめ beginning; start (of)を思い出した思おもい出だした remembered; recalled。あの時時とき time帰り途に帰かえり途みちに on the way home、先生が昂奮した昂奮こうふんした excited; passionate; agitated語気語気ごき manner of speakingで、私に物語った物語ものがたった spoke; conveyed強い強つよい strong; forceful言葉言葉ことば wordsを、再び再ふたたび once again耳の底で耳みみの底そこで in one's mind繰り返した繰くり返かえした repeated; replayed。それは強いばかりでなく、むしろ凄い凄すごい dire; intense言葉であった。けれども事実を知らない知しらない not know; not be aware of私には同時に同時どうじに at the same time徹底しない徹底てっていしない not strike home; not resonate言葉でもあった。

「奥さん、お宅お宅たく (your) householdの財産はよッぽどあるんですか」

「何だって何なんだって what's the meaning of ...そんな事そんな事こと such a thingをお聞きになるお聞ききになる askの」

「先生に聞いても教えて教おしえて tell; inform下さらないから」

奥さんは笑いながら笑わらいながら smiling; laughing先生の顔顔かお faceを見た見みた looked at。

「教えて上げる上あげる do (something) for someoneほどないからでしょう」

「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅宅うち homeへ帰って一つ一ひとつ once父父ちち fatherに談判する談判だんぱんする talk with; discuss (business)時の参考参考さんこう referenceにしますから聞かして下さい」

先生は庭の方方ほう directionを向いて向むいて turn toward、澄まして澄すまして indifferently; with detachment烟草を吹かして烟草タバコを吹ふかして have a smokeいた。相手相手あいて companion; counterpartは自然自然しぜん naturally; as a matter of course奥さんでなければならなかった。

「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮して暮くらして live; get alongゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いとしてどうでも宜いいとして set aside; not worry about、あなたはこれから何か何なにか something為さらなくっちゃ為なさらなくっちゃ without doing本当に本当ほんとうに trulyいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」

「ごろごろばかりしていやしないさ」

先生はちょっと顔だけ向け直して向むけ直なおして turned (around)、奥さんの言葉を否定した否定ひていした contested; challenged。

三十四三十四さんじゅうし (part) 34

私私わたくし I; meはその夜夜よ evening十時十時じゅうじ ten (o'clock)過ぎ過すぎ after; pastに先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の家家いえ house; homeを辞した辞じした quit; took one's leave。二、三日二に、三日さんにち two or three days; several daysうちに帰国帰国きこく return home (to one's native place)するはずになっていたので、座を立つ座ざを立たつ leave one's seat; get up from the table前前まえ beforeに私はちょっと暇乞い暇乞いとまごい leave-taking; farewellの言葉言葉ことば wordsを述べた述のべた spoke; expressed。

「また当分当分とうぶん for a whileお目にかかれませんお目めにかかれません won't be able to seeから」

「九月九月くがつ Septemberには出ていらっしゃる出でていらっしゃる appear; be backんでしょうね」

私はもう卒業した卒業そつぎょうした graduatedのだから、必ず必かならず necessarily九月に出て来る出でて来くる come up; return必要必要ひつよう requirement; needもなかった。しかし暑い盛り暑あつい盛さかり the height of summerの八月八月はちがつ Augustを東京東京とうきょう Tōkyōまで来て来きて come (to)送ろう送おくろう spend; pass (time)とも考えて考かんがえて consider; think (to do)いなかった。私には位置位置いち positionを求める求もとめる seek; search forための貴重な貴重きちょうな valuable; precious時間時間じかん timeというものがなかった。

「まあ九月頃九月くがつ頃ごろ around Septemberになるでしょう」

「じゃずいぶんご機嫌ようご機嫌きげんよう take care。私たちもこの夏夏なつ summerはことによるとどこかへ行く行ゆく go (to)かも知れないかも知しれない might ...; may ...のよ。ずいぶん暑そうだから。行ったら行いったら go (to)また絵端書絵端書えはがき (picture) postcardでも送って上げましょう上あげましょう do (something) for someone」

