Kokoro - Sensei and I - 10-18

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十十じゅう (part) 10

二人二人ふたり two (people); the two of usが帰る帰かえる returnとき歩きながら歩あるきながら while walkingの沈黙沈黙ちんもく silenceが一丁一丁いっちょう 1 chō (about 110 meters; about 120 yards)も二丁二丁にちょう 2 chō (about 220 meters; about 240 yards)もつづいた。その後後あと afterで突然突然とつぜん suddenly先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)が口を利き出した口くちを利きき出だした spoke; broke the silence。

「悪い悪わるい bad; wrong; shameful事事こと act; action; deedをした。怒って出た怒おこって出でた left in angerから妻妻さい (my) wifeはさぞ心配心配しんぱい worry; concernをしているだろう。考える考かんがえる think about; considerと女女おんな womenは可哀そうな可哀かわいそうな poor; pitiable; unfortunateものですね。私私わたくし I; meの妻などは私より外に外ほかに apart fromまるで頼りにする頼たよりにする depend onものがないんだから」

先生の言葉言葉ことば wordsはちょっとそこで途切れた途切とぎれた stopped; broke offが、別に別べつに particularly私の返事返事へんじ reply; responseを期待する期待きたいする expect; look for様子様子ようす sign; indicationもなく、すぐその続き続つづき continuationへ移って行った移うつって行いった transitioned to; went on with。

「そういうと、夫夫おっと husbandの方方ほう alternativeはいかにも心丈夫心丈夫こころじょうぶ steadfast; self-assuredのようで少し少すこし a little; a bit滑稽滑稽こっけい ridiculous; absurdだが。君君きみ you (used here as form of address)、私は君の眼眼め eyesにどう映ります映うつります reflect; be seenかね。強い強つよい strong; resilient人人ひと person; manに見えます見みえます appear (as)か、弱い弱よわい weak; frail人に見えますか」

「中位中位ちゅうぐらい about medium; somewhere in the middleに見えます」と私は答えた答こたえた replied; answered。この答えは先生にとって少し案外案外あんがい unexpectedらしかった。先生はまた口を閉じて口くちを閉とじて became silent、無言で無言むごんで without words; without speaking歩き出した歩あるき出だした began walking。

先生の宅宅うち house; homeへ帰るには私の下宿下宿げしゅく lodgingsのつい傍傍そば vicinityを通る通とおる pass throughのが順路順路じゅんろ usual routeであった。私はそこまで来て来きて come (to)、曲り角曲まがり角かど corner (where one would turn)で分れる分わかれる part; take leave ofのが先生に済まない済すまない be unbecoming (toward); not be right (by)ような気気き feelingがした。「ついでにお宅お宅たく (your) houseの前前まえ front ofまでお伴しましょうお伴ともしましょう accompanyか」といった。先生は忽ち忽たちまち promptly; at once手手て hand (gesture; movement)で私を遮った遮さえぎった checked; suppressed; stopped。

「もう遅い遅おそい lateから早く早はやく soon帰りたまえ帰かえりたまえ please return home。私も早く帰ってやるんだから、妻君妻君さいくん one's wifeのために」

先生が最後に最後さいごに finally; at the last; in parting付け加えた付つけ加くわえた added「妻君のために」という言葉言葉ことば wordsは妙に妙みょうに strangely; curiouslyその時時とき time; occasionの私の心心こころ heart; soulを暖かにした暖あたたかにした warmed。私はその言葉のために、帰ってから安心して安心あんしんして relax; rest assured寝る寝ねる turn in; sleep事ができた事ことができた was able to ...。私はその後その後ご thereafterも長い間長ながい間あいだ a long whileこの「妻君のために」という言葉を忘れなかった忘わすれなかった did not forget。

先生と奥さん奥おくさん wifeの間の間あいだ between ...に起った起おこった occurred; took place波瀾波瀾はらん disturbance; discordが、大した大たいした significant; of importanceものでない事はこれでも解った解わかった understood; realized。それがまた滅多に滅多めったに rarely; seldom (with negative verb)起る現象現象げんしょう phenomenon; happeningでなかった事も、その後絶えず絶たえず always; regularly出入りをして来た出入でいりをして来きた came and went; visited私にはほぼ推察ができた推察すいさつができた could surmise; could conclude。それどころか先生はある時こんな感想感想かんそう impression; thoughtすら私に洩らした洩もらした shared; divulged; confided。

「私私わたくし I; meは世の中世よの中なか the worldで女女おんな womanというものをたった一人一人ひとり one (person)しか知らない知しらない know; be familiar with。妻妻さい (my) wife以外以外いがい apart fromの女はほとんど女として私に訴えない訴うったえない not register; not appeal to one; not touch one's heartのです。妻の方方ほう alternativeでも、私を天下天下てんか under heaven; (in) the whole worldにただ一人しかない男男おとこ manと思って思おもって think (of); regard (as)くれています。そういう意味意味いみ meaning; senseからいって、私たちは最も最もっとも most; extremely幸福幸福こうふく happiness; well-being; contentmentに生れた生うまれた born (into); blessed (with)人間人間にんげん people; human beingsの一対一対いっつい pair; coupleであるべきはずです」

私は今今いま now; the present前後前後ぜんご before and after; preceding and followingの行き掛り行ゆき掛がかり circumstancesを忘れて忘わすれて forgetしまったから、先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)が何何なん whatのためにこんな自白自白じはく confession; affirmationを私にして聞かせた聞きかせた informed; told; sharedのか、判然判然はっきり clearly; succinctlyいう事ができない事ことができない cannot ...; am not able to ...。けれども先生の態度態度たいど demeanorの真面目真面目まじめ serious; earnestであったのと、調子調子ちょうし manner; moodの沈んで沈しずんで be subdued; be somberいたのとは、いまだに記憶記憶きおく memoryに残って残のこって remainいる。その時時とき time; occasionただ私の耳耳みみ earsに異様に異様いように odd; strange響いた響ひびいた remained; left an impressionのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の最後さいごの final一句一句いっく phraseであった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないでいい切きらないで assert; state unequivocally、あるべきはずであると断わった断ことわった backed off of; qualifiedのか。私にはそれだけが不審不審ふしん question; doubt; mysteryであった。ことにそこへ一種の一種いっしゅの a certain kind of力力ちから force; emphasisを入れた入いれた put into; place onto先生の語気語気ごき tone of voice; manner of speakingが不審であった。先生は事実事実じじつ in fact; in truthはたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中心こころの中うち within one's heart; to oneselfで疑らざるを得なかった疑うたぐらざるを得えなかった had to question; was left to puzzle over。けれどもその疑いは一時限り一時いちじ限かぎり only momentary; only temporaryどこかへ葬られて葬ほうむられて was set aside; was laid to restしまった。

私はそのうち先生の留守留守るす absenceに行って行いって go; visit、奥さん奥おくさん Sensei's wifeと二人差向い差向さしむかい face to faceで話をする話はなしをする talk; converse機会機会きかい chance; opportunityに出合った出合であった met with; happened upon。先生はその日日ひ day横浜横浜よこはま Yokohamaを出帆する出帆しゅっぱんする sail from; depart (by ship) from汽船汽船きせん steam ship; steamerに乗って乗のって ride on; board外国外国がいこく foreign country; overseasへ行くべき友人友人ゆうじん friend; acquaintanceを新橋新橋しんばし Shinbashi (place name)へ送りに行って送おくりに行いって go to see (someone) off留守であった。横浜から船船ふね shipに乗る人人ひと people; personsが、朝朝あさ morning八時半八時半はちじはん half past eightの汽車汽車きしゃ (steam) trainで新橋を立つ立たつ depart (from)のはその頃頃ころ time; periodの習慣習慣しゅうかん custom; usual practiceであった。私はある書物書物しょもつ book; textについて先生に話して話はなして talk (with); consultもらう必要必要ひつよう need; necessityがあったので、あらかじめ先生の承諾を得た承諾しょうだくを得えた reached agreement; arranged通り通とおり just as ...、約束約束やくそく promise; agreement; appointmentの九時九時くじ nine (o'clock)に訪問した訪問ほうもんした called on。先生の新橋行き新橋しんばし行ゆき outing to Shinbashiは前日前日ぜんじつ the day before; the prior dayわざわざ告別告別こくべつ farewell; leave-takingに来た来きた came; called友人に対するに対たいする with regard to礼義礼義れいぎ courtesyとしてその日突然突然とつぜん suddenly起った起おこった arose; came up出来事出来事できごと affair; happeningであった。先生はすぐ帰る帰かえる return; come backから留守でも私に待って待まって waitいるようにといい残していい残のこして leave instructions行った。それで私は座敷座敷ざしき sitting room; parlorへ上がって上あがって enter (up) into、先生を待つ間間あいだ while ...、奥さんと話をした。