「どちらの見当見当けんとう directionです。もしいらっしゃるとすれば」

先生はこの問答問答もんどう dialogue; exchangeをにやにや笑ってにやにや笑わらって with a grin聞いて聞きいて listen toいた。

「何何なに anyway; at any rateまだ行くとも行かないとも極めて極きめて decide; determineいやしないんです」

席を立とう席せきを立たとう leave one's seat; get up from the tableとした時時とき time; moment、先生は急に急きゅうに suddenly私をつらまえて、「時に時ときに by the wayお父さんお父とうさん (your) fatherの病気病気びょうき illness; maladyはどうなんです」と聞いた。私は父父ちち fatherの健康健康けんこう health; conditionについてほとんど知るところがなかった。何とも何なんとも (no)thingいって来ないいって来こない don't mention; don't report以上以上いじょう as long as ...; given that ...、悪くはない悪わるくはない not bad; all rightのだろうくらいに考えていた。

「そんなに容易く容易たやすく simply; lightly; casually考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症尿毒症にょうどくしょう uremia (urea in the blood)が出る出でる appear; ariseと、もう駄目駄目だめ hopeless; the endなんだから」

尿毒症という言葉も意味意味いみ meaningも私には解らなかった解わからなかった were unknown; were unfamiliar。この前の冬休み冬休ふゆやすみ winter breakに国国くに home country; one's native placeで医者医者いしゃ doctorと会見した会見かいけんした met with; consulted時に、私はそんな術語術語じゅつご technical termをまるで聞かなかった。

「本当に本当ほんとうに really大事にして大事だいじにして take good care ofお上げなさいよ」と奥さん奥おくさん Sensei's wifeもいった。「毒毒どく poison; toxinが脳脳のう brainへ廻る廻まわる circulateようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃない笑わらい事ごとじゃない not to be taken lightlyわ」

無経験な無経験むけいけんな lacking in experience私は気味を悪がりながらも気味きみを悪わるがりながらも feeling ill at ease; feeling disquieted、にやにやしていた。

「どうせ助からない病気助たすからない病気びょうき incurable diseaseだそうですから、いくら心配した心配しんぱいした worry; fretって仕方がありません仕方しかたがありません nothing can be done」

「そう思い切りよく思おもい切きりよく resolutely; resignedly考えれば、それまでですけれども」

奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeは昔昔むかし long ago; in days past同じ同おなじ the same病気病気びょうき illness; maladyで死んだ死しんだ diedという自分の自分じぶんの one's ownお母さんお母かあさん motherの事の事こと concerning ...; about ...でも憶い出した憶おもい出だした recollected; recalledのか、沈んだ沈しずんだ sunken; subdued調子調子ちょうし tone; mannerでこういったなり下下した down; belowを向いた向むいた turned toward。私私わたくし I; meも父父ちち fatherの運命運命うんめい fate; lotが本当に本当ほんとうに really; truly気の毒気きの毒どく pitiable; unfortunateになった。

すると先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)が突然突然とつぜん suddenly奥さんの方方ほう directionを向いた。

「静静しず Shizu (name of Sensei's wife)、お前お前まえ youはおれより先先さき before; aheadへ死ぬだろうかね」

「なぜ」

「なぜでもない、ただ聞いてみるただ聞きいてみる just asking; just wonderingのさ。それとも己己おれ I; meの方がお前より前前まえ beforeに片付く片付かたづく be finished; be done withかな。大抵大抵たいてい usually; for the most part世間世間せけん society; the worldじゃ旦那旦那だんな husbandが先で、細君細君さいくん wifeが後後あと afterへ残る残のこる remain; be leftのが当り前当あたり前まえ natural; common; the normのようになってるね」

「そう極った極きまった decided; given訳訳わけ situationでもないわ。けれども男男おとこ manの方はどうしても、そら年が上年としが上うえ greater in years; olderでしょう」