十一十一じゅういち (part) 11

その時時とき timeの私私わたくし I; meはすでに大学生大学生だいがくせい university student (equivalent to modern-day graduate student)であった。始めて始はじめて for the first time先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の宅宅うち house; homeへ来た来きた came (to); called (at)頃頃ころ time; periodから見る見みる look; view (from)とずっと成人した成人せいじんした grew; matured気気き feelingでいた。奥さん奥おくさん Sensei's wifeとも大分大分だいぶ very much; a great deal懇意懇意こんい friendship; familiar termsになった後後のち afterであった。私は奥さんに対してに対たいして with respect to; regarding何の何なんの (no)thing; (none) whatsoever窮屈窮屈きゅうくつ discomfort; strainも感じなかった感かんじなかった did not feel。差向い差向さしむかい face to faceで色々の色々いろいろの various話話はなし talk; discussionをした。しかしそれは特色特色とくしょく specific nature; distinguishing pointのないただの談話談話だんわ discourse; conversationだから、今今いま now; the presentではまるで忘れて忘わすれて forgetしまった。そのうちでたった一つ一ひとつ one (thing)私の耳に留まった耳みみに留とまった remained with one; impressed one (upon hearing)ものがある。しかしそれを話す話はなす explain; speak of前前まえ beforeに、ちょっと断っておきたい断ことわっておきたい need to preface with; need to state beforehand事事こと matterがある。

先生は大学出身大学だいがく出身しゅっしん university graduateであった。これは始めから私に知れていた知しれていた was known (to)。しかし先生の何もしないで何なにもしないで have no occupation遊んで遊あそんで live an idle life; be a man of leisureいるという事は、東京東京とうきょう Tōkyōへ帰って帰かえって return (to)少し少すこし a little; a bit経って経たって pass; elapse (time)から始めて分った分わかった learned; became aware of。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った思おもった wondered。

先生はまるで世間世間せけん society; the worldに名前名前なまえ nameを知られていない人人ひと person; manであった。だから先生の学問学問がくもん scholarship; learningや思想思想しそう thoughts; ideasについては、先生と密切の密切みっせつの close; tight (usually 密接みっせつの)関係関係かんけい (personal) bond; relationshipをもっている私より外に外ほかに other than; apart from敬意を払う敬意けいいを払はらう appreciate; hold in esteemもののあるべきはずがなかった。それを私は常に常つねに always; at every occasion惜しい惜おしい unfortunate; regrettable事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中世よの中なか society; the worldへ出て出でて go into; appear in、口を利いて口くちを利きいて speak; make one's voice heardは済まない済すまない be unbecoming (toward); not be right (by)」と答える答こたえる reply; respondぎりぎり only ...; merely ...で、取り合わなかった取とり合あわなかった did not pay heed to; dismissed; brushed aside。私にはその答えが謙遜過ぎて謙遜けんそん過すぎて overly modest; excessively deferentialかえって世間世間せけん the world; societyを冷評する冷評れいひょうする show disdain for; scornようにも聞こえた聞きこえた sounded; came across as。実際実際じっさい in fact; indeed先生は時々時々ときどき from time to time; on occasion昔昔むかし old days; former timesの同級生同級生どうきゅうせい classmateで今著名著名ちょめい well-known; celebratedになっている誰彼誰彼だれかれ some certain personを捉えて捉とらえて seize on (as topic of discourse)、ひどく無遠慮な無遠慮ぶえんりょな blunt; brutal批評批評ひひょう criticism; commentaryを加える加くわえる unleash (on)事があった。それで私は露骨に露骨ろこつに frankly; candidlyその矛盾矛盾むじゅん contradictionを挙げて挙あげて raise; cite (as a point of argument)云々して云々うんぬんして mention; comment onみた。私の精神精神せいしん intentionは反抗反抗はんこう defiance; dissentの意味意味いみ meaning; natureというよりも、世間が先生を知らないで平気でいる平気へいきでいる be indifferentのが残念残念ざんねん disappointing; regrettableだったからである。その時先生は沈んだ沈しずんだ subdued; somber調子調子ちょうし manner; moodで、「どうしても私は世間に向かって向むかって face; turn toward働き掛ける働はたらき掛かける apply oneself to; exert one's influence on資格資格しかく qualifications; competenceのない男男おとこ manだから仕方がありません仕方しかたがありません it's no use; there's nothing for it」といった。先生の顔顔かお faceには深い深ふかい deep; profound一種の一種いっしゅの a certain kind of表情表情ひょうじょう expressionがありありとありありと clearly; distinctly刻まれた刻きざまれた be chiseled; be engraved。私にはそれが失望失望しつぼう despair; despondenceだか、不平不平ふへい discontent; dissatisfactionだか、悲哀悲哀ひあい sorrow; griefだか、解らなかった解わからなかった did not know; could not discernけれども、何しろ何なにしろ at any rate二の句の継げない二にの句くの継つげない be at a loss for words (lit: unable to string two words together)ほどに強い強つよい powerful; intenseものだったので、私はそれぎり何もいう勇気勇気ゆうき courage; nerveが出なかった。

私私わたくし I; meが奥さん奥おくさん Sensei's wifeと話して話はなして talk; converse (with)いる間に間あいだに while ...、問題問題もんだい subject; topicが自然自然しぜん naturally; in due course先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の事の事こと concerning ...からそこへ落ちて来た落おちて来きた fell to; landed on。

「先生はなぜああやって、宅宅うち house; homeで考えたり考かんがえたり consider; contemplate; reflect on勉強したり勉強べんきょうしたり study; researchなさるだけで、世の中世よの中なか society; the worldへ出て出でて go into; appear in仕事仕事しごと occupation; employmentをなさらないんでしょう」

「あの人人ひと person; manは駄目駄目だめ hopeless; impossible; out of the questionですよ。そういう事が嫌い嫌きらい not to one's likingなんですから」

「つまり下らない下くだらない foolish; of no worth事だと悟って悟さとって perceive; sense (as)いらっしゃるんでしょうか」

「悟るの悟らないのって、――そりゃ女女おんな womanだからわたくしには解りません解わかりません don't know; can't tellけれど、おそらくそんな意味意味いみ meaning; senseじゃないでしょう。やっぱり何か何なにか somethingやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒気きの毒どく unfortunate; pitiableですわ」

「しかし先生は健康健康けんこう health; physical conditionからいって、別に別べつに particularlyどこも悪い悪わるい poor; inferior; out of sortsところはないようじゃありませんか」

「丈夫丈夫じょうぶ healthy; strong; robustですとも。何にも何なんにも (no)thing持病持病じびょう chronic illnessはありません」

「それでなぜ活動活動かつどう endeavor; effort; engagementができないんでしょう」

「それが解らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配心配しんぱい worryしやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」

奥さんの語気語気ごき tone of voice; manner of speakingには非常に非常ひじょうに very much; exceedingly同情同情どうじょう sympathy; compassionがあった。それでも口元口元くちもと mouth; lipsだけには微笑微笑びしょう smile; hint of a smileが見えた見みえた appeared。外側外側そとがわ outside; exteriorからいえば、私の方方ほう alternative (of two things)がむしろ真面目真面目まじめ serious; intentだった。私はむずかしい顔顔かお face; facial expressionをして黙っていた黙だまっていた remained silent。すると奥さんが急に急きゅうに suddenly思い出した思おもい出だした remembered; recollectedようにまた口を開いた口くちを開ひらいた spoke。

「若い若わかい young時時とき time; periodはあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました違ちがっていました was different。それが全く全まったく completely; utterly変ってしまった変かわってしまった changedんです」

「若い時っていつ頃いつ頃ごろ (about) whenですか」と私が聞いた聞きいた asked。

「書生時代書生しょせい時代じだい student daysよ」

「書生時代から先生を知って知しって know; be acquainted withいらっしゃったんですか」

奥さんは急に薄赤い薄赤うすあかい lightly flushed (red)顔をした。

十二十二じゅうに (part) 12

奥さん奥おくさん Sensei's wifeは東京東京とうきょう Tōkyōの人人ひと personであった。それはかつて先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)からも奥さん自身自身じしん oneself; herselfからも聞いて聞きいて hear知っていた知しっていた knew; was aware of。奥さんは「本当本当ほんとう truthいうと合の子合あいの子こ person of mixed parentage; child of mixed bloodなんですよ」といった。奥さんの父親父親ちちおや fatherはたしか鳥取鳥取とっとり Tottori (city or prefecture in western Honshū on Japan Sea side)かどこかの出の出で a native of ...であるのに、お母さんお母かあさん motherの方方ほう alternative (of two things)はまだ江戸江戸えど Edo (former name for Tōkyō)といった時分時分じぶん time; periodの市ヶ谷市ヶ谷いちがや Ichigaya (place name; part of Tōkyō)で生れた生うまれた was born (in)女女おんな womanなので、奥さんは冗談半分冗談じょうだん半分はんぶん half jokinglyそういったのである。ところが先生は全く全まったく completely; entirely方角方角ほうがく direction; bearing違い違ちがい differentの新潟県人新潟にいがた県人けんじん native of Niigata prefecture (eastern Honshū on Japan Sea side)であった。だから奥さんがもし先生の書生時代書生しょせい時代じだい student daysを知っているとすれば、郷里郷里きょうり home town; one's native placeの関係関係かんけい connectionからでない事事こと factは明らか明あきらか clear; evidentであった。しかし薄赤い薄赤うすあかい lightly flushed (red)顔顔かお faceをした奥さんはそれより以上以上いじょう further; beyondの話話はなし talk (of)をしたくないようだったので、私私わたくし I; meの方でも深く深ふかく deeply; in depthは聞かずにおいた。