「だから先へ死ぬという理屈理屈りくつ reasoningなのかね。すると己もお前より先にあの世あの世よ that other world; the afterlifeへ行かなくっちゃならない行ゆかなくっちゃならない have to go事になるね」

「あなたは特別特別とくべつ special; differentよ」

「そうかね」

「だって丈夫丈夫じょうぶ healthy; robustなんですもの。ほとんど煩った煩わずらった be ill; suffer from例例ためし case; instanceがないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」

「先かな」

「え、きっと先よ」

先生は私の顔顔かお faceを見た見みた looked at。私は笑った笑わらった smiled; grinned。

「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」

「どうするって……」

奥さんはそこで口籠った口籠くちごもった faltered (in one's speech)。先生の死に対するに対たいする with respect to; in relation to想像的な想像的そうぞうてきな imagined; pictured悲哀悲哀ひあい sorrow; sadnessが、ちょっと奥さんの胸胸むね breast; bosomを襲った襲おそった assailed; struckらしかった。けれども再び再ふたたび again; once more顔をあげた時時とき time; momentは、もう気分気分きぶん feeling; moodを更えていた更かえていた had changed; had altered; had refreshed。

「どうするって、仕方がない仕方しかたがない nothing can be done (about it)わ、ねえあなた。老少不定老少ろうしょう不定ふじょう life holds no guarantees (lit: old and young together uncertain)っていうくらいだから」

奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしく笑談じょうだんらしく tongue-in-cheekこういった。

三十五三十五さんじゅうご (part) 35

私私わたくし I; meは立て掛けた立たて掛かけた (had) started to raise腰腰こし hips; haunchesをまたおろして、話話はなし talk; conversationの区切りの付く区切くぎりの付つく come to a pause; come to a break pointまで二人二人ふたり two (people)の相手相手あいて companion; companyになっていた。

「君君きみ youはどう思います思おもいます think」と先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)が聞いた聞きいた asked。

先生が先先さき before; aheadへ死ぬ死しぬ die; departか、奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeが早く早はやく earlier; sooner亡くなる亡なくなる pass awayか、固より固もとより from the start; by nature私に判断判断はんだん judgment; opinionのつくべき問題問題もんだい problem; questionではなかった。私はただ笑っていた笑わらっていた laughed。

「寿命寿命じゅみょう (one's) life spanは分りません分わかりません can't knowね。私にも」

「こればかりは本当に本当ほんとうに really; truly寿命ですからね。生れた生うまれた be born時時とき timeにちゃんと極った極きまった determined; certain年数年数ねんすう number of yearsをもらって来るもらって来くる come with; bring withんだから仕方がない仕方しかたがない is inevitable; is fateわ。先生のお父さんお父とうさん fatherやお母さんお母かあさん motherなんか、ほとんど同じ同おんなじ the sameよ、あなた、亡くなったのが」

「亡くなられた日日ひ dayがですか」

「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて続つづいて in succession; one after another亡くなっちまったんですもの」

この知識知識ちしき knowledge; informationは私にとって新しい新あたらしい newものであった。私は不思議不思議ふしぎ strange; curiousに思った。

「どうしてそう一度に一度いちどに at once; at the same time死なれたんですか」

奥さんは私の問い問とい question; inquiryに答えよう答こたえよう answer; respondとした。先生はそれを遮った遮さえぎった interrupted。

「そんな話はお止しお止よし stop; dispense withよ。つまらないから」

先生は手手て handに持った持もった held団扇団扇うちわ round (fan)をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた顧かえりみた turned back to。

「静静しず Shizu (name of Sensei's wife)、おれが死んだらこの家家うち houseをお前お前まえ youにやろう」

奥さんは笑い出した笑わらい出だした laughed。

「ついでに地面地面じめん land; propertyも下さい下ください please (give me)よ」

「地面は他他ひと other person; another personのものだから仕方がない。その代りその代かわり instead (of); in exchange (for)おれの持ってるものは皆な皆みんな all; everythingお前にやるよ」

「どうも有難う有難ありがとう (I) appreciate it。けれども横文字横文字よこもじ Western language; Roman lettersの本本ほん books; textsなんか貰って貰もらって receiveも仕様がないわね」

「古本屋古本屋ふるほんや used book store; used book dealerに売る売うる sellさ」

「売ればいくらぐらいになって」

先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に容易よういに easily; readily自分の自分じぶんの one's own死という遠い遠とおい distant; far off問題を離れなかった離はなれなかった did not leave; did not move away from。そうしてその死は必ず必かならず invariably奥さんの前前まえ beforeに起る起おこる happen; take placeものと仮定されていた仮定かていされていた was imagined; was presumed (to be)。奥さんも最初の最初さいしょの first; initialうちは、わざとたわいのないたわいのない playful; guileless受け答え受うけ答ごたえ replies; responsesをしているらしく見えた見みえた appeared to ...。それがいつの間にかいつの間まにか in time; before one knew it、感傷的な感傷的かんしょうてきな sentimental; emotional女の女おんなの female; woman's心心こころ heart; mind; soulを重苦しくした重苦おもぐるしくした weighed down; oppressed。

「おれが死んだら死しんだら die; depart、おれが死んだらって、まあ何遍何遍なんべん how many timesおっしゃるの。後生だから後生ごしょうだから for goodness' sakeもう好い加減にして好いい加減かげんにして enough already; give it a rest、おれが死んだらは止して頂戴止よして頂戴ちょうだい please stop。縁喜縁喜えんぎ auspiciousness; harbinger of good fortune (usually 縁起えんぎ)でもない。あなたが死んだら、何でも何なんでも anything and everythingあなたの思い通り思おもい通どおり as one wishesにして上げる上あげる do (something) for someoneから、それで好いじゃありませんか」

先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は庭庭にわ garden; yardの方方ほう directionを向いて向むいて face; turn toward笑った笑わらった smiled; grinned。しかしそれぎり奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeの厭がる厭いやがる dislike; find disagreeable事事こと matterをいわなくなった。私私わたくし I; meもあまり長くなる長ながくなる get to be a long time; get lateので、すぐ席を立った席せきを立たった got up; rose (from one's seat)。先生と奥さんは玄関玄関げんかん entry hallまで送って出た送おくって出でた came to see (someone) off。

「ご病人ご病人びょうにん sick person (in your care)をお大事にお大事だいじに take good care of」と奥さんがいった。

「また九月九月くがつ Septemberに」と先生がいった。

私は挨拶挨拶あいさつ salutations; formalitiesをして格子格子こうし latticework (door)の外外そと outsideへ足を踏み出した足あしを踏ふみ出だした stepped out (into)。玄関と門門もん gateの間の間あいだ betweenにあるこんもりしたこんもりした thickly grown木犀木犀もくせい fragrant olive; sweet olive (shrub or small tree)の一株一株ひとかぶ single tree (or bush)が、私の行手行手ゆくて one's way; one's pathを塞ぐ塞ふさぐ cut off; blockように、夜陰夜陰やいん evening shadows; duskのうちに枝枝えだ branches; limbsを張って張はって spread; stretchいた。私は二、三歩二に、三歩さんぽ two or three steps; several steps動き出しながら動うごき出だしながら starting to move; setting out、黒ずんだ黒くろずんだ blackened; in darkness葉葉は leavesに被われている被おおわれている covered withその梢梢こずえ treetop; branch tipsを見て見みて look at、来たるべき来きたるべき is to come秋秋あき fall; autumnの花花はな flowersと香香かおり scents; fragrancesを想い浮べた想おもい浮うかべた imagined; envisioned。私は先生の宅宅うち house; homeとこの木犀とを、以前以前いぜん before; previouslyから心心こころ heart; mindのうちで、離す離はなす separate事のできないもののように、いっしょに記憶して記憶きおくして rememberいた。私が偶然偶然ぐうぜん coincidentally; as it happenedその樹樹き treeの前前まえ front ofに立って、再び再ふたたび again; once moreこの宅の玄関を跨ぐ跨またぐ step over; step acrossべき次の次つぎの next; coming秋に思いを馳せた思おもいを馳はせた thought warmly of; looked ahead to時時とき time; moment、今今いま now; the presentまで格子の間から射して射さして shineいた玄関の電燈電燈でんとう (electric) lightがふっと消えた消きえた went out。先生夫婦先生せんせい夫婦ふうふ Sensei and his wifeはそれぎり奥奥おく inside; interiorへはいったらしかった。私は一人一人ひとり alone暗い暗くらい dark表表おもて out frontへ出た。