先生と知り合いになって知しり合あいになって become acquainted withから先生の亡くなる亡なくなる die; pass awayまでに、私はずいぶん色々の色々いろいろの various問題問題もんだい questions; issues; mattersで先生の思想思想しそう thoughts; ideasや情操情操じょうそう sensibility; sentimentに触れて触ふれて come in contact (with); be exposed toみたが、結婚結婚けっこん marriage当時当時とうじ the time of ...の状況状況じょうきょう circumstances; situationについては、ほとんど何ものも何なにものも (no)thing聞き得なかった聞きき得えなかった never came to hear; was never able to learn。私は時によると時ときによると at times; depending on circumstance、それを善意善意ぜんい virtuous intention; good faithに解釈して解釈かいしゃくして take; interpret (as)もみた。年輩の年輩ねんぱいの older; elder先生の事だから、艶めかしい艶なまめかしい lascivious; ribald回想回想かいそう reflection; reminiscenceなどを若いもの若わかいもの younger manに聞かせるのはわざと慎んで慎つつしんで exercise discretion; refrain fromいるのだろうと思った思おもった thought; figured。時によると、またそれを悪く悪わるく in a bad sense; as a faultも取った取とった took (as)。先生に限らず限かぎらず not limited to; not only、奥さんに限らず、二人とも二人ふたりとも the two of them; the both of them私に比べる比くらべる compareと、一時代一時代いちじだい one generation前前まえ before; earlierの因襲因襲いんしゅう conventions; customs; traditionsのうちに成人した成人せいじんした grew up; came of ageために、そういう艶っぽい艶つやっぽい romantic; amorous問題になると、正直に正直しょうじきに honestly; candidly自分自分じぶん oneselfを開放する開放かいほうする open; throw openだけの勇気勇気ゆうき courageがないのだろうと考えた考かんがえた thought; considered。もっともどちらも推測推測すいそく conjectureに過ぎなかったに過すぎなかった was nothing more than ...。そうしてどちらの推測の裏裏うら undersurface; reverse sideにも、二人の結婚の奥奥おく interior; coreに横たわる横よこたわる lie across; occupy花やかな花はなやかな bright; brilliantロマンスロマンス romanceの存在存在そんざい existenceを仮定して仮定かていして assume; supposeいた。

私の仮定ははたして誤らなかった誤あやまらなかった was not in error。けれども私はただ恋恋こい (romantic) loveの半面半面はんめん one side; half ofだけを想像想像そうぞう imaginationに描き得た描えがき得えた was able to pictureに過ぎなかった。先生は美しい美うつくしい beautiful; pure恋愛恋愛れんあい love; romantic affectionsの裏に、恐ろしい恐おそろしい terrifying; dreadful悲劇悲劇ひげき tragedy; misfortuneを持っていた持もっていた held; harbored。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨な見惨みじめな miserable; unhappy; wretched (usually 惨みじめな)ものであるかは相手相手あいて companion; partnerの奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今今いま now; the presentでもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して隠かくして conceal死んだ死しんだ died。先生は奥さんの幸福幸福こうふく happiness; well-beingを破壊する破壊はかいする destroy前に、まず自分の生命生命せいめい life; existenceを破壊してしまった。

私私わたくし I; meは今今いま now; at presentこの悲劇悲劇ひげき tragedy; misfortuneについて何事も何事なにごとも (no)thing語らない語かたらない won't talk of。その悲劇のためにむしろ生れ出た生うまれ出でた came into beingともいえる二人二人ふたり two peopleの恋愛恋愛れんあい love; romantic affectionsについては、先刻先刻さっき (a short time) before; just nowいった通り通とおり just as ...であった。二人とも私にはほとんど何も話して話はなして tell; speak (of)くれなかった。奥さん奥おくさん Sensei's wifeは慎み慎つつしみ modesty; discretionのために、先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はまたそれ以上以上いじょう beyond; more thanの深い深ふかい deep; profound理由理由りゆ reason; motiveのために。

ただ一つ一ひとつ one (thing)私の記憶記憶きおく memoryに残って残のこって remainいる事事こと matter; happeningがある。或る時或ある時とき one time; on one occasion花時分花はな時分じぶん when flowers are in bloom; the time of spring blossomsに私は先生といっしょに上野上野うえの Ueno (park)へ行った行いった went (to)。そうしてそこで美しい美うつくしい lovely; charming; handsome一対一対いっつい pair; coupleの男女男女なんにょ man and womanを見た見みた saw。彼ら彼かれら theyは睦まじそう睦むつまじそう harmonious; affectionate (looking)に寄り添って寄より添そって get close; cuddle; cling花花はな flowersの下下した below; beneathを歩いて歩あるいて walk; strollいた。場所場所ばしょ place; locationが場所なので、花よりもそちらを向いて向むいて turn toward眼を峙だてて眼めを峙そばだてて crane one's neck (to see); take particular notice ofいる人人ひと peopleが沢山沢山たくさん many; a good numberあった。

「新婚の新婚しんこんの newly wed; newly married夫婦夫婦ふうふ man and wife; coupleのようだね」と先生がいった。

「仲が好さそう仲なかが好よさそう seemingly taken with each otherですね」と私が答えた答こたえた answered; replied。

先生は苦笑苦笑くしょう forced smileさえしなかった。二人の男女を視線視線しせん line of sight; field of viewの外に外ほかに outside of; apart from置く置おく set; placeような方角方角ほうがく directionへ足を向けた足あしを向むけた directed one's feet; moved (toward)。それから私にこう聞いた聞きいた asked。

「君君きみ youは恋恋こい (romantic) loveをした事がありますか」

私はないと答えた。

「恋をしたくはありませんか」

私は答えなかった。

「したくない事はないでしょう」

「ええ」

「君は今あの男男おとこ manと女女おんな womanを見て、冷評しました冷評ひやかしました made light of; poked fun atね。あの冷評冷評ひやかし teasing; ribbingのうちには君が恋を求めながら求もとめながら wish for; yearn for相手相手あいて partner; companionを得られない得えられない cannot secure; cannot obtainという不快不快ふかい displeasure; discontentの声声こえ (tone of) voiceが交って交まじって be mixed in; be blended withいましょう」

「そんな風風ふう way; mannerに聞こえましたか」

「聞こえました。恋の満足満足まんぞく contentment; satisfactionを味わって味あじわって taste; experienceいる人はもっと暖かい暖あたたかい warm; genial声を出す出だす put forthものです。しかし……しかし君、恋は罪悪罪悪ざいあく iniquity; villainyですよ。解って解わかって understand; be aware ofいますか」

私は急に急きゅうに suddenly驚かされた驚おどろかされた was caught off guard; was blindsided。何とも何なんとも (no)thing返事返事へんじ answer; replyをしなかった。

十三十三じゅうさん (part) 13

我々我々われわれ we; usは群集群集ぐんしゅう crowd; throng; crushの中中なか middle; midst (of)にいた。群集はいずれも嬉しそうな嬉うれしそうな happy; joyful顔顔かお faces; (facial) expressionsをしていた。そこを通り抜けて通とおり抜ぬけて pass through、花花はな flowers; blossomsも人人ひと peopleも見えない見みえない not visible; not seen森森もり woodsの中へ来る来くる come (to); arrive (at)までは、同じ同おなじ the same問題問題もんだい topic; subjectを口にする口くちにする speak of; bring up機会機会きかい chance; opportunityがなかった。

「恋恋こい (romantic) loveは罪悪罪悪ざいあく iniquity; villainyですか」と私私わたくし I; meがその時時とき time; moment突然突然とつぜん suddenly聞いた聞きいた asked。

「罪悪です。たしかに」と答えた答こたえた replied; answered時の先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の語気語気ごき tone of voice; manner of speakingは前前まえ earlier; beforeと同じように強かった強つよかった was strong; ; was forceful; was emphatic。

「なぜですか」

「なぜだか今に今いまに soon; soon enough解ります解わかります understand; come to know。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心心こころ heart; spirit; soulはとっくの昔昔むかし long agoからすでに恋で動いて動うごいて shift; stir; operateいるじゃありませんか」

私は一応一応いちおう once (over); for good measure自分の自分じぶんの one's own胸の中胸むねの中なか within one's breast; one's inner feelingsを調べて調しらべて examine; search見た。けれどもそこは案外に案外あんがいに contrary to expectation空虚空虚くうきょ empty; vacantであった。思いあたる思おもいあたる come to mindようなものは何にも何なんにも (no)thingなかった。

「私の胸の中にこれという目的物目的物もくてきぶつ objective; object of desireは一つ一ひとつ one (thing)もありません。私は先生に何も隠して隠かくして hide; conceal; hold backはいないつもりです」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付ける落おち付つける calm down; settle oneselfだろうと思って思おもって think; consider動きたくなるのです」

「今それほど動いちゃいません」

「あなたは物足りない物足ものたりない unsatisfied; unfulfilled結果結果けっか (as a) result; consequence私の所所ところ place; residence; homeに動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知れませんかも知しれません it may be that ...。しかしそれは恋とは違います違ちがいます different; separate」

「恋に上る上のぼる climb; ascend (toward)楷段楷段かいだん stairs; stairway (usually 階段かいだん)なんです。異性異性いせい the opposite sexと抱き合う抱だき合あう embrace順序として順序じゅんじょとして on the way to; in preparation for、まず同性同性どうせい same sexの私の所へ動いて来たのです」

「私には二つのもの二ふたつのもの the two thingsが全く全まったく entirely; completely性質性質せいしつ nature; dispositionを異にして異ことにして differ (in)いるように思われます」

「いや同じです。私は男男おとこ manとしてどうしてもあなたに満足満足まんぞく satisfaction; contentmentを与えられない与あたえられない cannot give; cannot impart (to)人間人間にんげん personなのです。それから、ある特別の特別とくべつの special; peculiar; extraordinary事情事情じじょう circumstances; situationがあって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際実際じっさい really; in truthお気の毒お気きの毒どく unfortunate; a shame (for someone)に思っています。あなたが私からよそへ動いて行く行ゆく go (to)のは仕方がない仕方しかたがない cannot be helped; must inevitably come to pass。私はむしろそれを希望して希望きぼうして hope; wish (for)いるのです。しかし……」

私は変に変へんに strangely悲しくなった悲かなしくなった felt sorrowful; became downhearted。

「私私わたくし I; meが先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)から離れて行く離はなれて行いく distance oneself; move away (from)ようにお思いになればお思おもいになれば if (you) think ...仕方がありません仕方しかたがありません cannot be helped; is out of one's handsが、私にそんな気気き inclinationの起った起おこった occurred事事こと act; instanceはまだありません」

先生は私の言葉言葉ことば wordsに耳を貸さなかった耳みみを貸かさなかった paid no heed (to)。

「しかし気を付けないといけない気きを付つけないといけない (you) must be careful; must watch yourself。恋恋こい (romantic) loveは罪悪罪悪ざいあく iniquity; villainyなんだから。私の所所ところ place; residence; homeでは満足満足まんぞく contentment; satisfactionが得られない得えられない cannot get; cannot obtain代りに代かわりに while ...; in return for ...危険危険きけん danger; peril; riskもないが、――君君きみ you (used here as form of address)、黒い黒くろい black長い長ながい long髪髪かみ hair; locksで縛られた縛しばられた be tied; be bound (with)時時とき time; instance; occasionの心持心持こころもち feelingを知って知しって know; understand; be familiar withいますか」

私は想像で想像そうぞうで in one's mind; conceptually知っていた。しかし事実事実じじつ fact; realityとしては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味意味いみ meaning; significanceは朦朧として朦朧もうろうとして dim; hazy; vagueよく解らなかった解わからなかった did not understand; couldn't grasp。その上その上うえ on top of that; moreover私は少し少すこし a little; a bit不愉快不愉快ふゆかい uncomfortable; ill at easeになった。

「先生、罪悪という意味をもっと判然判然はっきり clearly; plainlyいって聞かしていって聞きかして explain下さい下ください please ...。それでなければこの問題問題もんだい subject; topicをここで切り上げて切きり上あげて drop; let go; bring to an end下さい。私自身自身じしん oneself; personallyに罪悪という意味が判然解るまで」

「悪い悪わるい wrong; unjust事をした。私はあなたに真実真実まこと truth; realityを話して話はなして tell; explain; relateいる気でいた。ところが実際は実際じっさいは in fact; in the end、あなたを焦慮して焦慮じらして tease; toy with; string along (usually 焦じらして)いたのだ。私は悪い事をした」

先生と私とは博物館博物館はくぶつかん museumの裏裏うら back sideから鶯渓鶯渓うぐいすだに Uguisudani (place name)の方角方角ほうがく directionに静かな静しずかな quiet; calm; leisurely歩調歩調ほちょう pace; cadenceで歩いて行った歩あるいて行いった walked on; strolled further。垣垣かき fence; hedgeの隙間隙間すきま intervals; gapsから広い広ひろい wide; expansive庭庭にわ gardenの一部一部いちぶ (one) part ofに茂る茂しげる grow thickly熊笹熊笹くまざさ bamboo grassが幽邃幽邃ゆうすい solitary; quiet and secludedに見えた見みえた appeared。

「君は私がなぜ毎月毎月まいげつ each month雑司ヶ谷雑司ヶ谷ぞうしがや Zōshigaya (place name)の墓地墓地ぼち cemeteryに埋っている埋うまっている be buried友人友人ゆうじん friendの墓墓はか grave; gravesiteへ参る参まいる go to; visitのか知っていますか」

先生のこの問い問とい questionは全く全まったく completely; entirely突然突然とつぜん unexpected; out of the blueであった。しかも先生は私がこの問いに対してに対たいして with respect to; regarding答えられない答こたえられない cannot answerという事もよく承知していた承知しょうちしていた was aware。私はしばらく返事返事へんじ reply; responseをしなかった。すると先生は始めて始はじめて for the first time; at last; finally気が付いた気きが付ついた realized; took noticeようにこういった。

「また悪い事をいった。焦慮せるのが悪いと思って、説明しようとする説明せつめいしようとする try to explainと、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果結果けっか result; outcomeになる。どうも仕方がない。この問題はこれで止めましょう止やめましょう let's dispense with。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖な神聖しんせいな sacred; divineものですよ」

私には先生の話話はなし talk; speechがますます解らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった口くちにしなかった made no mention; said nothing (of)。

十四十四じゅうし (part) 14

年の若い年としの若わかい few in years; young私私わたくし I; meはややともすると一図一図いちず earnest; intense; passionateになりやすかった。少なくとも少すくなくとも at least先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の眼眼め eyesにはそう映って映うつって be reflected; appearいたらしい。私には学校学校がっこう schoolの講義講義こうぎ lecturesよりも先生の談話談話だんわ talk; conversationの方方ほう alternative (of two things)が有益有益ゆうえき beneficial; of valueなのであった。教授教授きょうじゅ professorsの意見意見いけん opinions; points of viewよりも先生の思想思想しそう thoughts; ideasの方が有難い有難ありがたい welcome; appreciatedのであった。とどの詰まりをいえばとどの詰つまりをいえば at the end of the day; after all is said and done、教壇教壇きょうだん platform; stage (for teaching or lecturing)に立って立たって stand (on)私を指導して指導しどうして guide; instructくれる偉い偉えらい distinguished; esteemed人々人々ひとびと persons; menよりもただ独りを守って独ひとりを守まもって keep to oneself多く多おおく much; a lotを語らない語かたらない not speak; not talk of; not mention先生の方が偉く見えた見みえた appeared; seemedのであった。

「あんまり逆上ちゃ逆上のぼせちゃ be (over)enthusiastic towardいけません」と先生がいった。

「覚めた覚さめた collected; composed; rational結果結果けっか result; outcome (of)としてそう思う思おもう think; considerんです」と答えた答こたえた answered; replied時時とき time; occasionの私には充分の充分じゅうぶんの sufficient; adequate自信自信じしん confidenceがあった。その自信を先生は肯がって肯うけがって accept; give affirmation toくれなかった。

「あなたは熱熱ねつ enthusiasm; zealに浮かされて浮うかされて be carried away withいるのです。熱がさめると厭になります厭いやになります be disaffected toward; tire of。私は今今いま now; at presentのあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じて苦くるしく感かんじて feel strain; feel distressいます。しかしこれから先先さき ahead; in the futureのあなたに起るべき起おこるべき must (inevitably) occur変化変化へんか change; transitionを予想して予想よそうして think of; anticipate見ると、なお苦しくなります」

「私はそれほど軽薄軽薄けいはく superficial; fickle; undependableに思われているんですか。それほど不信用不信用ふしんよう untrustworthyなんですか」

「私はお気の毒お気きの毒どく unfortunate; sorry (for someone)に思うのです」

「気の毒だが信用されない信用しんようされない not trustとおっしゃるんですか」

先生は迷惑そうに迷惑めいわくそうに (appearing) troubled; vexed庭庭にわ gardenの方方ほう directionを向いた向むいた turned (toward)。その庭に、この間までこの間あいだまで until recently重そうな重おもそうな heavy (looking); laden赤い赤あかい red強い強つよい strong; intense色色いろ colorをぽたぽた点じてぽたぽた点てんじて drop in splotchesいた椿椿つばき camelliaの花花はな flowersはもう一つも一ひとつも (not) one見えなかった。先生は座敷座敷ざしき living room; parlorからこの椿の花をよく眺める眺ながめる view; look at; gaze on癖癖くせ tendency; penchantがあった。

「信用しないって、特に特とくに particularly; especiallyあなたを信用しないんじゃない。人間人間にんげん human beings; humanity全体全体ぜんたい in full; in entiretyを信用しないんです」