私はすぐ下宿下宿げしゅく lodgingsへは戻らなかった戻もどらなかった did not return (to)。国国くに country; one's native placeへ帰る帰かえる return (to)前に調える調ととのえる wrap up; put in order買物買物かいもの shopping; errandsもあったし、ご馳走を詰めたご馳走ちそうを詰つめた ate one's fill胃袋胃袋いぶくろ stomachにくつろぎくつろぎ comfort; reliefを与える与あたえる provide; impart (to)必要必要ひつよう need; necessityもあったので、ただ賑やかな賑にぎやかな bustling; lively町町まち townの方へ歩いて行った歩あるいて行いった walked (toward)。町はまだ宵の口であったまだ宵よいの口くちであった was just coming into full swing。用事用事ようじ objectives; tasksもなさそうな男女男女なんにょ men and womenがぞろぞろぞろぞろ in groups; in succession動く動うごく move; circulate中中なか middle; midstに、私は今日今日きょう this (same) day私といっしょに卒業した卒業そつぎょうした graduatedなにがしなにがし certain person; so-and-soに会った会あった met; ran into。彼彼かれ he; himは私を無理やりに無理むりやりに unrelentingly; with much insistenceある酒場酒場バー barへ連れ込んだ連つれ込こんだ brought; led (someone to some place)。私はそこで麦酒麦酒ビール beerの泡泡あわ bubbles; foam; frothのような彼の気燄気燄きえん big talk; bluster (usually 気焔きえん)を聞かされた聞きかされた had to listen to。私の下宿へ帰ったのは十二時十二時じゅうにじ twelve (o'clock); midnight過ぎ過すぎ after; pastであった。

三十六三十六さんじゅうろく (part) 36

私私わたくし I; meはその翌日翌日よくじつ next dayも暑さ暑あつさ hot weather; heatを冒して冒おかして brave; face; take on、頼まれもの頼たのまれもの requested itemsを買い集めて買かい集あつめて shop for; buy up歩いた歩あるいた walked; walked around。手紙手紙てがみ letter; correspondenceで注文注文ちゅうもん requestを受けた受うけた received時時とき time; occasionは何でもない何なんでもない is nothing; is no great matterように考えて考かんがえて consider; thinkいたのが、いざとなると大変大変たいへん a great deal; terribly臆劫臆劫おっくう troublesome; burdensome (usually 億劫おっくう)に感ぜられた感かんぜられた felt to be。私は電車電車でんしゃ (electric) trainの中中なか insideで汗汗あせ sweat; perspirationを拭きながら拭ふきながら wipe、他他ひと (other) peopleの時間時間じかん timeと手数手数てすう trouble; botherに気の毒という観念気きの毒どくという観念かんねん sympathy for; consideration ofをまるでもっていない田舎者田舎者いなかもの country folkを憎らしく思った憎にくらしく思おもった felt spite toward。

私はこの一夏一夏ひとなつ one summerを無為無為むい idleness; inactivityに過ごす過すごす spend; pass (time)気気き intentionはなかった。国国くに country; one's native placeへ帰って帰かえって return (to)からの日程日程にってい schedule; program; daily planというようなものをあらかじめ作って作つくって make; form; put togetherおいたので、それを履行する履行りこうする carry out; executeに必要な必要ひつような necessary; essential書物書物しょもつ booksも手に入れなければならなかった手てに入いれなければならなかった had to get; had to procure。私は半日半日はんにち half a dayを丸善丸善まるぜん Maruzen (bookshop)の二階二階にかい second floorで潰す潰つぶす expend; invest (time)覚悟覚悟かくご resolution; resolveでいた。私は自分自分じぶん oneselfに関係関係かんけい connectionの深い深ふかい deep; strong部門部門ぶもん field; area (of interest)の書籍棚書籍棚しょせきだな (book)shelvesの前前まえ front ofに立って立たって stand、隅隅すみ cornerから隅まで一冊一冊いっさつ one volumeずつ点検して点検てんけんして inspect; examine行った行いった moved along; proceeded。