その時生垣生垣いけがき hedgeの向う向むこう far sideで金魚売り金魚きんぎょ売うり goldfish seller; goldfish vendorらしい声声こえ voice; callがした。その外に外ほかに apart from; besidesは何の何なんの (no)thing聞こえる聞きこえる be audible; be heardものもなかった。大通り大通おおどおり broad street; main thoroughfareから二丁二丁にちょう 2 chō (about 220 meters; about 240 yards)も深く深ふかく deeply折れ込んだ折おれ込こんだ tucked; nestled (into)小路小路こうじ lane; side streetは存外存外ぞんがい more than expected静か静しずか quiet; stillであった。家家うち houseの中中なか insideはいつもの通りいつもの通とおり as alwaysひっそりしていた。私は次の次つぎの next; adjacent間間ま roomに奥さん奥おくさん Sensei's wifeのいる事事こと fact; realityを知っていた知しっていた knew; was aware of。黙って黙だまって in silence針仕事針はり仕事しごと needlework; sewingか何か何なにか somethingしている奥さんの耳耳みみ earsに私の話し声話はなし声ごえ voice (in conversation)が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全く全まったく utterly; completelyそれを忘れて忘わすれて forget; put out of one's mindしまった。

「じゃ奥さん奥おくさん (your) wifeも信用なさらない信用しんようなさらない distrustんですか」と先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)に聞いた聞きいた asked。

先生は少し少すこし a little; a bit不安な不安ふあんな uncomfortable; uneasy顔顔かお face; (facial) expressionをした。そうして直接の直接ちょくせつの direct答え答こたえ answerを避けた避さけた avoided。

「私私わたくし I; meは私自身私わたくし自身じしん one's own selfさえ信用していないのです。つまり自分自分じぶん oneselfで自分が信用できないから、人人ひと (other) peopleも信用できないようになっているのです。自分を呪う呪のろう curse; loatheより外により外ほかに other than to ...仕方がない仕方しかたがない nothing can be done; there's nothing for itのです」

「そうむずかしく考えれば考かんがえれば consider; regard; view (as)、誰だって誰だれだって anyone; whosoever確かな確たしかな reliable; trustworthyものはないでしょう」

「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後後あと afterで驚いた驚おどろいた was shocked; was taken abackんです。そうして非常に非常ひじょうに extremely; exceedingly怖くなった怖こわくなった was appalled; was horrifiedんです」

私はもう少し先先さき ahead; further onまで同じ同おなじ the same道道みち avenue; pathを辿って行きたかった辿たどって行ゆきたかった wanted to follow; wanted to pursue。すると襖襖ふすま fusuma (sliding screen)の陰陰かげ other sideで「あなた、あなた」という奥さんの声声こえ voiceが二度二度にど two times; twice聞こえた。先生は二度目二度目にどめ second timeに「何だい何なんだい yes; what is it」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の次つぎの adjacent; adjoining間間ま roomへ呼んだ呼よんだ called; summoned (to)。二人二人ふたり two (people)の間にの間あいだに between ...どんな用事用事ようじ business; affair; matterが起った起おこった took place; transpiredのか、私には解らなかった解わからなかった was not known。それを想像する想像そうぞうする imagine; guess at余裕余裕よゆう leeway; leisure; time (to do something)を与えない与あたえない not provide; not impart toほど早く早はやく soon; quickly先生はまた座敷座敷ざしき living room; parlorへ帰って来た帰かえって来きた returned (to)。

「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に今いまに soon; before long後悔する後悔こうかいする regret; be sorryから。そうして自分が欺かれた欺あざむかれた deceived; deluded返報返報へんぽう requital; retaliatory actionに、残酷な残酷ざんこくな harsh; cold-hearted復讐復讐ふくしゅう retribution; reprisalをするようになるものだから」

「そりゃどういう意味意味いみ meaning; implicationですか」

「かつてはその人の膝の前膝ひざの前まえ before one (lit: in front of the knees of one who is seated)に跪いた跪ひざまずいた kneeled (before); showed deference (to)という記憶記憶きおく memoryが、今度今度こんど now; this timeはその人の頭頭あたま headの上上うえ top ofに足を載せさせよう足あしを載のせさせよう rest one's feet on; step onとするのです。私は未来未来みらい future (times)の侮辱侮辱ぶじょく contempt; scorn; disdainを受けない受うけない not receive; not be subjected toために、今の尊敬尊敬そんけい respect; adoration; honorを斥けたいと思う斥しりぞけたいと思おもう seek to repel; wish to drive awayのです。私は今より一層一層いっそう still more; even more淋しい淋さびしい lonely; forsaken未来の私を我慢する我慢がまんする bear; endure代りに代かわりに instead of; rather than、淋しい今の私を我慢したいのです。自由自由じゆう (personal) freedomと独立独立どくりつ independence; self-sufficiencyと己れ己おのれ self; egoとに充ちたに充みちた filled with; having in abundance現代現代げんだい modern ageに生れた生うまれた born (into)我々我々われわれ we; usは、その犠牲犠牲ぎせい sacrifice; offering; recompenseとしてみんなこの淋しみを味わわなくてはならない味あじわわなくてはならない must taste; must experienceでしょう」

私はこういう覚悟覚悟かくご resolution; resignationをもっている先生に対してに対たいして against; as counter to、いうべき言葉言葉ことば wordsを知らなかった知しらなかった did not know (of)。

十五十五じゅうご (part) 15

その後その後ご thereafter私私わたくし I; meは奥さん奥おくさん Sensei's wifeの顔顔かお faceを見る見みる seeたびに気になった気きになった felt concern。先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は奥さんに対してに対たいして with respect to; regardingも始終始終しじゅう alwaysこういう態度態度たいど attitude; demeanorに出る出でる approach; engageのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足満足まんぞく satisfaction; acceptabilityなのだろうか。

奥さんの様子様子ようす appearanceは満足とも不満足不満足ふまんぞく dissatisfaction; displeasureとも極めようがなかった極きめようがなかった was difficult to conclude; could not be determined。私はそれほど近く近ちかく up close; intimately奥さんに接触する接触せっしょくする contact; interact with機会機会きかい chance; opportunityがなかったから。それから奥さんは私に会う会あう see; meetたびに尋常尋常じんじょう usual; ordinaryであったから。最後に最後さいごに finally; further先生のいる席席せき occasion of sitting together; gatheringでなければ私と奥さんとは滅多に顔を合せなかった滅多めったに顔かおを合あわせなかった rarely saw each other; seldom interactedから。

私の疑惑疑惑ぎわく doubt; misgivingsはまだその上その上うえ on top of that; beyond thatにもあった。先生の人間人間にんげん human beings; humanityに対するこの覚悟覚悟かくご resolution; resignationはどこから来る来くる come; originate (from)のだろうか。ただ冷たい冷つめたい cold; detached; unfeeling眼眼め eyesで自分自分じぶん oneselfを内省したり内省ないせいしたり introspect現代現代げんだい the modern ageを観察したり観察かんさつしたり observeした結果結果けっか result; consequenceなのだろうか。先生は坐って坐すわって sit考える考かんがえる contemplate; ponder質質たち quality; natureの人人ひと person; manであった。先生の頭頭あたま head; mindさえあれば、こういう態度は坐って世の中世よの中なか the worldを考えていても自然と自然しぜんと naturally; in due course出て来る出でて来くる take shape; emergeものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった思おもえなかった could not imagine ...。先生の覚悟は生きた生いきた living; animate覚悟らしかった。火火ひ fireに焼けて焼やけて be burned (by)冷却し切った冷却れいきゃくし切きった (fully) cooled; extinguished石造石造せきぞう built of stone家屋家屋かおく house; buildingの輪廓輪廓りんかく contours; outline; silhouetteとは違って違ちがって differ (from)いた。私の眼に映ずる映えいずる be reflected先生はたしかに思想家思想家しそうか thinkerであった。けれどもその思想家の纏め上げた纏まとめ上あげた compiled; brought together主義主義しゅぎ doctrine; principlesの裏裏うら under surface; reverse sideには、強い強つよい strong; potent; powerful事実事実じじつ reality; truthが織り込まれている織おり込こまれている be intertwined; be incorporatedらしかった。自分と切り離された切きり離はなされた detached; cut loose他人他人たにん other people; othersの事実でなくって、自分自身自分じぶん自身じしん one's own self; one's very selfが痛切に痛切つうせつに keenly; acutely味わった味あじわった tasted; experienced事実、血血ち bloodが熱くなったり熱あつくなったり grow hot; burn; boil脈脈みゃく pulse; heartbeatが止まったり止とまったり stop; ceaseするほどの事実が、畳み込まれて畳たたみ込こまれて be folded inいるらしかった。

これは私の胸胸むね bosom; heartで推測する推測すいそくする surmise; conjectureがものはない。先生自身すでにそうだと告白して告白こくはくして confess; acknowledgeいた。ただその告白が雲の峯雲くもの峯みね ramparts in the sky (lit: clouds that appear like mountain peaks)のようであった。私の頭の上に正体正体しょうたい true form; true natureの知れない知しれない unknown; indiscernible恐ろしい恐おそろしい frightening; dreadful; ominousものを蔽い被せた蔽おおい被かぶせた cover; suspend (over)。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解らなかった解わからなかった wasn't clear。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに明あきらかに clearly; undoubtedly私の神経を震わせた神経しんけいを震ふるわせた set one's nerves on edge。

私私わたくし I; meは先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)のこの人生観人生観じんせいかん outlook on life; worldviewの基点基点きてん origin; basisに、或る或ある a certain強烈な強烈きょうれつな strong; intense恋愛恋愛れんあい love; romantic affections事件事件じけん affair; episodeを仮定して仮定かていして assume; supposeみた。(無論無論むろん of course先生と奥さん奥おくさん Sensei's wifeとの間の間あいだ between ...に起った起おこった occurred; took place; happened)。先生がかつて恋恋こい (romantic) loveは罪悪罪悪ざいあく iniquity; villainyだといった事事こと fact; realityから照らし合せて見る照てらし合あわせて見みる look at (something) in light ofと、多少多少たしょう somewhat; to some degreeそれが手掛り手掛てがかり trail; track; clueにもなった。しかし先生は現に現げんに in actuality; in fact奥さんを愛して愛あいして love; care deeply forいると私に告げた告つげた told; informed; revealed。すると二人二人ふたり two (people)の恋からこんな厭世厭世えんせい pessimism; weariness with lifeに近いに近ちかい resembling ...覚悟覚悟かくご resolution; resignationが出よう出でよう appear; emergeはずがなかった。「かつてはその人の前前まえ before; in front ofに跪いた跪ひざまずいた kneeled (before); showed deference (to)という記憶記憶きおく memoryが、今度今度こんど now; this timeはその人の頭頭あたま headの上上うえ top ofに足を載せさせよう足あしを載のせさせよう rest one's feet on; step onとする」といった先生の言葉言葉ことば wordsは、現代現代げんだい the modern age一般一般いっぱん in generalの誰彼誰彼たれかれ anyone and everyoneについて用いられる用もちいられる be used; be appliedべきで、先生と奥さんの間には当てはまらない当あてはまらない not apply toもののようでもあった。

雑司ヶ谷雑司ヶ谷ぞうしがや Zōshigaya (place name)にある誰誰だれ whoだか分らない分わからない don't know人人ひと personの墓墓はか grave; gravesite、――これも私の記憶に時々時々ときどき at times; from time to time動いた動うごいた moved; worked; operated。私はそれが先生と深い深ふかい deep; profound縁故縁故えんこ relation; connectionのある墓だという事を知っていた知しっていた knew; was aware。先生の生活生活せいかつ everyday lifeに近づきつつありながら近ちかづきつつありながら while approaching; while drawing near to、近づく事のできない私は、先生の頭の中頭あたまの中なか mindにある生命生命いのち life; existenceの断片断片だんぺん fragmentとして、その墓を私の頭の中にも受け入れた受うけ入いれた accepted; received。けれども私に取って私わたくしに取とって to me; for meその墓は全く全まったく entirely; completely死んだ死しんだ dead; lifelessものであった。二人の間にある生命の扉扉とびら doorを開ける開あける open鍵鍵かぎ keyにはならなかった。むしろ二人の間に立って立たって stand、自由の自由じゆうの free; unobstructed往来往来おうらい coming and going; passageを妨げる妨さまたげる hinder; prevent魔物魔物まもの demon; apparitionのようであった。

そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向い差さし向むかい face to faceで話話はなし talk; conversationをしなければならない時機時機じき opportunity; occasionが来た来きた came; arrived。その頃頃ころ time (of the year); seasonは日日ひ daysの詰って行く詰つまって行ゆく grow shorterせわしないせわしない restless; hurried; harried秋秋あき autumnに、誰も注意を惹かれる注意ちゅういを惹ひかれる draw one's attention; attract one's notice肌寒肌寒はださむ autumn chillの季節季節きせつ season; time of yearであった。先生の附近附近ふきん neighborhood; environsで盗難盗難とうなん burglary; theftに罹った罹かかった fell victim toものが三、四日三さん、四日よっか three or four days続いて続つづいて in succession出た。盗難はいずれも宵の口宵よいの口くち early evening; nightfallであった。大した大たいした important; of valueものを持って行かれた持もって行いかれた have taken家家うち house; householdはほとんどなかったけれども、はいられた所所ところ place; homeでは必ず必かならず invariably; without exception何か何なにか something取られた取とられた was taken。奥さんは気味をわるくした気味きみをわるくした was on edge; was uncomfortable。そこへ先生がある晩晩ばん evening家を空けなければならない家うちを空あけなければならない have to leave home事情事情じじょう situation; circumstancesができてきた。先生と同郷同郷どうきょう same home town; same home provinceの友人友人ゆうじん friendで地方地方ちほう countryside; rural areaの病院病院びょういん hospitalに奉職して奉職ほうしょくして serve at; hold a post atいるものが上京した上京じょうきょうした came (up) to the capital (Tōkyō)ため、先生は外の外ほかの other二、三名二に、三名さんめい several gentlemenと共にと共ともに together with; along with、ある所でその友人に飯を食わせなければならなくなった飯めしを食くわせなければならなくなった had to take to dinner。先生は訳訳わけ reasons; situation; circumstancesを話して話はなして relate; explain、私に帰ってくる帰かえってくる return; come home間間あいだ period; interval (of time)までの留守番留守番るすばん watching the house; holding the fortを頼んだ頼たのんだ asked; requested (something of someone)。私はすぐ引き受けた引ひき受うけた agreed; acquiesced; took on (a task)。

十六十六じゅうろく (part) 16

私私わたくし I; meの行った行いった went; arrivedのはまだ灯灯ひ lightsの点く点つく be lit; be lightedか点かない暮れ方暮くれ方がた evening; nightfallであったが、几帳面な几帳面きちょうめんな meticulous; punctual先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はもう宅宅うち house; homeにいなかった。「時間時間じかん (appointed) timeに後れる後おくれる be late (for)と悪い悪わるい unacceptable; unbecomingって、つい今しがたつい今いましがた just now; but a moment ago出掛けました出掛でかけました set out; left」といった奥さん奥おくさん Sensei's wifeは、私を先生の書斎書斎しょさい studyへ案内した案内あんないした guided; led。

書斎には洋机洋机テーブル table; deskと椅子椅子いす chairの外にの外ほかに in addition to、沢山の沢山たくさんの many; numerous書物書物しょもつ booksが美しい美うつくしい beautiful; fine; handsome背皮背皮せがわ spine of a leather-bound bookを並べて並ならべて line up; arrange; put in order、硝子越に硝子ガラス越ごしに through the glass電燈の光電燈でんとうの光ひかり electric lightで照らされて照てらされて be illuminatedいた。奥さんは火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierの前前まえ front ofに敷いた敷しいた spread; laid out座蒲団座蒲団ざぶとん seating cushionの上上うえ top ofへ私を坐らせて坐すわらせて have (someone) sit、「ちっとそこいらにある本本ほん booksでも読んで読よんで read; look atいて下さい下ください please ...」と断って断ことわって excuse oneself出て行った出でて行いった went out; left。私はちょうど主人主人しゅじん master (of the house)の帰り帰かえり returnを待ち受ける待まち受うける await; wait on客客きゃく visitor; guestのような気気き feelingがして済まなかった済すまなかった felt awkward; felt out of place。私は畏まった畏かしこまった formal; respectful; stiffまま烟草を飲んで烟草タバコを飲のんで smoke; have a smokeいた。奥さんが茶の間茶ちゃの間ま hearth roomで何か何なにか something下女下女げじょ maidservantに話して話はなして say (to)いる声声こえ voiceが聞こえた聞きこえた was audible; could be heard。書斎は茶の間の縁側縁側えんがわ verandaを突き当って突つき当あたって follow to its end折れ曲った折おれ曲まがった turned (a corner)角角かど cornerにあるので、棟の位置棟むねの位置いち floor planからいうと、座敷座敷ざしき sitting room; parlorよりもかえって掛け離れた掛かけ離はなれた remote; removed; isolated静かさ静しずかさ quiet; stillnessを領して領りょうして govern; preside overいた。ひとしきりでひとしきりで after a while奥さんの話し声話はなし声ごえ voiceが已む已やむ cease; come to an endと、後後あと afterはしんとした。私は泥棒泥棒どろぼう burglarを待ち受けるような心持心持こころもち mood; feelingで、凝としながら凝じっとしながら remain still気をどこかに配った気きをどこかに配くばった kept watch; maintained one's vigilance。

三十分三十分さんじゅっぷん thirty minutesほどすると、奥さんがまた書斎の入口入口いりぐち entranceへ顔を出した顔かおを出だした appeared (at); looked in (from)。「おや」といって、軽く軽かるく lightly; mildly驚いた驚おどろいた surprised時時とき times; occasionsの眼眼め eyes; lookを私に向けた向むけた directed toward。そうして客に来た客きゃくに来きた came as a guest人人ひと personのように鹿爪らしく鹿爪しかつめらしく formally; solemnly控えて控ひかえて wait (for); awaitいる私をおかしそうに見た見みた looked at。

「それじゃ窮屈窮屈きゅうくつ uncomfortableでしょう」

「いえ、窮屈じゃありません」

「でも退屈退屈たいくつ tedium; boredomでしょう」

「いいえ。泥棒が来る来くる come; appearかと思って思おもって think; consider緊張して緊張きんちょうして be tense; be keyed upいるから退屈でもありません」

奥さんは手手て handに紅茶茶碗紅茶茶碗こうちゃぢゃわん tea cupを持った持もった held; carriedまま、笑いながら笑わらいながら smiling; laughingそこに立って立たって standいた。