買物買物かいもの shoppingのうちで一番一番いちばん number one; most (of all)私を困らせた困こまらせた bothered; troubled; stressedのは女の女おんなの woman's半襟半襟はんえり decorative collar for under-kimonoであった。小僧小僧こぞう shop boy; clerkにいうと、いくらでも出して出だして bring out; presentはくれるが、さてどれを選んで選えらんで choose; selectいいのか、買う段段だん step; stageになっては、ただ迷う迷まよう waver; vacillateだけであった。その上その上うえ on top of that; furthermore価価あたい valueが極めて極きわめて exceedingly; extremely不定不定ふじょう uncertain; unpredictableであった。安かろう安やすかろう inexpensive; economicalと思って聞く聞きく ask; inquireと、非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly高かったり高たかかったり expensive、高かろうと考えて、聞かずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見て比くらべて見みて compareも、どこから価格価格かかく priceの差違差違さい difference; disparityが出る出でる appear; originate (from)のか見当の付かない見当けんとうの付つかない have no ideaのもあった。私は全く全まったく utterly; completely弱らせられた弱よわらせられた was perplexed; was confounded。そうして心のうちで心こころのうちで inwardly; to oneself、なぜ先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の奥さん奥おくさん wifeを煩わさなかった煩わずらわさなかった didn't trouble; didn't impose on (to do something)かを悔いた悔くいた regretted。

私は鞄鞄かばん bagを買った。無論無論むろん of course和製和製わせい of Japanese makeの下等な下等かとうな low grade; inferior品品しな product; pieceに過ぎなかったに過すぎなかった was nothing more than ...が、それでも金具金具かなぐ metal fittings; claspsやなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇かす威嚇おどかす impress; awe; astonishには充分充分じゅうぶん adequate; sufficientであった。この鞄を買うという事事こと act; actionは、私の母母はは motherの注文であった。卒業したら卒業そつぎょうしたら graduate新しい新あたらしい new鞄を買って、そのなかに一切一切いっさい all; everythingの土産もの土産みやげもの presents; requested itemsを入れて入いれて put into帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった書かいてあった had been written。私はその文句文句もんく wordsを読んだ読よんだ read時に笑い出した笑わらい出だした laughed。私には母の料簡料簡りょうけん thought; ideaが解らない解わからない can't understandというよりも、その言葉言葉ことば words; descriptionが一種一種いっしゅ a type; a sort (of)の滑稽滑稽こっけい preposterous; farcical (scene or situation)として訴えた訴うったえた struck one asのである。