「ここは隅っこ隅すみっこ corner; nookだから番をする番ばんをする keep watchには好くありません好よくありません not the best; not idealね」と私がいった。

「じゃ失礼ですが失礼しつれいですが if you'll pardon my suggesting ...もっと真中真中まんなか middle; centerへ出て来て出でて来きて come out (to)頂戴頂戴ちょうだい please ...; why not ...。ご退屈だろうと思って、お茶を入れてお茶ちゃを入いれて make tea持って来たんですが、茶の間で宜しければ宜よろしければ if you don't mindあちらで上げます上あげます serveから」

私私わたくし I; meは奥さん奥おくさん Sensei's wifeの後に尾いて後あとに尾ついて follow after書斎書斎しょさい studyを出た出でた left。茶の間茶ちゃの間ま hearth roomには綺麗な綺麗きれいな handsome; splendid長火鉢長火鉢ながひばち rectangular brazierに鉄瓶鉄瓶てつびん iron kettleが鳴って鳴なって singいた。私はそこで茶茶ちゃ teaと菓子菓子かし sweets; refreshmentsのご馳走になったご馳走ちそうになった was treated to ...。奥さんは寝られない寝ねられない be unable to sleepといけないといって、茶碗茶碗ちゃわん teacupに手を触れなかった手てを触ふれなかった did not touch。

「先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)はやっぱり時々時々ときどき occasionally; from time to timeこんな会会かい party; gatheringへお出掛けになるお出掛でかけになる go out (to)んですか」

「いいえ滅多に滅多めったに seldom; rarely出た出でた go out事はありません事ことはありません does not ...。近頃近頃ちかごろ recently; of lateは段々段々だんだん gradually人の顔を見る人ひとの顔かおを見みる see people; meet with othersのが嫌い嫌きらい not to one's likingになるようです」

こういった奥さんの様子様子ようす appearance; lookに、別段別段べつだん particularly; especially困った困こまった troubled; botheredものだという風風ふう air; mannerも見えなかった見みえなかった did not appear; was not apparentので、私はつい大胆になった大胆だいたんになった felt emboldened。

「それじゃ奥さんだけが例外例外れいがい exceptionなんですか」

「いいえ私も嫌われて嫌きらわれて be dislikedいる一人一人ひとり one (person)なんです」

「そりゃ嘘嘘うそ not trueです」と私がいった。「奥さん自身自身じしん yourself嘘と知りながら知しりながら knowing (that)そうおっしゃるんでしょう」

「なぜ」

「私にいわせると、奥さんが好きになった好すきになった became fond of; grew close toから世間世間せけん society; the worldが嫌いになるんですもの」

「あなたは学問学問がくもん study; learningをする方方かた person; individualだけあって、なかなかお上手お上手じょうず skilled (in speaking); eloquent ね。空っぽな空からっぽな empty; vacant; hollow理屈理屈りくつ theory; reasonを使いこなす使つかいこなす manage; master (the use of)事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同なじ同おんなじ the same理屈で」

「両方とも両方りょうほうとも the two; bothいわれる事はいわれますが、この場合はこの場合ばあいは in this case; in this instance私の方方ほう alternative (of two choices)が正しい正ただしい correctのです」

「議論議論ぎろん argument; debateはいやよ。よく男の方男おとこの方かた men; gentlemenは議論だけなさるのね、面白そうに面白おもしろそうに vigorously; in good spirit。空の空からの empty盃盃さかずき saké cupsでよくああ飽きずに飽あきずに without tiring of献酬献酬けんしゅう exchanging cups of sakéができると思います思おもいます it's a wonder that ...わ」

奥さんの言葉言葉ことば wordsは少し少すこし a little; a bit手痛かった手痛てひどかった were severe; were harsh (usually 手酷てひどかった)。しかしその言葉の耳障耳障みみざわり impact; effectからいうと、決して決けっして by (no) means猛烈な猛烈もうれつな violent; vehementものではなかった。自分自分じぶん oneselfに頭脳頭脳ずのう brains; intellectのある事を相手相手あいて the other partyに認めさせて認みとめさせて force to recognize; force to accept、そこに一種の一種いっしゅの a certain kind of誇り誇ほこり prideを見出す見出みいだす find; discoverほどに奥さんは現代的現代的げんだいてき modernでなかった。奥さんはそれよりもっと底底そこ bottom; depthsの方に沈んだ沈しずんだ be submerged; lie sunken心心こころ heart; spiritを大事にして大事だいじにして place importance inいるらしく見えた。

十七十七じゅうしち (part) 17

私私わたくし I; meはまだその後後あと afterにいうべき事事こと things; mattersをもっていた。けれども奥さん奥おくさん Sensei's wifeから徒ら徒いたずら amusement; idle activityに議論議論ぎろん argument; debateを仕掛ける仕掛しかける start; instigate男男おとこ manのように取られて取とられて be taken (for)は困る困こまる be troubled; be in a bindと思って思おもって think; consider遠慮した遠慮えんりょした held off; refrained。奥さんは飲み干した飲のみ干ほした finished drinking紅茶茶碗紅茶茶碗こうちゃぢゃわん tea cupの底底そこ bottomを覗いて覗のぞいて peer into黙って黙だまって remain silent; keep quietいる私を外らさない外そらさない not put off; keep engagedように、「もう一杯一杯いっぱい one cup; one cupful上げましょう上あげましょう shall I give youか」と聞いた聞きいた asked。私はすぐ茶碗茶碗ちゃわん tea cupを奥さんの手手て handに渡した渡わたした passed (to)。

「いくつ? 一つ一ひとつ one (thing)? 二ッつ二ふたッつ two (things)?」

妙な妙みょうな odd; unusual; curiousもので角砂糖角砂糖かくざとう sugar cubeをつまみ上げたつまみ上あげた picked up (by pinching)奥さんは、私の顔顔かお faceを見て見みて look at、茶碗の中中なか insideへ入れる入いれる put into砂糖砂糖さとう sugarの数数かず numberを聞いた。奥さんの態度態度たいど attitude; mannerは私に媚びる媚こびる fawn on; curry favor withというほどではなかったけれども、先刻の先刻さっきの previous強い強つよい strong; intense言葉言葉ことば wordsを力めて力つとめて making an effort打ち消そうとする打うち消けそうとする try to negate; work to undo愛嬌愛嬌あいきょう charm; warmthに充ちて充みちて be filled (with)いた。

私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。

「あなた大変大変たいへん very much; greatly黙り込んじまった黙だまり込こんじまった grow reticent; sink into silenceのね」と奥さんがいった。

「何か何なにか somethingいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそう叱しかり付つけられそう be scolded; be rebukedですから」と私は答えた答こたえた replied; answered。

「まさか」と奥さんが再び再ふたたび two times; twiceいった。

二人二人ふたり two (people)はそれを緒口緒口いとくち start; beginning; opening (usually 緒いとぐち)にまた話話はなし talk; conversationを始めた始はじめた started。そうしてまた二人に共通な共通きょうつうな common; shared興味興味きょうみ interestのある先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)を問題問題もんだい subject; topicにした。

「奥さん、先刻の続き続つづき continuationをもう少し少すこし a little; a bitいわせて下さいませんか下くださいませんか won't you ...; would you ...。奥さんには空な空からな empty; hollow理屈理屈りくつ theory; reasonと聞こえるかも知れませんかも知しれません it may be that ...が、私はそんな上の空上うわの空そら abstraction; idle diversionでいってる事じゃないんだから」

「じゃおっしゃい」

「今今いま now; soon奥さんが急に急きゅうに suddenlyいなくなったとしたら、先生は現在の現在げんざいの current; present通り通とおり just asで生きて生いきて live; get by; carry onいられるでしょうか」

「そりゃ分らない分わからない don't know; can't sayわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外により外ほかに other than to ...仕方がない仕方しかたがない have no recourse (but to)じゃありませんか。私の所所ところ placeへ持って来る持もって来くる bring to問題じゃないわ」

「奥さん、私は真面目真面目まじめ serious; earnest; sincereですよ。だから逃げちゃ逃にげちゃ duck; dodge; evadeいけません。正直に正直しょうじきに honestly答えなくっちゃ」

「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」

じゃ奥さん奥おくさん Sensei's wife (used here as form of address)は先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)をどのくらい愛して愛あいして loveいらっしゃるんですか。これは先生に聞く聞きく askよりむしろ奥さんに伺って伺うかがって inquireいい質問質問しつもん questionですから、あなたに伺います」

「何も何なにも (no)thingそんな事そんな事こと such a thingを開き直って開ひらき直なおって boldly; directly; in brazen manner聞かなくっても好い好いい good; fineじゃありませんか」

「真面目くさって真面目まじめくさって in all earnestness; seriously聞くがものはないがものはない there's no need to ...。分り切ってる分わかり切きってる is obvious; is evidentとおっしゃるんですか」

「まあそうよ」

「そのくらい先生に忠実な忠実ちゅうじつな dedicated; devoted (to)あなたが急に急きゅうに suddenlyいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中世よの中なか the world; societyのどっちを向いて向むいて turn to; turn towardも面白そうでない面白おもしろそうでない seems to take no interest先生は、あなたが急にいなくなったら後後あと afterでどうなるでしょう。先生から見て見みて see; view (from)じゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になる幸福こうふくになる be happyでしょうか、不幸になる不幸ふこうになる be unhappyでしょうか」

「そりゃ私から見れば分って分わかって knowいます。(先生はそう思って思おもって think; believeいないかも知れませんかも知しれません it may be that ...が)。先生は私を離れれば離はなれれば if separated from不幸になるだけです。あるいは生きていられない生いきていられない can't go on livingかも知れませんよ。そういうと、己惚己惚おのぼれ pretension; conceit (usually 己惚うぬぼれ)になるようですが、私は今今いま now; at present先生を人間人間にんげん human beingとしてできるだけ幸福にしているんだと信じて信しんじて believeいますわ。どんな人人ひと person; individualがあっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んで思おもい込こんで be convinced of; be of the belief thatいますわ。それだからこうして落ち付いて落おち付ついて be quiet; be subdued; exist in harmonyいられるんです」

「その信念信念しんねん faith; convictionが先生の心心こころ heart; soulに好く好よく favorably映る映うつる be reflectedはずだと私は思いますが」

「それは別問題別問題べつもんだい separate topic; another matterですわ」

「やっぱり先生から嫌われて嫌きらわれて be disliked; be out of favor withいるとおっしゃるんですか」

「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳訳わけ reasonがないんですもの。しかし先生は世間世間せけん the world; societyが嫌いなんでしょう。世間というより近頃では近頃ちかごろでは recently; of late人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人一人いちにん one personとして、私も好かれる好すかれる be cherished; be lovedはずがないじゃありませんか」

奥さんの嫌われているという意味意味いみ meaningがやっと私に呑み込めた呑のみ込こめた was understandable; was comprehensible。

十八十八じゅうはち (part) 18

私私わたくし I; meは奥さん奥おくさん Sensei's wifeの理解力理解力りかいりょく insight; perceptionに感心した感心かんしんした was impressed (by)。奥さんの態度態度たいど manner; behaviorが旧式旧式きゅうしき old styleの日本日本にほん Japanの女女おんな womanらしくないところも私の注意注意ちゅうい attention; interestに一種の一種いっしゅの a certain kind of刺戟刺戟しげき excitement; exhilarationを与えた与あたえた imparted; gave (to)。それで奥さんはその頃頃ころ time流行り始めた流行はやり始はじめた were coming into vogueいわゆる新しい新あたらしい new; modern言葉言葉ことば wordsなどはほとんど使わなかった使つかわなかった did not use。

私は女というものに深い深ふかい deep; involved交際交際つきあい company; friendship; associationをした経験経験けいけん experienceのない迂闊な迂闊うかつな inattentive; heedless; imprudent青年青年せいねん young manであった。男男おとこ manとしての私は、異性異性いせい the opposite sexに対するに対たいする regarding; with respect to本能本能ほんのう instinctから、憧憬憧憬どうけい longing; aspirationの目的物目的物もくてきぶつ object; aimとして常に常つねに at all times; constantly女を夢みて夢ゆめみて dream (of); muse (over)いた。けれどもそれは懐かしい懐なつかしい endearing; enchanting春の雲春はるの雲くも cloud floating in the spring skyを眺める眺ながめる gaze atような心持心持こころもち feeling; sensationで、ただ漠然と漠然ばくぜんと vaguely; indistinctly夢みていたに過ぎなかったに過すぎなかった was nothing more than ...。だから実際の実際じっさいの real; actual女の前前まえ front ofへ出る出でる appearと、私の感情感情かんじょう feelings; sentimentsが突然突然とつぜん suddenly変る変かわる change; shift事事こと case; instanceが時々時々ときどき sometimesあった。私は自分自分じぶん oneselfの前に現われた現あらわれた appeared女のために引き付けられる引ひき付つけられる be charmed; be attracted代りに代かわりに instead of; rather than、その場に臨んでその場ばに臨のぞんで in that situation; under those circumstancesかえって変な変へんな odd; strange反撥力反撥力はんぱつりょく repulsionを感じた感かんじた felt; experienced。奥さんに対した私にはそんな気気き feeling; inclinationがまるで出なかった。普通普通ふつう ordinarily男女男女なんにょ a man and a womanの間の間あいだ between ...に横たわる横よこたわる stretch (between); lie in wait思想思想しそう thoughts; ideologyの不平均不平均ふへいきん imbalance; asymmetryという考え考かんがえ consideration; awarenessもほとんど起らなかった起おこらなかった did not arise; did not occur。私は奥さんの女であるという事を忘れた忘わすれた forgot; put out of one's mind; was not conscious of。私はただ誠実なる誠実せいじつなる sincere; honest; faithful先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)の批評家批評家ひひょうか critic; analyst; commentatorおよび同情家同情家どうじょうか sympathetic observerとして奥さんを眺めた。

「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的に世間的せけんてきに publicly; with respect to the outside worldもっと活動活動かつどう endeavor; effort; engagementなさらないのだろうといって、あなたに聞いた聞きいた asked時時とき time; occasionに、あなたはおっしゃった事がありますね。元元もと formerly; beforeはああじゃなかったんだって」

「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」

「どんなだったんですか」

「あなたの希望なさる希望きぼうなさる desire; wish (for)ような、また私の希望するような頼もしい頼たのもしい hopeful; promising人人ひと person; manだったんです」

「それがどうして急に急きゅうに suddenly; abruptly変化なすった変化へんかなすった changedんですか」

「急にじゃありません、段々段々だんだん gradually; little by littleああなって来たなって来きた becameのよ」

「奥さんはその間その間あいだ during that time始終始終しじゅう continually; constantly先生といっしょにいらしったんでしょう」

「無論無論むろん of courseいましたわ。夫婦夫婦ふうふ husband and wifeですもの」

「じゃ先生がそう変って行かれる変かわって行ゆかれる undergo a change源因源因げんいん cause; reason (usually 原因げんいん)がちゃんと解る解わかる know; be aware ofべきはずですがね」

「それだから困る困こまる be troubled; be concernedのよ。あなたからそういわれると実に実じつに really; in truth辛い辛つらい hard; difficult; painfulんですが、私私わたくし I; meにはどう考えて考かんがえて consider; contemplateも、考えようがないんですもの。私は今今いま now; the presentまで何遍何遍なんべん how many timesあの人あの人ひと that man; himに、どうぞ打ち明けて打うち明あけて speak one's mind; open one's heart下さい下ください please ...って頼んで見た頼たのんで見みた tried askingか分りゃしません分わかりゃしません don't know」

「先生先生せんせい Sensei (elder one; teacher - used here as form of address)は何とおっしゃるんですか」

「何にもいう事事こと things; mattersはない、何にも心配する心配しんぱいする worry; be concerned事はない、おれはこういう性質性質せいしつ nature; dispositionになったんだからというだけで、取り合って取とり合あって engage with; talk toくれないんです」

私は黙って黙だまって remain silentいた。奥さん奥おくさん Sensei's wifeも言葉言葉ことば wordsを途切らした途切とぎらした broke off; stopped; discontinued。下女部屋下女げじょ部屋べや maidservant's quartersにいる下女はことりとも音をさせなかったことりとも音おとをさせなかった made not a sound。私はまるで泥棒泥棒どろぼう burglarの事を忘れて忘わすれて forgetしまった。

「あなたは私に責任責任せきにん responsibilityがあるんだと思って思おもって thinkやしませんか」と突然突然とつぜん suddenly; abruptly奥さんが聞いた聞きいた asked。

「いいえ」と私が答えた答こたえた replied; answered。

「どうぞ隠さずに隠かくさずに without concealing; candidly; openlyいって下さい。そう思われるのは身身み body; fleshを切られる切きられる be cutより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」

「そりゃ先生もそう認めて認みとめて acknowledge; recognizeいられるんだから、大丈夫です大丈夫だいじょうぶです not to worry。ご安心なさいご安心あんしんなさい rest assured、私が保証します保証ほしょうします attest; swear (to)」

奥さんは火鉢火鉢ひばち hibachi; brazierの灰灰はい ashesを掻き馴らした掻かき馴ならした rake smooth; level (usually 掻かき均ならした)。それから水注水注みずさし water vessel (usually 水注みずつぎ)の水を鉄瓶鉄瓶てつびん iron kettleに注した注さした poured。鉄瓶は忽ち忽たちまち immediately鳴り鳴なり ringing; soundを沈めた沈しずめた calmed; quieted。

「私はとうとう辛防し切れなくなって辛防しんぼうし切きれなくなって no longer able to take it; unable to persevere、先生に聞きました。私に悪い悪わるい at fault; in the wrong所所ところ point; aspectがあるなら遠慮なく遠慮えんりょなく without reservation; freely; franklyいって下さい、改められる改あらためられる can make right; can improve欠点欠点けってん flaw; weakness; shortcomingなら改めるからって、すると先生は、お前お前まえ youに欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方方ほう alternative (of two things)にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がない悲かなしくなって仕様しようがない become hopelessly despondentんです、涙が出て涙なみだが出でて came to tearsなおの事自分自分じぶん oneselfの悪い所が聞きたくなるんです」

奥さんは眼眼め eyesの中中うち in; withinに涙をいっぱい溜めた溜ためた amassed; accumulated。