私私わたくし I; meは暇乞い暇乞いとまごい leave-taking; farewellをする時時とき time; occasion先生夫婦先生せんせい夫婦ふうふ Sensei and his wifeに述べた通り述のべた通とおり as stated; as said、それから三日目三日目みっかめ third dayの汽車汽車きしゃ (steam) trainで東京東京とうきょう Tōkyōを立って立たって depart; leave国国くに country; one's native placeへ帰った帰かえった returned to。この冬冬ふゆ winter以来以来いらい since父父ちち fatherの病気病気びょうき illnessについて先生から色々の色々いろいろの various注意注意ちゅうい advice; points of cautionを受けた受うけた received私は、一番一番いちばん most (of all)心配しなければならない心配しんぱいしなければならない have reason to worry地位地位ちい positionにありながら、どういうものか、それが大して大たいして (not so) much苦にならなかった苦くにならなかった did not trouble; did not weigh on。私はむしろ父がいなくなったあとの母母はは motherを想像して想像そうぞうして imagine気の毒気きの毒どく pitiable; unfortunateに思った思おもった thought of (as)。そのくらいだから私は心心こころ heart; mindのどこかで、父はすでに亡くなる亡なくなる pass awayべきものと覚悟していた覚悟かくごしていた was resolved to; was resigned toに違いなかったに違ちがいなかった no doubt ...。九州九州きゅうしゅう Kyūshūにいる兄兄あに older brotherへやった手紙手紙てがみ letterのなかにも、私は父の到底到底とても (not) possibly; by (no) means (usually 到底とうてい)故のような故もとのような former; as before健康体健康体けんこうたい physical healthになる見込み見込みこみ outlook; prospectのない事事こと fact; situationを述べた。一度一度いちど onceなどは職務職務しょくむ work; professional dutiesの都合都合つごう circumstances; conditionsもあろうが、できるなら繰り合せて繰くり合あわせて arrange; manage (to find time)この夏夏なつ summerぐらい一度顔顔かお faceだけでも見に帰ったら見みに帰かえったら come back to seeどうだとまで書いた書かいた wrote。その上その上うえ on top of that; furthermore年寄年寄としより old folks; the aged; the elderlyが二人ぎり二人ふたりぎり just two (people)で田舎田舎いなか country; countrysideにいるのは定めて定さだめて surely; certainly心細い心細こころぼそい lonely; forlornだろう、我々我々われわれ we; usも子子こ childrenとして遺憾遺憾いかん regretの至り至いたり utmost limit; greatest extentであるというような感傷的な感傷的かんしょうてきな sentimental文句文句もんく words; expressionさえ使った使つかった used; employed。私は実際実際じっさい actually; in fact心に浮ぶ心こころに浮うかぶ feel in one's heartままを書いた。けれども書いたあとの気分気分きぶん feeling; moodは書いた時とは違っていた違ちがっていた was different; was changed。

私はそうした矛盾矛盾むじゅん contradiction; inconsistencyを汽車の中中なか insideで考えた考かんがえた thought about; considered。考えているうちに自分自分じぶん oneselfが自分に気の変りやすい気きの変かわりやすい inconstant; fickle; easily swayed軽薄もの軽薄けいはくもの shallow person; superficial personのように思われて来た思おもわれて来きた began to seem。私は不愉快になった不愉快ふゆかいになった felt dissatisfied。私はまた先生夫婦の事を想い浮べた想おもい浮うかべた thought back to。ことに二、三日二に、三日さんにち two or three days; several days前前まえ before; earlier晩食晩食ばんめし evening meal; dinnerに呼ばれた呼よばれた was called; was invited (to)時の会話会話かいわ talk; conversationを憶い出した憶おもい出だした recollected; recalled。

「どっちが先先さき first; before; in advanceへ死ぬ死しぬ die; pass awayだろう」

私はその晩先生と奥さん奥おくさん (Sensei's) wifeの間にの間あいだに between ...起った起おこった took place; occurred疑問疑問ぎもん questionをひとり口の内で口くちの内うちで to oneself; silently繰り返して繰くり返かえして repeatみた。そうしてこの疑問には誰も誰だれも (no) one自信自信じしん confidence; certaintyをもって答える答こたえる answer事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然判然はっきり clearly分っていたならば分わかっていたならば if one knew、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今今いま now; the presentのような態度態度たいど manner; behaviorでいるより外に外ほかに other than仕方がない仕方しかたがない is no other way; is nothing else for itだろうと思った。(死に近づきつつある近ちかづきつつある is approaching父を国元国元くにもと one's hometown; one's native placeに控えながら控ひかえながら have (before one)、この私がどうする事もできないように)。私は人間人間にんげん human beings; peopleを果敢ない果敢はかない fleeting; transitoryものに観じた観かんじた regarded; viewed (as)。人間のどうする事もできない持って生れた持もって生うまれた be born with; come into the world with軽薄を、果敢ないものに観じた。